昼休憩が終わった後は体育の授業だった。毎度の事ながら、食べた後の運動を好まない生徒は多かった。
更衣室で体操着に着替えた華音達男子はぞろぞろと校舎裏のグラウンドに集まった。何処までも広く柔らかな地面が広がるそこは全校集会や避難訓練などが行われる場所で、離れた場所に屋内プール、サッカーコート、テニスコートがある。
女子の姿は点々とあるが、まだ半数も揃っていなかった。
体育教師は落ち着かない様子で、何度も腕時計を確認する。彼女も女性だが、朝のメイクも着替えもすぐに済ませてしまうタイプなので、準備に時間の掛かる同性の気持ちは分からないようだ。
チャイムが鳴る時には全員揃っているだろうと思い、集まった者達は各々雑談したりして暇を持て余した。
しかし、チャイムが鳴り始めても全員揃う事はなかった。
「どうしたのかしら」
不審に思った教師が一歩踏み出した途端、糸が切られたマリオネットの様にその場に頽れた。
教師を飛び越え、赤い双眸の真っ黒な鹿が生徒達の前に出て来た。
生徒達が悲鳴を上げると、連鎖する様に女子更衣室のある辺りからも悲鳴が轟いた。
何事かと、校舎の中から生徒や教師が飛び出して来る。
華音のもとへ、使い魔が舞い降りて来た。
「こんな大勢の居る前で戦いたくないけど、仕方ない」
華音が走っていき、その背中を見送った刃と雷は魔物を前に身構えた。
刃は完全に縮こまり、雷は勇ましく迎え撃つ体勢だ。
「アルナちゃん来てくれないかなー……」
「女の子に頼るなよな。ほら、来たぞ」
「うぇっ!?」
刃に飛び掛かって来た鹿の魔物を、雷が拳で突き飛ばす。
辺りには沢山の魔物が徘徊しており、次々と生徒や教師から生命力を奪っていく。
まだ餌食になっていない者達は悲鳴を上げながら、必死に逃げ惑う。
そんな彼らを雷が助太刀するが、完全に倒す事が出来ない彼にも限界がある。
「ちょっと! 雷くん! 俺を1人にしないでよぉ~。俺を護って」
刃がその場に蹲って泣き言を零しているが、雷はいちいち相手にしていられず冷たくあしらった。
「自分の身は自分で護れ!」
「辛辣! この薄情者ぉ!」
刃のもとへ、またしても魔物が迫る。
刃は立ち上がり、必死に逃げる。
「やだやだやだ! 何で追って来るんだよ!?」
魔物は瞳をギラつかせ牙を剥き出しに、口うるさい男子生徒を追い掛ける。
刃の目の前で魔物に追いつかれたクラスメイトが倒れ、生命力を手に入れた魔物の標的は刃へと変更。結果、刃は2体から追われる羽目になった。
「増えたよ! 俺、そんな人気者なの!?」
「風間くん、離れて!」
向こうからアニメキャラクターの様な可愛らしい声が聞こえ、そちらを向いた刃の視界に紅蓮の炎が目一杯映り込んだ。
「うぉ!?」
2体の魔物は炎の餌食となり、後は刃を残すのみ。
刃は避けようにも避ける事が出来ない。目と口を開けたまま、熱が肌を焦がす。
開いた口からは悲鳴が溢れる。
「グロスヴァーグ!」
刃の悲鳴も炎も、突如響いた声の後に押し寄せた大津波に呑み込まれた。
炎が消え大津波も消えると、別次元の魔法使いの姿となった華音が呆れ顔で立っていた。その視線は刃を通り越し、焦った様子で駆け寄って来る桜花へ向けられていた。彼女も別次元の魔法使いの姿となっていた。
「桜花、何やってるんだよ。危うく刃が焼死するところだった」
「ご、ごめんなさい。風間くん、無事?」
華音に謝った桜花は刃に視線を移した。
「あ……ああ。てかさ」
弱々しく応えた刃の目線は何かに吸い寄せられる様に下がっていく。
「桜花ちゃん、エロくね? 前も思ったけど」
「えっ?」
桜花がキョトンとすると、代わりに華音が意味を理解して2人の間に入った。
「ば、馬鹿! 見るなよ!」
華音に遮られて刃の視界には豊満な胸の谷間が映らなくなった。
刃は唇を尖らせ、「絶景を独り占めってか~」と訳の分からない独り言を呟いた。
「えっと……わたし、何か変?」
桜花が首を傾けると、華音は背を向けたまま答えた。
「変じゃないよ。こいつの言う事は気にしなくていい」
確かに刃の言う通り、桜花の今の格好、つまりはドロシーの格好は際どい。大きく開いた胸元に露な肩、スカートとブーツの間から覗く太股……と、目の遣り場に困る。
オズワルドはよく平然としていられるな、と思うが洋風なあちらの世界では当たり前の服装なのだろう。ちなみに、未だに華音は慣れていない。
「おーい! 華音、赤松! こっちも頼む」
離れた場所から雷が手を挙げていた。周囲には失神した魔物の山。
さすが、と心の中で賞賛すると華音は桜花と共に雷のもとへ向かった。
結果、魔物は殲滅。誰1人として命を失う事はなかった。今回は雷のお陰である。華音と桜花は感謝の言葉を贈った。
皆がまだ気を失っている中、別次元の魔法使い達は新たな気配と魔力を感知した。
『カノン、あっちに魔女が居る。恐らく1人はアルナ、もう1人は……クランだ』
『オウカちゃん、魔女が居ますわ! すぐに向かいましょう』
華音と桜花は頷き、魔法使い達に導かれて校舎の方へ走った。
屋上――――
「さて。皆に惑わしの術をかけて……っと」
八重歯を見せ、得意げに笑う小さな魔女が1人フェンスの上に立っていた。
指先で空中に円を描くと、忽ち光が溢れて眼下に降り注いだ。
途端に人がもそもそと起き上がる。頭を抱え、自分の身に起こった事を思い出そうとするが、記憶に靄がかかり失敗に終わった。
広範囲に渡ってかけられた月属性の魔術はそこであった出来事そのものを惑わし、人の記憶を操作する。つまり、皆の記憶から魔物そのものが消えたのだ。勿論、所詮は惑わしなので何かのきっかけがあれば記憶は鮮明になる。
華音と桜花、それに刃と雷は魔女の意思によって対象外となっている。
金色のツインテールが風で流れた。
「アルナ。そこで何をしているのです?」
アルナは振り返り、此方へ歩み寄って来る和装の魔女を見た。
アルナの肩で白兎が警戒心を剥き出しにする。
「クラン、久しぶりだなっ」
アルナがぴょんっとフェンスの内側へ飛び降りると、クランと向き合う形となり2人の間には何とも言えない重苦しい空気が流れた。
互いの顔に笑みと余裕はあるが、嘗ての仲間を見る様な目ではなくなっていた。これは警戒、敵視。もう互いを敵と見なしていた。
最初の一歩を踏み出したのはクラン。振り袖を揺らし、高く飛躍するとアルナに向かって手の平を広げる。
「アースキャノン!」
手の平から放たれた無数の土の針を、アルナは魔法壁を張って術者のもとへ跳ね返す。
クランはフッと笑い、想定済みのそれを振り袖で叩き落として着地。それからすぐに地属性のマナを集める。
アルナは何もしない――――否、相手が動かない限りは何も出来ない。それが月属性のマナを扱う者の宿命なのだ。そもそも、本来ならば前線に出る事はないのだが、魔女故なのか、状況故なのか、自らそれを選んだ。
エルフである彼女らが「魔女」と呼ばれる様になった訳。それはエルフの特性上、自分や同族を護る為にしか戦わない為普段は好意的でもなければ好戦的でもないそんな種族の中で、何の罪もない者達を無差別に死に追いやる彼女らは異質で「魔女」と呼ぶに相応しかったからだ。エルフ達の間では闇に堕ちたエルフとも呼ばれている。
「エーアトヴェーデン!」
高くもなく低くもない土星の魔女の声がよく響くと、グラッと足下が揺れる。
アルナは魔法壁を張る事だけしか頭になかった為、簡単にバランスを崩して尻餅をついた。
揺れはまだ続いている。どうやら、校舎全体が揺れている様だ。
日常的に地震が起こっているこの日本では珍しくない事が幸いし、誰も校舎から顔を出さず大きな騒ぎにもならなかった。クランはそれを知った上でこの魔術を放った。
立とうにも、アルナは上手く立つ事がままならなかった。そこへ、クランは微笑み1つ。幼い顔が焦燥に歪んでいく様をじっくりと見ながら、容赦ない一撃を放つ。
「ブロックモルト!」
バスケットボールよりもやや大きめの土の球体が次々とアルナを襲う。
最初の一撃はくらってしまうも、魔法壁の形成が間に合って後は全て弾いた。残念ながら1つとして術者に届く事はなかったが、この隙にアルナは自身に治癒術をかけた。
目映い光に包まれて体勢を立て直すアルナに、またもクランは魔術を放つ。地属性のマナで形成された刃が柔らかな頬を掠る。寸前でアルナは躱して直撃を避けたのだ。
だが、クランの攻撃はこれで終わらない。次々と刃が出現し、対象目掛けて飛び交う。その全てを持ち前の瞬発力で躱したアルナは、横へ飛び退いた勢いでフェンスを蹴って空高く跳び上がる。
太陽を背に、ツインテールが真横に靡いた小柄な影は兎の様だ。これが本物の兎であれば刃を収めるクランであるが、偽物の兎に情けをかける訳もなく。口元に笑みを浮かべ、両の手の平を対象へと向けた。
「とても有名な話です。土星の環は細かな岩石や氷塊で形成されていますね。いきますよ――――サタンブレス!」
大量の礫が空中へ一直線に伸びる。
アルナは魔法壁で防ぎ、跳ね返す。
礫は更に加速して術者へ還っていくが、クランは余裕の表情で全て躱しきった。それどころか、地上へ降りて来たアルナに向かって追撃。
「グランドランス!」
鋭利な岩が次々とコンクリートを突き破って飛び出す。一瞬で辺り一面は剣山と化すが、その中に血塗れの小さき魔女の姿はない。
アルナはクランの真横に居た。
クランは驚かない。空間移動の魔術は魔力の高い魔術師にとっては当たり前の能力だ。
「もうちょっと手加減してくれない? アルナ、マジで死んじゃうぞ?」
「私は本気で殺す気ですが?」
クランは真横に手の平を向け、土の刃を何本か放つ。
アルナは後ろへ飛び退き、最後の一撃は魔法壁で跳ね返した。
戻って来たそれがクランの撫で肩を掠り、鮮血を滲ませた。
クランは肩の傷よりも衣服の傷を気に掛けつつ、アルナを見た。
「シーラはこの様な事を望まないでしょうが、私はこちらが不利になるのなら貴女を殺す事も厭わないのです。オズワルドさん側なのでしょう?」
「……正確には違うけどな」
アルナの脳裏にはオズワルドと同じだけど同じでない、別人が浮かんでいた。
クランはゆるゆると首を横に振った。
「どちらでも構いませんが、魔女である貴女の力を与えられては困るんです。故に消します。今ここで」
「へぇ~? 目的の為なら手段を選ばない、ね。クランもそんな頑固だとエンテみたいにすーぐ死んじゃうぞ?」
「いいえ。死ぬのは貴女ですよ、アルナ」
こうしている間にクランの周囲には莫大な地属性のマナが渦巻いており、それが巨大な砂嵐を巻き起こした。
屋上全体が砂に覆われ、抗う事の敵わないアルナは砂と共に空中へ巻き上げられる。その際、ほわまろを庇うので精一杯だった。
砂嵐より更に上空に巨大な魔法陣が展開し、刀身から順に下へ向かって大剣が出現。アルナの腕の中で白兎が暴れる。
クランが大きく掲げた右手を振り下ろすと、その動きに連動して大剣がアルナの頭上目掛けて落下した。
更衣室で体操着に着替えた華音達男子はぞろぞろと校舎裏のグラウンドに集まった。何処までも広く柔らかな地面が広がるそこは全校集会や避難訓練などが行われる場所で、離れた場所に屋内プール、サッカーコート、テニスコートがある。
女子の姿は点々とあるが、まだ半数も揃っていなかった。
体育教師は落ち着かない様子で、何度も腕時計を確認する。彼女も女性だが、朝のメイクも着替えもすぐに済ませてしまうタイプなので、準備に時間の掛かる同性の気持ちは分からないようだ。
チャイムが鳴る時には全員揃っているだろうと思い、集まった者達は各々雑談したりして暇を持て余した。
しかし、チャイムが鳴り始めても全員揃う事はなかった。
「どうしたのかしら」
不審に思った教師が一歩踏み出した途端、糸が切られたマリオネットの様にその場に頽れた。
教師を飛び越え、赤い双眸の真っ黒な鹿が生徒達の前に出て来た。
生徒達が悲鳴を上げると、連鎖する様に女子更衣室のある辺りからも悲鳴が轟いた。
何事かと、校舎の中から生徒や教師が飛び出して来る。
華音のもとへ、使い魔が舞い降りて来た。
「こんな大勢の居る前で戦いたくないけど、仕方ない」
華音が走っていき、その背中を見送った刃と雷は魔物を前に身構えた。
刃は完全に縮こまり、雷は勇ましく迎え撃つ体勢だ。
「アルナちゃん来てくれないかなー……」
「女の子に頼るなよな。ほら、来たぞ」
「うぇっ!?」
刃に飛び掛かって来た鹿の魔物を、雷が拳で突き飛ばす。
辺りには沢山の魔物が徘徊しており、次々と生徒や教師から生命力を奪っていく。
まだ餌食になっていない者達は悲鳴を上げながら、必死に逃げ惑う。
そんな彼らを雷が助太刀するが、完全に倒す事が出来ない彼にも限界がある。
「ちょっと! 雷くん! 俺を1人にしないでよぉ~。俺を護って」
刃がその場に蹲って泣き言を零しているが、雷はいちいち相手にしていられず冷たくあしらった。
「自分の身は自分で護れ!」
「辛辣! この薄情者ぉ!」
刃のもとへ、またしても魔物が迫る。
刃は立ち上がり、必死に逃げる。
「やだやだやだ! 何で追って来るんだよ!?」
魔物は瞳をギラつかせ牙を剥き出しに、口うるさい男子生徒を追い掛ける。
刃の目の前で魔物に追いつかれたクラスメイトが倒れ、生命力を手に入れた魔物の標的は刃へと変更。結果、刃は2体から追われる羽目になった。
「増えたよ! 俺、そんな人気者なの!?」
「風間くん、離れて!」
向こうからアニメキャラクターの様な可愛らしい声が聞こえ、そちらを向いた刃の視界に紅蓮の炎が目一杯映り込んだ。
「うぉ!?」
2体の魔物は炎の餌食となり、後は刃を残すのみ。
刃は避けようにも避ける事が出来ない。目と口を開けたまま、熱が肌を焦がす。
開いた口からは悲鳴が溢れる。
「グロスヴァーグ!」
刃の悲鳴も炎も、突如響いた声の後に押し寄せた大津波に呑み込まれた。
炎が消え大津波も消えると、別次元の魔法使いの姿となった華音が呆れ顔で立っていた。その視線は刃を通り越し、焦った様子で駆け寄って来る桜花へ向けられていた。彼女も別次元の魔法使いの姿となっていた。
「桜花、何やってるんだよ。危うく刃が焼死するところだった」
「ご、ごめんなさい。風間くん、無事?」
華音に謝った桜花は刃に視線を移した。
「あ……ああ。てかさ」
弱々しく応えた刃の目線は何かに吸い寄せられる様に下がっていく。
「桜花ちゃん、エロくね? 前も思ったけど」
「えっ?」
桜花がキョトンとすると、代わりに華音が意味を理解して2人の間に入った。
「ば、馬鹿! 見るなよ!」
華音に遮られて刃の視界には豊満な胸の谷間が映らなくなった。
刃は唇を尖らせ、「絶景を独り占めってか~」と訳の分からない独り言を呟いた。
「えっと……わたし、何か変?」
桜花が首を傾けると、華音は背を向けたまま答えた。
「変じゃないよ。こいつの言う事は気にしなくていい」
確かに刃の言う通り、桜花の今の格好、つまりはドロシーの格好は際どい。大きく開いた胸元に露な肩、スカートとブーツの間から覗く太股……と、目の遣り場に困る。
オズワルドはよく平然としていられるな、と思うが洋風なあちらの世界では当たり前の服装なのだろう。ちなみに、未だに華音は慣れていない。
「おーい! 華音、赤松! こっちも頼む」
離れた場所から雷が手を挙げていた。周囲には失神した魔物の山。
さすが、と心の中で賞賛すると華音は桜花と共に雷のもとへ向かった。
結果、魔物は殲滅。誰1人として命を失う事はなかった。今回は雷のお陰である。華音と桜花は感謝の言葉を贈った。
皆がまだ気を失っている中、別次元の魔法使い達は新たな気配と魔力を感知した。
『カノン、あっちに魔女が居る。恐らく1人はアルナ、もう1人は……クランだ』
『オウカちゃん、魔女が居ますわ! すぐに向かいましょう』
華音と桜花は頷き、魔法使い達に導かれて校舎の方へ走った。
屋上――――
「さて。皆に惑わしの術をかけて……っと」
八重歯を見せ、得意げに笑う小さな魔女が1人フェンスの上に立っていた。
指先で空中に円を描くと、忽ち光が溢れて眼下に降り注いだ。
途端に人がもそもそと起き上がる。頭を抱え、自分の身に起こった事を思い出そうとするが、記憶に靄がかかり失敗に終わった。
広範囲に渡ってかけられた月属性の魔術はそこであった出来事そのものを惑わし、人の記憶を操作する。つまり、皆の記憶から魔物そのものが消えたのだ。勿論、所詮は惑わしなので何かのきっかけがあれば記憶は鮮明になる。
華音と桜花、それに刃と雷は魔女の意思によって対象外となっている。
金色のツインテールが風で流れた。
「アルナ。そこで何をしているのです?」
アルナは振り返り、此方へ歩み寄って来る和装の魔女を見た。
アルナの肩で白兎が警戒心を剥き出しにする。
「クラン、久しぶりだなっ」
アルナがぴょんっとフェンスの内側へ飛び降りると、クランと向き合う形となり2人の間には何とも言えない重苦しい空気が流れた。
互いの顔に笑みと余裕はあるが、嘗ての仲間を見る様な目ではなくなっていた。これは警戒、敵視。もう互いを敵と見なしていた。
最初の一歩を踏み出したのはクラン。振り袖を揺らし、高く飛躍するとアルナに向かって手の平を広げる。
「アースキャノン!」
手の平から放たれた無数の土の針を、アルナは魔法壁を張って術者のもとへ跳ね返す。
クランはフッと笑い、想定済みのそれを振り袖で叩き落として着地。それからすぐに地属性のマナを集める。
アルナは何もしない――――否、相手が動かない限りは何も出来ない。それが月属性のマナを扱う者の宿命なのだ。そもそも、本来ならば前線に出る事はないのだが、魔女故なのか、状況故なのか、自らそれを選んだ。
エルフである彼女らが「魔女」と呼ばれる様になった訳。それはエルフの特性上、自分や同族を護る為にしか戦わない為普段は好意的でもなければ好戦的でもないそんな種族の中で、何の罪もない者達を無差別に死に追いやる彼女らは異質で「魔女」と呼ぶに相応しかったからだ。エルフ達の間では闇に堕ちたエルフとも呼ばれている。
「エーアトヴェーデン!」
高くもなく低くもない土星の魔女の声がよく響くと、グラッと足下が揺れる。
アルナは魔法壁を張る事だけしか頭になかった為、簡単にバランスを崩して尻餅をついた。
揺れはまだ続いている。どうやら、校舎全体が揺れている様だ。
日常的に地震が起こっているこの日本では珍しくない事が幸いし、誰も校舎から顔を出さず大きな騒ぎにもならなかった。クランはそれを知った上でこの魔術を放った。
立とうにも、アルナは上手く立つ事がままならなかった。そこへ、クランは微笑み1つ。幼い顔が焦燥に歪んでいく様をじっくりと見ながら、容赦ない一撃を放つ。
「ブロックモルト!」
バスケットボールよりもやや大きめの土の球体が次々とアルナを襲う。
最初の一撃はくらってしまうも、魔法壁の形成が間に合って後は全て弾いた。残念ながら1つとして術者に届く事はなかったが、この隙にアルナは自身に治癒術をかけた。
目映い光に包まれて体勢を立て直すアルナに、またもクランは魔術を放つ。地属性のマナで形成された刃が柔らかな頬を掠る。寸前でアルナは躱して直撃を避けたのだ。
だが、クランの攻撃はこれで終わらない。次々と刃が出現し、対象目掛けて飛び交う。その全てを持ち前の瞬発力で躱したアルナは、横へ飛び退いた勢いでフェンスを蹴って空高く跳び上がる。
太陽を背に、ツインテールが真横に靡いた小柄な影は兎の様だ。これが本物の兎であれば刃を収めるクランであるが、偽物の兎に情けをかける訳もなく。口元に笑みを浮かべ、両の手の平を対象へと向けた。
「とても有名な話です。土星の環は細かな岩石や氷塊で形成されていますね。いきますよ――――サタンブレス!」
大量の礫が空中へ一直線に伸びる。
アルナは魔法壁で防ぎ、跳ね返す。
礫は更に加速して術者へ還っていくが、クランは余裕の表情で全て躱しきった。それどころか、地上へ降りて来たアルナに向かって追撃。
「グランドランス!」
鋭利な岩が次々とコンクリートを突き破って飛び出す。一瞬で辺り一面は剣山と化すが、その中に血塗れの小さき魔女の姿はない。
アルナはクランの真横に居た。
クランは驚かない。空間移動の魔術は魔力の高い魔術師にとっては当たり前の能力だ。
「もうちょっと手加減してくれない? アルナ、マジで死んじゃうぞ?」
「私は本気で殺す気ですが?」
クランは真横に手の平を向け、土の刃を何本か放つ。
アルナは後ろへ飛び退き、最後の一撃は魔法壁で跳ね返した。
戻って来たそれがクランの撫で肩を掠り、鮮血を滲ませた。
クランは肩の傷よりも衣服の傷を気に掛けつつ、アルナを見た。
「シーラはこの様な事を望まないでしょうが、私はこちらが不利になるのなら貴女を殺す事も厭わないのです。オズワルドさん側なのでしょう?」
「……正確には違うけどな」
アルナの脳裏にはオズワルドと同じだけど同じでない、別人が浮かんでいた。
クランはゆるゆると首を横に振った。
「どちらでも構いませんが、魔女である貴女の力を与えられては困るんです。故に消します。今ここで」
「へぇ~? 目的の為なら手段を選ばない、ね。クランもそんな頑固だとエンテみたいにすーぐ死んじゃうぞ?」
「いいえ。死ぬのは貴女ですよ、アルナ」
こうしている間にクランの周囲には莫大な地属性のマナが渦巻いており、それが巨大な砂嵐を巻き起こした。
屋上全体が砂に覆われ、抗う事の敵わないアルナは砂と共に空中へ巻き上げられる。その際、ほわまろを庇うので精一杯だった。
砂嵐より更に上空に巨大な魔法陣が展開し、刀身から順に下へ向かって大剣が出現。アルナの腕の中で白兎が暴れる。
クランが大きく掲げた右手を振り下ろすと、その動きに連動して大剣がアルナの頭上目掛けて落下した。


