スペクルム カノン

 星の囁きを2人分終えてドッと疲労感を覚えた華音の後ろを、制服姿のクラスメイト達が次々と通り過ぎていった。彼らがバックヤードに入ると、代わりに制服に着替えた刃が出て来て華音のところへやって来た。

「よっ! 華音。そろそろ休憩だぜ」
「ん? そっか。分かった」

 はぁ……と心の中で安堵の息を漏らした。

「って、アレ? アルナちゃんと水戸ちゃんじゃん」

 刃は華音が今し方接客していた相手の存在に気付くと、華音の肩に顔を乗せて懐いた犬が尻尾を振るように手を振った。

「おーアホ面、お前も居たか」
「あ、華音くんのお友達の……」
「刃! 風間刃で~す」

 イェイイェイと振っていた手でピースサインを作る。
 水戸は両手を合わせ、目を輝かせた。

「華音くんからよくお話を聞いています。アニメや漫画が好きなんだとか。私も大好きなんですよ。最近は魔法少女ものにドはまりしていて」
「マジで? 華音も雷も2次元興味ねーし、話しが合うのは西野ぐらいだったんだ。嬉し! じゃあじゃあ、魔法少女ものってーと……」
「あのさ」盛り上がりつつある空気を引き裂き、華音は手で刃の顔を押した。「話すのは構わないけど邪魔」

 ちぇっと口を尖らせ、刃は顔をどけた。

「しゃーねーな。てか、華音もう接客終えたんなら着替えて来いよ。桜花ちゃんもそろそろ着替え終わってる頃だろうし」
「そうする。それじゃあ水戸さん、アルナ、楽しんでってね」
「は、はい」
「じゃあ、この後一緒に回ろ!」

 アルナが無邪気に、無遠慮に、一方的な約束を取り付け、水戸はぽかんとし、刃は眉根を寄せた。

「あのな。華音は桜花ちゃんと回るの」
「そんな事カノンもオウカも言ってないぞっ」
「そりゃそうだけど、そこは俺らが気を遣わないと……」
「……それじゃあ、皆で回ろうか。桜花にもそう伝えて来る……と言うか、もう桜花には別の約束があるかもしれないけど。教室の外で待ってて」

 華音は笑顔を残し、漆黒のローブを翻す。透かさず刃が袖を掴もうとしたが、掴めなかった。

「ちょ、華音」
「……良いのかしら」

 素直に喜んでいるのはアルナだけで、他の2人は戸惑いを露にしていた。
 華音の姿が接客で右往左往するクラスメイトの姿で隠れてしまうと、刃は金髪頭をガシガシ掻きクルッと向きを変えて歩き出した。

「おい、アホ面。何処に行くんだ」

 アルナが呼び止め、刃は振り返らずに手だけ振った。

「西野んとこ。うちのクラスに来てくれたから、今度は俺が行くの」

 そして教室を出て行った。
 彼を追う様にして、水戸とアルナも席を立った。
 バックヤードから出て来たしし座担当の女子とおおいぬ座担当の男子と軽い挨拶を交わし、華音はテーブルの間を進んでいく。その途中で客から声が掛けられた。交代の時間であるが、まだ衣装を着ているし、ついでだと思って快く応じる……が、それは間違いだった。

「やっぱり華音くんだ」

 整った顔立ちの青年――――竜泉寺賢人が、コーヒー片手に締まりのない笑みを浮かべていた。
 端から見れば爽やかで気さくな好青年に見えるが、内面を知っている華音にとってそれはまやかし。華音はゴミを見る目で青年を見下ろした。

「お前……。何で此処に」
「待遇酷いなぁ。僕の事は気軽に賢人お兄さんって呼んでよ」
「……賢人、何しに来た?」
「いきなり呼び捨て! いやぁ~華音くん……の唇が恋しくなっちゃってね? ついつい来てしまった訳だよ」

 華音の目付きが鋭くなるも、賢人は全く動じない。

「店に招待したのになかなか来てくれないって思ったら、文化祭で忙しかったんだね。高校時代思い出すなー」
「用件はそれだけか?」
「問いつつ去ろうとしないで。華音くん、SNSやってる?」
「何だよ突然。友達の呟きとか見たりする程度だけど」
「そう。まあ、ともかくね、今SNSでうちの店がじわじわ話題になっているんだよ」
「それはまた何で? この間の出店の反動?」
「それもあるんだけど……ほら!」

 賢人はスマートフォンの画面を華音に見せた。そこにはトカゲとツーショットの賢人の写真が呟きと共に本人によって投稿されていた。既に沢山の「いいね」が押され、拡散もされていた。
 華音は一瞬目を見張ったが、すぐに冷めた目を賢人に向けた。

「それマルスさんの使い魔だろ。使い魔をそんなのに使ったら駄目だろ……」
「え~? 華音くんはやんないの?」
「やらないよ。オズワルドに怒られる」
「あー……オズワルドさん恐いもんね。マルスさんもよく「氷の刃が飛んでくるっす~!」とか喚いてるよ。ごめん、話逸れたね。つまり、今うちの店は空前の大ブームとなっている訳で忙しいんだ」
「じゃあ帰れば」
「酷い! 善意ある君なら、手伝うって言ってくれると思ったのに」
「残念だけど、オレは誰にでもそうじゃないんだ。特にお前は好きじゃない」
「そんな事言って~」賢人は急に立ち上がり、反射的に後退ろうとした華音を素早く抱き寄せて指先で唇に触れた。「悪い言葉ばかり吐くこの口を僕の口で塞いでしまおうか」

 ゾゾッと華音の背中に悪寒が走る。
 1人、また1人と視線が2人に向き、いつしか教室内ほぼ全員の視線が集中した。
 一部の女子達は声を潜めて「BL、BL」と盛り上がり、免疫がない者達は純粋に頬を赤めながらも好奇心に負けてチラチラ様子を覗っていた。
 必死に身を捩る華音に、賢人は悪魔の様に囁いた。

「さあ、このまま僕にキスされるか、うちの店を手伝うか……どっちがいいかな?」
「て、手伝う! 手伝うから離せ」
「言質取っーた。じゃ、約束ね」

 賢人は華音を離し、席に着いて残りのコーヒーを味わった。

「んー。このコーヒー、なかなか美味いね。インスタントではなさそうだ」
「……しまった。と言うか、その選択卑怯だろ」

 華音は項垂れた。

「ふふーん。お兄さんのが1枚上手だね。ところでさ、この超絶美少年って華音くんの事だよね? 男にも囁いてくれたりする?」

 賢人はメニューの星の囁きゼリーを指差し、頬杖を付いた。
 華音は顔を上げて、完爾として笑った。

「そちらの商品は現在取り扱っていません」
「そんな逃れ方いいの?」

 華音が口を開きかけた時、カーテンがシャッと開いてバックヤードから制服姿の桜花が出て来た。

「華音、休憩よ! って、まだ着替えてないの?」
「あー……うん、今から」
「もたもたしてたら、モッチャリラうどんが売り切れちゃうからなるべく早くね!」
「噛んでる。モッツァレラ。……え? まさか一緒に」
「モ、モサッとしてないで早く」

 恥ずかしさのあまりまた微妙に言葉を誤った桜花に背中を押され、華音はバックヤードに急いで向かった。
 桜花は息を吐くと、賢人に気付いて近付いた。

「賢人! 来てたんだ」
「桜花ちゃんも早速呼び捨てー。華音くんのカッコイイ衣装は拝めたけど、桜花ちゃんは見逃しちゃったな。どんな衣装着てたの?」
「わたしは山猫よ!」
「それはそれは余計見たくなるじゃない」
「じゃあ、また後で来るといいわ」
「それなら今から一緒に」
「行かないからな」と華音の声が賢人の声に被さった。

 2人が振り返ると、ネクタイまできちんと締めた制服姿の華音が威圧感を放って立っていた。
 賢人は苦笑して立ち上がる。

「冗談だって。僕も人の恋路を邪魔する趣味はないからね。それに母校を久々に見て回りたいから」

 じゃあね、と賢人は去って行った。

「……母校?」

 華音が呟くと、接客をしていた雷が近寄って来た。

「噂によると、あの人……竜泉寺先輩っつったっけ? は此処の生徒だったらしいぜ。しかも風紀委員だったんだとか」
「アイツが? どう見ても風紀乱してる様にしか……」
「アイツって。さっきのと言い、あまり仲良くなさそうだな。お前にしては珍しい」
「雷には言ってなかったっけ。賢人はオレと桜花と同じだ。仲間とは認めたくないけど」
「へぇ。まあ、心強いんじゃね? 俺じゃあ、悔しいがあまり力になれねーし」

 雷は鍛え抜かれた拳を見つめた。
 華音は笑う。

「十分力になってくれてるよ。アレ? 雷は休憩しないのか?」
「まだ戻って来てない奴が居るから、そいつが戻ってきたら交代するつもり」
「ああ……そうか」

 後ろめたい気持ちになったが、雷の屈託ない笑顔がそれを吹き飛ばした。

「お前は気にすんな。赤松と楽しんで来いよ」

 雷は桜花にも視線をやり、同じく後ろめたい気持ちだった桜花の心も安らいだ。
 華音と桜花は雷に挨拶し、教室を後にした。