チャイムが鳴り終わると、それを待ち侘びていたかの様に華音のフリをしたオズワルドは席を立った。通り過ぎるクラスメイト達はまだ帰る気分ではないのか、集まって話し合っていた。
教室と廊下を跨いだ所でオズワルドは後方から呼び止められた。不服ながらも穏やかな優等生を演じて踵を返すと、ほぼ全員の視線が突き刺さった。嫌悪や批難ではなかったが、自分の行いがあまり適切ではない空気感をひしひしと感じた。
オズワルドとしては鏡崎華音を演じ切った状態で帰宅し、華音の自室でのんびり時が過ぎるのを待ちたかった。
「鏡崎、もしかして帰ろうとしてたか?」
優等生を呼び止めた男子が冗談混じりに問い、オズワルドは頭を振って顔に笑みを貼り付けた。
「まさか」
「だよな」
そんな訳あるか。
オズワルドは笑顔を返してきた男子に心の中で突っ込んだ。
鞄を肩に提げて教室を出るなど、それ以外に何があるのだろうか。あからさまな嘘であったが、華音の常日頃の行いのおかげで誰にも疑問を持たれる事はなかった。
彼が満足げに向こうへ行くと、入れ違いに刃と雷がやって来た。
「明日文化祭だからな。今日中に準備しねーと」
雷が自然な口調でさり気なくオズワルドに説明した。
「文化祭……」
「年に1度のフェスティバル! 生徒達で屋台やったり、色んなイベントやったり、騒いでも怒られないし楽しいから俺は学校行事の中じゃダントツに好きだな。うちのクラスは星座喫茶やるんだよなー。俺的にはメイドが良かったなぁ。華音ちゃんのメイド姿見たかった……。きっと似合い過ぎて俺は変な方向に走ってしまうかもしれない」
刃もさり気ない調子でオズワルドの疑問に答えてくれたが、最後の言葉がその機転の良さを台無しにし雷の様な格好良さは微塵も感じられなかった。
それとなく状況を理解したオズワルドは、更に理解を深めようと教室内を見回した。
男子達が机を隅に移動させ、空いたスペースに黒い薄地の絨毯を敷いてテーブルセットを設置していく。女子達がリアルな星空柄の布切れを窓の前に吊るしたり、テーブルの上にランプを置いたりして華やかさをバランスよく加えていく。
生徒達によって様変わりしていく教室は、明日には立派な喫茶店になるだろう。
ぼんやり突っ立っているのはオズワルドと刃ぐらいなもので、雷はいつの間にかテーブルセットの設置を手伝っており、桜花は数分前に数人の女子達と教室を出て行った。
優等生を演じる為には何か手伝わなければと思い、オズワルドは1番近くで作業している男子に声を掛けようとした。しかし、それよりも先に声を掛けられ、オズワルドはそちらに応えた。
快活な女子3人組が頬を赤らめながら優等生を見ており、中央の女子が一歩前に出て両手に抱えた黒い布を差し出してきた。
「鏡崎くんの衣装。今朝やっと完成したの。サイズは大丈夫だと思うけど、よければ着てみてくれないかな」
エプロンなら分かるがこれはそんな手軽な物ではなく、受け取った瞬間ずっしりと重みを感じた。
喫茶店で態々特別な衣装に身を包む理由はオズワルドには分からないが、華音なら分かっている筈だ。オズワルドにとっては今日が始まりだが、皆にとっては今日は昨日の続き。だから、皆に合わせなければ不自然だ。
「ありがとう。じゃあ着てみるね」
笑顔を向けた途端、彼女達は一層頬の赤みを濃くし男子を含む他のクラスメイトでさえも陶然と見惚れた。
オズワルドが歩き出すと刃も足並み揃えて歩き出し、2人揃って教室を後にした。刃の同行は勿論更衣室への道案内の為だった。
手の甲まで覆う袖、足元まで覆う裾、それら全ては光沢のある黒で全体的なシルエットはゆったりとしている。所々に澄んだ海の色のラインストーンが星屑の様に散りばめられ、動く度に揺らめいて銀河の様な輝きを放った。
腕を挙げれば振り袖の様にしなやかに垂れ下がり、それは翼を広げた烏を思わせた。星座の1つであるカラス座のイメージだと製作者達は熱弁するが、本物の魔法使いが纏っているだけあってどちらかと言えば魔法使いに見えた。
烏であれ魔法使いであれ、さらりと着こなしてしまう優等生に皆は大変満足している様で彼方此方から黄色い声が上がった。
ただオズワルドだけは袖口に目を落とし、不満を口にした。
「これ少し長くない?」
「それは萌え袖だよ。鏡崎くん」
答えたのは製作者達ではなく、今数人の女子と共に教室に入って来た柄本だった。
初めて聞く名称だが、周りの反応を見る限りでは寸法間違いではないらしくオズワルドは何も疑問に持たずに納得した。
オズワルドの前にやって来た柄本は優等生を隅々まで見て褒めた後、一緒に来た女子達の後方に彼の目を向けさせた。
「桜花ちゃんにも試着してもらったんだ! すっごく可愛いよ」
「そうなの?」
華音ではない今の彼の心は弾まない。特に興味もなく目だけをドロシーと瓜二つの少女へ向けたのだが、いざ姿を間近で見たら心がざわついた。
「凄いわよ! わたし山猫になったの。星座に猫が居ただなんて初めて知ったわ」
「山……猫」
袖のない金茶色の地の豹柄ワンピースに、手の甲に同柄のファーがあしらわれた黒いロング手袋、黒いストッキング、猫の足の形をしたブーツ。
それから、頭部にはピンで止めるタイプの猫耳とワンピースのお尻の位置に縫い付けられたしましま尻尾がヤマネコ座のイメージを忠実に再現していた。
校則上露出は極力控えているが、それでも布地に覆われた事によって豊満な胸と引き締まった腰回りのシルエットが強調されて逆に色っぽかった。
女子達は羨望し、男子達は恍惚とした。
桜花を見たまま瞬き1つしない優等生を柄本がからかう。
「鏡崎くん、見惚れてるでしょー」
ニヤついた表情で優等生の顔を覗き込むと、想定外の表情にぎょっとした。みるみる柄本の表情が戸惑いに変わった。
「ちょ、鏡崎くん、顔青いよ!?」
普通は赤いよ、だ。
柄本の言う通り優等生の顔は血の気を失っていた。
異変に気付いた他の者も、心配と好奇心が入り混じった様子で優等生の顔を覗き込もうとした。
「……華音?」
今1番不安なのは桜花だった。目の前の少年を見る目が揺れていた。同時に微かに動いた事によって、猫耳と尻尾も揺れた。
「あ、ごめん……」説明になっていない謝罪の言葉を残し、彼は皆の横を通り過ぎて出入り口に向かう。「ちょっと着替えて来るね」そして青褪めた笑顔を残し、逃げる様に去っていった。
「華音、どうかしたのかしら」
桜花が首を傾げると、雷が傍に来て同じ様に首を傾げた。
「赤松……気付いてないのか?」
「何に? 高木くん、やっぱりわたし今日は華音に避けられている気がするの。何かしたかしら」
これは本気で気付いていない様子だった。今朝の柄本の指摘によって彼がオズワルドという答えに行き着いてはいたのだが、そんな筈がないと自ら導き出したそれを否定して結局皆と同様に華音だと思い込んでいた。
「ま、男が女を避ける理由って」
好意を抱いているから、と続けようとしたが親友の顔を思い出してやめた。華音は卒業前には桜花に想いの丈を伝える事を決意していた。今、第三者の口から勝手に告げるべきではない。尤も、それだけで鈍感な桜花が自分に恋心を抱いているなど気付く可能性は低いのだが。
「高木くん?」
「あーいや、何でもねー」
チェリーブロッサムの香りが鼻孔を擽り、忘れかけていた熱が舞い戻って来て雷の頬をほんのり赤く色付かせた。
元々魅力的な女性だ。色気のある格好をしていたら、好意を抱いていなくても異性として意識はしてしまう。雷はちょっぴり親友への後ろめたさを感じたが、心臓の高鳴りは自分でもどうする事も出来なかった。
「桜花ちゃん、マジ天使だわー……ってにゃんこか今は」
もう1人の親友は無遠慮にイヤらしい笑みで近付いて来て、雷は露骨に顔を顰めた。刃の手にはスマートフォンが握られていた。
「風間くん」
「ねーねー1枚いい?」
刃がスマートフォンのレンズを桜花に向け、意味を理解した桜花は戸惑いと恥じらいを見せつつも快く了承した。
刃は「よっしゃ」と拳を握り、撮影を開始する。それを見た他のクラスメイト達もスマートフォンを手に桜花の周りに集まり始め、ちょっとした撮影会になった。
雷が廊下に視線を向けるが、まだオズワルドが戻って来る気配はなかった。
教室と廊下を跨いだ所でオズワルドは後方から呼び止められた。不服ながらも穏やかな優等生を演じて踵を返すと、ほぼ全員の視線が突き刺さった。嫌悪や批難ではなかったが、自分の行いがあまり適切ではない空気感をひしひしと感じた。
オズワルドとしては鏡崎華音を演じ切った状態で帰宅し、華音の自室でのんびり時が過ぎるのを待ちたかった。
「鏡崎、もしかして帰ろうとしてたか?」
優等生を呼び止めた男子が冗談混じりに問い、オズワルドは頭を振って顔に笑みを貼り付けた。
「まさか」
「だよな」
そんな訳あるか。
オズワルドは笑顔を返してきた男子に心の中で突っ込んだ。
鞄を肩に提げて教室を出るなど、それ以外に何があるのだろうか。あからさまな嘘であったが、華音の常日頃の行いのおかげで誰にも疑問を持たれる事はなかった。
彼が満足げに向こうへ行くと、入れ違いに刃と雷がやって来た。
「明日文化祭だからな。今日中に準備しねーと」
雷が自然な口調でさり気なくオズワルドに説明した。
「文化祭……」
「年に1度のフェスティバル! 生徒達で屋台やったり、色んなイベントやったり、騒いでも怒られないし楽しいから俺は学校行事の中じゃダントツに好きだな。うちのクラスは星座喫茶やるんだよなー。俺的にはメイドが良かったなぁ。華音ちゃんのメイド姿見たかった……。きっと似合い過ぎて俺は変な方向に走ってしまうかもしれない」
刃もさり気ない調子でオズワルドの疑問に答えてくれたが、最後の言葉がその機転の良さを台無しにし雷の様な格好良さは微塵も感じられなかった。
それとなく状況を理解したオズワルドは、更に理解を深めようと教室内を見回した。
男子達が机を隅に移動させ、空いたスペースに黒い薄地の絨毯を敷いてテーブルセットを設置していく。女子達がリアルな星空柄の布切れを窓の前に吊るしたり、テーブルの上にランプを置いたりして華やかさをバランスよく加えていく。
生徒達によって様変わりしていく教室は、明日には立派な喫茶店になるだろう。
ぼんやり突っ立っているのはオズワルドと刃ぐらいなもので、雷はいつの間にかテーブルセットの設置を手伝っており、桜花は数分前に数人の女子達と教室を出て行った。
優等生を演じる為には何か手伝わなければと思い、オズワルドは1番近くで作業している男子に声を掛けようとした。しかし、それよりも先に声を掛けられ、オズワルドはそちらに応えた。
快活な女子3人組が頬を赤らめながら優等生を見ており、中央の女子が一歩前に出て両手に抱えた黒い布を差し出してきた。
「鏡崎くんの衣装。今朝やっと完成したの。サイズは大丈夫だと思うけど、よければ着てみてくれないかな」
エプロンなら分かるがこれはそんな手軽な物ではなく、受け取った瞬間ずっしりと重みを感じた。
喫茶店で態々特別な衣装に身を包む理由はオズワルドには分からないが、華音なら分かっている筈だ。オズワルドにとっては今日が始まりだが、皆にとっては今日は昨日の続き。だから、皆に合わせなければ不自然だ。
「ありがとう。じゃあ着てみるね」
笑顔を向けた途端、彼女達は一層頬の赤みを濃くし男子を含む他のクラスメイトでさえも陶然と見惚れた。
オズワルドが歩き出すと刃も足並み揃えて歩き出し、2人揃って教室を後にした。刃の同行は勿論更衣室への道案内の為だった。
手の甲まで覆う袖、足元まで覆う裾、それら全ては光沢のある黒で全体的なシルエットはゆったりとしている。所々に澄んだ海の色のラインストーンが星屑の様に散りばめられ、動く度に揺らめいて銀河の様な輝きを放った。
腕を挙げれば振り袖の様にしなやかに垂れ下がり、それは翼を広げた烏を思わせた。星座の1つであるカラス座のイメージだと製作者達は熱弁するが、本物の魔法使いが纏っているだけあってどちらかと言えば魔法使いに見えた。
烏であれ魔法使いであれ、さらりと着こなしてしまう優等生に皆は大変満足している様で彼方此方から黄色い声が上がった。
ただオズワルドだけは袖口に目を落とし、不満を口にした。
「これ少し長くない?」
「それは萌え袖だよ。鏡崎くん」
答えたのは製作者達ではなく、今数人の女子と共に教室に入って来た柄本だった。
初めて聞く名称だが、周りの反応を見る限りでは寸法間違いではないらしくオズワルドは何も疑問に持たずに納得した。
オズワルドの前にやって来た柄本は優等生を隅々まで見て褒めた後、一緒に来た女子達の後方に彼の目を向けさせた。
「桜花ちゃんにも試着してもらったんだ! すっごく可愛いよ」
「そうなの?」
華音ではない今の彼の心は弾まない。特に興味もなく目だけをドロシーと瓜二つの少女へ向けたのだが、いざ姿を間近で見たら心がざわついた。
「凄いわよ! わたし山猫になったの。星座に猫が居ただなんて初めて知ったわ」
「山……猫」
袖のない金茶色の地の豹柄ワンピースに、手の甲に同柄のファーがあしらわれた黒いロング手袋、黒いストッキング、猫の足の形をしたブーツ。
それから、頭部にはピンで止めるタイプの猫耳とワンピースのお尻の位置に縫い付けられたしましま尻尾がヤマネコ座のイメージを忠実に再現していた。
校則上露出は極力控えているが、それでも布地に覆われた事によって豊満な胸と引き締まった腰回りのシルエットが強調されて逆に色っぽかった。
女子達は羨望し、男子達は恍惚とした。
桜花を見たまま瞬き1つしない優等生を柄本がからかう。
「鏡崎くん、見惚れてるでしょー」
ニヤついた表情で優等生の顔を覗き込むと、想定外の表情にぎょっとした。みるみる柄本の表情が戸惑いに変わった。
「ちょ、鏡崎くん、顔青いよ!?」
普通は赤いよ、だ。
柄本の言う通り優等生の顔は血の気を失っていた。
異変に気付いた他の者も、心配と好奇心が入り混じった様子で優等生の顔を覗き込もうとした。
「……華音?」
今1番不安なのは桜花だった。目の前の少年を見る目が揺れていた。同時に微かに動いた事によって、猫耳と尻尾も揺れた。
「あ、ごめん……」説明になっていない謝罪の言葉を残し、彼は皆の横を通り過ぎて出入り口に向かう。「ちょっと着替えて来るね」そして青褪めた笑顔を残し、逃げる様に去っていった。
「華音、どうかしたのかしら」
桜花が首を傾げると、雷が傍に来て同じ様に首を傾げた。
「赤松……気付いてないのか?」
「何に? 高木くん、やっぱりわたし今日は華音に避けられている気がするの。何かしたかしら」
これは本気で気付いていない様子だった。今朝の柄本の指摘によって彼がオズワルドという答えに行き着いてはいたのだが、そんな筈がないと自ら導き出したそれを否定して結局皆と同様に華音だと思い込んでいた。
「ま、男が女を避ける理由って」
好意を抱いているから、と続けようとしたが親友の顔を思い出してやめた。華音は卒業前には桜花に想いの丈を伝える事を決意していた。今、第三者の口から勝手に告げるべきではない。尤も、それだけで鈍感な桜花が自分に恋心を抱いているなど気付く可能性は低いのだが。
「高木くん?」
「あーいや、何でもねー」
チェリーブロッサムの香りが鼻孔を擽り、忘れかけていた熱が舞い戻って来て雷の頬をほんのり赤く色付かせた。
元々魅力的な女性だ。色気のある格好をしていたら、好意を抱いていなくても異性として意識はしてしまう。雷はちょっぴり親友への後ろめたさを感じたが、心臓の高鳴りは自分でもどうする事も出来なかった。
「桜花ちゃん、マジ天使だわー……ってにゃんこか今は」
もう1人の親友は無遠慮にイヤらしい笑みで近付いて来て、雷は露骨に顔を顰めた。刃の手にはスマートフォンが握られていた。
「風間くん」
「ねーねー1枚いい?」
刃がスマートフォンのレンズを桜花に向け、意味を理解した桜花は戸惑いと恥じらいを見せつつも快く了承した。
刃は「よっしゃ」と拳を握り、撮影を開始する。それを見た他のクラスメイト達もスマートフォンを手に桜花の周りに集まり始め、ちょっとした撮影会になった。
雷が廊下に視線を向けるが、まだオズワルドが戻って来る気配はなかった。


