翼の様に見える純白の弓を手にした魔法使いは、蒼月を背に、いつもよりも美しく、幻想的に見えた。それこそ、本来の姿である様に。
 マルスはニッと、八重歯を覗かせた。

「知っているっすよ。リデル様は、今宵の月がよく似合う、美しき種族の血が半分流れていますからね。彼らの多くは弓使いだそうじゃないですか」

 そのサファイアブルーの瞳は、純粋そのもの。皮肉を言っている訳ではなさそうだが、オズワルドはそれに慣れていなかった為、自嘲気味に笑い返した。

「そう。半分だけ」
「…………。じゃー始めましょうか!」

 マルスが剣を構え、オズワルドが弓を構える。
 弓に矢はない。魔術師の大半は、矢を象ったマナの塊を代わりに使う。そうする事で、手荷物が減るし、矢を筒から取り出す時間もなくなる上、魔力が底を尽きるまで攻撃を続ける事が出来る。通常の詠唱による魔術よりも威力は格段に下がるものの、詠唱がいらない分素早く相手に攻撃を仕掛ける事が出来るのだ。
 剣と弓。攻撃方法もリーチの長さも違い、対等ではない。元より、剣士と魔術師では勝負にならない。
 しかし、当人達は勿論の事、団長を始めとする周りの騎士達もオズワルドの実力は承知の上。
 寧ろ魔術師のオズワルドより、剣士のマルスの方が心配だった。
 騎士らは皆、身内の無事と勝利を祈る。
 マルスが駆け出した事で、試合が開始する。

 一気に間合いが詰められ、オズワルドの眼前に銀の刃が迫る。
 オズワルドは余裕たっぷりの表情で後ろへ飛び退き、刀身が空を切ってマルスは悔しそうに呻いた。
 ふわりと羽の様に着地したオズワルドは弓に水属性のマナを乗せ、琥珀色の瞳に標的をしっかり映して放つ。
 ヒュっと風を切って飛んできた水の矢を、マルスは剣を盾にして弾く。しかし、そこで魔法使いの攻撃は終わらない。
 弾かれた水が氷の刃へと変わり、再びマルスに襲いかかる。

「うっわーマジっすか!」

 そう言いつつも、その表情は楽しげ。軽々と攻撃を躱していく。
 大気中の水属性のマナが大きく動き出す。
 マルスが全ての攻撃を躱し終えた時には、オズワルドが既に詠唱を始めていた。
 マルスは走る。
 オズワルドはマルスが近付いて来ても、詠唱を止めない。
 気付いていないのか定かではないが、チャンス。マルスは遠慮なく、剣を振り下ろす。

 カンッ。

 鈍い音が響き、マルスは苦笑した。
 剣先が弓に受け止められている。

「いやぁ……それ、盾じゃあないでしょう」
「マルス。お前に訊きたい事がある」
「はい。何でしょう?」
「お前、魔法鏡の間に行ったのか?」
「まほーきょー? 何っすか、それ。僕は知らないです」
「……とぼけるか」

 オズワルドは剣を弾き、後ろへ飛びながら水の矢を放つ。
 マルスは反動でよろけつつも、躱していくが、最後の一撃だけ鎧を掠めた。
 頑丈な鉄に、猛獣の爪痕に似た傷が残った。
 マルスが走り、オズワルドも走る。互いに間合いを詰めていく。
 ぶつかる寸前、オズワルドが飛躍し、マルスの背後に着地。振り向こうとするその首に弓を叩きつけた。
 マルスが怯んだ間に、オズワルドは距離を置き、水属性のマナを集める。
 マルスは殴られた所を摩り、オズワルドに向き直る。

「鈍器でもないでしょう」

 白いローブを翻し、羽の様に舞うその姿は美しいが、武器の使い方が滅茶苦茶だ。やはり、魔術こそが本来の武器。
 詠唱の声は、その姿に似つかわしく美しい。
 思わず聴き惚れてしまいそうだが、頭を振ってマルスは剣を振るう。
 詠唱の声が途切れ、剣が空を切る音が虚しく響いた。

 また躱された。

 マルスの剣筋は確かで、力強いが、1度も相手に当たるどころか、掠ってもいない。
 仮にも副団長を任される程の実力。
 マルスが弱いのではない、オズワルドが強いのだ。
 圧倒的な力の差を無言で見せつけられているにも関わらず、マルスの顔には苦痛や悔しさは微塵もない。心底、戦闘を楽しんでいる。
 マルスはもう1度攻め、剣を薙ぎ払い、飛躍して振り下ろす。更に、着地直後に振り上げる。隙も無駄もない、流れる様な連続攻撃。
 だが、オズワルドにはそれすらも通用しない。軽やかに躱され、弓で防がれ、最後には水の矢が放たれた。
 マルスが剣で防いでも、まだ水の矢は飛んでくる。次第に、足下に水溜りが出来る。
 マルスは剣を盾にしながら前進していき、鉄のブーツで水溜りを踏んだ。
 水が跳ねると、そこに魔法陣が展開して、マルスは青白い光に包まれた。瞬間、膝下までガッチリと凍り付いた。
 身動きの取れなくなった騎士の耳に流れ込むは、魔法使いの清涼なる詠唱の声。
 水属性のマナがどんどん術者の魔力に引き寄せられていく。膨大な量。
 身の危険を感じたギャラリー達は足早に、建物の中へ避難し、窓から様子を眺めた。
 オズワルドが蒼月を背に、口角を上げた。

「これで終わりにしようか」

 マルスの足下を中心に魔法陣が展開し、大量の水が吹き出してグルグルと回転を始める。

「メイルストローム!」

 魔法使いの力強い一声を合図に、水は回転速度を上げてマルスを飲み込まんとする。
 建物に避難していた仲間の騎士達は、窓に顔や手を貼り付けて声にならない悲鳴を上げた。その中で、団長だけは何とか冷静さを保ち、呟いた。

「リデル様、手加減なんてする気ないだろう……!」

 あんな大規模な渦潮の中で、魔法耐性のない騎士が無事でいられる筈がない。
 ところが、突然、大渦潮が両断され、水飛沫が地面を濡らした。
 オズワルドの頭上に、長身の人影が降ってくる。
 弓で剣を受け止めた時には、もう大渦潮は消えて光を散らしていた。
 オズワルドはニヤリと笑い、眼前の騎士を見た。

「あれを斬るとはな。お前は一体何者だ? 魔法鏡の件と言い……。マルス、お前は魔術の使い手か?」
「何者って、愚問っすね。先程、名乗らせていただいたばかりですが。僕は魔術師ではなく、唯の騎士ですよ」

 そう笑って誤魔化すマルスの剣には、微量のマナが纏わりついていた。
 単なる剣では、魔術を相殺する事は出来ない。
 オズワルドはこれ以上の詮索は諦め、溜め息を吐いた。
 マルスが悪戯っぽく笑う。

「僕の事よりも、ご自分の心配した方がいいっすよ!」

 反応する間もなく、オズワルドの身体にマルスの蹴りが叩き込まれた。
 オズワルドは軽く吹き飛んで地面に転がり、武器も手放した。
 そこへ、マルスが剣を担いで鼻歌を歌いながら歩み寄る。

「僕って、こう見えてやるんっすよー。これで団長へ昇格かな!」

 現団長と部下達は、まさかの身内の形勢逆転に驚きを隠せない。取り敢えずの安全が確保されたと思い、ぞろぞろと建物から出て来て戦場を取り囲む。
 マルスがオズワルドに剣を振り下ろす。

 ドス!

 急所を外した一撃。
 液体が地面に広がっていく……が、それは色がなかった。
 確かに刺した感覚はあったのだが、目の前に広がったのは紛れもなく唯の水だった。
 マルスも周りも瞠目する。
 オズワルドの色素がなくなり、形もなくなって、水溜りが残った。
 マルスの背筋が凍り付いた。

「水の分身……――――まさか!」
「そう簡単に負けたらつまらないだろう?」

 全員が振り返った先には、蒼月を背に、宙に浮かぶオズワルドの姿があった。白いローブが翼の様に風にはためく。
 この時、既に大量のマナが収束していた。
 もう相手は逃れられない。
 オズワルドは口角を上げ、スッと手を挙げた。

「グロスヴァーグ!」

 大波が大口を開け、マルスに襲いかかる。
 あまりに大規模で、その場に居た全員は逃げ惑う。
 地面が抉られ、周りに生えた木々を薙ぎ倒す。最後には、銀の鎧を大量に飲み込んで、辺りを散々蹂躙してから、大波は消えていった。
 オズワルドはビチョビチョになった地面に着地し、同じ様に全身に水を浴びたマルスに弓矢を向けた。
 マルスは眉を下げて笑い、剣を放って両手を挙げた。

「いやぁ……マジぱねえっすわ~。もう降参します」

 後ろでは、団長や部下達がよろけながら立ち上がっている。
 オズワルドはフッと笑い、弓を宙へ放った。
 弓は白梟へと戻り、蒼月に向かって飛び立っていった。
 オズワルドはマルスの剣を拾い、手渡す。

「久しぶりの戦闘は楽しかった。礼を言うぞ、マルス・リザーディア」
「こちらこそ! リデル様は本当にお強い! でも、僕、いい線いってませんでした?」

 ヘラヘラ笑いながら、マルスは剣を受け取って鞘に収めた。

「何処がだ。我々まで巻き添えくらったじゃないか」と、言葉と共にマルスの脳天に拳骨が降って来た。

 マルスは短い悲鳴を上げ、涙目で団長を振り返る。

「だって、あそこであんな大技くると思わなかったんすよ~」
「だってじゃない」
「私も少々はしゃぎすぎた。迷惑をかけたな」

 オズワルドが頭を下げると、団長は「とんでもない!」と両手を振った。

「リデル様のせいではございませんから! コイツが全て悪いんです」
「団長! どんだけリデル様の前で良い人ぶるんっすか!」
「黙れ、アホ!」
「アホじゃないっすよ~。あ! リデル様、お茶飲んでいきません?」

 マルスが団長を押しのけ、オズワルドを誘おうとする。
 先程までの穏やかな空気が一変。夜の静寂に包まれた。
 騎士達は互いの顔を見、不安や不満を露にする。団長の顔にも陰りが見えた。
 オズワルドは周りを一瞥すると、静かに首を横に振ってローブを翻した。

「私は部屋に戻る」

 あまりの素っ気無さに皆呆れるかと思いきや、難が過ぎ去った時の様な安堵した表情を浮かべていた。マルスだけは、心底残念そうな顔をしている。
 マルスは持ち前の大声を、遠ざかっていくオズワルドの背中に投げかけた。

「じゃあ、また今度! それと、治癒術師(ヒーラー)のところ行った方がいいかもしれないっすよ!」

 オズワルドからの返答はなく、姿はすぐに見えなくなった。
 マルスの隣で団長が深い溜め息をついた。

「何、普通に話し掛けてるんだ……お前は。私達よりも地位が上のお方だから敬意を払うのは当然の事だが、それ以前にそんなに慣れ慣れしく接するべきではない。オズワルド・リデルは……」
「ハーフエルフ……だから?」

 マルスは、何も知らない子供の様な顔をする。

「……そうだ。エルフにも、人間にも属せない、穢れた血。俺が入団した時、あの人の外見と同じぐらいの年だったんだ。それなのに、あの人だけは何1つ変わらない。正直、こえーよ」

 他の騎士達も反論せず、俯いて沈黙を貫いている。それは即ち、肯定だ。
 マルスは蒼月をサファイアブルーの瞳に映し、ぼんやりと口を開いた。

「月は……半分でも美しいのに。新月か、満月か、どちらかでないと認められないなんて、ヒドイ話っすね……」



 オズワルドは居館(パラス)への、煉瓦造りの細道を、靴音を響かせて歩いていく。
 時折頬を撫でる夜風が冷たい。
 ふと立ち止まると、白い城壁の向こうの湖が見え、水面に映った蒼月が揺らめいた。
 心から綺麗だと思う。たとえ、それが半分だとしても……。
 再び夜風が頬を撫で、寒気を感じ、オズワルドは歩き始める。
 これから、ティータイムの続きをしようか。いや、白ワインを加えて、ティーカクテルにしよう。夜はまだ長い。
 夜風に当たった首筋がチクリと痛み、手を当てると、生温かいものがべっとりと付いた。
 月明かりに照らして見たそれは、真っ赤な血だった。
 いつの間にか、切られていた。
 オズワルドの脳裏にマルスの笑みが浮かんだ。

「マルス・リザーディア……か」

 手加減をしたが、そうせずとも、あの男とは対等に渡り合えたかもしれない。知り合ったばかりだが、謎多き人物だ。
 オズワルドは脳内のマルスに負けぬぐらいの笑みを浮かべ、夜道を歩いて行った。