ずらりと陳列された大皿の上には、ワンホールサイズのケーキを始めとした甘いスイーツが小さく切り分けられていたり、ココットに入れられて乗っている。
苺がぎっしり乗ったショートケーキやマシュマロが乗ったチョコレートケーキ、シンプルなレアチーズケーキにフルーツたっぷりのミルフィーユ、フルーツやチョコレートのタルト、カスタードクリームが目一杯詰まったプチシュークリーム、パリパリのクリームブリュレ、生チョコレートなど、全て食べ尽くすのは難しい程種類豊富だった。
「まさか、華音とスイーツバイキング来る事になるなんてなー。ま、中身違うけど。さーて」
刃は取皿にヒョイヒョイ目に付いたスイーツを盛り付けていく。
「あの分なら全種類いけんじゃね」
オズワルドはスイーツに関しては特に苦手なものはないらしい上、華音の身体だからか胃袋は底無しだ。
山になっていく皿を擦れ違う人々が2度見して去っていく。いくら食べ放題でも、1度にこんなに盛る人はそうそう居ない。勿論、仲間内で分け合う為にそうする者もゼロではないが、最近はあまり見掛けない。
刃はスイーツの山を確認し、首を捻る。
「これで全種類か?」
1種につき取った量が相当だった為、1つ1つを確認するのは困難だった。
「ま、いいっしょ」
諦めて戻ろうとした所に、店員が大皿片手に歩いて来て空いたスペースに陳列した。
「生キャラメルロールケーキ出来上がりました」
元気な声と甘い匂いに引き寄せられる様に、刃は踵を返す。
「美味そー。俺も食べたいな」
備え付けのトングに手を伸ばすと、同じ様に横から伸びて来たしなやかな手とぶつかった。互いに慌てて引っ込める。
「あー……すんません――――」
横を見た刃の目に、ふんわりとしたミルクティー色のショートヘアの少女が映った。
少し目尻のつり上がったダークグレーの大きな瞳を瞬かせれば、長い睫毛から光が弾ける。雪の様に白い肌は体内を巡る血潮がほんのりと透けて見え、つい触れたくなる程に柔らかそうだ。
レースのあしらわれた黒色のワンピースを纏った身体は均整が取れていて唯細いだけでなく綺麗で、体操か何かをやっていそうなスタイルだ。
刃は少女に一目惚れした。
刃にジロジロと見られる側は居心地悪そうに、重たそうな皿を持ち直した。
「何よ? これ全部あたしが1人で食べるけど、アンタも文句あるワケ?」
声も高めでよく通り可愛かった。
益々少女への想いが強くなり、それを一旦落ち着けようとした刃は少女の取皿に意識を向けるなり喫驚した。
「まじで? それ、キミが全部食うの?」
こちらの取皿と大した違いはなかった。寧ろ、向こうの方が上手に見えた。
「そうよ。アンタだって同じじゃない」
「いや、これは連れの……」
「ふぅん。まあ、どうでもいいけど。それ、取らないならいい?」
「あぁ……ごめん。どうぞ」
刃がトングを譲ると、少女はごっそり生キャラメルロールケーキを取って立ち去った。
入れ違いに雷が台ふきんを持ってやって来て、振り返って少女を一瞥すると刃を見た。
「何だ? 今の娘。知り合い?」
「いや……」
「何か感じ悪かったな」
「……ああ」
「変だぞ、お前」
「そうか?」
受け答えしつつも、まだ刃の意識はもう姿も見えない名も知れぬ少女へと向いていた。
「お。スゲー盛ったな。そんだけありゃ満足してくれんだろ。戻ろうぜ」
雷が歩いて行き、刃は半ば放心状態で後をついて行った。生キャラメルロールケーキの事など、すっぽりと頭から抜けていたのだった。
2人が席に戻ると、オズワルドが生きる屍と化していた。飲みかけの紅茶はとっくに冷め切っていた。
「は? 何があった」
雷が呟くと、桜花がスマートフォンを握り締めながら答えた。
「迷惑かけちゃったから、可愛い猫の動画で癒やしてあげようかと思って見せたんだけど……」
「赤松……」
「桜花ちゃん……」
雷と刃は遠い目をした。
オズワルドが猫が苦手な事は、桜花の山猫姿を目にして動揺した事から察していた。
桜花は2人の反応がよく分からず更に動揺した。
「え? わたし、変な事しちゃったの?」
「いや、あのな……赤松。オズワルドさんは猫が苦手だと思うぞ……」
「そうなの? 高木くんよく知ってるね? えっ……でも、どうしよう。ごめんなさい、オズワルド!」
桜花がオズワルドの肩を揺すっても、彼はそれに抵抗する事なく振り子の様に揺れ動くだけだった。猫が集団で餌を食べる動画が止めを刺した様だった。
「まだ華音と入れ替わった事とか聞いてないのに!」
「聞いてなかったのかよ!」
雷と刃は声を揃えた。
慣れない家の玄関を開けると、慣れない人物が出迎えてくれた。
「お帰りなさい、華音くん」
「……ただいま」
オズワルドは水戸に作り笑いを返すと玄関を上がり、彼女の横を擦り抜けてリビングへと向かった。水戸もその後をついて来る。
通学用鞄をソファーに置いてその隣に腰掛けると、水戸が近付いて来た。
「お茶入れましょうか?」
「お茶はいい。ありがとう」
「そうですか」
そのまま水戸は少しスペースを空けて座り、2人で真っ黒なテレビ画面を見つめた。
オズワルドはどうにも水戸の事が苦手だった。水戸もその気配を察してか、自分から彼に声を掛けようとはしなかった。
静かな時間が流れる。
ふと、オズワルドは騒がしい存在が居ない事に気付いた。
「……アルナは?」
「アルナちゃんは今お風呂に入っています。出たら華音くん入って下さいね」
「そう。ねえ、ミトさん」
「はい。何でしょう」
「…………」
毒気を抜かれる様な柔らかな笑みを向けられ、オズワルドは言葉に詰まった。
彼女はきっと優しい人物なのだろう。それなのに、オズワルドにはその姿が捉えられなかった。
不意にブラックホールの魔女の姿が脳裏を掠めた。光さえも通さないぐらいの黒々とした髪は長く、地上へ降り立てば確実に引き摺る長さだった。彼女は常に地上から50センチ程度浮いており、重力をまるで受けていない様にも見えた。
思考の全く読めない切れ長の瞳は他の魔女達と同じ赤色だが鮮やかさはなく、闇を宿しているかの様にくすんでいた。
耳は長く尖っていた。8人のエルフと共に居たものだから、皆彼女をエルフだと思い込んでいた。しかし、アルナの話だとエルフではないと言う。
謎の多い存在。その姿は当然捉えられない。
似ている。
そう、オズワルドは思った。水戸にはその面影は全くないし、魔力もない。単純に直感だった。
水戸は言葉の続きを律儀に待っている。
オズワルドは目を閉じて思考を落ち着けると、再度目を開けて水戸の顔を真っ直ぐ捉えた。
『お前はブラックホールの魔女か?』
「え?」
水戸は驚き、動揺した。
オズワルドが口にしたのはエルフ語だった。現在ではスペクルムは全種族共通語を使うが、エルフならばエルフ語は必ず知っている筈だ。それがたとえ形だけの存在でも。
水戸の反応は言葉が分からなかったからなのか、正体がばれてしまったからなのか、どちらでも受け取る事が出来た。
さて、どっちだ。
オズワルドは目を伏せる。
水戸は天井を見上げて難しい顔で考え込んでいた。
「えーっと……今のは――――あ!」
何か閃いた様にぽんと手を叩いてオズワルドに顔を向け、その気配を感じたオズワルドも水戸に顔を向けた。
だが、オズワルドはすぐに後悔する事になる。
「呪文ですね! 確か、りんりんの敵キャラが唱えてた!!」
「は? りんりん……?」
水戸のキラキラとした瞳が眩しく、オズワルドはやや視線を逸らすと話の内容が理解出来ずに困惑した。
「華音くん、よく覚えていましたね。りんりんは敵キャラもいいんですよねぇ。幹部のゼツがイケメンで! それから、唯一の女性ヨクもセクシーで強いし。前回の話ではゼツが真の姿を見せて、そっちもイケメンで萌えました! じゃあ、勿論りんりんの新バトルコスチュームの呪文と技名も完璧ですよね!?」
自分だけの世界に浸りうっとりとしたかと思えば、水戸は身を乗り出して彼が答えるのを期待し、そのペースに全くついていけないオズワルドは完全に置き去りにされた。話が耳を右から左へ通り抜け、何を問われたのかさえ分からなかった。
オズワルドが沈黙すると、少し離れたところから「それならアルナに任せろ!」と名乗り出て来た。
廊下とリビングの境界でふんぞり返っていたアルナは、洗い立ての艶めくブロンドの長髪から水滴を宝石の様に散らしながらソファーまで歩いて来た。肩にはほわまろが乗っていて、主と同様に白い毛皮が水気を含んで艶めいていた。
アルナは軽く息を吸い込んで、声高々と言い放つ。
「リンリン響け! 宇宙の果てまで幸せの鐘の音! 絶望なんて吹き飛んじゃえ! ハピネスハートヒーリングベル!!」
くるっとその場で1回転して、小さな両手でハートを形作りウィンクした。
表情筋をぴくりとも動かさないオズワルドに対し、水戸は満面の笑みでアルナに拍手を贈って立ち上がって彼女の方へ向き直った。
「アルナちゃん、さすが! 振り付けも完璧よ。何よりかっわい~っ」
「えへへ。全くその通りだぞっ。もっとアルナを褒め称えるがいい」
アルナはまたふんぞり返った。
2人の魔法少女アニメトークが始まり、いよいよ入り込む隙間をなくしたオズワルドは静かに立ち上がる。
「あっ! カノン」
移動し始めた彼に気付いたアルナが小走りで追い掛け、リビングから出る一歩手前で背中に飛び付いて引き止めた。
「つい夢中になってしまった。おかえり、カノ……ン」
振り返りこちらを見下ろす彼の顔に、アルナは言葉を失って凍りついた。ほわまろも小刻みに震え出した。
眉間に皺を寄せ、影を落とした顔は華音ではなかった。
アルナがだらりと手を下げ、オズワルドはさっさと歩いて行った。
長い廊下の突き当たりの扉の前で足を止めると、後を追っていた小さな足音も止まった。
「まだ私に何か用か?」
振り返らずに問う。態々確認せずとも、背後に立っているのはアルナ以外考えられなかった。
全てを見透かしているかの様な余裕の態度が気に入らず、アルナは叫んだ。
「何でまだお前なんだ!」
「18時間経っていないだろう。お前はそんな単純な計算も出来ないのか」
「ぐぬぬっ」
背後が静かになった為、オズワルドは扉を開けて中へ入った。
「……何故ついて来る」
目の前の洗面台の大きな鏡面には華音の姿の他に、アルナとほわまろの姿が並んで映っていた。鏡像のアルナの顔は不機嫌だった。
「お前がカノンの身体に悪さをしないように見張るからなっ」
「悪さって例えば?」
オズワルドはブレザーを脱いでネクタイを緩める。
「髪も顔も体も全て同じ石鹸で洗ったりとかな」
「本人はそれでいいと思っているみたいだが」
ネクタイを外したら、次はカッターシャツの第一ボタンから順番に外していく。
「まさか実行する気だな!?」
「するか。ゴワつくだろ」
「むー。じゃあ、一体何をする気なんだ」
「ただ普通に湯浴みを済ませるだけだ。お前こそ、ババアのくせに年頃の男の裸体を見ようとするな。犯罪だぞ」
オズワルドは第三ボタンまで外したところで手を止め、アルナに目障りだと表情と雰囲気だけで告げた。
「さてはお前もカノンの身体が目当て……」
「認めたな、変態ババア。さあ、出て行ってもらおうか」
オズワルドはアルナの首根っこを掴み、扉の外へ放り投げた。それから手早く内側から施錠し、ボタンを最後まで外した。扉の外側から抗議の声が暫し響いていたが、無視し続けると止んで足音が遠ざかっていった。
ミト。ブラックホールの魔女かと疑ったが違うな、絶対に。
斜め上の反応をした上趣味の話で1人盛り上がる水戸ちかげの姿は、ブラックホールの魔女である事を否定するのには十分だった。
アルナは不満を零しながら、大人しくリビングへと引き返す。そして廊下から水戸の姿を認めると表情を緩め、晴れやかな表情でリビングに足を踏み入れた。
「チカゲー!」
「……お前はブラックホールの魔女か、か」
「チカゲ……?」
水戸の様子が普段と違い、アルナはそっと歩み寄って顔を覗き込んだ。
「チカゲ、どうした?」
もう1度声を掛けると、水戸は視界に入ったアルナにワンテンポ遅れて微笑んだ。
「はい。アルナちゃん、どうかしたの?」
「それはアルナの台詞。チカゲ、何か呟いてなかったか?」
「え? 私何か言ったかしら」
水戸は頬に手を添え考え込む。その何処かぼんやりとした雰囲気は普段通りで、不穏な影は少しも見当たらなかった。
アルナは安堵し、首を横に振るとソファーに腰を下ろした。
「いつもの、風呂上がりのココアが飲みたいぞっ」
「分かったわ。ちょっと待っててね」
水戸がキッチンの方へ歩いていき、アルナはリモコンでテレビの電源を入れた。
苺がぎっしり乗ったショートケーキやマシュマロが乗ったチョコレートケーキ、シンプルなレアチーズケーキにフルーツたっぷりのミルフィーユ、フルーツやチョコレートのタルト、カスタードクリームが目一杯詰まったプチシュークリーム、パリパリのクリームブリュレ、生チョコレートなど、全て食べ尽くすのは難しい程種類豊富だった。
「まさか、華音とスイーツバイキング来る事になるなんてなー。ま、中身違うけど。さーて」
刃は取皿にヒョイヒョイ目に付いたスイーツを盛り付けていく。
「あの分なら全種類いけんじゃね」
オズワルドはスイーツに関しては特に苦手なものはないらしい上、華音の身体だからか胃袋は底無しだ。
山になっていく皿を擦れ違う人々が2度見して去っていく。いくら食べ放題でも、1度にこんなに盛る人はそうそう居ない。勿論、仲間内で分け合う為にそうする者もゼロではないが、最近はあまり見掛けない。
刃はスイーツの山を確認し、首を捻る。
「これで全種類か?」
1種につき取った量が相当だった為、1つ1つを確認するのは困難だった。
「ま、いいっしょ」
諦めて戻ろうとした所に、店員が大皿片手に歩いて来て空いたスペースに陳列した。
「生キャラメルロールケーキ出来上がりました」
元気な声と甘い匂いに引き寄せられる様に、刃は踵を返す。
「美味そー。俺も食べたいな」
備え付けのトングに手を伸ばすと、同じ様に横から伸びて来たしなやかな手とぶつかった。互いに慌てて引っ込める。
「あー……すんません――――」
横を見た刃の目に、ふんわりとしたミルクティー色のショートヘアの少女が映った。
少し目尻のつり上がったダークグレーの大きな瞳を瞬かせれば、長い睫毛から光が弾ける。雪の様に白い肌は体内を巡る血潮がほんのりと透けて見え、つい触れたくなる程に柔らかそうだ。
レースのあしらわれた黒色のワンピースを纏った身体は均整が取れていて唯細いだけでなく綺麗で、体操か何かをやっていそうなスタイルだ。
刃は少女に一目惚れした。
刃にジロジロと見られる側は居心地悪そうに、重たそうな皿を持ち直した。
「何よ? これ全部あたしが1人で食べるけど、アンタも文句あるワケ?」
声も高めでよく通り可愛かった。
益々少女への想いが強くなり、それを一旦落ち着けようとした刃は少女の取皿に意識を向けるなり喫驚した。
「まじで? それ、キミが全部食うの?」
こちらの取皿と大した違いはなかった。寧ろ、向こうの方が上手に見えた。
「そうよ。アンタだって同じじゃない」
「いや、これは連れの……」
「ふぅん。まあ、どうでもいいけど。それ、取らないならいい?」
「あぁ……ごめん。どうぞ」
刃がトングを譲ると、少女はごっそり生キャラメルロールケーキを取って立ち去った。
入れ違いに雷が台ふきんを持ってやって来て、振り返って少女を一瞥すると刃を見た。
「何だ? 今の娘。知り合い?」
「いや……」
「何か感じ悪かったな」
「……ああ」
「変だぞ、お前」
「そうか?」
受け答えしつつも、まだ刃の意識はもう姿も見えない名も知れぬ少女へと向いていた。
「お。スゲー盛ったな。そんだけありゃ満足してくれんだろ。戻ろうぜ」
雷が歩いて行き、刃は半ば放心状態で後をついて行った。生キャラメルロールケーキの事など、すっぽりと頭から抜けていたのだった。
2人が席に戻ると、オズワルドが生きる屍と化していた。飲みかけの紅茶はとっくに冷め切っていた。
「は? 何があった」
雷が呟くと、桜花がスマートフォンを握り締めながら答えた。
「迷惑かけちゃったから、可愛い猫の動画で癒やしてあげようかと思って見せたんだけど……」
「赤松……」
「桜花ちゃん……」
雷と刃は遠い目をした。
オズワルドが猫が苦手な事は、桜花の山猫姿を目にして動揺した事から察していた。
桜花は2人の反応がよく分からず更に動揺した。
「え? わたし、変な事しちゃったの?」
「いや、あのな……赤松。オズワルドさんは猫が苦手だと思うぞ……」
「そうなの? 高木くんよく知ってるね? えっ……でも、どうしよう。ごめんなさい、オズワルド!」
桜花がオズワルドの肩を揺すっても、彼はそれに抵抗する事なく振り子の様に揺れ動くだけだった。猫が集団で餌を食べる動画が止めを刺した様だった。
「まだ華音と入れ替わった事とか聞いてないのに!」
「聞いてなかったのかよ!」
雷と刃は声を揃えた。
慣れない家の玄関を開けると、慣れない人物が出迎えてくれた。
「お帰りなさい、華音くん」
「……ただいま」
オズワルドは水戸に作り笑いを返すと玄関を上がり、彼女の横を擦り抜けてリビングへと向かった。水戸もその後をついて来る。
通学用鞄をソファーに置いてその隣に腰掛けると、水戸が近付いて来た。
「お茶入れましょうか?」
「お茶はいい。ありがとう」
「そうですか」
そのまま水戸は少しスペースを空けて座り、2人で真っ黒なテレビ画面を見つめた。
オズワルドはどうにも水戸の事が苦手だった。水戸もその気配を察してか、自分から彼に声を掛けようとはしなかった。
静かな時間が流れる。
ふと、オズワルドは騒がしい存在が居ない事に気付いた。
「……アルナは?」
「アルナちゃんは今お風呂に入っています。出たら華音くん入って下さいね」
「そう。ねえ、ミトさん」
「はい。何でしょう」
「…………」
毒気を抜かれる様な柔らかな笑みを向けられ、オズワルドは言葉に詰まった。
彼女はきっと優しい人物なのだろう。それなのに、オズワルドにはその姿が捉えられなかった。
不意にブラックホールの魔女の姿が脳裏を掠めた。光さえも通さないぐらいの黒々とした髪は長く、地上へ降り立てば確実に引き摺る長さだった。彼女は常に地上から50センチ程度浮いており、重力をまるで受けていない様にも見えた。
思考の全く読めない切れ長の瞳は他の魔女達と同じ赤色だが鮮やかさはなく、闇を宿しているかの様にくすんでいた。
耳は長く尖っていた。8人のエルフと共に居たものだから、皆彼女をエルフだと思い込んでいた。しかし、アルナの話だとエルフではないと言う。
謎の多い存在。その姿は当然捉えられない。
似ている。
そう、オズワルドは思った。水戸にはその面影は全くないし、魔力もない。単純に直感だった。
水戸は言葉の続きを律儀に待っている。
オズワルドは目を閉じて思考を落ち着けると、再度目を開けて水戸の顔を真っ直ぐ捉えた。
『お前はブラックホールの魔女か?』
「え?」
水戸は驚き、動揺した。
オズワルドが口にしたのはエルフ語だった。現在ではスペクルムは全種族共通語を使うが、エルフならばエルフ語は必ず知っている筈だ。それがたとえ形だけの存在でも。
水戸の反応は言葉が分からなかったからなのか、正体がばれてしまったからなのか、どちらでも受け取る事が出来た。
さて、どっちだ。
オズワルドは目を伏せる。
水戸は天井を見上げて難しい顔で考え込んでいた。
「えーっと……今のは――――あ!」
何か閃いた様にぽんと手を叩いてオズワルドに顔を向け、その気配を感じたオズワルドも水戸に顔を向けた。
だが、オズワルドはすぐに後悔する事になる。
「呪文ですね! 確か、りんりんの敵キャラが唱えてた!!」
「は? りんりん……?」
水戸のキラキラとした瞳が眩しく、オズワルドはやや視線を逸らすと話の内容が理解出来ずに困惑した。
「華音くん、よく覚えていましたね。りんりんは敵キャラもいいんですよねぇ。幹部のゼツがイケメンで! それから、唯一の女性ヨクもセクシーで強いし。前回の話ではゼツが真の姿を見せて、そっちもイケメンで萌えました! じゃあ、勿論りんりんの新バトルコスチュームの呪文と技名も完璧ですよね!?」
自分だけの世界に浸りうっとりとしたかと思えば、水戸は身を乗り出して彼が答えるのを期待し、そのペースに全くついていけないオズワルドは完全に置き去りにされた。話が耳を右から左へ通り抜け、何を問われたのかさえ分からなかった。
オズワルドが沈黙すると、少し離れたところから「それならアルナに任せろ!」と名乗り出て来た。
廊下とリビングの境界でふんぞり返っていたアルナは、洗い立ての艶めくブロンドの長髪から水滴を宝石の様に散らしながらソファーまで歩いて来た。肩にはほわまろが乗っていて、主と同様に白い毛皮が水気を含んで艶めいていた。
アルナは軽く息を吸い込んで、声高々と言い放つ。
「リンリン響け! 宇宙の果てまで幸せの鐘の音! 絶望なんて吹き飛んじゃえ! ハピネスハートヒーリングベル!!」
くるっとその場で1回転して、小さな両手でハートを形作りウィンクした。
表情筋をぴくりとも動かさないオズワルドに対し、水戸は満面の笑みでアルナに拍手を贈って立ち上がって彼女の方へ向き直った。
「アルナちゃん、さすが! 振り付けも完璧よ。何よりかっわい~っ」
「えへへ。全くその通りだぞっ。もっとアルナを褒め称えるがいい」
アルナはまたふんぞり返った。
2人の魔法少女アニメトークが始まり、いよいよ入り込む隙間をなくしたオズワルドは静かに立ち上がる。
「あっ! カノン」
移動し始めた彼に気付いたアルナが小走りで追い掛け、リビングから出る一歩手前で背中に飛び付いて引き止めた。
「つい夢中になってしまった。おかえり、カノ……ン」
振り返りこちらを見下ろす彼の顔に、アルナは言葉を失って凍りついた。ほわまろも小刻みに震え出した。
眉間に皺を寄せ、影を落とした顔は華音ではなかった。
アルナがだらりと手を下げ、オズワルドはさっさと歩いて行った。
長い廊下の突き当たりの扉の前で足を止めると、後を追っていた小さな足音も止まった。
「まだ私に何か用か?」
振り返らずに問う。態々確認せずとも、背後に立っているのはアルナ以外考えられなかった。
全てを見透かしているかの様な余裕の態度が気に入らず、アルナは叫んだ。
「何でまだお前なんだ!」
「18時間経っていないだろう。お前はそんな単純な計算も出来ないのか」
「ぐぬぬっ」
背後が静かになった為、オズワルドは扉を開けて中へ入った。
「……何故ついて来る」
目の前の洗面台の大きな鏡面には華音の姿の他に、アルナとほわまろの姿が並んで映っていた。鏡像のアルナの顔は不機嫌だった。
「お前がカノンの身体に悪さをしないように見張るからなっ」
「悪さって例えば?」
オズワルドはブレザーを脱いでネクタイを緩める。
「髪も顔も体も全て同じ石鹸で洗ったりとかな」
「本人はそれでいいと思っているみたいだが」
ネクタイを外したら、次はカッターシャツの第一ボタンから順番に外していく。
「まさか実行する気だな!?」
「するか。ゴワつくだろ」
「むー。じゃあ、一体何をする気なんだ」
「ただ普通に湯浴みを済ませるだけだ。お前こそ、ババアのくせに年頃の男の裸体を見ようとするな。犯罪だぞ」
オズワルドは第三ボタンまで外したところで手を止め、アルナに目障りだと表情と雰囲気だけで告げた。
「さてはお前もカノンの身体が目当て……」
「認めたな、変態ババア。さあ、出て行ってもらおうか」
オズワルドはアルナの首根っこを掴み、扉の外へ放り投げた。それから手早く内側から施錠し、ボタンを最後まで外した。扉の外側から抗議の声が暫し響いていたが、無視し続けると止んで足音が遠ざかっていった。
ミト。ブラックホールの魔女かと疑ったが違うな、絶対に。
斜め上の反応をした上趣味の話で1人盛り上がる水戸ちかげの姿は、ブラックホールの魔女である事を否定するのには十分だった。
アルナは不満を零しながら、大人しくリビングへと引き返す。そして廊下から水戸の姿を認めると表情を緩め、晴れやかな表情でリビングに足を踏み入れた。
「チカゲー!」
「……お前はブラックホールの魔女か、か」
「チカゲ……?」
水戸の様子が普段と違い、アルナはそっと歩み寄って顔を覗き込んだ。
「チカゲ、どうした?」
もう1度声を掛けると、水戸は視界に入ったアルナにワンテンポ遅れて微笑んだ。
「はい。アルナちゃん、どうかしたの?」
「それはアルナの台詞。チカゲ、何か呟いてなかったか?」
「え? 私何か言ったかしら」
水戸は頬に手を添え考え込む。その何処かぼんやりとした雰囲気は普段通りで、不穏な影は少しも見当たらなかった。
アルナは安堵し、首を横に振るとソファーに腰を下ろした。
「いつもの、風呂上がりのココアが飲みたいぞっ」
「分かったわ。ちょっと待っててね」
水戸がキッチンの方へ歩いていき、アルナはリモコンでテレビの電源を入れた。


