人々を散々驚かせた烏は華音の腕にちょこんと停まった。
「ゴルゴ。まさか、魔物か?」
華音はゴルゴのサファイアブルーの瞳を覗き込み、別次元の魔法使いへ問い掛ける。
するとゴルゴは翼を広げて飛んでいき、華音と桜花は追い掛けた。
導かれたのは男性用の公衆トイレ。男性が出入りするそこに桜花は立ち入れなかったので外で待つ事にし、華音だけが中に入る。
「うわっ! か、烏!?」
蛇口で手を洗っている男性が喫驚した。
ゴルゴは男性の隣の手洗いスペースの鏡面をコツンと突っつくと、華音を一瞥して飛び去った。
華音は鏡面の前に立ち、別次元の自分と対面した。
「華音。すぐ近くで魔女の魔力を感知した。しかも、2人。今、ゴルゴに捜させているがあまりに人が多く見つけ出すのが困難だ。時間制限もあるからすぐに憑依も出来ない。見つけ次第また知らせるから、そのまま駅の外へ出てハロウィンとやらを楽しんでいろ」
オズワルドの言葉に華音は視線で返答した。
隣の男性が立ち去り、華音が鏡面に背を向けるとまたオズワルドの声がした。
「それにしても奇妙な格好だな。アルナの真似か?」
馬鹿にする様な声色だった。
華音は振り返り、無言で鏡面に拳を叩き込んだ。
「おっと。コワイコワイ」
鏡面の向こうの彼は態とらしく怯えてみせると、口角を上げ「それではな」と言い残して消えた。
華音がトイレから出て来ると、桜花が駆け寄って来た。
「今、煉獄も来たの」
「そうなのか。魔女達はやっぱり生命力を集めに来たのかな。だとしたらマズイな……。こんなに多くの人が居たら生命力奪いたい放題じゃないか」
「何としてでも止めなきゃね」
2人は頷き合い、再び歩き出した。
駅を出ると、更に人口密度は増した。アスファルトの上は人でみっちり埋め尽くされ、隙間が殆どない。明かりを灯したビル群に覆われた空で窮屈そうに星が瞬いている。
華音と桜花は人の波に乗って進んでいった。
「毎年凄いよな……。確かに此処に魔女が紛れていても分かりはしない」
華音がぼやくと、桜花も頷いた。
「コスプレで通るからね。まだ動きがないって事は、魔女も案外ハロウィン楽しんでるのかしら」
「まさか。……いや、アルナならあり得るか」
オズワルドが感知したと言う魔女2人の魔力、うち1人はアルナなのではないかと言う気さえしてくる。
「出店、色々あるわね」
桜花は人の合間から一生懸命出店を見つけ出しては、幼子の様に瞳を輝かせた。七色の綿菓子に、奇抜な色のぐるぐるキャンディ、一口サイズのカボチャパイ、毒々しい色のタピオカ入りドリンク、街灯を反射させて怪しげに煌めくアクセサリー、大きなお化けの縫いぐるみ……どれも目を惹くものばかりだった。
「何処か寄りたいの?」
華音が訊ねると、桜花はこくこく頷いて通りの向こうを指差した。
「あれ! コーヒーフラッペって書いてある!」
「うん? どれ?」
人が邪魔であまりよく見えなかった。それでも桜花には見えたらしく、そこへ向かってずんずん進んでいく。その際、華音の袖を引いて。
人が沢山集まれば比例する様に店も集まる。どの店も客寄せの為に流行を取り入れたり個性を出したりして工夫している。
客足の絶えないこの『竜泉寺珈琲店』もその1つだ。竜泉寺珈琲店はコーヒー愛好家なら知っている者もいるが、東京郊外の住宅街でひっそりと経営する老舗なので近所の住人ぐらいしか客が来ない。それがこんなにも大繁盛している理由は、店主の工夫があったからだ。
店主の20代半ばぐらいの青年はひんやり冷たいコーヒーフラッペの上に生クリームをたっぷり盛り付けながら、八重歯を見せて勝利の笑み。
「親父はそんなものはコーヒーじゃないって否定するけど、イマドキ頑固にコーヒー豆から抽出まで拘って味わい深いコーヒー煎れたって、最近の若者は違いなんて分からないし苦いと思うだけ。流行んないんだよ」
カップと同じプラスチックの蓋を取り付け太めのストローを差して、目をキラキラさせている青髪のメイド服の少女に渡して笑った。
「はい、コーヒーフラッペです。そしてこっちはうちの名刺。良かったら店の方にも来て下さいね」
「は、はいっ」
少女は品物と名刺を受け取り頬を真っ赤にして、店の近くで待っているピンク髪メイドの少女のもとへ走って行った。
「ありがとうございましたー!」
青年は笑顔を崩さず、その背中に礼を言った。
目の前にはもう次の客が居て、青年は休む間もなかった。それでも、笑顔は絶やさず接客も丁寧さを貫いている。
コーヒーフラッペ自体はそんなに珍しいものではないが、彼の人柄の良さと『老舗珈琲店のコーヒーフラッペ』のノボリが客寄せに繋がっているのだ。
青年の外見は特に女性に人気があった。前髪の一房だけ長く跳ねている黒の短髪に、オリーブ色の猫目、スラリと背が高くて細身だが程よい筋肉が付いていて男性らしい体格をしている。店のロゴが金糸で刺繍されたコーヒー色のエプロン姿がよく似合う、まさに爽やか系イケメンだ。
「かの有名コーヒーチェーン店だって、毎月あっまーい飲み物出して売り上げ伸ばしてるしね。いや、あれもうコーヒーじゃないし。美味かったけど」
独り言を呟きつつ、客に注文品を渡すとギョッとした。
「マジ大繁盛だな、これは」
店の前にはズラリと客が並んでいて、青年は苦笑した。
桜花と華音が辿り着いた時には、老舗珈琲店のコーヒーフラッペは行列が出来ていた。最早、通行人と混じり合って最後尾が何処だか分からない。
華音は先導する桜花にやや控えめに声を掛けた。
「凄い行列だね。やめとく?」
「それ程美味しいって証よ! 勿論行くわ」
桜花の足取りは変わらず、華音は見失わない様についていく。
最後尾に近付くと、桜花が華音を振り返った。
「きっと時間が掛かるから華音は好きなところに行ってて?」
「好きなところってこんな人混みじゃあ……それに、魔女の事もあるし。オレも一緒に並ぶよ」
「そう? じゃあ、一緒に並びましょ」
内心桜花はホッとしていた。この人混みで一時的にでも別行動するのは心細かった。
列は思ったよりも大分早く進んだ。店は青年が1人で切り盛りしている様だが、メニューが1つしかない上に手際がいいので客の待ち時間が少なかった。
コーヒーフラッペを手にした客達は皆満足そうだ。
華音は桜花と一緒に並んだものの、買おうかどうか迷っていた。コーヒーも甘い物も得意ではないのに、それらがドッキングした飲み物なんて飲めないかもしれない。
桜花の前の客が品物を手に立ち去ると、桜花と華音は店主の前に立った。
「いらっしゃい」
店主の青年が爽やかに笑うと、華音はゾッとした。
桜花が注文する横で、華音は青年を観察し記憶の糸を手繰り寄せた。
この人、見覚えがあるんだけど。えーっと……魔女、じゃないよな。魔女で唯一男なのはライラだけだし、この人はライラとは全く似てないし。でも何でこんなに鳥肌が立つんだろう。
「ねえ、そっちの綺麗なキミ」
青年の声に華音の肩は跳ね上がり、思考は強制停止させられた。
「は、はい……って、綺麗? オレが?」
「勿論。彼女ちゃんは可愛い系で、彼氏くんは綺麗系って感じ」
「ちょっと……あの、オレ達そう言う関係じゃない……です」
周りにはそう見えているのだろうか。華音は顔が熱くなった。
「そうなの? 僕、てっきりそうかと思いましたよ。お似合いだと思うんですけどね。あ、それで注文どうされます? ま、フラッペしかないですけど」
「あ……じゃあ、1つお願いします」
店主の前で「いらない」なんて言えなかった。
青年は笑顔で注文を受け、手際よく作業に取り掛かった。
「寒いけれど、こう言う人が密集する場所って暑いからフラッペは嬉しいわよね」
桜花の呟きに、青年は心の中で頷く。
本来なら暑い時季にこそ売れる商品だ。しかし、あえてそれを肌寒いハロウィンに売る。熱気渦巻くこの場所では意外と喜ばれるのだ。
「はい、お待たせしました。コーヒーフラッペです」
青年は2人にそれぞれ品物を渡そうとする――――と、何処からか悲鳴が天を劈き人混みが不自然に波打った。
列に並んでいた人達も、辺りを練り歩いていた人達も、皆一斉に狼狽し出す。
辺りは騒然とした空気に包まれた。
華音と桜花が後方へ向き直ると、ゴルゴと煉獄が物凄い速さでやって来た。
2人は頷き合い、華音はゴルゴを、桜花は煉獄を引き連れて人混みへと飛び込む。
「漸くお出ましか」
青年が呟いた気がして華音が振り返ってみると、もうそこには青年はおらず台の上にコーヒーフラッペが2つ置かれているだけだった。
「ゴルゴ。まさか、魔物か?」
華音はゴルゴのサファイアブルーの瞳を覗き込み、別次元の魔法使いへ問い掛ける。
するとゴルゴは翼を広げて飛んでいき、華音と桜花は追い掛けた。
導かれたのは男性用の公衆トイレ。男性が出入りするそこに桜花は立ち入れなかったので外で待つ事にし、華音だけが中に入る。
「うわっ! か、烏!?」
蛇口で手を洗っている男性が喫驚した。
ゴルゴは男性の隣の手洗いスペースの鏡面をコツンと突っつくと、華音を一瞥して飛び去った。
華音は鏡面の前に立ち、別次元の自分と対面した。
「華音。すぐ近くで魔女の魔力を感知した。しかも、2人。今、ゴルゴに捜させているがあまりに人が多く見つけ出すのが困難だ。時間制限もあるからすぐに憑依も出来ない。見つけ次第また知らせるから、そのまま駅の外へ出てハロウィンとやらを楽しんでいろ」
オズワルドの言葉に華音は視線で返答した。
隣の男性が立ち去り、華音が鏡面に背を向けるとまたオズワルドの声がした。
「それにしても奇妙な格好だな。アルナの真似か?」
馬鹿にする様な声色だった。
華音は振り返り、無言で鏡面に拳を叩き込んだ。
「おっと。コワイコワイ」
鏡面の向こうの彼は態とらしく怯えてみせると、口角を上げ「それではな」と言い残して消えた。
華音がトイレから出て来ると、桜花が駆け寄って来た。
「今、煉獄も来たの」
「そうなのか。魔女達はやっぱり生命力を集めに来たのかな。だとしたらマズイな……。こんなに多くの人が居たら生命力奪いたい放題じゃないか」
「何としてでも止めなきゃね」
2人は頷き合い、再び歩き出した。
駅を出ると、更に人口密度は増した。アスファルトの上は人でみっちり埋め尽くされ、隙間が殆どない。明かりを灯したビル群に覆われた空で窮屈そうに星が瞬いている。
華音と桜花は人の波に乗って進んでいった。
「毎年凄いよな……。確かに此処に魔女が紛れていても分かりはしない」
華音がぼやくと、桜花も頷いた。
「コスプレで通るからね。まだ動きがないって事は、魔女も案外ハロウィン楽しんでるのかしら」
「まさか。……いや、アルナならあり得るか」
オズワルドが感知したと言う魔女2人の魔力、うち1人はアルナなのではないかと言う気さえしてくる。
「出店、色々あるわね」
桜花は人の合間から一生懸命出店を見つけ出しては、幼子の様に瞳を輝かせた。七色の綿菓子に、奇抜な色のぐるぐるキャンディ、一口サイズのカボチャパイ、毒々しい色のタピオカ入りドリンク、街灯を反射させて怪しげに煌めくアクセサリー、大きなお化けの縫いぐるみ……どれも目を惹くものばかりだった。
「何処か寄りたいの?」
華音が訊ねると、桜花はこくこく頷いて通りの向こうを指差した。
「あれ! コーヒーフラッペって書いてある!」
「うん? どれ?」
人が邪魔であまりよく見えなかった。それでも桜花には見えたらしく、そこへ向かってずんずん進んでいく。その際、華音の袖を引いて。
人が沢山集まれば比例する様に店も集まる。どの店も客寄せの為に流行を取り入れたり個性を出したりして工夫している。
客足の絶えないこの『竜泉寺珈琲店』もその1つだ。竜泉寺珈琲店はコーヒー愛好家なら知っている者もいるが、東京郊外の住宅街でひっそりと経営する老舗なので近所の住人ぐらいしか客が来ない。それがこんなにも大繁盛している理由は、店主の工夫があったからだ。
店主の20代半ばぐらいの青年はひんやり冷たいコーヒーフラッペの上に生クリームをたっぷり盛り付けながら、八重歯を見せて勝利の笑み。
「親父はそんなものはコーヒーじゃないって否定するけど、イマドキ頑固にコーヒー豆から抽出まで拘って味わい深いコーヒー煎れたって、最近の若者は違いなんて分からないし苦いと思うだけ。流行んないんだよ」
カップと同じプラスチックの蓋を取り付け太めのストローを差して、目をキラキラさせている青髪のメイド服の少女に渡して笑った。
「はい、コーヒーフラッペです。そしてこっちはうちの名刺。良かったら店の方にも来て下さいね」
「は、はいっ」
少女は品物と名刺を受け取り頬を真っ赤にして、店の近くで待っているピンク髪メイドの少女のもとへ走って行った。
「ありがとうございましたー!」
青年は笑顔を崩さず、その背中に礼を言った。
目の前にはもう次の客が居て、青年は休む間もなかった。それでも、笑顔は絶やさず接客も丁寧さを貫いている。
コーヒーフラッペ自体はそんなに珍しいものではないが、彼の人柄の良さと『老舗珈琲店のコーヒーフラッペ』のノボリが客寄せに繋がっているのだ。
青年の外見は特に女性に人気があった。前髪の一房だけ長く跳ねている黒の短髪に、オリーブ色の猫目、スラリと背が高くて細身だが程よい筋肉が付いていて男性らしい体格をしている。店のロゴが金糸で刺繍されたコーヒー色のエプロン姿がよく似合う、まさに爽やか系イケメンだ。
「かの有名コーヒーチェーン店だって、毎月あっまーい飲み物出して売り上げ伸ばしてるしね。いや、あれもうコーヒーじゃないし。美味かったけど」
独り言を呟きつつ、客に注文品を渡すとギョッとした。
「マジ大繁盛だな、これは」
店の前にはズラリと客が並んでいて、青年は苦笑した。
桜花と華音が辿り着いた時には、老舗珈琲店のコーヒーフラッペは行列が出来ていた。最早、通行人と混じり合って最後尾が何処だか分からない。
華音は先導する桜花にやや控えめに声を掛けた。
「凄い行列だね。やめとく?」
「それ程美味しいって証よ! 勿論行くわ」
桜花の足取りは変わらず、華音は見失わない様についていく。
最後尾に近付くと、桜花が華音を振り返った。
「きっと時間が掛かるから華音は好きなところに行ってて?」
「好きなところってこんな人混みじゃあ……それに、魔女の事もあるし。オレも一緒に並ぶよ」
「そう? じゃあ、一緒に並びましょ」
内心桜花はホッとしていた。この人混みで一時的にでも別行動するのは心細かった。
列は思ったよりも大分早く進んだ。店は青年が1人で切り盛りしている様だが、メニューが1つしかない上に手際がいいので客の待ち時間が少なかった。
コーヒーフラッペを手にした客達は皆満足そうだ。
華音は桜花と一緒に並んだものの、買おうかどうか迷っていた。コーヒーも甘い物も得意ではないのに、それらがドッキングした飲み物なんて飲めないかもしれない。
桜花の前の客が品物を手に立ち去ると、桜花と華音は店主の前に立った。
「いらっしゃい」
店主の青年が爽やかに笑うと、華音はゾッとした。
桜花が注文する横で、華音は青年を観察し記憶の糸を手繰り寄せた。
この人、見覚えがあるんだけど。えーっと……魔女、じゃないよな。魔女で唯一男なのはライラだけだし、この人はライラとは全く似てないし。でも何でこんなに鳥肌が立つんだろう。
「ねえ、そっちの綺麗なキミ」
青年の声に華音の肩は跳ね上がり、思考は強制停止させられた。
「は、はい……って、綺麗? オレが?」
「勿論。彼女ちゃんは可愛い系で、彼氏くんは綺麗系って感じ」
「ちょっと……あの、オレ達そう言う関係じゃない……です」
周りにはそう見えているのだろうか。華音は顔が熱くなった。
「そうなの? 僕、てっきりそうかと思いましたよ。お似合いだと思うんですけどね。あ、それで注文どうされます? ま、フラッペしかないですけど」
「あ……じゃあ、1つお願いします」
店主の前で「いらない」なんて言えなかった。
青年は笑顔で注文を受け、手際よく作業に取り掛かった。
「寒いけれど、こう言う人が密集する場所って暑いからフラッペは嬉しいわよね」
桜花の呟きに、青年は心の中で頷く。
本来なら暑い時季にこそ売れる商品だ。しかし、あえてそれを肌寒いハロウィンに売る。熱気渦巻くこの場所では意外と喜ばれるのだ。
「はい、お待たせしました。コーヒーフラッペです」
青年は2人にそれぞれ品物を渡そうとする――――と、何処からか悲鳴が天を劈き人混みが不自然に波打った。
列に並んでいた人達も、辺りを練り歩いていた人達も、皆一斉に狼狽し出す。
辺りは騒然とした空気に包まれた。
華音と桜花が後方へ向き直ると、ゴルゴと煉獄が物凄い速さでやって来た。
2人は頷き合い、華音はゴルゴを、桜花は煉獄を引き連れて人混みへと飛び込む。
「漸くお出ましか」
青年が呟いた気がして華音が振り返ってみると、もうそこには青年はおらず台の上にコーヒーフラッペが2つ置かれているだけだった。


