華音が男の子のフリをした女の子だと勘違いしていた訳をよくよく雨から聞くと、それを教えたのは刃との事だった。
刃は雨と風牙に、「雷は華音ちゃんの恋人、俺は華音ちゃんの愛人」と教えたのだとか。それを真に受けた雨と風牙は華音が女の子だと信じて疑わないと言う訳だ。
全く迷惑な話だと、華音と雷はあの親友のアホ面を思い浮かべて深い溜め息をついた。
華音は椅子に座ると、早速スマートフォンに呪詛を打ち込んだ。贈る相手は勿論、今頃アニメソングを熱唱中の刃だ。雷は横から液晶画面を覗き見、表情を引き攣らせてすぐに視線を外した。内容があまりに恐ろしく、見ているこっちが呪われそうだった。
つい先程、雨と風牙はきゃっきゃっ言いながら、ハンバーガーの店まで走っていった。華音と雷は2人が戻って来るまで、此処で留守番だ。
周りにも沢山席はあるが、殆どが埋まっていて後から来る人達は辺りを見渡して必死に空席を探している状況だ。その為、誰かが残っていなければ、すぐに席が取られてしまうのだ。それが、ショッピングモールのフードコートと言う場所の特色である。
「鏡崎も、何か買って来いよ。俺が待ってるから」
「あ。うん」
華音は呪詛を送信し、雷の言葉に甘えて席を立った。
昼食後も、引き続き店内を歩き回った。大抵は、子供2人の行きたい場所へ、高校生2人がついていくと言う形だった。
子供は興味がコロコロと移り変わる上、やたらと走る。まだ10代で体力があるとは言え、これがなかなか華音と雷にはきつかった。
あっち行ったと思ったら、こっち。こっちに夢中になっていたかと思えば、全く違うところ……。
大きなショッピングモールは子供にとってはパラダイスで、何もかもが輝いて見えて楽しくて飽きないのだ。
「子供は元気だなー」
華音がしみじみ言うと、雷は彼の背中を思いっきり叩いた。
「じじいかよ! 昼も蕎麦食ってたし」
「うぐっ。蕎麦美味しいし……! うどんよりは好きだけどな」
「俺はラーメン派だな」
「ラーメンは中華だろ。引き合いに出すなよ」
「いいじゃねーか。今や、ちゃんとした日本食を食卓に並べる家なんざ少ないんだからさ」
「まあ……それもそうだな」
華音と雷が視線を前に戻すと、丁度手を振る雨と風牙の姿が目に入った。
「お兄ちゃん! 華音ちゃん! こっちにねー良いお店があるの!」
良いお店。響きが何とも怪しげだ。夜半の繁華街で言われたら、そう言う店だと連想出来てしまうが、此処は昼間のショッピングモール。そんな筈はなく、2人が更に視線を伸ばした先には人でごった返す雑貨店があった。
新しく出来たらしく、『open』の文字の書かれたノボリやポスターが目立っていた。
華音と雷がそこへ辿り着く頃には、風牙が待ちきれずに人混みの中へ飛び込んでいってしまった。大人しく残っていた雨が店についての説明をしてくれた。
「あのね! 可愛い雑貨とか、面白い雑貨とかがいっぱいなの! だからね、見たいんだけどぉ」
兄に対して、上目遣い。身長差がある故、自然となる構図であるが、やはり女子だと感じさせられる一面である。
その為、男子である雷が逆らえる筈もなく、困った顔で小さく頷いた。途端、喜びを露にする雨は、本当に女子だった。
雷は人混みに溜め息を吐き、それから、苦笑いを浮かべて華音を見た。
「じゃ、俺は雨と行ってくるわ。鏡崎はその辺で待っていてくれ」
「ああ。分かった」
華音は兄妹を見送り、店内に背を向けた。
もう一度向き直ってみると、本当に人、人、人。雑貨が人の合間から垣間見える。レジは店内出入り口付近にあり、既に長蛇の列。そのせいで、店内はそれ程広くないくせに通路が塞がれている状態になっていて、歩きづらくしていた。
客層は雨や風牙ぐらいの子供や女子中高生が大半を占めているので、入らなくて正解だったと華音は思った。名前や外見が女の子っぽいからと言って、あんなファンシーな場所は得意ではないのだ。
もう少し別の場所へ移動しても良いが、何処へ行くにせよ、人が多い。下手に動かずに此処に居た方がマシかと思い、店を出入りする客を横目に見送った。と、ふわりとチェリーブロッサムの香りが鼻をくすぐった。
俯きかけていた顔を上げると、一瞬、赤茶色の長髪が視界に入った。何となく気になって振り向いてもみたが、もうその人物はあの人混みの中に消えてしまった。
胸が高鳴る感覚があったのだが、恋と言うより運命に近いモノを感じた。今までにない、不思議な感覚。でも、ハッキリとは分からない。学校の勉強以外は分からないモノがあっても良いと思っているので、特に追求する気は起きず、どうでもいいかと言う気持ちでジーンズのポケットからスマートフォンを取り出して弄り出した。
人が何度も行き交い、画面上の時計も大分進んだ。
目が疲れて画面から目を離すと、背後から名前を呼ばれた。声からして雨だろうと、振り返ると、人混みの合間から小さな手が見えた。そのすぐ後ろには頭がはっきりと見える長身の雷の姿があった。
「華音ちゃん、こっち来てぇ~」
その手がくいくいと動いているので、華音は人混みに躊躇するも、仕方なく雑貨店に足を踏み入れた。
数歩しか進んでいないのに、既に何人かとぶつかりそうになった。すぐ近くに見える筈の雨の所へは、容易に辿り着けそうもない。
雨には悪いが諦めようかと思った時、人混みがぎこちない動きで揺らいだ。
周りの頭上高くに掲げられた買い物かごが、人混みを掻き分けてゆっくりと進んで来て、暫くするとチェリーブロッサムの香りを纏った少女がにゅっと出て来た。
赤茶色の緩いウェーブの長髪に、長い睫毛の縁取る栗色の大きな瞳、陶器の様に白い肌、オフホワイトのワンピースの上にラベンダー色のカーディガンを羽織っている姿は、まるで人形の様な美しさがあった。人形と言っても伝統的な物と言うより、刃が好んで収集しているアニメの美少女フィギュアと表現した方がしっくりくる。
そして、先程、華音の横を通り過ぎた人物で間違いなかった。
少女は困った顔で、頭上に掲げた買い物かごを下ろそうとした。
「ふぅ……。やっと出られたわ。幸い、レジはそんなに並んでいな――――きゃっ」
手が滑り、買い物かごが空中へ投げ出された。
華音の心臓は恋でも、運命でもない、恐怖で高鳴った。
「えぇっ!?」
あろう事か、買い物かごの中身が華音目掛けて降り注いで来るではないか。咄嗟の事で躱せなかった華音は、雑貨の雨に打たれた。
「わわわっ……ご、ごめんなさいっ」
少女が顔面蒼白で、慌てて駆け寄って来た。
「オレは大丈夫だけど、商品が……」
華音は辺りに散らばった雑貨を拾い集める。シャープペンシルに消しゴムにプラスチック製のものさし、クリップ、ふわふわのペンケース、ボールチェーンマスコット、ポーチ、ヘアアクセサリー、その全てが猫のデザインだった。相当猫が好きなんだなと、ぼんやりと思った。
チェリーブロッサムの香りが間近でふわりと香った。見ると、少女も必死に雑貨を拾い集めていた。しゃがんでいる体勢のせいで豊満な胸もとがチラッと見え、華音はそっと目を逸らした。
拾い集めた雑貨は買い物かごに全て戻され、立ち上がった少女は華音に礼と謝罪の言葉を述べて頭を下げた。そこまで腰を曲げると、スカートの中が後ろから見えてしまうのではないかと心配になる程に深く、長く。
「そんな。気にしなくていいよ」
華音は苦笑い。
「ホ、ホントに……?」と、上体を真っ直ぐに正した少女の瞳は揺れていた。まるで、迷子の子猫の様な表情で、華音は直視するのが面映かった。先と同様、そっと目を逸らした。
「良かった……って、あれ?」
少女は目を丸くして、華音の頭部を見つめた。
華音の頭には、小さな猫のマスコットがちょこんと乗っていた。
本人は気付いておらず、少女が断りを入れて手を伸ばした。
「猫が乗っています」
「猫?」
「ほら」
華音の頭から取った猫のマスコットを見せつける少女に、華音は状況を理解した。
ここで会話が途絶え、2人は互いを見つめ合う形となってしまった。さすがに、どちらとも耐え切れなくなって、3秒程で同時に視線を外した。
少女はペコリと頭を下げてレジへと向かい、華音は人混みから出て来た雨と雷と風牙のもとへ向かった。
「華音ちゃん、何してたの。せっかく、可愛いのあったのにぃ」
頬を膨らませた雨の手には、いくつか可愛い雑貨が収まっていた。風牙の手にもちゃんと雑貨が収まっていて、雷が苦笑いを浮かべていた。
3人がレジに並ぶのを見届け、店を出る華音。ふと、チェリーブロッサムの香りが横切った。
さっきの少女だ、と思うと、買い物袋を手にした彼女に何処からか黒猫が擦り寄って来た。1人と1匹は共に歩き出し、すぐに人混みに呑まれて見えなくなった。
店内に猫。そう華音が疑問を持ったのは数秒後の事で、深く気にする間もなく、店から出て来た雷兄弟に声を掛けられて少女の事は記憶の隅に追いやられたのだった。
刃は雨と風牙に、「雷は華音ちゃんの恋人、俺は華音ちゃんの愛人」と教えたのだとか。それを真に受けた雨と風牙は華音が女の子だと信じて疑わないと言う訳だ。
全く迷惑な話だと、華音と雷はあの親友のアホ面を思い浮かべて深い溜め息をついた。
華音は椅子に座ると、早速スマートフォンに呪詛を打ち込んだ。贈る相手は勿論、今頃アニメソングを熱唱中の刃だ。雷は横から液晶画面を覗き見、表情を引き攣らせてすぐに視線を外した。内容があまりに恐ろしく、見ているこっちが呪われそうだった。
つい先程、雨と風牙はきゃっきゃっ言いながら、ハンバーガーの店まで走っていった。華音と雷は2人が戻って来るまで、此処で留守番だ。
周りにも沢山席はあるが、殆どが埋まっていて後から来る人達は辺りを見渡して必死に空席を探している状況だ。その為、誰かが残っていなければ、すぐに席が取られてしまうのだ。それが、ショッピングモールのフードコートと言う場所の特色である。
「鏡崎も、何か買って来いよ。俺が待ってるから」
「あ。うん」
華音は呪詛を送信し、雷の言葉に甘えて席を立った。
昼食後も、引き続き店内を歩き回った。大抵は、子供2人の行きたい場所へ、高校生2人がついていくと言う形だった。
子供は興味がコロコロと移り変わる上、やたらと走る。まだ10代で体力があるとは言え、これがなかなか華音と雷にはきつかった。
あっち行ったと思ったら、こっち。こっちに夢中になっていたかと思えば、全く違うところ……。
大きなショッピングモールは子供にとってはパラダイスで、何もかもが輝いて見えて楽しくて飽きないのだ。
「子供は元気だなー」
華音がしみじみ言うと、雷は彼の背中を思いっきり叩いた。
「じじいかよ! 昼も蕎麦食ってたし」
「うぐっ。蕎麦美味しいし……! うどんよりは好きだけどな」
「俺はラーメン派だな」
「ラーメンは中華だろ。引き合いに出すなよ」
「いいじゃねーか。今や、ちゃんとした日本食を食卓に並べる家なんざ少ないんだからさ」
「まあ……それもそうだな」
華音と雷が視線を前に戻すと、丁度手を振る雨と風牙の姿が目に入った。
「お兄ちゃん! 華音ちゃん! こっちにねー良いお店があるの!」
良いお店。響きが何とも怪しげだ。夜半の繁華街で言われたら、そう言う店だと連想出来てしまうが、此処は昼間のショッピングモール。そんな筈はなく、2人が更に視線を伸ばした先には人でごった返す雑貨店があった。
新しく出来たらしく、『open』の文字の書かれたノボリやポスターが目立っていた。
華音と雷がそこへ辿り着く頃には、風牙が待ちきれずに人混みの中へ飛び込んでいってしまった。大人しく残っていた雨が店についての説明をしてくれた。
「あのね! 可愛い雑貨とか、面白い雑貨とかがいっぱいなの! だからね、見たいんだけどぉ」
兄に対して、上目遣い。身長差がある故、自然となる構図であるが、やはり女子だと感じさせられる一面である。
その為、男子である雷が逆らえる筈もなく、困った顔で小さく頷いた。途端、喜びを露にする雨は、本当に女子だった。
雷は人混みに溜め息を吐き、それから、苦笑いを浮かべて華音を見た。
「じゃ、俺は雨と行ってくるわ。鏡崎はその辺で待っていてくれ」
「ああ。分かった」
華音は兄妹を見送り、店内に背を向けた。
もう一度向き直ってみると、本当に人、人、人。雑貨が人の合間から垣間見える。レジは店内出入り口付近にあり、既に長蛇の列。そのせいで、店内はそれ程広くないくせに通路が塞がれている状態になっていて、歩きづらくしていた。
客層は雨や風牙ぐらいの子供や女子中高生が大半を占めているので、入らなくて正解だったと華音は思った。名前や外見が女の子っぽいからと言って、あんなファンシーな場所は得意ではないのだ。
もう少し別の場所へ移動しても良いが、何処へ行くにせよ、人が多い。下手に動かずに此処に居た方がマシかと思い、店を出入りする客を横目に見送った。と、ふわりとチェリーブロッサムの香りが鼻をくすぐった。
俯きかけていた顔を上げると、一瞬、赤茶色の長髪が視界に入った。何となく気になって振り向いてもみたが、もうその人物はあの人混みの中に消えてしまった。
胸が高鳴る感覚があったのだが、恋と言うより運命に近いモノを感じた。今までにない、不思議な感覚。でも、ハッキリとは分からない。学校の勉強以外は分からないモノがあっても良いと思っているので、特に追求する気は起きず、どうでもいいかと言う気持ちでジーンズのポケットからスマートフォンを取り出して弄り出した。
人が何度も行き交い、画面上の時計も大分進んだ。
目が疲れて画面から目を離すと、背後から名前を呼ばれた。声からして雨だろうと、振り返ると、人混みの合間から小さな手が見えた。そのすぐ後ろには頭がはっきりと見える長身の雷の姿があった。
「華音ちゃん、こっち来てぇ~」
その手がくいくいと動いているので、華音は人混みに躊躇するも、仕方なく雑貨店に足を踏み入れた。
数歩しか進んでいないのに、既に何人かとぶつかりそうになった。すぐ近くに見える筈の雨の所へは、容易に辿り着けそうもない。
雨には悪いが諦めようかと思った時、人混みがぎこちない動きで揺らいだ。
周りの頭上高くに掲げられた買い物かごが、人混みを掻き分けてゆっくりと進んで来て、暫くするとチェリーブロッサムの香りを纏った少女がにゅっと出て来た。
赤茶色の緩いウェーブの長髪に、長い睫毛の縁取る栗色の大きな瞳、陶器の様に白い肌、オフホワイトのワンピースの上にラベンダー色のカーディガンを羽織っている姿は、まるで人形の様な美しさがあった。人形と言っても伝統的な物と言うより、刃が好んで収集しているアニメの美少女フィギュアと表現した方がしっくりくる。
そして、先程、華音の横を通り過ぎた人物で間違いなかった。
少女は困った顔で、頭上に掲げた買い物かごを下ろそうとした。
「ふぅ……。やっと出られたわ。幸い、レジはそんなに並んでいな――――きゃっ」
手が滑り、買い物かごが空中へ投げ出された。
華音の心臓は恋でも、運命でもない、恐怖で高鳴った。
「えぇっ!?」
あろう事か、買い物かごの中身が華音目掛けて降り注いで来るではないか。咄嗟の事で躱せなかった華音は、雑貨の雨に打たれた。
「わわわっ……ご、ごめんなさいっ」
少女が顔面蒼白で、慌てて駆け寄って来た。
「オレは大丈夫だけど、商品が……」
華音は辺りに散らばった雑貨を拾い集める。シャープペンシルに消しゴムにプラスチック製のものさし、クリップ、ふわふわのペンケース、ボールチェーンマスコット、ポーチ、ヘアアクセサリー、その全てが猫のデザインだった。相当猫が好きなんだなと、ぼんやりと思った。
チェリーブロッサムの香りが間近でふわりと香った。見ると、少女も必死に雑貨を拾い集めていた。しゃがんでいる体勢のせいで豊満な胸もとがチラッと見え、華音はそっと目を逸らした。
拾い集めた雑貨は買い物かごに全て戻され、立ち上がった少女は華音に礼と謝罪の言葉を述べて頭を下げた。そこまで腰を曲げると、スカートの中が後ろから見えてしまうのではないかと心配になる程に深く、長く。
「そんな。気にしなくていいよ」
華音は苦笑い。
「ホ、ホントに……?」と、上体を真っ直ぐに正した少女の瞳は揺れていた。まるで、迷子の子猫の様な表情で、華音は直視するのが面映かった。先と同様、そっと目を逸らした。
「良かった……って、あれ?」
少女は目を丸くして、華音の頭部を見つめた。
華音の頭には、小さな猫のマスコットがちょこんと乗っていた。
本人は気付いておらず、少女が断りを入れて手を伸ばした。
「猫が乗っています」
「猫?」
「ほら」
華音の頭から取った猫のマスコットを見せつける少女に、華音は状況を理解した。
ここで会話が途絶え、2人は互いを見つめ合う形となってしまった。さすがに、どちらとも耐え切れなくなって、3秒程で同時に視線を外した。
少女はペコリと頭を下げてレジへと向かい、華音は人混みから出て来た雨と雷と風牙のもとへ向かった。
「華音ちゃん、何してたの。せっかく、可愛いのあったのにぃ」
頬を膨らませた雨の手には、いくつか可愛い雑貨が収まっていた。風牙の手にもちゃんと雑貨が収まっていて、雷が苦笑いを浮かべていた。
3人がレジに並ぶのを見届け、店を出る華音。ふと、チェリーブロッサムの香りが横切った。
さっきの少女だ、と思うと、買い物袋を手にした彼女に何処からか黒猫が擦り寄って来た。1人と1匹は共に歩き出し、すぐに人混みに呑まれて見えなくなった。
店内に猫。そう華音が疑問を持ったのは数秒後の事で、深く気にする間もなく、店から出て来た雷兄弟に声を掛けられて少女の事は記憶の隅に追いやられたのだった。