スペクルム カノン

 風属性のマナが天王星の魔女を中心に渦巻き、次第にそれが巨大な竜巻へと変わっていく。しかし、間近でウィンドールはマナを集めるのを止めた。

「電波を受信した」

 既に荒らした地上から離れ、風を纏って中空まで飛ぶとそのまま風が流れる様に自然と姿を消した。
 地上では砂煙が舞い、人集りが出来ていた。
 煉瓦造りの道にはたこ焼きや材料が転がり、たこ焼き器を乗せた台が横倒しに、それから金髪の男子生徒が少女に覆い被さる様に倒れていた。幸い、彼らは台の下敷きにはならずに済んだ。

「いってて……怪我ねーか?」

 少年が先に起き上がり、真下で仰向けに倒れている少女に声を掛けた。
 少女はパチッと目を開けるとすぐに起き上がろうとし、思い切り少年の額に自分の額をぶつけた。両者とも悶絶する。

「いったーい……何なのよ、アンタ」

 ダークグレーの瞳を潤ませてジュエルが少年を睨むと、少年は「え」と声を漏らして瞠目した。
 ジュエルもその意味に気付き、「あ」と声を上げる。

「キミ、昨日の……! えっと、俺は風間刃」

 気が動転し、その状態のまま刃は自己紹介をした。

「あたしは――――じゃなくて! いい加減どきなさいよ!」

 頬を真っ赤にし、ジュエルは刃を押し飛ばして立ち上がった。細い身体に見合わず、相当な腕力だった。
 尻餅をついた刃を、ジュエルは眉をつり上げ頬を真っ赤にして見下ろした。

「だ、大体あたしは助けてなんて頼んでないんだからね!?」
「え? うーん……ごめんね。俺も勝手に身体動いててさ……」

 刃は制服の砂埃を払いながら立ち上がった。

「お、お陰でたこ焼きが台無しじゃない」
「たこ焼き? あぁー……」

 教師達も集まり、散らばったものを必死に集めていた。これは営業再開まで暫くかかりそうだ。
 ジュエルにはたこ焼きを護る自信があったのだ。それをあろう事か、無能力者の少年に邪魔されてしまったと言う訳だ。端から見たジュエルはか弱い一般女性である為、刃でなくともこの様な行動に出ていたかもしれないし、逆に此処まで自分の事を顧みずに行動した彼の方が珍しかった。
 悄然とした様子の少年に対し、ジュエルはいたたまれない気持ちになった。

「まあ、でも……感謝してない訳じゃないし? お、お礼は言わないけど」

 ジュエルなりの気遣いだった。愛想の欠片もないが、彼女に惚れている刃にとっては嬉しい反応だった。

「どういたしまして……? てか、さっきも訊いたけど、」
「怪我はないか!?」

 刃の言葉を駆け寄って来た男性教師が引き継いだ。

「いや、俺は大丈夫。それよりもこの娘が……」

 刃と男性教師の視線が向けられると、ジュエルは手をぶんぶん振った。

「あたしも何ともない!」
「って、怪我してんじゃんよ」

 刃は手の平の火傷に気が付いた。

「それはいけないな。保健室に……」
「俺が連れて行きま~す」

 1歩前に出た教師を追い抜いて刃がジュエルの腕を掴み、連れて行く。

「ちょ、ちょっと! あたしは大丈夫だって言ってるでしょ? それにこの火傷は……」
「たこ焼きを素手でキャッチしたからだろ?」

 刃はくすりと笑った。
 ジュエルは頬を一層赤くし、大人しくなった。



「失礼しまーす」

 ガラリと扉を開け放ちながら刃が声を響かせたが、室内はしんっと静まり返っていた。

「あれ? 先生居ねーのかな」

 ソファーとローテーブルのある休憩スペース、薬品の並んだ棚、と通り過ぎ、カーテンで遮られたベッドの前まで来ると、刃は腕を組んだ。
 ジュエルはずっと刃の後をついていた。見慣れない景色と匂いに落ち着かず、ベッドを目にするとカッと目を見開いた。

「アンタ、あたしをどうする気なのよ!? 治療ってまさか……」

 勝手な想像をし、自分の身体を抱きかかえて青ざめた。
 刃は訳が分からなかった。

「突然どうした? んー……ま、取り敢えずこっち来てよ」

 ジュエルは身構えたが、刃が指差していたのは窓際の蛇口だった。 

「な、何だ……それならそうと」
「それ以外何かあんのか?」
「あたしはてっきり、ベッドに押し倒されていかがわしい行為をされると思ったのよ!」
「は、はぁ!? ま、まあ……保健室は定番だよな。いや! だからと言って、俺は別に何も疚しい事をしようとした訳じゃねーし!? ほら、火傷だよ! 早く冷やさねーと」

 刃が急かすとジュエルは素直に従って蛇口の前に立った。
 暫く患部を流水で冷やした後、手頃な丸椅子にジュエルを座らせて刃は棚から軟膏剤を持ち出し、手際よく患部に塗った。

「これでよし。まだ痛むかもしれねーけど、そのうち治るから」

 ジュエルは治療された患部をまじまじと見、刃を見た。

「アンタ……見掛けによらず繊細なのね」
「繊細って何だよ。前にさっちゃんがやってたの見てたしな」
「さっちゃん……?」
「三田先生っつってな、物腰柔らかで和風美人って感じの先生だった。けど、何か家庭の事情とかでやめちまって」
「サンタ…………サタン」
「何か言ったか?」
「いいえ……」

 サタン、土星の事だ。土星の魔女クランが探りを入れていた場所は此処だったのだ。
 クランはもうこの世界の何処にも居ない。ジュエルは空虚感を覚えた。

「結局先生戻って来なかったなー……。どうする? まだ此処で休んどくか?」

 刃の声で空虚感が何処かへ行き、ジュエルは立ち上がった。

「いいわ。あたしはもう帰るから」
「そう? じゃあ、途中まで送ろうか」
「その必要はない」

 ジュエルは扉ではなく、窓へ向かって行く。
 刃が不思議に思っていると、ジュエルは窓を開けて窓枠に飛び乗った。

「そこから出んの!?」
「世話になったわね。感謝はしてるけど、お礼は言わないんだからね!」
「お、おう……」
「それと、あたしの名前はジュ……珠理(じゅり)! 2度と会う事はないでしょうけどね!」

 ジュエルは窓の外へ飛び降り、あっという間に姿を消した。

「珠理……」

 特別な名を呼ぶ様に、刃はそっと呟いた。根拠はないが、きっと近いうちに彼女に会える様な気がした。
 保健室を出て少し廊下を進んだ所で雷と出会った。

「雷! 美味そうなもん食ってんな」
「おう。B組のからあげキュン」

 雷は鶏のキャラクターがプリントされた容器に入った揚げたての唐揚げを爪楊枝で食べていた。

「からあげキュンって。ぜってーパクリだろ。このキャラも何か似てるけど微妙に違うって言う」

 ネーミングと言い、パッケージと言い、青色のコンビニの看板商品と似ていた。唯一違うと断言出来るのは唐揚げの形だ。本家は綺麗な丸形だが、此方は屋台でよく見掛ける様な大きくて歪な形をしていた。
 2人は並んで歩き出す。

「お前にもやろうか」
「お、サンキュー」

 雷が差し出した容器を受け取り、刃は唐揚げを頬張った。

「パクリとか言っちまったけど、うめーわ」
「なかなかイケんだろ。そういや、お前1人で行動してたのか?」
「いんや」
「華音は赤松と居るとして、西野とか?」
「西野は店番やってたからな。そんなに一緒には居なかったよ。さっきまで俺」

 言おうとして口を噤んだ。
 初恋の相手と共に過ごした特別な時間を、自分の中だけに大切にしまっておこうと思った。
 刃はニンマリと笑うと、残り1個となった容器を返した。
 受け取りつつ、雷は戸惑う。

「な、何だよ」
「べっつにー」
「意味分かんねー奴」

 曲がり角に差し掛かると、聞き慣れた男女の話し声がした。

「水戸さんもう帰るって……」
「そうなの。残念ね」
「オレ何か気に障る事言ったかな」
「どうして?」
「いや、様子が少し変だったし」
「うーん……わたしも人の事言えないしなぁ。明日も同じ調子なら、思い切って訊いてみたらどうかしら」
「そうだね。そうする」

 話に区切りがつくと、華音と桜花は目の前から刃と雷が歩いて来る事に気が付いた。

「雷!」
「高木くん!」

 華音と桜花が同時に名を呼び、雷は手を挙げたが刃は納得のいかない顔をしていた。

「俺だけ何で呼ばないの!」
「もう少しで休憩終わるし、残りは一緒に回ろう?」

 華音は刃を無視しつつも、問い掛けの対象内に彼も含んでいた。

「一緒にって、いいのか?」

 刃が桜花を一瞥して、親友を心配する。雷も同じ気持ちだった。
 華音は2人の疑問を理解し、苦笑した。

「周りの視線がね」

 今も、美男美女ペアに好奇の視線が向けられていてそれには敏感な華音は困っていた。要するに、2人きりは気恥ずかしいとの事だった。
 桜花にはその様子は見られないが、彼女を意識してしまっている華音は親友の存在でそれを隠したかったのだ。
 親友達は華音の心を汲んでくれ、4人で回る事になった。



 ソファーに座ってから30分。テーブルの上に置かれたアロマーネ手作りのスコーンに一切手を付ける事なく、ジュエルは惚けていた。これには同席しているアロマーネもシーラも心配になる。

「ジュエル、どうした? 腹でも壊したか?」

 アロマーネも思っていた事をシーラが問うと、ジュエルは静かに首を横に振った。

「よく分かんないけど、頭がぼーっとしてふわふわするって言うか……」
「熱があるんじゃないかしらぁ?」

 ジュエルの隣に座っているアロマーネが彼女の額に手を当てて熱を確かめた。

「熱は……なさそうねぇ」

 他の原因を探るが、目立った変化は見られなかった為お手上げだった。

「まあ、そんな時はハーブティーでも飲んで落ち着きましょう」

 ゆっくり立ち上がったアロマーネは、ゆったりとした足取りでキッチンへ歩いて行った。
 ジュエルはスコーンの横に突っ伏した。薄らと目を開けると、視界に入ったのは治療してもらった手の平。

「どうしちゃったのかしら……あたし」

 もう会う事はないと言い切ったのは自分なのに、どうしても鏡国高校で出会った風間刃の顔と声が忘れられなかった。