「あら。生徒が来ていたのですね」
ベッド付近から伸びる2つの人影に気付いた三田先生はカツカツと靴音を響かせて、2人に歩み寄って来た。
「三田先生! あの、体育の授業で華音が倒れた……と言うか、わたしが倒した? のでベッドに運びました。今はもう大丈夫みたいなんですけど、念の為診てあげてくれますか?」
桜花が立ち上がって言うと、三田先生は微笑み華音の隣に腰を下ろした。
「そう。具体的に何処が悪いのですか?」
「……後頭部を強打しました。今も少しだけ痛みがあります」
華音は顔に笑みを貼り付けつつも、三田先生を警戒していた。
相手も笑みを貼り付けているだけに過ぎなかった。
「それは恐いですね。今は元気でも、数時間後に死亡……なんてケースもあると聞きます。少し診せて下さいね」
三田先生はそっと華音の後頭部に触れ、黒髪を掻き分けて腫れを確認した。
「ああ……少し腫れていますね。血は出ていない様ですが、1度ちゃんとした病院を受診して下さい」
「ありがとうございます。そうします」
そのまま三田先生の手は滑らかに後頭部から背中に、そして膝の上に置いている手に重ねて指を絡ませた。
「あの……先生?」
手から感じる熱と間近に感じる視線と息遣いに心臓が高鳴った。これは桜花に抱くモノとは違う……正反対と言ってもいい。これは恐怖だ。
三田先生は華音の心境を知ってか知らずか、微笑んだまま更に手に力を込めた。
「……せっかく授業に間に合ったと言うのに残念ですね」
「どう言う事ですか?」と、桜花が割って入りさり気なく三田先生の手を華音から引き離した。
行き場のなくなった手をシーツの上に置き、尚も三田先生は微笑んだ。
「おや、アカマツオウカさんはお気付きでない? ふふ……勿論、カガミサキカノンくんはもうお気付きでしょう」
桜花は首を傾げ、華音は眼光を鋭くした。
三田先生は立ち上がって室内をゆったりと歩き、姿見の前で足を止めた。
室内を――――現実を映す鏡。然れど、此処に居る筈の人物は鏡の中には存在して居なかった。代わりに、和装姿のエルフの女性が居た。
三田先生を追って来た華音と桜花は目を見張った。
2人の期待通りの反応に三田先生は満足げに笑い、トンッと手の平を鏡面についた。
「鏡とは真実を映し出すものです。お2人には私はどの様に見えているのでしょうか?」
「……やっぱり、あなたが土星の魔女クランだったんだ」
「見れば見るほど、オズワルドさんにそっくりですね。ドロシーさんの事はあまり分かりませんが」
「そっくり……ね。そっちはそうでもない様に見えるけど」
「これでも、貴方とオズワルドさんの様に同じ生命体なんですよ? ちょっとアレンジしてしまいましたが、元は同じです。ですが、貴方達とは事情は異なります。此方の私はもう存在しません。私が成り代わったのです」
「成り代わった……? それじゃあまるで……」
ドッペルゲンガー。
自分自身の生き写しで、出逢ってしまったら最後。死んでしまうと言われている現象の事だ。有名な人物の中にもドッペルゲンガーを目撃した、または他人に目撃された者も居ると言う。
華音の言わんとしている事を察して、クランは口角を上げた。
「知っての通り、この次元とは別にスペクルムと言う次元が存在しています。本来なら干渉し合う事はありませんが、私達プラネットの様に次元を超える事でそう言った現象が起こるのです。そして、因果律が乱れた事によって元居た者が消滅してしまうと言う訳です」
「じゃあ……お前のせいで死んだって事か?」
「そうなりますね。彼女には罪はなかったのですが、それも小さな犠牲に過ぎません。心配せずとも、世界を巻き戻すのですから」
「小さな犠牲……。世界を巻き戻す……」
怒りが込み上げて来る。終始笑顔な魔女に対し、華音は感情をそのまま表情に出していた。
クランは鏡の中の華音と桜花を見た。
「それはそうと、貴方達はどうやって鏡の向こうから彼らの力を借りているのでしょう?」
「……それをオレ達が教えるとでも?」
華音がクランを睨むと、桜花も真剣な目で頷いた。
クランは態とらしく肩を竦める。
「そうですか。まあ、それはこの楽しい学校生活の中で見つけるとしましょう」
「オレ達を消せば済む話だろ」
「そんな野蛮な。手荒な真似はしませんよ。それに、邪魔者が居た方が楽しいじゃないですか」
「それをお前が言うのか」
「ふふ。お怪我をされたらまたいらして下さいね。三田先生で居る時は手当しますので」
話が一段落すると、タイミングを見計らった様にチャイムが鳴った。
華音と桜花は鏡に映った自分自身を見、ハッとした。まだ体操着姿のままだ。今からの10分休憩で更衣室まで行き着替えを済ませ、それから全速力で化学室へ向かわなければならない。
足早に2人は扉へ向かって歩き出し、華音が扉をスライドさせると丁度女子3人組と鉢合わせた。
「あ。ごめんね」
華音が柔らかな声と笑顔で言うと、3人とも頬を林檎みたいに真っ赤にして両手をぶんぶん振った。
「あぁ、いえっ」
「こ、こちらこそ邪魔してすみません」
「ど、どうぞっ」
3人のネクタイとスカートの色はボルドー、つまり1年生だ。
華音と桜花は譲ってもらった道を礼を言いながら足早に通り過ぎた。
2人の姿が遠くなると、1年生女子達は保健室に入った。
「今の鏡崎先輩だよね?」
「うん! 遠目でしか見た事なかったけど、近くで見るとホントイケメン!」
「物腰柔らかだったし」
「ここから出て来たって事は怪我したのかな」
「てゆーか! 一緒に居た女子の先輩、凄い可愛くなかった!? 何かこう、人形みたいな」
「分かる分かる! もしかして、鏡崎先輩の彼女?」
「え~? ふつーにあり得そうで萎える。もうあたしらに勝ち目ないやん」
「絶望的~」
当たり前の様に室内中央のソファーに向かおうとする彼女達を養護教諭は引き止めた。
「貴女達。何度言ったら分かるんですか? ここは休憩所ではありませんよ?」
「とか言って、いつも笑って許してくれるから三田先生好き」
「右に同じ!」
「ミートゥー!」
3人の屈託ない笑顔を前に、毎度の如く三田先生は「仕方ないですね」とつい言ってしまった。
3人は大喜びでソファーを陣取ると、ローテーブルに大量のお菓子を並べて談笑し始めた。
三田先生はそんな彼女達を横目に扉へ向かった。
「鏡崎くん」
後ろから声が掛かり、華音とつられて桜花が足を止めた。
振り返ると、保健室の前に三田先生が立って居た。
「今日はもう早退して病院に行きなさい。担任の先生には私からお伝えしておきますので」
大きな病院(以前怪我で運び込まれた所)で精密検査をしたところ、特に異常は見られなかった。それは何よりな事だが、帰路を辿る途中華音は水戸に連絡を入れ忘れていた事に気付いた。しかも、もう自宅が見えているので今更だ。
驚かれる事覚悟で、重厚な門を潜った。
扉を開けて中に入ると、アルナが飛び付いて来た。
「おっかえり~! 今日は早いなっ」
「ただいま。まあ、ちょっと色々あって早退した」
華音はアルナを引き剥がし、ローファーからスリッパに履き替えてリビングの方を一瞥した。
「……水戸さんは出掛けてるのか?」
「うん。何処に行ったかまでは知らないぞっ。それよりも、カノンと2人きりなんて新婚みたいだなっ」
「ほわまろはカウントしないのか」
アルナの頭部には白兎がちょこんと乗っかっていた。唯でさえ重たそうな床に着く程の長さのツインテールに加え、重くはないのだろうかと思ってしまう。
「ほわまろは大事な家族だが、動物の括りだからノーカウントだ」
「私の事は勿論カウントするだろう?」
華音と全く同じ声が真横から聞こえ、華音は驚いた様に、アルナはうんざりした様にそちらを見た。
姿見にはオズワルドが居た。
「お前はノーカウントだよ! いちいち来ないでくれる!?」
「何故私がお前の言う事に従わなければならないんだ」
アルナが噛みつきオズワルドが嘲笑を返す横で、華音は気まずくてオズワルドから目を逸らしていた。
それに気付いたオズワルドはまだ噛みつくアルナを適当にあしらい、華音に声を掛けた。
「どうかしたか? またいつもの無駄な考え事か?」
「あ、ああ……。て言うか、無駄って! 一言余計なんだけど」
「お前は無駄な考えのせいで無駄な行動が多いからな」
「全てが余計だよ。……此処だと水戸さんが帰って来た時に鏡に向かって喋ってる変なひと達って思われるから、場所を変えよう」
「それもそうだな」
態と話を逸らした事を察するも、オズワルドは頷いておいた。
華音が移動すると、その後をヒヨコの様にアルナがついていく。正直、これからオズワルドに話したい事を部外者である彼女に聞かせていいものかと思うが、結局洗面所までついて来てしまったので追い払うタイミングを逃してしまった。
此処で改めて華音は別次元の自分と向き合う。オズワルドは変わらず余裕のある表情をしていた。それによって、また華音の心は揺れた。
夢の事……オズワルドに話していいものか。訊いても大丈夫なのか。
なかなか話を切り出さない華音を見かね、オズワルドの方から話を振った。
「土星の魔女の事だが……」
「あ……ああ!」
「クランがどうかしたのか?」
元仲間の話にアルナも割り込んできた。
「お前の通う高校に既に潜入していたのだな」
「そうなのか!? だから、アルナが皆の記憶を操作する時に居たんだ」
アルナは驚くと同時に納得した。
「いざとなったら簡単に倒す事が出来るし、今は普段通りに過ごしておけ」
「うん……」
「但し、私がお前に憑依するところだけは見られるなよ? 色々と面倒だ」
「うん……」
「…………」
生返事を繰り返すだけの華音をオズワルドは黙って見つめた。彼の漆黒の瞳はオズワルドを映しているものの、心は別の場所にある様だった。
オズワルドは溜め息を吐き、腕を組んだ。
「私に何か言いたい事でもあるのか?」
苛立ちと言うよりも、心配する声色だった。
華音は目を伏せ、数秒置いてから口を開いた。
「オレ、前から時々お前の記憶を夢で見る様になったんだけど……」
「恐らく、私が憑依を繰り返している影響だろう。次元は違えど、同じ生命体なのだから」
「そう、なのか。何か……それが後ろめたくて」
「そんな事をずっと考えていたのか。やはり無駄じゃないか」
「無駄って! 自分自身の事……だろ? お前にとって。いや、だけど今回のは見ちゃいけないモノだったと思うから…………その、ごめん」
今度はオズワルドが数秒置いてから口を開いた。
「それは人間に飼われていた頃の記憶か?」
全く温度を感じさせない声だった。
華音はバッと顔を上げて目を見開いた。
「飼われて……って、お前……」
オズワルドは苦笑する。
「本当は誰にも話す予定はなかったのだが」
「だ、大丈夫! 記憶から消すから! そ、そうだ……アルナの魔術を使って――――って、アルナにも聞かれちゃった……」
アルナはこてんと首を傾げた。
「ハーフエルフの扱いなんてそんなもんだぞ?」
「え……。酷すぎる」
「此方では何も意外な事ではないんだよ。特に記憶から消す必要はない。寧ろ、詳しく話しておこう。私だけお前の辛い過去を知っているのはフェアではないからな」
ベッド付近から伸びる2つの人影に気付いた三田先生はカツカツと靴音を響かせて、2人に歩み寄って来た。
「三田先生! あの、体育の授業で華音が倒れた……と言うか、わたしが倒した? のでベッドに運びました。今はもう大丈夫みたいなんですけど、念の為診てあげてくれますか?」
桜花が立ち上がって言うと、三田先生は微笑み華音の隣に腰を下ろした。
「そう。具体的に何処が悪いのですか?」
「……後頭部を強打しました。今も少しだけ痛みがあります」
華音は顔に笑みを貼り付けつつも、三田先生を警戒していた。
相手も笑みを貼り付けているだけに過ぎなかった。
「それは恐いですね。今は元気でも、数時間後に死亡……なんてケースもあると聞きます。少し診せて下さいね」
三田先生はそっと華音の後頭部に触れ、黒髪を掻き分けて腫れを確認した。
「ああ……少し腫れていますね。血は出ていない様ですが、1度ちゃんとした病院を受診して下さい」
「ありがとうございます。そうします」
そのまま三田先生の手は滑らかに後頭部から背中に、そして膝の上に置いている手に重ねて指を絡ませた。
「あの……先生?」
手から感じる熱と間近に感じる視線と息遣いに心臓が高鳴った。これは桜花に抱くモノとは違う……正反対と言ってもいい。これは恐怖だ。
三田先生は華音の心境を知ってか知らずか、微笑んだまま更に手に力を込めた。
「……せっかく授業に間に合ったと言うのに残念ですね」
「どう言う事ですか?」と、桜花が割って入りさり気なく三田先生の手を華音から引き離した。
行き場のなくなった手をシーツの上に置き、尚も三田先生は微笑んだ。
「おや、アカマツオウカさんはお気付きでない? ふふ……勿論、カガミサキカノンくんはもうお気付きでしょう」
桜花は首を傾げ、華音は眼光を鋭くした。
三田先生は立ち上がって室内をゆったりと歩き、姿見の前で足を止めた。
室内を――――現実を映す鏡。然れど、此処に居る筈の人物は鏡の中には存在して居なかった。代わりに、和装姿のエルフの女性が居た。
三田先生を追って来た華音と桜花は目を見張った。
2人の期待通りの反応に三田先生は満足げに笑い、トンッと手の平を鏡面についた。
「鏡とは真実を映し出すものです。お2人には私はどの様に見えているのでしょうか?」
「……やっぱり、あなたが土星の魔女クランだったんだ」
「見れば見るほど、オズワルドさんにそっくりですね。ドロシーさんの事はあまり分かりませんが」
「そっくり……ね。そっちはそうでもない様に見えるけど」
「これでも、貴方とオズワルドさんの様に同じ生命体なんですよ? ちょっとアレンジしてしまいましたが、元は同じです。ですが、貴方達とは事情は異なります。此方の私はもう存在しません。私が成り代わったのです」
「成り代わった……? それじゃあまるで……」
ドッペルゲンガー。
自分自身の生き写しで、出逢ってしまったら最後。死んでしまうと言われている現象の事だ。有名な人物の中にもドッペルゲンガーを目撃した、または他人に目撃された者も居ると言う。
華音の言わんとしている事を察して、クランは口角を上げた。
「知っての通り、この次元とは別にスペクルムと言う次元が存在しています。本来なら干渉し合う事はありませんが、私達プラネットの様に次元を超える事でそう言った現象が起こるのです。そして、因果律が乱れた事によって元居た者が消滅してしまうと言う訳です」
「じゃあ……お前のせいで死んだって事か?」
「そうなりますね。彼女には罪はなかったのですが、それも小さな犠牲に過ぎません。心配せずとも、世界を巻き戻すのですから」
「小さな犠牲……。世界を巻き戻す……」
怒りが込み上げて来る。終始笑顔な魔女に対し、華音は感情をそのまま表情に出していた。
クランは鏡の中の華音と桜花を見た。
「それはそうと、貴方達はどうやって鏡の向こうから彼らの力を借りているのでしょう?」
「……それをオレ達が教えるとでも?」
華音がクランを睨むと、桜花も真剣な目で頷いた。
クランは態とらしく肩を竦める。
「そうですか。まあ、それはこの楽しい学校生活の中で見つけるとしましょう」
「オレ達を消せば済む話だろ」
「そんな野蛮な。手荒な真似はしませんよ。それに、邪魔者が居た方が楽しいじゃないですか」
「それをお前が言うのか」
「ふふ。お怪我をされたらまたいらして下さいね。三田先生で居る時は手当しますので」
話が一段落すると、タイミングを見計らった様にチャイムが鳴った。
華音と桜花は鏡に映った自分自身を見、ハッとした。まだ体操着姿のままだ。今からの10分休憩で更衣室まで行き着替えを済ませ、それから全速力で化学室へ向かわなければならない。
足早に2人は扉へ向かって歩き出し、華音が扉をスライドさせると丁度女子3人組と鉢合わせた。
「あ。ごめんね」
華音が柔らかな声と笑顔で言うと、3人とも頬を林檎みたいに真っ赤にして両手をぶんぶん振った。
「あぁ、いえっ」
「こ、こちらこそ邪魔してすみません」
「ど、どうぞっ」
3人のネクタイとスカートの色はボルドー、つまり1年生だ。
華音と桜花は譲ってもらった道を礼を言いながら足早に通り過ぎた。
2人の姿が遠くなると、1年生女子達は保健室に入った。
「今の鏡崎先輩だよね?」
「うん! 遠目でしか見た事なかったけど、近くで見るとホントイケメン!」
「物腰柔らかだったし」
「ここから出て来たって事は怪我したのかな」
「てゆーか! 一緒に居た女子の先輩、凄い可愛くなかった!? 何かこう、人形みたいな」
「分かる分かる! もしかして、鏡崎先輩の彼女?」
「え~? ふつーにあり得そうで萎える。もうあたしらに勝ち目ないやん」
「絶望的~」
当たり前の様に室内中央のソファーに向かおうとする彼女達を養護教諭は引き止めた。
「貴女達。何度言ったら分かるんですか? ここは休憩所ではありませんよ?」
「とか言って、いつも笑って許してくれるから三田先生好き」
「右に同じ!」
「ミートゥー!」
3人の屈託ない笑顔を前に、毎度の如く三田先生は「仕方ないですね」とつい言ってしまった。
3人は大喜びでソファーを陣取ると、ローテーブルに大量のお菓子を並べて談笑し始めた。
三田先生はそんな彼女達を横目に扉へ向かった。
「鏡崎くん」
後ろから声が掛かり、華音とつられて桜花が足を止めた。
振り返ると、保健室の前に三田先生が立って居た。
「今日はもう早退して病院に行きなさい。担任の先生には私からお伝えしておきますので」
大きな病院(以前怪我で運び込まれた所)で精密検査をしたところ、特に異常は見られなかった。それは何よりな事だが、帰路を辿る途中華音は水戸に連絡を入れ忘れていた事に気付いた。しかも、もう自宅が見えているので今更だ。
驚かれる事覚悟で、重厚な門を潜った。
扉を開けて中に入ると、アルナが飛び付いて来た。
「おっかえり~! 今日は早いなっ」
「ただいま。まあ、ちょっと色々あって早退した」
華音はアルナを引き剥がし、ローファーからスリッパに履き替えてリビングの方を一瞥した。
「……水戸さんは出掛けてるのか?」
「うん。何処に行ったかまでは知らないぞっ。それよりも、カノンと2人きりなんて新婚みたいだなっ」
「ほわまろはカウントしないのか」
アルナの頭部には白兎がちょこんと乗っかっていた。唯でさえ重たそうな床に着く程の長さのツインテールに加え、重くはないのだろうかと思ってしまう。
「ほわまろは大事な家族だが、動物の括りだからノーカウントだ」
「私の事は勿論カウントするだろう?」
華音と全く同じ声が真横から聞こえ、華音は驚いた様に、アルナはうんざりした様にそちらを見た。
姿見にはオズワルドが居た。
「お前はノーカウントだよ! いちいち来ないでくれる!?」
「何故私がお前の言う事に従わなければならないんだ」
アルナが噛みつきオズワルドが嘲笑を返す横で、華音は気まずくてオズワルドから目を逸らしていた。
それに気付いたオズワルドはまだ噛みつくアルナを適当にあしらい、華音に声を掛けた。
「どうかしたか? またいつもの無駄な考え事か?」
「あ、ああ……。て言うか、無駄って! 一言余計なんだけど」
「お前は無駄な考えのせいで無駄な行動が多いからな」
「全てが余計だよ。……此処だと水戸さんが帰って来た時に鏡に向かって喋ってる変なひと達って思われるから、場所を変えよう」
「それもそうだな」
態と話を逸らした事を察するも、オズワルドは頷いておいた。
華音が移動すると、その後をヒヨコの様にアルナがついていく。正直、これからオズワルドに話したい事を部外者である彼女に聞かせていいものかと思うが、結局洗面所までついて来てしまったので追い払うタイミングを逃してしまった。
此処で改めて華音は別次元の自分と向き合う。オズワルドは変わらず余裕のある表情をしていた。それによって、また華音の心は揺れた。
夢の事……オズワルドに話していいものか。訊いても大丈夫なのか。
なかなか話を切り出さない華音を見かね、オズワルドの方から話を振った。
「土星の魔女の事だが……」
「あ……ああ!」
「クランがどうかしたのか?」
元仲間の話にアルナも割り込んできた。
「お前の通う高校に既に潜入していたのだな」
「そうなのか!? だから、アルナが皆の記憶を操作する時に居たんだ」
アルナは驚くと同時に納得した。
「いざとなったら簡単に倒す事が出来るし、今は普段通りに過ごしておけ」
「うん……」
「但し、私がお前に憑依するところだけは見られるなよ? 色々と面倒だ」
「うん……」
「…………」
生返事を繰り返すだけの華音をオズワルドは黙って見つめた。彼の漆黒の瞳はオズワルドを映しているものの、心は別の場所にある様だった。
オズワルドは溜め息を吐き、腕を組んだ。
「私に何か言いたい事でもあるのか?」
苛立ちと言うよりも、心配する声色だった。
華音は目を伏せ、数秒置いてから口を開いた。
「オレ、前から時々お前の記憶を夢で見る様になったんだけど……」
「恐らく、私が憑依を繰り返している影響だろう。次元は違えど、同じ生命体なのだから」
「そう、なのか。何か……それが後ろめたくて」
「そんな事をずっと考えていたのか。やはり無駄じゃないか」
「無駄って! 自分自身の事……だろ? お前にとって。いや、だけど今回のは見ちゃいけないモノだったと思うから…………その、ごめん」
今度はオズワルドが数秒置いてから口を開いた。
「それは人間に飼われていた頃の記憶か?」
全く温度を感じさせない声だった。
華音はバッと顔を上げて目を見開いた。
「飼われて……って、お前……」
オズワルドは苦笑する。
「本当は誰にも話す予定はなかったのだが」
「だ、大丈夫! 記憶から消すから! そ、そうだ……アルナの魔術を使って――――って、アルナにも聞かれちゃった……」
アルナはこてんと首を傾げた。
「ハーフエルフの扱いなんてそんなもんだぞ?」
「え……。酷すぎる」
「此方では何も意外な事ではないんだよ。特に記憶から消す必要はない。寧ろ、詳しく話しておこう。私だけお前の辛い過去を知っているのはフェアではないからな」


