23時を過ぎた頃、自室を出て真っ先に洗面台へ向かった華音は歯磨きを済ませ、目の前の大きな鏡を見た。
映し出されているのは、黒髪黒目の部屋着姿の自分だった。あの、憎たらしい水色髪金目のローブ姿の魔法使いは何処にも居ない。
珍しいなと思いつつも、訊きたい事があった為に少し落胆した。
どうでもいい時には出て来るくせに。
灯りを消して、鏡に背を向けた。
「私に何か用か?」
背後から声が響き、華音の心臓がドクンと跳ねた。振り返ると、薄暗闇の中、鏡面にオズワルドが居た。
「オズワルド……。驚かすなよ」
「小心者め。幽霊だと思ったのか?」
オズワルドはニヤリと笑う。
「そうじゃない。急に背後から声掛けられたら、誰でも驚くだろ。それに、今日はもう現れないかと思ったし」
「私だって私生活があるのでな。いつでも鏡の前に居る訳じゃない。先程、ケーキを食べて来た」
「へえ……」
華音は気のない返事をした。オズワルドの私生活など、訊いてもいない。今訊きたいのは、そんな事ではない。
「ベリーの甘酸っぱさが口一杯に広がり、ふわりと薔薇の香りがあとを引くんだ。実に美味だった」
「激しくどうでもいいんだけど。オレ、甘い物そんなに好きじゃないし」
「それは残念。これから就寝するお前を誘惑しようと思ったのに」
オズワルドは態とらしく肩を竦めた。
「何したいんだ、お前は。そんな事よりも、訊きたい事があってさ」
華音が話を切り替えると、オズワルドの表情も笑みを残しつつも、少しだけ真剣なモノに切り替わった。
「オウカの事だろう?」
訊く前にオズワルドが彼女の名を出し、華音は正直に驚いた。だが、数秒して、近くにオズワルドの目と耳である使い魔が居た事を思い出して、1人納得した。
「そう。あの娘、自分で魔法使いを名乗ったんだ。オズワルドの知り合いの誰かが、力を貸しているのか?」
「オウカはスペクルムのドロシーだ」
「ドロシー……」
「ドロシー・メルツ・ハートフィールド第2王女だ」
「ハートフィールドって、オズワルドが仕えているって言う……」
「その通り。彼女は王族で唯一魔力を持つ者。リアルムの自分を探すと言っていたが、本当に見つける事が出来るとは。まだ本人に確認していないが、ドロシーで間違いはないだろう」
「なるほどね。これは、ちゃんと話してみる必要がありそうだ」
「ああ。私も、これからドロシーのもとへ行って来る」
オズワルドがスッと消え、華音も洗面所から立ち去った。
陽光を存分に浴びた白い花々は生き生きとし、そよ風に心地よさそうに身を委ねている。その中央で、青空を眩しそうに眺める気品の良い格好の少女が1人。
中庭の花畑をザッザッと踏みしめる音に、振り返れば、水色の髪の宮廷魔術師の姿があった。
「オズワルド!」
少女――――ドロシーはふわりと笑った。
オズワルドは微笑み返す。
「ドロシー。正直、私は期待していなかった」
「うふふ。悔しいですか?」
ドロシーは悪戯っぽく笑い、オズワルドが苦笑を浮かべると、Vサインをした。
「魔法鏡を使って使い魔を向こうへ送れたとしても、向こうの自分を見つけるのは至難の業。見つけられないのがオチだと思っていたのだがな」
「確かに、大分時間がかかってしまいましたけれど。オズワルドはわたしを甘く見すぎです」
「そうだな。それは認めよう」
「あ! 甘いと言えば、今朝のケーキ美味しかったですか?」
ドロシーは小首を傾け、アメジスト色の大きな瞳でオズワルドを見つめた。
オズワルドは琥珀色の瞳を瞬かせ、ややあって、小さく頷いた。
「薔薇の香りのベリーケーキの事か」
「そうです! あれは、わたしがオズワルドの為にパティシエに作らせて、使用人に部屋まで運ばせたのですわ。満足いただけて、わたしは幸せです」
ドロシーは頬を紅潮させた。その姿は恋する乙女、そのものだ。
しかし、反対にオズワルドの表情は冷めていた。
「……自分の立場を忘れるんじゃない。王女が私の様な……」
「そんな事言わないで下さい。血で境界線を引くのは嫌なんです」
アメジスト色の瞳には涙が溜まっていた。兄や姉、城の者達がオズワルドの陰口を叩いているのを、うんざりする程聞いている。オズワルドはこの国を魔女達から護り、これからも護ろうと手を尽くしているというのに。彼らが宮廷魔術師を忌避する理由は、出生が他の者と違う……唯、それだけだ。
自分が一番辛い筈なのに、他人を気遣うオズワルドに対し、ドロシーは己の無力さを実感して虚しくなった。
だけど、オズワルドのそんなところに惹かれているのも事実で、涙が伝うドロシーの頬は桜色に染まっていた。
「誰が何と言おうと、わたしはオズワルドが大好きなんです!」
オズワルドは静かに首を横に振った。
「そう言ってくれるのは嬉しいが、感情でどうにかなる問題じゃない。お前も、16歳だし、それぐらいの事は理解出来るだろう。婚約の話もあったんじゃないのか?」
「それなんですけれど、全てお断りさせていただきました!」
涙を拭ったドロシーは、はっきりとそう言い切った。
「……バカなのか」
「オズワルド以外はありえませんわ」
「他のオズワルドさんを当たってくれ」
オズワルドは呆れるしかない。
「オズワルド・リデルさんが良いんですの! 名前が好きなんじゃなくて、貴方自身が愛おしくてたまらないのです。ねえ、これだけ愛を伝えているのに、いつになったら、わたしの気持ちに答えて下さるのですか?」
いつの間にか、ドロシーの腕がオズワルドの腕に絡んでいた。振り解くのも億劫だったので、そのままの状態でオズワルドは溜め息を吐いた。
「私が受容するのを待っていたら、ババアになるぞ」
「構いません! 老婆にだって、恋する権利はあるんです。いつまでも待ちましょう」
涙は一体何処へいったのやら。王女は自信に満ち溢れていた。
「……お前が年老いても、私の姿は今と変わらないんだぞ。今は若いからそんな簡単に言えるかもしれないが、必ず傷付く」
「素敵じゃないですか。ずっと綺麗な姿で居られるなんて。寧ろ、誇れる事だと思いますけれど」
フッと、オズワルドの瞳に昔の映像が映し出された。
城内の中庭。あの頃もこんな風に白い花が咲き誇っていて、自分とドロシーが居た。己の姿は今と同じだが、ドロシーはまだ幼かった。
ずっと同じ姿で居続ける宮廷魔術師に対し、誰しもが嫌悪感を剥き出しにしている中、彼女だけがまっさらな笑みでこう言ったのだ。
――――ずっとキレイでステキね! わたし、カッコイイとおもう! もっとじまんしよーよ
決して馬鹿にしている訳でも、同情している訳でもない姿に、オズワルドは間違いなく救われた。
昔の姿から、成長した姿へ戻ったドロシーを見、オズワルドは優しげな笑みを浮かべた。
ドロシーはドキッとした。
「な、何ですか? もしかして、わたしの気持ちに……」
「ん? いや? 餓鬼を娶る趣味はない」
オズワルドがピシャリと言うと、ドロシーの頬が膨らみだした。
「こ、子供扱いしないで下さい!」
言葉の勢いと共に、腕を離した。
ドロシーが食い下がろうとすると、また、ザッザッと足音が聞こえ、会話が途絶えた。
「オズワルド・リデル。あまり、私の可愛い妹をたぶらかさないでくれないかな」
現れたのは、ドロシーの兄ヴィルヘルム・ディン・ハートフィールド王子だった。
フリルと金のボタンがあしらわれたストライプの上質なジャケットを羽織い、下に着込んでいる純白のフリルたっぷりのシャツとジャボがちらりと見えている。足下は足の長さを強調するかの様なスッキリとしたシルエットのパンツに、膝下までのロングブーツを着用していて、指の長い手はシルクの手袋で覆われ、顔以外の肌の露出はない。
顔は国王陛下そっくりな精悍な顔立ちで、緩いウェーブのかかった金髪は一部編み込んであり、後ろの低い位置で結んである。宮廷魔術師に鋭い視線を送る瞳は、琥珀色だ。
オズワルドは同じ色の瞳に王子を映すと、スッと頭を下げた。
「ヴィルヘルム王子。これは失礼しました」
「……実に態とらしい。本当は私に敬意を抱いていない事が丸分かりだ」
ヴィルヘルムは2人の間に立ち、妹を庇う様にオズワルドを睨んだ。
「何故、父上は貴様なんぞ城内に置いておくのかな。どんなに功績を得ようと、その血は変わらない。穢れた血め」
オズワルドは何も言わず、滝に打たれるが如く、大人しく王子を見ていた。
目が合うと、ギリっと奥歯を噛み締め、ヴィルヘルムは視線を逸らす。すると、鬼の形相の様な妹と目が合った。
「お兄様! オズワルドに何て酷い事を! 早く、あやま……」
今にも兄に飛びかからんとするドロシーを、オズワルドが表情で制した。
眉を下げて笑う姿に、驚きのあまりドロシーは言葉を飲み込んだ。
彼のあんな表情、今まで見た事がない。
オズワルドはヴィルヘルムに頭を下げ、静かに立ち去った。
その背中が小さくなる頃、漸く、ドロシーは口を開いた。
「オズワルド。何で……」
オズワルドと入れ違いに、優雅なドレスの女性が歩いて来た。
ドロシーの姉で、ヴィルヘルムの妹のシンシア・レトナ・ハートフィールド王女だ。
フリルと宝石で飾り付けられたドレスは、袖と裾がふんわりと広がっていて、動きやすさよりも優雅さを優先している。長い裾から覗く靴はヒールが高く、大人っぽさを演出している。白い首元では宝石が煌き、毛先が螺旋を描いた銀髪が肩下で揺れる。
気品を感じさせる顔立ちに、瞳は琥珀色で、左の目の下にホクロがあるのが特徴的だ。
シンシアは気品のある顔を歪めさせ、ふっくらとした唇から不満を零した。
「またあの穢れた血と一緒でしたの? まったく。ドロシー、貴女、縁談を断ったそうじゃない。お父様が困っていらしたわよ」
「そうだったのか? ドロシー。お前は何処まで愚かなんだ」
姉と兄に責められ、逃げ場のないドロシーはその場で唯縮こまるしかなかった。
魔法鏡の間へ向かう廊下を歩いていたオズワルドは足を止め、柱に寄りかかった。何とも言えない疲労を感じたのだ。まだ、魔法を使い続ける方がマシだと思うぐらいの……。
横目に見える窓硝子に映るは、疲れきった己の姿。
オズワルドは自嘲した。
何て情けない顔をしているんだ、オレは。もうとっくに慣れた筈だろう。
ヴィルヘルムの言葉が脳内で反芻する。
穢れた血。
今までどれだけの人に、どれだけ言われたのか、数え切れないのに、時が経った今でも心に深く刺さる呪いの言葉だ。
生まれなんて、神でもなければ変える事など出来ない。それを咎めたって、悔やんだって、無力な下界の者達は抗えないと言うのに。
「おはようございます! リデル様」
目の前から、元気な青年の声が聞こえた。
声を出して挨拶をしてくる者は珍しいと思い、姿を確認すると、魔女出現をいち早く知らせに来た、騒がしい黒髪の騎士だった。
あの時は魔女の事で頭が一杯で気にも止めていなかったが、青年の容姿は他の騎士と違って特徴的だった。
まず、パッと目を惹くのは前髪の一房が跳ね上がった黒髪が一色ではなく、二色である事。浅葱色が混じっている。
そして、サファイアブルーの瞳は白目部分が比較的多めな猫目。
あとは、他の騎士と大体同じ様な、ハートが描かれたミッドガイア王国の国章の入った銀の鎧を身に付けている。
こんなにも特徴のある人物であるにも関わらず、オズワルドは全く記憶していなかった。そもそも、城内の者と接触する機会など殆どない。
相手がオズワルドの事を一方的に知っていても、何も不自然ではなかった。
オズワルドは青年に視線だけを返すと、横を通り過ぎた。
先には、魔法鏡の間へ続く大扉が待っている。
いや。待て。アイツは何処から来た?
振り返るが、青年の姿はもう角を曲がりきった後だった。
映し出されているのは、黒髪黒目の部屋着姿の自分だった。あの、憎たらしい水色髪金目のローブ姿の魔法使いは何処にも居ない。
珍しいなと思いつつも、訊きたい事があった為に少し落胆した。
どうでもいい時には出て来るくせに。
灯りを消して、鏡に背を向けた。
「私に何か用か?」
背後から声が響き、華音の心臓がドクンと跳ねた。振り返ると、薄暗闇の中、鏡面にオズワルドが居た。
「オズワルド……。驚かすなよ」
「小心者め。幽霊だと思ったのか?」
オズワルドはニヤリと笑う。
「そうじゃない。急に背後から声掛けられたら、誰でも驚くだろ。それに、今日はもう現れないかと思ったし」
「私だって私生活があるのでな。いつでも鏡の前に居る訳じゃない。先程、ケーキを食べて来た」
「へえ……」
華音は気のない返事をした。オズワルドの私生活など、訊いてもいない。今訊きたいのは、そんな事ではない。
「ベリーの甘酸っぱさが口一杯に広がり、ふわりと薔薇の香りがあとを引くんだ。実に美味だった」
「激しくどうでもいいんだけど。オレ、甘い物そんなに好きじゃないし」
「それは残念。これから就寝するお前を誘惑しようと思ったのに」
オズワルドは態とらしく肩を竦めた。
「何したいんだ、お前は。そんな事よりも、訊きたい事があってさ」
華音が話を切り替えると、オズワルドの表情も笑みを残しつつも、少しだけ真剣なモノに切り替わった。
「オウカの事だろう?」
訊く前にオズワルドが彼女の名を出し、華音は正直に驚いた。だが、数秒して、近くにオズワルドの目と耳である使い魔が居た事を思い出して、1人納得した。
「そう。あの娘、自分で魔法使いを名乗ったんだ。オズワルドの知り合いの誰かが、力を貸しているのか?」
「オウカはスペクルムのドロシーだ」
「ドロシー……」
「ドロシー・メルツ・ハートフィールド第2王女だ」
「ハートフィールドって、オズワルドが仕えているって言う……」
「その通り。彼女は王族で唯一魔力を持つ者。リアルムの自分を探すと言っていたが、本当に見つける事が出来るとは。まだ本人に確認していないが、ドロシーで間違いはないだろう」
「なるほどね。これは、ちゃんと話してみる必要がありそうだ」
「ああ。私も、これからドロシーのもとへ行って来る」
オズワルドがスッと消え、華音も洗面所から立ち去った。
陽光を存分に浴びた白い花々は生き生きとし、そよ風に心地よさそうに身を委ねている。その中央で、青空を眩しそうに眺める気品の良い格好の少女が1人。
中庭の花畑をザッザッと踏みしめる音に、振り返れば、水色の髪の宮廷魔術師の姿があった。
「オズワルド!」
少女――――ドロシーはふわりと笑った。
オズワルドは微笑み返す。
「ドロシー。正直、私は期待していなかった」
「うふふ。悔しいですか?」
ドロシーは悪戯っぽく笑い、オズワルドが苦笑を浮かべると、Vサインをした。
「魔法鏡を使って使い魔を向こうへ送れたとしても、向こうの自分を見つけるのは至難の業。見つけられないのがオチだと思っていたのだがな」
「確かに、大分時間がかかってしまいましたけれど。オズワルドはわたしを甘く見すぎです」
「そうだな。それは認めよう」
「あ! 甘いと言えば、今朝のケーキ美味しかったですか?」
ドロシーは小首を傾け、アメジスト色の大きな瞳でオズワルドを見つめた。
オズワルドは琥珀色の瞳を瞬かせ、ややあって、小さく頷いた。
「薔薇の香りのベリーケーキの事か」
「そうです! あれは、わたしがオズワルドの為にパティシエに作らせて、使用人に部屋まで運ばせたのですわ。満足いただけて、わたしは幸せです」
ドロシーは頬を紅潮させた。その姿は恋する乙女、そのものだ。
しかし、反対にオズワルドの表情は冷めていた。
「……自分の立場を忘れるんじゃない。王女が私の様な……」
「そんな事言わないで下さい。血で境界線を引くのは嫌なんです」
アメジスト色の瞳には涙が溜まっていた。兄や姉、城の者達がオズワルドの陰口を叩いているのを、うんざりする程聞いている。オズワルドはこの国を魔女達から護り、これからも護ろうと手を尽くしているというのに。彼らが宮廷魔術師を忌避する理由は、出生が他の者と違う……唯、それだけだ。
自分が一番辛い筈なのに、他人を気遣うオズワルドに対し、ドロシーは己の無力さを実感して虚しくなった。
だけど、オズワルドのそんなところに惹かれているのも事実で、涙が伝うドロシーの頬は桜色に染まっていた。
「誰が何と言おうと、わたしはオズワルドが大好きなんです!」
オズワルドは静かに首を横に振った。
「そう言ってくれるのは嬉しいが、感情でどうにかなる問題じゃない。お前も、16歳だし、それぐらいの事は理解出来るだろう。婚約の話もあったんじゃないのか?」
「それなんですけれど、全てお断りさせていただきました!」
涙を拭ったドロシーは、はっきりとそう言い切った。
「……バカなのか」
「オズワルド以外はありえませんわ」
「他のオズワルドさんを当たってくれ」
オズワルドは呆れるしかない。
「オズワルド・リデルさんが良いんですの! 名前が好きなんじゃなくて、貴方自身が愛おしくてたまらないのです。ねえ、これだけ愛を伝えているのに、いつになったら、わたしの気持ちに答えて下さるのですか?」
いつの間にか、ドロシーの腕がオズワルドの腕に絡んでいた。振り解くのも億劫だったので、そのままの状態でオズワルドは溜め息を吐いた。
「私が受容するのを待っていたら、ババアになるぞ」
「構いません! 老婆にだって、恋する権利はあるんです。いつまでも待ちましょう」
涙は一体何処へいったのやら。王女は自信に満ち溢れていた。
「……お前が年老いても、私の姿は今と変わらないんだぞ。今は若いからそんな簡単に言えるかもしれないが、必ず傷付く」
「素敵じゃないですか。ずっと綺麗な姿で居られるなんて。寧ろ、誇れる事だと思いますけれど」
フッと、オズワルドの瞳に昔の映像が映し出された。
城内の中庭。あの頃もこんな風に白い花が咲き誇っていて、自分とドロシーが居た。己の姿は今と同じだが、ドロシーはまだ幼かった。
ずっと同じ姿で居続ける宮廷魔術師に対し、誰しもが嫌悪感を剥き出しにしている中、彼女だけがまっさらな笑みでこう言ったのだ。
――――ずっとキレイでステキね! わたし、カッコイイとおもう! もっとじまんしよーよ
決して馬鹿にしている訳でも、同情している訳でもない姿に、オズワルドは間違いなく救われた。
昔の姿から、成長した姿へ戻ったドロシーを見、オズワルドは優しげな笑みを浮かべた。
ドロシーはドキッとした。
「な、何ですか? もしかして、わたしの気持ちに……」
「ん? いや? 餓鬼を娶る趣味はない」
オズワルドがピシャリと言うと、ドロシーの頬が膨らみだした。
「こ、子供扱いしないで下さい!」
言葉の勢いと共に、腕を離した。
ドロシーが食い下がろうとすると、また、ザッザッと足音が聞こえ、会話が途絶えた。
「オズワルド・リデル。あまり、私の可愛い妹をたぶらかさないでくれないかな」
現れたのは、ドロシーの兄ヴィルヘルム・ディン・ハートフィールド王子だった。
フリルと金のボタンがあしらわれたストライプの上質なジャケットを羽織い、下に着込んでいる純白のフリルたっぷりのシャツとジャボがちらりと見えている。足下は足の長さを強調するかの様なスッキリとしたシルエットのパンツに、膝下までのロングブーツを着用していて、指の長い手はシルクの手袋で覆われ、顔以外の肌の露出はない。
顔は国王陛下そっくりな精悍な顔立ちで、緩いウェーブのかかった金髪は一部編み込んであり、後ろの低い位置で結んである。宮廷魔術師に鋭い視線を送る瞳は、琥珀色だ。
オズワルドは同じ色の瞳に王子を映すと、スッと頭を下げた。
「ヴィルヘルム王子。これは失礼しました」
「……実に態とらしい。本当は私に敬意を抱いていない事が丸分かりだ」
ヴィルヘルムは2人の間に立ち、妹を庇う様にオズワルドを睨んだ。
「何故、父上は貴様なんぞ城内に置いておくのかな。どんなに功績を得ようと、その血は変わらない。穢れた血め」
オズワルドは何も言わず、滝に打たれるが如く、大人しく王子を見ていた。
目が合うと、ギリっと奥歯を噛み締め、ヴィルヘルムは視線を逸らす。すると、鬼の形相の様な妹と目が合った。
「お兄様! オズワルドに何て酷い事を! 早く、あやま……」
今にも兄に飛びかからんとするドロシーを、オズワルドが表情で制した。
眉を下げて笑う姿に、驚きのあまりドロシーは言葉を飲み込んだ。
彼のあんな表情、今まで見た事がない。
オズワルドはヴィルヘルムに頭を下げ、静かに立ち去った。
その背中が小さくなる頃、漸く、ドロシーは口を開いた。
「オズワルド。何で……」
オズワルドと入れ違いに、優雅なドレスの女性が歩いて来た。
ドロシーの姉で、ヴィルヘルムの妹のシンシア・レトナ・ハートフィールド王女だ。
フリルと宝石で飾り付けられたドレスは、袖と裾がふんわりと広がっていて、動きやすさよりも優雅さを優先している。長い裾から覗く靴はヒールが高く、大人っぽさを演出している。白い首元では宝石が煌き、毛先が螺旋を描いた銀髪が肩下で揺れる。
気品を感じさせる顔立ちに、瞳は琥珀色で、左の目の下にホクロがあるのが特徴的だ。
シンシアは気品のある顔を歪めさせ、ふっくらとした唇から不満を零した。
「またあの穢れた血と一緒でしたの? まったく。ドロシー、貴女、縁談を断ったそうじゃない。お父様が困っていらしたわよ」
「そうだったのか? ドロシー。お前は何処まで愚かなんだ」
姉と兄に責められ、逃げ場のないドロシーはその場で唯縮こまるしかなかった。
魔法鏡の間へ向かう廊下を歩いていたオズワルドは足を止め、柱に寄りかかった。何とも言えない疲労を感じたのだ。まだ、魔法を使い続ける方がマシだと思うぐらいの……。
横目に見える窓硝子に映るは、疲れきった己の姿。
オズワルドは自嘲した。
何て情けない顔をしているんだ、オレは。もうとっくに慣れた筈だろう。
ヴィルヘルムの言葉が脳内で反芻する。
穢れた血。
今までどれだけの人に、どれだけ言われたのか、数え切れないのに、時が経った今でも心に深く刺さる呪いの言葉だ。
生まれなんて、神でもなければ変える事など出来ない。それを咎めたって、悔やんだって、無力な下界の者達は抗えないと言うのに。
「おはようございます! リデル様」
目の前から、元気な青年の声が聞こえた。
声を出して挨拶をしてくる者は珍しいと思い、姿を確認すると、魔女出現をいち早く知らせに来た、騒がしい黒髪の騎士だった。
あの時は魔女の事で頭が一杯で気にも止めていなかったが、青年の容姿は他の騎士と違って特徴的だった。
まず、パッと目を惹くのは前髪の一房が跳ね上がった黒髪が一色ではなく、二色である事。浅葱色が混じっている。
そして、サファイアブルーの瞳は白目部分が比較的多めな猫目。
あとは、他の騎士と大体同じ様な、ハートが描かれたミッドガイア王国の国章の入った銀の鎧を身に付けている。
こんなにも特徴のある人物であるにも関わらず、オズワルドは全く記憶していなかった。そもそも、城内の者と接触する機会など殆どない。
相手がオズワルドの事を一方的に知っていても、何も不自然ではなかった。
オズワルドは青年に視線だけを返すと、横を通り過ぎた。
先には、魔法鏡の間へ続く大扉が待っている。
いや。待て。アイツは何処から来た?
振り返るが、青年の姿はもう角を曲がりきった後だった。