桜花は言った。「すっごくイイモノ用意するから楽しみにしていてね」と。
今日は10月7日、華音の誕生日だ。数ヶ月前、確かに桜花は華音に向かって笑顔でそう言った筈だった。
自分の誕生日だった事を他の者に祝福されるまで気付かなかった華音だが、桜花の些細な言葉だけはずっと覚えていた。唯、覚えているだけで然程心に残る魔法の言葉だとは思っていなかったのだが、現在の自分はどうやらまんまと魔法にかかってしまっている様で自嘲した。
己は「期待」と言う名の魔法にかかってしまっている。お陰で、1日中ドキドキそわそわして落ち着かなかった。我ながら女々しくて情けない。
桜花はと言うと、華音の気持ちなど知る由もなく休み時間になると黙々と編み物を続けているのみで、クラスメイトとさえあまり会話をしなかった。
帰り支度を終えた華音は未だに編み物を続ける桜花を差し置いて、親友達と共に教室を出た。
校門で雷と別れ、刃と2人で歩くいつもの帰り道。
空は光が地平線へ向かって落ちていき、まだ鮮やかな青と混じり合った境目は優しい黄色みを帯びていて美しいグラデーションを創り出す。斜陽を背に受けた木々や民家は黒い影となって、間から目映い光を放つ。鳥は群れを成して巣へと急ぐ。夜を連れて来た風が昼間に暖められた地上を何食わぬ顔で冷やしていった。
刃はぶるりと身を震わすと、己の身体を抱き締めた。
「あー……寒っ。去年こんな寒かったっけ」
「刃もブレザー着て来たら」
「いやぁ……だって、昼間は暑いじゃん。それに今から防寒しちゃうと、冬本番ヤバいだろ。つーか、華音毎度思うけど大丈夫か」
「冬はヒートテック着てセーター着てコート着るから問題ない。あとはマフラーに手袋、耳当てもあるし」
華音は決まったと言わんばかりに、拳を強く握った。
「女子か」
「寒いのに性別は関係ない。寒いのは苦手なんだ」
「知ってっか? 男が女よりも寒さに強い理由。それは筋肉がついているからなんだ。つまり、お前はひょろいんだぜ?」
「お前だってオレと体格変わんないだろ」
「え~? 俺、意外と脱ぐと凄いぜ?」
刃は袖を捲り、力こぶを作ってみせる……が、驚く程ではなかった。華音よりは逞しい、それぐらいだ。
「まあ、馬鹿は風邪引かないと言うけどさ、こんな寒暖差なんだ。さすがに馬鹿も天才も関係ないと思うし、風邪引くなよ?」
「おう! って、さり気にディスられてる!?」
「それじゃあ、また来週」
華音が手を挙げて真っ直ぐ歩いて行き、刃はその背中に挨拶を返すと道を横に逸れていった。
重厚な門に手を掛けると、小さな足音と猫の鳴き声が背後から聞こえて来た。華音は手を下ろして振り返る。すると、そこにはルビー色の黒猫が居て、更に後ろから桜花が赤茶色の長髪を波打たせブレザーとプリーツスカートをはためかせて走って来た。
「か、華音……」
桜花は華音の傍で立ち止まると、両手で全力疾走中の心臓を押さえつけて身を屈めた。
華音は状況が理解出来ず狼狽した。
「桜花? どうした? まさか、此処まで走って来たのか?」
「ええ……華音を追って……華音、すぐに帰っちゃうんだもの……」
途切れ途切れの呼吸で何とか伝えきった桜花は大きく深呼吸した。
道案内を終えた煉獄はスタスタと何処かへ歩き去った。それを目で追いつつ、華音は桜花の言葉を待った。小さく息を吸い、真っ直ぐ華音を見た桜花の話にはまだ続きがあった。
「何とか間に合ったわ。はい、これ」
桜花は紙袋をズイッと華音の眼前に出した。
華音は惚けつつ、反射的にそれを受け取った。
「あ、ありがとう? あ。これって……」
紙袋に綺麗に畳まれて入れられていたのは、今朝からずっと見ていた青色の毛糸の塊――――編み物だった。
取り出してみると、青系統の毛糸で編まれたマフラーだった。更に仕上がりの細かいところは、水色の桜が所々に散りばめられているところだ。
「本当は朝渡したかったんだけど、昨日までに完成しなくて。わたし、言ったでしょう? 華音の誕生日にイイモノあげるって」
「あ……」
桜花はちゃんと覚えていた。華音は心がじんわりと温まっていくのを感じた。
「本当は桜はピンクだけど、華音は青系の方が似合うだろうなって思って」
桜花は華音から視線を外して頬を赤く染めた。夕日を背にしているのでその光が反射した訳ではなかった。
「桜って桜花の」
――――好きな花。華音は最後まで言えず言葉を呑み込んだ。何故、桜花が華音の好きな物ではなく桜花自身の好きな物をモチーフにしたのかは分からないが、何となく面映ゆくて華音は目を伏せた。桜花と同じく、頬が赤かった。
桜花は顔を上げて再度華音を真っ直ぐ見、その気配を感じて華音も桜花を見つめ返した。
「華音、お誕生日おめでとう!」
桜花の満面の笑みは彼女の後ろから差す夕日よりも、もっと眩しくて尊かった。華音も満面の笑みを返した。
「ありがとう」
車の走行音がやけに大きく響いた。それもかなりの速度で、2人の傍を黒の高級車が颯爽と通り過ぎ一旦停止したかと思うと、バックしていった。その先にあるのは鏡崎家の広い車庫。
2人はじっと車庫を見つめていた。
「お家の人、帰ってきたのかしら」
「母さんだ」
2人に出迎えられる形となってアスファルトにヒールの音を響かせたのは、美しいスーツ姿の女社長、鏡崎華織だった。
華織は息子の姿を見た途端、社長の顔から母の顔に戻った。
「あら。華音、お帰り」
「うん。母さんこそ」
華音の影につい半分隠れてしまった桜花は、遠慮がちに華音の母に向かってぺこりと頭を下げた。
桜花に気付いた母は笑顔を向けた。
「初めまして。私は華音の母親よ。貴女は華音のクラスメイトかしら」
そう言いつつ、母は彼女が華音の想い人だと察していた。
桜花はぎこちなく答える。
「は、はい! わたし、赤松桜花って言います。華音……くんには勉強教えてもらったり、沢山お世話になっています」
「桜花ちゃん。可愛らしい名前ね。あ、そうだ。桜花ちゃんさえよければ、家でご飯食べて行かない?」
「ちょっと、母さん!」
華音が焦って母の袖を掴むと母はウインクし、華音は眉根を寄せて頬を赤らめた。
「いえ、あの……わ、わたしなんかをおおおお招きいただけて? いただいて? も大丈夫でしょうか?」
まだ桜花の緊張は解れない様で、表情も固く声も上擦っていた。それでも、母は馬鹿にせず愛おしそうに笑っていた。
「いいのよ。と言っても、食事を作るのは家の家政婦なんだけどね」
「か、家政婦……」
華音が大富豪だと言う事を再認識させられ、余計に緊張してしまう。
無意識に無意味な緊張を桜花に与え続ける母に代わり、表情に胸の高鳴りが現われない様必死に努める華音が前に出た。
「此処まで走って来て疲れただろうし、ちょっと休憩してってよ」
「う、うん。それじゃあお言葉に甘えて……」
桜花が恐る恐る同意を示すと、母はぱぁっと顔に花を咲かせ鼻歌を歌いながら門を開いて息子と来客を招き入れた。
長い玄関までの道程を歩いて行く途中、華音が抱える青いマフラーが母の目に止まった。あまりにも大事そうだったから気になったのだ。
「それ、とっても素敵じゃない」
「あぁ……これ」
華音の視線が無意識に半歩後ろを歩く少女へ向いた。
母はそれだけで察した様でもう1度、今度は桜花に向けて同じ言葉を繰り返した。桜花は少し照れくさそうにしていた。
玄関扉を潜ると、桜花はまず玄関の広さに圧倒された。高い天井には大きなシャンデリアが吊され、七色の光を辺りに振りまいている。純白の壁には金縁の絵画が飾られ、姿見の横には鏡崎家具製の椅子が2脚観葉植物を挟むように並べられている。正面のよく磨かれたフローリングの先に王族が下りて来そうな豪華な階段がどっしりと構えていて、まさに外国のお城と言う印象を受けた。
だが、唯1つ桜花には理解出来ない物があった。それは立派な靴箱の上に鎮座している不気味な置物だ。歪で辛うじて生物である事が分かる形をしていた。金持ちには凡人には理解不能な美的センスを持ち合わせているに違いない、と桜花は1人納得した。
勿論、母の美的センスによる物ではなく息子による物で、その彼が作り出した芸術品なのだった。
更にパステルイエローのエプロンを纏った若い家政婦が出迎えてくれた事に、桜花は圧倒された。ついでに、家政婦の後を金髪ツインテールの幼女がトテトテついて来た。
「お帰りなさいませ。華織様、華音くん……と、そちらの方は?」
水戸は親子に頭を下げると、共に並ぶ少女に疑問の目を向けた。
桜花は一歩前に出、頭を下げる。ぎこちなさは半減していた。
「わたし、華音くんと同じクラスの赤松桜花です」
「初めまして、桜花さん。私は鏡崎家で家政婦として働かせていただいている水戸ちかげと言います」
2人は互いに同じ事を思った。綺麗な人、と。唯、純粋に。ところが、水戸の方は華音と違和感なく並ぶ桜花に少しばかり焦燥感を覚えた。
「水戸、桜花ちゃんに夕食食べて行ってもらう事にしたからもう1人分用意してもらえるかしら」
華織の何気ない言葉が追い打ちとなり、水戸の顔に戸惑いが浮かんだが一瞬の事で誰にも気付かれず、家政婦は平常通りの穏やかな顔で首肯した。
「はい。分かりました」
「今日は華音の誕生日だし、可愛いお客さんも居るし、うんっと豪華にしてね」
「はい!」
「それじゃあ、私は荷物を置いて着替えてくるわ」
華織はスリッパに履き替え、サッサと階段を上がっていった。
華音はずっと疑問だった。何故母がこんな時間に帰宅したのか。それは息子の誕生日だからだ。これまではその為に態々帰って来る事などなかったのに今こうして家に居るのは、親子の絆が修復した証拠だった。
今更とも思えるが、今からとも思える。唯、ちょっぴり気恥ずかしかった。
「それではどうぞ、桜花さん」
水戸がスリッパを用意してくれ、桜花は礼を言って玄関に上がった。隣では、華音にアルナが飛び付いていて華音が迷惑そうにしていた。
皆でリビングへ向かい、水戸がキッチンで食事の準備をしている間、華音達はソファーで寛いで待つ。
食事がテーブルに並べられる頃に母が2階から下りて来て、全員が食卓を囲ったところで夕食の時間となった。メニューは勿論、華音の大好物である牛丼がメインだった。
今日は10月7日、華音の誕生日だ。数ヶ月前、確かに桜花は華音に向かって笑顔でそう言った筈だった。
自分の誕生日だった事を他の者に祝福されるまで気付かなかった華音だが、桜花の些細な言葉だけはずっと覚えていた。唯、覚えているだけで然程心に残る魔法の言葉だとは思っていなかったのだが、現在の自分はどうやらまんまと魔法にかかってしまっている様で自嘲した。
己は「期待」と言う名の魔法にかかってしまっている。お陰で、1日中ドキドキそわそわして落ち着かなかった。我ながら女々しくて情けない。
桜花はと言うと、華音の気持ちなど知る由もなく休み時間になると黙々と編み物を続けているのみで、クラスメイトとさえあまり会話をしなかった。
帰り支度を終えた華音は未だに編み物を続ける桜花を差し置いて、親友達と共に教室を出た。
校門で雷と別れ、刃と2人で歩くいつもの帰り道。
空は光が地平線へ向かって落ちていき、まだ鮮やかな青と混じり合った境目は優しい黄色みを帯びていて美しいグラデーションを創り出す。斜陽を背に受けた木々や民家は黒い影となって、間から目映い光を放つ。鳥は群れを成して巣へと急ぐ。夜を連れて来た風が昼間に暖められた地上を何食わぬ顔で冷やしていった。
刃はぶるりと身を震わすと、己の身体を抱き締めた。
「あー……寒っ。去年こんな寒かったっけ」
「刃もブレザー着て来たら」
「いやぁ……だって、昼間は暑いじゃん。それに今から防寒しちゃうと、冬本番ヤバいだろ。つーか、華音毎度思うけど大丈夫か」
「冬はヒートテック着てセーター着てコート着るから問題ない。あとはマフラーに手袋、耳当てもあるし」
華音は決まったと言わんばかりに、拳を強く握った。
「女子か」
「寒いのに性別は関係ない。寒いのは苦手なんだ」
「知ってっか? 男が女よりも寒さに強い理由。それは筋肉がついているからなんだ。つまり、お前はひょろいんだぜ?」
「お前だってオレと体格変わんないだろ」
「え~? 俺、意外と脱ぐと凄いぜ?」
刃は袖を捲り、力こぶを作ってみせる……が、驚く程ではなかった。華音よりは逞しい、それぐらいだ。
「まあ、馬鹿は風邪引かないと言うけどさ、こんな寒暖差なんだ。さすがに馬鹿も天才も関係ないと思うし、風邪引くなよ?」
「おう! って、さり気にディスられてる!?」
「それじゃあ、また来週」
華音が手を挙げて真っ直ぐ歩いて行き、刃はその背中に挨拶を返すと道を横に逸れていった。
重厚な門に手を掛けると、小さな足音と猫の鳴き声が背後から聞こえて来た。華音は手を下ろして振り返る。すると、そこにはルビー色の黒猫が居て、更に後ろから桜花が赤茶色の長髪を波打たせブレザーとプリーツスカートをはためかせて走って来た。
「か、華音……」
桜花は華音の傍で立ち止まると、両手で全力疾走中の心臓を押さえつけて身を屈めた。
華音は状況が理解出来ず狼狽した。
「桜花? どうした? まさか、此処まで走って来たのか?」
「ええ……華音を追って……華音、すぐに帰っちゃうんだもの……」
途切れ途切れの呼吸で何とか伝えきった桜花は大きく深呼吸した。
道案内を終えた煉獄はスタスタと何処かへ歩き去った。それを目で追いつつ、華音は桜花の言葉を待った。小さく息を吸い、真っ直ぐ華音を見た桜花の話にはまだ続きがあった。
「何とか間に合ったわ。はい、これ」
桜花は紙袋をズイッと華音の眼前に出した。
華音は惚けつつ、反射的にそれを受け取った。
「あ、ありがとう? あ。これって……」
紙袋に綺麗に畳まれて入れられていたのは、今朝からずっと見ていた青色の毛糸の塊――――編み物だった。
取り出してみると、青系統の毛糸で編まれたマフラーだった。更に仕上がりの細かいところは、水色の桜が所々に散りばめられているところだ。
「本当は朝渡したかったんだけど、昨日までに完成しなくて。わたし、言ったでしょう? 華音の誕生日にイイモノあげるって」
「あ……」
桜花はちゃんと覚えていた。華音は心がじんわりと温まっていくのを感じた。
「本当は桜はピンクだけど、華音は青系の方が似合うだろうなって思って」
桜花は華音から視線を外して頬を赤く染めた。夕日を背にしているのでその光が反射した訳ではなかった。
「桜って桜花の」
――――好きな花。華音は最後まで言えず言葉を呑み込んだ。何故、桜花が華音の好きな物ではなく桜花自身の好きな物をモチーフにしたのかは分からないが、何となく面映ゆくて華音は目を伏せた。桜花と同じく、頬が赤かった。
桜花は顔を上げて再度華音を真っ直ぐ見、その気配を感じて華音も桜花を見つめ返した。
「華音、お誕生日おめでとう!」
桜花の満面の笑みは彼女の後ろから差す夕日よりも、もっと眩しくて尊かった。華音も満面の笑みを返した。
「ありがとう」
車の走行音がやけに大きく響いた。それもかなりの速度で、2人の傍を黒の高級車が颯爽と通り過ぎ一旦停止したかと思うと、バックしていった。その先にあるのは鏡崎家の広い車庫。
2人はじっと車庫を見つめていた。
「お家の人、帰ってきたのかしら」
「母さんだ」
2人に出迎えられる形となってアスファルトにヒールの音を響かせたのは、美しいスーツ姿の女社長、鏡崎華織だった。
華織は息子の姿を見た途端、社長の顔から母の顔に戻った。
「あら。華音、お帰り」
「うん。母さんこそ」
華音の影につい半分隠れてしまった桜花は、遠慮がちに華音の母に向かってぺこりと頭を下げた。
桜花に気付いた母は笑顔を向けた。
「初めまして。私は華音の母親よ。貴女は華音のクラスメイトかしら」
そう言いつつ、母は彼女が華音の想い人だと察していた。
桜花はぎこちなく答える。
「は、はい! わたし、赤松桜花って言います。華音……くんには勉強教えてもらったり、沢山お世話になっています」
「桜花ちゃん。可愛らしい名前ね。あ、そうだ。桜花ちゃんさえよければ、家でご飯食べて行かない?」
「ちょっと、母さん!」
華音が焦って母の袖を掴むと母はウインクし、華音は眉根を寄せて頬を赤らめた。
「いえ、あの……わ、わたしなんかをおおおお招きいただけて? いただいて? も大丈夫でしょうか?」
まだ桜花の緊張は解れない様で、表情も固く声も上擦っていた。それでも、母は馬鹿にせず愛おしそうに笑っていた。
「いいのよ。と言っても、食事を作るのは家の家政婦なんだけどね」
「か、家政婦……」
華音が大富豪だと言う事を再認識させられ、余計に緊張してしまう。
無意識に無意味な緊張を桜花に与え続ける母に代わり、表情に胸の高鳴りが現われない様必死に努める華音が前に出た。
「此処まで走って来て疲れただろうし、ちょっと休憩してってよ」
「う、うん。それじゃあお言葉に甘えて……」
桜花が恐る恐る同意を示すと、母はぱぁっと顔に花を咲かせ鼻歌を歌いながら門を開いて息子と来客を招き入れた。
長い玄関までの道程を歩いて行く途中、華音が抱える青いマフラーが母の目に止まった。あまりにも大事そうだったから気になったのだ。
「それ、とっても素敵じゃない」
「あぁ……これ」
華音の視線が無意識に半歩後ろを歩く少女へ向いた。
母はそれだけで察した様でもう1度、今度は桜花に向けて同じ言葉を繰り返した。桜花は少し照れくさそうにしていた。
玄関扉を潜ると、桜花はまず玄関の広さに圧倒された。高い天井には大きなシャンデリアが吊され、七色の光を辺りに振りまいている。純白の壁には金縁の絵画が飾られ、姿見の横には鏡崎家具製の椅子が2脚観葉植物を挟むように並べられている。正面のよく磨かれたフローリングの先に王族が下りて来そうな豪華な階段がどっしりと構えていて、まさに外国のお城と言う印象を受けた。
だが、唯1つ桜花には理解出来ない物があった。それは立派な靴箱の上に鎮座している不気味な置物だ。歪で辛うじて生物である事が分かる形をしていた。金持ちには凡人には理解不能な美的センスを持ち合わせているに違いない、と桜花は1人納得した。
勿論、母の美的センスによる物ではなく息子による物で、その彼が作り出した芸術品なのだった。
更にパステルイエローのエプロンを纏った若い家政婦が出迎えてくれた事に、桜花は圧倒された。ついでに、家政婦の後を金髪ツインテールの幼女がトテトテついて来た。
「お帰りなさいませ。華織様、華音くん……と、そちらの方は?」
水戸は親子に頭を下げると、共に並ぶ少女に疑問の目を向けた。
桜花は一歩前に出、頭を下げる。ぎこちなさは半減していた。
「わたし、華音くんと同じクラスの赤松桜花です」
「初めまして、桜花さん。私は鏡崎家で家政婦として働かせていただいている水戸ちかげと言います」
2人は互いに同じ事を思った。綺麗な人、と。唯、純粋に。ところが、水戸の方は華音と違和感なく並ぶ桜花に少しばかり焦燥感を覚えた。
「水戸、桜花ちゃんに夕食食べて行ってもらう事にしたからもう1人分用意してもらえるかしら」
華織の何気ない言葉が追い打ちとなり、水戸の顔に戸惑いが浮かんだが一瞬の事で誰にも気付かれず、家政婦は平常通りの穏やかな顔で首肯した。
「はい。分かりました」
「今日は華音の誕生日だし、可愛いお客さんも居るし、うんっと豪華にしてね」
「はい!」
「それじゃあ、私は荷物を置いて着替えてくるわ」
華織はスリッパに履き替え、サッサと階段を上がっていった。
華音はずっと疑問だった。何故母がこんな時間に帰宅したのか。それは息子の誕生日だからだ。これまではその為に態々帰って来る事などなかったのに今こうして家に居るのは、親子の絆が修復した証拠だった。
今更とも思えるが、今からとも思える。唯、ちょっぴり気恥ずかしかった。
「それではどうぞ、桜花さん」
水戸がスリッパを用意してくれ、桜花は礼を言って玄関に上がった。隣では、華音にアルナが飛び付いていて華音が迷惑そうにしていた。
皆でリビングへ向かい、水戸がキッチンで食事の準備をしている間、華音達はソファーで寛いで待つ。
食事がテーブルに並べられる頃に母が2階から下りて来て、全員が食卓を囲ったところで夕食の時間となった。メニューは勿論、華音の大好物である牛丼がメインだった。


