落下した大剣はアルナの頭部から一センチ程の所で停止した。しかも、刀身から柄まで氷細工の様に綺麗に凍り付けになっていた。
 周囲を激しく舞っていた砂も時間を止めたかの様にピタリと止まり、その全てが氷の粒へと変化していた。
 やがて大剣が砕け散り青と黄色の2色の光が舞うと、時間が動き出した。
 アルナは重力に従って落ちていく。それを飛び出した華奢な影が透かさず両腕で受け止める。
 アルナは破顔した。

「乙女のピンチに颯爽と登場! やっぱりカッコイイぞっ」

 ギュッと腕を首に巻き付けると、華音は戸惑った。

「こ、こら……アルナ」
『気色悪い』

 華音の内側でオズワルドは思いきり渋面を作った。
 アルナを抱えて華音が着地すると、桜花がローズクォーツの杖を土星の魔女に向けていた。
 華音は急いでアルナを下ろして桜花の加勢に向かう。
 2人の魔法使いが並ぶ……が、クランは子供を見る様な目で笑っていた。
 訳が分からず華音と桜花が杖を下げると、クランは恭しく一礼した。

「これ以上は長居出来ませんね。アルナを葬れず残念です。貴方たちも授業に遅れてしまいますよ? それでは」

 クランは後ろ向きに跳び一旦フェンスの縁に着地すると、背中から身を投げた。
 2人が駆け付け下を覗くと、もう土星の魔女の姿はなく光が舞っているだけだった。
 オズワルドとドロシーの魂がスペクルムに還り、華音と桜花の姿は体操服姿の高校生へと戻った。
 眼下に広がるグラウンドにはクラスメイト達が集って準備運動を始めていた。

「これ、遅れてしまう……と言うか、もう手遅れだな?」

 アルナの他人事の様に楽しげな台詞に、一層2人の気が急いた。
 2人はアルナへの挨拶もそこそこに、急いで屋上を後にした。


 息を弾ませて華音と桜花がグラウンドに戻ると、体育教師が仁王立ちで2人を出迎えてくれた。生徒達は皆、グラウンドの周りを走っていた。

「鏡崎、赤松、あんた達2人揃って何処行ってたの?」

 教師の眼差しが鋭く、華音は僅かに視線を逸らした。

「あー……えっと」

 得意の嘘もなかなか出て来ない。
 対して、桜花は怒り心頭の教師の前でも全く動じなかった。

「屋上です!」
「ちょ、桜花……」
「屋上? 2人で? 何しに?」

 教師からの容赦ない疑問符連続攻撃。1つとして華音には答えられず、また代わりに桜花が返した。勿論、的外れである。

「迷い猫を見掛けたから捕まえなきゃって思って、華音と2人で追い掛けたら屋上に来ていたんです」
「……それで? 迷い猫は捕まえたの?」

 完全に教師は疑っていた。

「ええ!」

 自信満々に辺りを見渡す桜花の栗色の瞳に黒猫が映る事はなかった。

「あ……あれ? 煉獄?」

 残念ながら使い魔は期待通りに歩いてはいなかった。オズワルドの使い魔は傍の花壇を彷徨いていたけれど。

「赤松、あんた何言ってるか分からないわよ? と言うか、2人で下の名前で呼び合っているし付き合ってるの?」

 教師が茶化すと、桜花はキョトンとし華音は頬を赤らめて弱々しく訂正した。

「た、高橋先生……付き合ってはないです」
「ふぅん? これまで多くの女子生徒をふってきたイケメン君にしちゃ、随分と初心(うぶ)な反応じゃないか」
「人聞き悪い事言わないで下さい」
「あたし、よく恋愛相談されるのよね。その殆どが「鏡崎くんにふられた!」なのよ。鏡崎の理想ってどんなだと思ったけど、なるほど。確かに高いかもしれないわね」

 高橋先生はちらりと桜花を見た。
 赤松桜花。緩やかに波打つ赤茶色の長髪に、ぱっちりとした栗色の瞳。女性らしいメリハリのある柔らかな身体。アニメキャラクターの様な可愛い声。ちょっとずれてるが愛嬌のある性格。外見だけは誰もが羨む高嶺の花。しかし、中身が頭が悪かったり男勝りだったり雑だったりする事はリアルムでは華音ぐらいしか知らない。よって、周りからの評価は高い。それこそ、優等生の華音と並ぶぐらいに。
 高橋先生はニヤリと意地の悪い笑みを作った。

「じゃあ、今からあんた達は2人仲良くグラウンド10周!」
「え!? それはさすがに……」
「わたし、走るのあんまり得意じゃないわ」

 既に疲労感を露にする2人に、高橋先生はもう一度同じ台詞を繰り返して向こうを指し示した。
 華音と桜花は言われるがまま、走り出す。入れ違いに、グラウンドを走り終えた生徒達が次々と高橋先生のもとへ戻って来た。


 華音と桜花がグラウンド10周を走り終えた頃には、皆はテニスコートへ移動していた。
 フェンスに囲まれたテニスコートは全部で4面。横並びとなっている。
 本日の授業は男女混合でダブルスをすると言う事で、今ペアを決めるべく高橋先生お手製のクジ引きを順番に引いているところだった。華音と桜花はそれに何とか間に合った。
 身を屈めて息を切らしている華音の背中を、ポンッと雷が叩いた。

「お疲れ、華音」
「雷……。うん」
「魔女には結局逃げられたか?」
「ああ。でも、逃げたと言うよりも帰った? 相手からは余裕を感じた……かな。何だか知っているヒトな気がするし、それにオレ達の事を知っているみたいだった」
「ほーん。そいつは気になるな」

 2人に気付いた刃が楽しそうに歩み寄って来た。

「2人共、何コソコソ話してるの~? 俺も混ぜ混ぜして」

 露骨に2人は嫌そうな顔をする。
 雷が冷たくあしらった。

「クジ引き、次はお前の番だろ。さっさと引いて来い」
「段々俺の扱い雑くなってるよな。ひっどいな~」

 刃は踵を返し、高橋先生の待つクジ引きコーナーへ歩いて行った。
 四角い箱が2つ、男子用と女子用でそれぞれに1~40までの数字の書かれたメモが入っている。同じ数字を引き当てた男女がペアとなる仕組みだ。
 刃が引き終えると、次は華音と桜花の番。2人が箱の中に手を入れる瞬間まだペアになれていない者達の念が湧き上がる。
 男子は桜花と、女子は華音とペアになれる事を願う。
 心なしか速度低下した空間で、華音と桜花が紙を箱から取り出す。
 ドクン、ドクン、と紙を握り締める生徒達の期待が高ぶる。

「15」

 2人同時に言うと、念を送っていた者達はガックリと項垂れた。同時に、美男美女がペアになればそれだけで絵になるし天も認めていると半ば諦め、心の中で祝福を贈った。
 2人は顔を見合わせ、桜花がポツリと呟いた。

「いつもとあまり変わらないわね」

 共闘するのはいつもの事だ。だからと言って、息がピッタリとは限らない。華音の脳裏には容赦なく炎をぶつけてくる桜花の姿が浮かび、早くも疲労感を覚えていた。
 試合の順番もクジ引きで決められ、華音・桜花ペアは一試合目、刃・柄本ペアと対戦する事となった。
 華音はジャージ姿のお下げ少女に首を傾げた。

「柄本さんって体育出来ないんじゃなかった?」

 現にラケットを持っていない。
 柄本はニンマリと笑った。

「そうだよー! だから、何と私の代わりに――――」
「あたしが相手してあげるわ」

 コートに足を踏み入れたのは、ラケットを持ちやる気漲る高橋先生だった。
 刃はギョッとし、態とらしく後退った。

「せんせーかよ!」
「何? 文句でもあるのかしら?」
「ねー……けど、どうせなら……ねぇ?」

 刃の視線はネットの向こうの桜花……の豊満な胸に向いていた。対照的に、隣の美人教師の胸は貧相だった。

「風間。まずはあんたから潰そうかしら」

 トントンとラケットを持っていない方の手でボールをバウンドさせる高橋先生の目は本気だった。
 更に刃は距離を取った。

「いやいや! 味方潰しちゃ駄目っしょ!」
「まあ、何てのは冗談で……」

 高橋先生はバウンドしたボールをラケットでキャッチすると、刃との距離を詰めた。あまりの気迫に刃はもう身動きが取れなくなった。

「だらしないわね、その格好。ズボン下げすぎよ」

 言いながら、高橋先生は手際よく刃の服装を正す。その度に、刃はくすぐったそうに身を捩った。

「ちょ、せんせーそれ、セクハラですっ」
「何処がよ? あんた、喜んでるじゃない。はい、これでよし!」
「何がよしですか!? やだやだこんな真面目くんみたいな格好……!」

 刃はすぐにズボンを下げようとしたが、高橋先生の無言の圧力に負けてやめた。
 ネットの向こうでは、桜花が髪を1つに結い上げて気合いを入れていた。

「わたし、テニスとか小学校でやった以来だけど頑張るわ!」
「うん」

 華音は曖昧に笑い返す事しか出来なかった。ペアが決まった時に抱いた不安がぶり返したのだ。今回炎に呑まれる心配はないものの、何が起こるか分からない。いつも以上に気を引き締めていこうと誓った。
 審判は柄本が務める事となり、ギャラリー(試合のない生徒達)が集まったところで試合開始。