スペクルム カノン

 今晩のメインは新鮮な秋刀魚の塩焼きだ。遙々北の海から三陸沖付近まで南下して来た彼らはこの時季脂がのって非常に美味。箸を入れると白い身から忽ち脂が溢れ出して食欲をそそる。
 華音は器用に身を取り出すとつやつやの温かい白米に乗せ、共に口の中へ運び幸せそうに噛み締めた。
 水戸も、華音の笑顔に癒やされつつ秋刀魚を食し同じ様に顔を綻ばせた。
 日本食を食べ慣れている2人に対し、最近食べ始めたアルナはかなり苦戦を強いられている様でフォークを突き刺した秋刀魚はぐちゃぐちゃになっていた。見かねた水戸が身を箸で取り出してあげ、アルナは大喜びでそれを頬張った。

「何だこの魚は! アゲートヘイムで食べた魚より断然美味いぞっ」
「アゲー……? も、もしかして魔法の国!?」

 水戸は身を乗り出し、目を輝かせた。
 アゲートヘイムは別次元(スペクルム)にあるエルフの国で、それをオズワルドから聞いていた華音は「あはは……」と苦笑を浮かべて流しておいた。強ち、水戸の言う事は間違いではない。
 アルナの足下では、ほわまろが焼いた秋刀魚に丸ごと食らいついていた。兎であるのに、人と同じ物を食したり、湯船に浸かったり、ほわまろにはまだ不思議な部分が沢山あった。
 華音が空の茶碗を置くと、透かさず水戸が「おかわりいりますか?」と訊き華音が頷くと手早く手慣れた様子で茶碗を持って席を立った。

「はい、どうぞ」
「ありがとう」

 華音は再び箸を手に取り、山盛りの白米を秋刀魚や漬物と一緒に頬張る。水戸も席に着いて食事を再開。アルナはだし巻き卵に舌鼓を打った。

「あの、水戸さん。ちょっと訊いてもいいかな」

 華音が食事の手を止めて向かい側の水戸を見ると、水戸も手を止めて華音に視線を向けた。

「何でしょう?」

 華音があまりに真剣なものだから、水戸は内心料理について至らないところがあったのではないかとヒヤヒヤした。だが、違った。

「昼間は何処に行ってたの? あ……別に何処に行ってもいいんだけど、買い物じゃなさそうだったし、珍しいなって思ってさ」

 水戸が帰宅した時に訊きたかったが、本来学校に居る筈の高校生が家に居る事の方が重大で華音は水戸に質問攻めに遭い、訊くタイミングを完全に逃してしまったのだった。
 水戸はきょとんとし、少ししてから答えた。

「ごめんなさい。伝えていませんでしたね。私、病院に行っていたんです」
「びょ、病院!? 水戸さん、何処か悪いの?」
「ビョーイン?」

 華音が瞠目し、アルナが小首を傾げた。
 水戸は慌てて両手を振った。

「違いますよ! 私じゃないです。お見舞いです……弟の」

 華音は2度目の瞠目。目を瞬かせ、戸惑いを含んだ声色で返した。

「水戸さんって弟が居たんだ。それに入院……してるんだ」
「秘密にしていた訳ではないんですけれど、態々言う事でもないと思って。そう。弟が居るんですよ、私。名前は千尋って言って、3つ下です」
「そうだったんだ。それなら、オレもお見舞いに……」
「いえ、華音くんが態々行く必要はないです。あの子、意識がないんですよ。もう2年も寝たきりですから……」

 水戸は目を伏せ、箸をギュッと握った。

「それは……ごめん」
「華音くんが謝る事ないです!」
「弟は何で寝たきりなんだ?」と、アルナが純粋な顔で話に割り込んできた。

 華音はアルナを小突くが、アルナは疑問符を浮かべるだった。
 気遣いのない好奇心剥き出しの問いに嫌な顔を一切せず、水戸は静かに語った。

「千尋は高校時代、陸上の選手でした。将来オリンピックに出るのが夢だった……。けれど、事故で怪我をしてそれも叶わなくなってしまった。それが原因で心が病んでいき、2年前あの子は病院の窓から飛び降りたんです。幸い一命は取り留めましたが、以来ずっと意識は戻らないまま……。もうずっとこの状態が続くかもしれないと、お医者様に言われています」

 アルナは自分で答えさせておいて目を伏せて押し黙り、華音も言葉がスッと出て来ず、暖かだった食卓には暫しの沈黙が下りた。皿の上の秋刀魚の顔が寂しげに室内灯に照らされる。
 このままだと空気だけでなく、食事まで冷めてしまう。それを申し訳なく思った水戸は無理な笑みを浮かべた。

「聞いて下さってどうもありがとうございます。それだけで私は嬉しいです。さあ、召し上がって下さい」

 2人は生返事し同じ様に無理な笑みを浮かべ、食事の手を再開させた。
 食事の音だけが食卓に響く。
 各々の皿が空になってきた時、水戸が思い出した様に口を開いた。

「そうでした。華音くん、明後日の夕食は華音くんの大好物を作るので楽しみにしていて下さいね」
「明後日? うん。楽しみにしてるよ」
「えぇ~アルナの好物は作ってくれないのか?」

 アルナが唇を尖らすと、水戸は苦笑を返した。

「アルナちゃんはまた今度ね」
「今度っていつだ?」
「そうねぇ。アルナちゃん、お誕生日はいつなの?」
「んーとなぁ……。……? ……?? ――――忘れた!」
「えぇ!?」

 水戸とアルナが盛り上がる中、華音は空になった食器を重ねながらぼんやりと考えていた。

 明後日って、何かあったかな。



 スマートフォンの画面に記されている日付は『10月7日(金)』日付が変わった瞬間から引っ切りなしに友人達から通信用アプリのメッセージが届けられた。文章だったりスタンプだったり様々だったが、全て内容は共通して『誕生日おめでとう』だった。

 そうか。今日って誕生日だったんだ……。

 華音は脱力し、スマートフォンを手放して机に突っ伏した。何処で知ったのかクラスメイトの何人かが祝福の言葉を掛けていき、その度に華音は笑顔を返していた為に登校して早々疲れてしまった。
 クラスメイトは一通り来た気がするのでもう誰も来ないだろうと安心して目を閉じようとした時、意識からすっぽり抜けていた騒がしい(片方だけだが)親友達が教室に入って来て真っ直ぐ華音の席へ向かって来た。

「おはよー華音」
「おっす」

 刃、雷の順に手を挙げ、刃が鞄を漁り出す。2人は華音とは違いまだブレザーを羽織っておらず、刃は長袖カッターシャツの上にキャラメル色のベストを着ていて雷は長袖カッターシャツのみという格好だった。
 顔を上げた華音の目の前に差し出されたのは、リボンで閉じてある正方形の箱だった。
 華音は差出人である刃を見て説明を促した。

「何これ、くれるのか?」
「ああ! 誕生日おめでと。これでお前も俺達と同じ17歳だな」

 そう言う刃の顔は非常に胡散臭いものだったが、華音は一応礼を言うと素直にプレゼントを受け取った。

「まあ、開けてみろよ」

 さあさあ、と胡散臭い笑顔のまま刃が勧めてくる。くだらない事を考えているのは誰の目にも明白であるが、あえて騙されるふりをしておく方がせめてもの優しさだと思い華音は言われるがままリボンを解いて箱を開けた。

 びょ――ん。

「…………」

 案の定、箱の中からは粗末な作りのバネ付き人形が飛び出し前後に不安定に揺れていた。

「どうだ! 驚いたか!」
「これが驚いている様に見えるか」

 華音は粗末な人形を箱に押し戻し、刃は笑みを絶やさずまた鞄を漁り出した。

「も~華音ちゃんってば、反応つまんない。しょーがねーからこれやんよ!」

 ドンッと、机に置かれたのはペットボトルの昆布茶だった。触れるとまだ温かかった。

「校内の自販機で買ったやつだけど、お前これ好きだろ。てか、お前しか買わねーんじゃね?」
「うん。好き。だけど、寒川(そがわ)先生とか喜多村先生とか校長先生とかよく買ってるよ?」
「おっさんのオンパレードじゃんかよ! ちゃっかり仲間入りしてるじゃねーか」

 刃が腹を抱えて笑い出し、雷もクスクス笑い声を漏らした。

「それは昆布茶に失礼だよ」

 華音は不服ながらも温かい昆布茶を味わった。

「じゃあ、俺からはこれを」

 一頻り笑い終えた雷から差し出されたのは、ほんのり温かい中華まんだった。
 華音はペットボトルのキャップを閉めると、両手でそれを受け取った。

「来る途中のコンビニで買った。お前が好きな牛丼チェーン店との期間限定コラボ商品なんだぜ」
「へぇ。ありがと」

 早速ふわふわの純白生地に齧り付く。すると、忽ち口一杯に食べ慣れた甘辛ダレの味が広がり、次いで柔らかく煮詰めた牛肉がゴロゴロ転がり込んできた。

「美味しい」
「そりゃ良かった。あと、これは妹と弟からなんだが」

 雷が次に鞄から取り出したのは、小さくて平たい包みと可愛い花柄の封筒、それから日曜日の朝に放送中の特撮物のホログラムカードだった。
 華音は中華まんを口に押し込むと、1番始めに目に付いたホログラムカードを手に取った。

「これはもしかして風牙(ふうが)からか?」
「ああ。アイツが今ハマってんの。「華音も男なら特別におれの大切なカードをやる」ってさ。いらんと思うが受け取ってやってくれ」
「そう言う事。大事なカードありがとうって伝えといて」
「了解。で、こっちは(めぐみ)からだが手紙の内容は俺も知らない」
「何って書いてくれたんだろう」

 華音は封を開けて2つ折りの紙を取り出した。
 内容はこうだった。

『華音ちゃんへ

 お誕生日おめでとう!

 めぐからはねこちゃん柄のタオルハンカチをあげるね。華音ちゃんにはきっとペンギンさんが似合うんじゃないかなっておもったけど、桜花ちゃんのことをかんがえるとねこちゃんがいいとおもうの。めぐがおもう恋のひけつは好きな人と同じものを好きになること!
 お話するきっかけにもなるしいいよね♪

 めぐは華音ちゃんの恋を全力でおうえんしています!!

 雨より』

 華音は静かに手紙を元に戻すと、包みを開けて中身を確かめた。やはり、手紙の通り入っていたのは猫柄のタオルハンカチだった。

 確かに桜花が好きそうだな……。

 同年代の者(特に同性)にされたら大きなお世話だと一蹴しているところだが、相手は年端もいかぬ純粋な女の子。寧ろ華音は微笑ましく思いハンカチをそっと手に取った。

「華音の趣味じゃねーと言ったんだが、雨が聞かなくってな」

 雷が頬を掻くと、答えたのは何故か刃だった。

「いいんじゃね? お揃いみたいで」

 誰と、とは口にはしなかったが雷にはちゃんと伝わった。もしや、妹はあえてそうしたのではないかと思った。
 ハンカチを包みに戻しつつ、華音の視線は今自分が心の中で呼んだ少女に向いていた。
 後方の席、桜花は華音の視線を受け取る事なく黙々と編み物をしていた。華音は疑問に思う反面残念に思った。
 結局、華音と桜花の視線が交わる事がないままチャイムが鳴った。