スペクルム カノン

 水属性と雷属性は相反する属性で、互いが弱点。それ故、水の加護では雷を防ぎきれない。いつか冥王星の魔女ライラとの戦闘で学んだ事だった。
 ノーダメージで勝つには、強力で広範囲の魔術をぶつけるしかない。
 華音は目を伏せて意識を集中させる。
 オズワルドを憑依させた時と同じ様に、悠々と流れる水の如く脳内に呪文が流れ込んでくる。軽く息を吸い込み口を開けば、魔術を完成させる言葉が滑り出る。

「アクアトルネード!」

 青く輝く魔法陣から溢れ出した水は渦を巻いて天へと伸び、ぐるぐる高速回転しながら次々と対象を絡め取っていく。

「イラプション!」

 ドロシーの魔術も隣で発動。華音は既視感を覚えて焦ったが、マグマは宮廷魔術師の魔術の攻撃範囲外の魔獣のみをしっかりと捉えドロドロに溶かしていった。
 先程から華音はドロシーの動作に対してヒヤヒヤしていた事に深く反省した。桜花ではない彼女は着地に失敗して転ぶなんて事はないし、せっかく放った魔術を打ち消して無駄にするなんて事はしない。本来のドロシーは身のこなしが軽やかでとても戦闘能力が高い。
 サンダーバードが悲痛の叫びを上げる度に水の竜巻から雷光が溢れるが、宮廷魔術師の魔力が圧倒的に上回りしっかりと抑え込んでその身を粉々に引き裂いた。
 2人の魔法使いによりサンダーバードは全滅したかの様に思えたが、何処から沸いて出て来たのかまた数体のサンダーバードが空を埋め尽くした。

「団長~ヤバいっすね」

 マルスがへらへら笑い、傍らの団長の肩を叩いた。

「笑ってる場合か!」

 団長は眉間に深く皺を刻んで奥歯を噛み締めた。
 団長と副団長が背中合わせで剣を構え、雷が落ちてきた事を合図にそれぞれの方向へ駆け出した。雷は場所を選ばず自由奔放に色んな場所にどんどん落ちてくる。それを躱すのは至難の業だが、第2騎士団を任されるだけあって団長は時々掠りそうになりつつも全て躱しきり、またマルスも団長に勝るとも劣らない働きを見せた。
 華音とドロシーのもとにも容赦無く雷が落ちてくる。
 華音は後ろへ跳んで躱しながら、時折矢を打ち込む。魔獣の何体かは翼をもがれて地上へ落ちていき、それを騎士達が剣で切り裂き槍で貫く。
 サンダーバードが一時戦闘不能になったのを見計らい、華音は魔術を発動。激流に呑み込まれ、サンダーバード達は消滅。残りは3分の2となった。
 同じ頃、ドロシーは数発目の落雷を躱せず直撃を受けそうになるも、女性治癒術師が素早く魔法壁を張ってくれたお陰で難を逃れた。
 ドロシーは目の前の透明な壁に阻まれて飛散していく美しい雷光を眺め、横に視線を移して女性治癒術師を見た。

「助かりましたわ」
「いえ。これが私の役目ですから。ドロシー王女、あと一撃は耐えられますがそれ以上は難しいかと」
「ええ。十分です」

 ドロシーの周囲に火属性のマナが集まり出し、そこ一帯の温度が上昇する。
 視覚を遮断し、意識の集中。二撃目の落雷は気付かないうちに魔法壁が防いでくれた。
 赤く輝く魔法陣が対象の頭上を包む様に展開される。
 ドロシーはスッと目を開けた。

「シャイニングフロウ!」

 ドロシーが凛とした声を天まで響かせると、魔法陣から紅蓮の炎が滝の如き勢いで光を散らしながら流れ落ちる。その間、最期の悪足掻きとばかりに1体のサンダーバードが雷を落とし、罅だらけの硝子の様な状態の魔法壁を砕いてドロシーの剥き出しの肩を掠った。

「――――っ……」

 激痛が走った肩を手袋をはめた手で押さえると、薄い布越しに生温かい液体の感触を得た。

「ドロシー王女!」

 女性治癒術師が病人みたいな青白い顔をして走り寄って来た。彼女は責任を感じているのだろう。ドロシーが平気だとなるべく笑顔で伝えても、表情は固いままだった。
 女性治癒術師は身を屈めて、母親の様な眼差しを王女に向けて傷口に手を翳した。そこから眩い聖なる光が溢れる。
 背後ではサンダーバードが灰と化して散っていた。
 徐々に傷口が塞がって痛みが引いていく。

「ありがとうございます」

 ドロシーが無理のない自然な笑みを浮かべると、女性治癒術師はほっと胸を撫で下ろして目を細めた。

「こちらこそ、王女のおかげで……」
「え、嘘……」

 ドロシーは女性治癒術師の背後を見て驚愕に目を見開いた。灰の向こうから魔獣の残党が現れたのだ。その光景はまるで灰の中から復活した不死鳥の様だった。
 振り返ろうとする女性治癒術師の腕を目一杯引き、ドロシーは自分の背に庇う様にして放電したまま一筋の光の如き速度で飛んで来るサンダーバードに立ちはだかる。
 あまりの眩しさに直視出来ない黄金の光が視界に満ちる。

 もう魔力がありませんわ。

 抗う術はなく、気付いた騎士達が駆け付け治癒術師達が魔法壁を張ろうとするが間に合わない――――筈だった。

「グァッ!」

 突然響いた魔獣の濁った悲鳴。黄金の光が消えて魔獣を直視出来る様になると、頭部に半透明の矢が突き刺さった状態で地上へ落下していくところだった。そして、自分と魔獣との間を隔てる様に宮廷魔術師の背中があり、彼は弓を下ろして水属性のマナを集めていた。

「オズワルド……?」

 見慣れている筈の背中なのに、頼れる年上のものと言うより外見年齢通りの少し頼りないものに見えた。ローブの端がほんの僅かばかり焦げ付いている事にも気付き、一層同じ姿形をした別人に思えた。

「ヘイルテンペスト!」

 華音がサンダーバードに止めを刺す。氷の粒が宝石の様な輝きを放ちながら舞う激しい嵐の中、魔獣は抗う事も出来ずに粉々になって消滅した。
 ドロシーが辺りを見渡せば、もう1体も魔獣は見当たらなかった。全て宮廷魔術師が倒したのだ。
 再び魔獣が湧き出る様子もなく、今度こそ皆の表情は和らいだ。

「ドロシー王女、本当にどうもありがとうございました。私は王女に助けていただいてばかりで……」

 女性治癒術師が感謝と申し訳なさ一杯の様子で深々と頭を下げると、ドロシーはにこりと笑って小さく手を振った。

「国王陛下の娘ですもの。国民を護るのは当然ですわ。それにわたしはヴァネッサのお陰で満足に戦う事が出来たのですから、お礼を言うのはわたしの方です」
「ドロシー王女……。あら、いけません。お召し物が汚れてしまっています」

 女性治癒術師は王女の手を優しく包み込んで眉を曇らせた。

「さっき傷口を押さえたからですわね」

 血で汚れているのは女性治癒術師が触れている方だけだが、アンバランスなのでドロシーは両方の手袋を外して彼女に手渡した。

「お願いしますわ」
「お預かりしますね。お部屋に戻られた時に換えの物をジェシカがお持ちします」

 一礼して、女性治癒術師は立ち去っていった。

「団長、終わりましたね」

 マルスが剣を鞘に収めてニッと八重歯を見せると、団長も剣を鞘に収めて疲れた顔に笑みを浮かべた。

「ああ。だが、結局リデル様のお力を借りる事になってしまった」
「まあ、物理耐性があったから仕方ないっすよ」
「……本来、サンダーバードは物理耐性はなかったと記憶しているが」

 団長は顎に手を当てて考え込む。

「そう、っすね。……因果律の乱れか」
「何か言ったか?」
「あぁ、いえ」
「それにしても……今日のリデル様、やけに控えめだったような」

 団長はマルスにだけ聞こえる声量で言ったが、ハーフエルフの耳にはしっかり届いており華音の心臓がどくんと跳ねた。
 それに気付いたマルスは余計に面白くなって、声を弾ませた。

「いつもザッバーン! 辺り一帯水浸し! っすもんね」

 華音は団長を一瞥し、周りの騎士や治癒術師達にも視線をやって、青ざめた。心なしか皆の視線に宮廷魔術師に対する不安と疑念が感じられた。

 さすがに手間取り過ぎたか。

 力が抜けて手から滑り落ちた弓が白梟の姿に戻って飛び去っていった。華音は心を落ち着ける為にその姿が空の青に溶けて見えなくなるのを見届けていると、不意に声が掛かった。

「助けて下さってありがとうございます」

 振り返ると、ドロシーがアメジスト色の大きな瞳を向けていた。華音にはそれが宮廷魔術師を映している様には見えず、犯人だと名指しされた時の様に落ち着かなくなった。
 ドロシーは周りの視線が此方に向いていない事を確認すると、やや声を潜めて続けた。

「オズワルド……ではありませんよね?」
「……はい。鏡崎華音です」

 観念した様に白状すると、ドロシーは両手を合わせて目を輝かせた。

「カノンくん!?」
「は、はい。初めまして」

 桜花と同じ顔、同じ声で言うものだから不覚にも心が騒ぎ立ってしまう。

「こうしてお会いするのは初めてですね。改めて、わたしはドロシー・メルツ・ハートフィールドです。わたし、ずっとカノンくんと直接お話がしたかったんですわ」
「そうだったんですか。オレもドロシー王女の事はオズワルドや桜花から聞くだけで、実際どんな方なのか気になっていました」
「それはとても光栄ですわ。ですが、わたしの事は呼び捨てで、あと敬語は使わなくても大丈夫ですわよ」
「そ、そう言う訳には」
「そうですか? 外見がオズワルドだから余計に不思議な感じがありますが、カノンくんがそう言うのなら仕方がないですわね」

 周りの視線がポツポツと宮廷魔術師と王女に向き始める。

「……場所を変えましょう。そうだ、オズワルドの部屋に行ってお茶をしながらお話しましょう。どうしてカノンくんがオズワルドの中に居るのかも気になりますし」
「そうですね。あ、そうだ。あの子、えっと……エンベリーさんを待たせたままだ」
「では行きましょうか」

 2人が歩き始めると、マルスが追い掛けて来て勝手に隣に並んだ。

「僕も行くっす」

 ドロシーは華音を挟んだ向こうに居る騎士にじめっとした視線を向けた。

「何故貴方も来るのですか」
「何故って、僕も仲間じゃないですか。2つの意味で」
「わたし、ケントさんにはあまり好感が持てませんの。それに、オズワルドはわたしのものです。貴方には渡しません」
「ケントくん不評~っ。いや、僕もうオズワルド様にフラれているんで、まあその辺は諦めてます」
「こ、告白したんですか?」
「ええ。ドン引きされました」
「あら、まあ」
「同情しつつ勝ち誇った顔しないで下さい。オズワルド様の手前平気なフリをしましたけど、あの後凹んだんすよ?」

 意外と気が合って盛り上がる2人に挟まれ、華音はリアルムへの思いを馳せていた。エンベリーから柄本を連想し、それから鏡国高校、文化祭、そしてオズワルドの事を想う。

 明日の文化祭までに戻れるのは嬉しいけど、今日って準備なんだよな。大丈夫かな……オズワルド。

 やがて居館に着くとマルスが騎士らしく先に扉を開け、ドロシーが堂々と入って行き、華音もマルスの視線を受けて中へと入った。扉は最後にマルスを迎え入れると、ゆっくりと閉じた。