居館から騎士の宿舎まで続く石造りの道を歩いていたマルスは足を止め、空を仰いだ。
今宵の空はいつにもなく沢山の星で彩られていて美しく、つい溜め息が零れてしまう。数刻前まで星の代わりに夜空を七色に染め上げていた花火も美しかったが、やはり自然には敵わない。
星が瞬き、涼しげな澄んだ夜風が吹き抜ける。
すると、その合間を擦り抜ける様に綺麗で悲しい旋律が聞こえてきた。マルスの耳にもはっきりと届くそれは歌だった。しかも、声に聞き覚えがあった。
マルスは宿舎へ向いている身体を声のする方へと向け、歌に誘われる様に歩いて行った。
紺碧の空にちりばめられた星々は手を伸ばせば届きそうなぐらい近くに感じられ、じっと見つめていれば吸い込まれてしまいそうだった。
夜間は誰も出入りしない食料庫、その屋根の上にオズワルドの姿はあった。
不安などを感じた時此処で歌うのが好きだった。
皆が住む場所とは離れた場所にあるので、歌声を聞いて不快な想いをさせる事もない。実際、オズワルドの歌声は種族や性別、年齢を問わず全ての者を魅了する力があるのだが、ハーフエルフと言う事だけで皆は認めようとはしなかった。
オズワルドの心を映した様な悲しい旋律は星空へ美しく響き渡る。
恐らく居館に居るエルフらの耳には届いてしまっているだろうが、それはもうどうしようもないし、どうでもよかった。今は不安を紛らわす為に歌いたかった。
「いやあ……綺麗なもんっすね」
背後から青年の声が聞こえ、オズワルドはピタリと歌うのを止めた。
訝しげに向き直れば、黒と浅葱の2色の短髪の青年が窓から屋根へ足を下ろしていた。
青年はへらへら笑いながらオズワルドに躊躇いなく近付いて来る。
「リデル様、こんばんは!」
「……マルス。私に何か用か?」
オズワルドの目はまだ警戒の色を宿していた。
マルスは両手を挙げ、敵意がない事を必死に示す。
「ちょ、酷いっすよ~! 僕達、街でデートした仲じゃないですかっ」
「はぁ?」
オズワルドの眼光が更に鋭くなり、いよいよマルスにも余裕がなくなった。
「恐い恐い恐い!! 今日はいつもに増してツンツンしてません!?」
「私は通常通りだが? 大体、用もないのにこんなところにまで来るな」
「え~……。だって、綺麗な歌声が聞こえたんですもん。気になるに決まってるじゃないっすか」
「それは…………悪かった」
「えぇっ!? な、何でリデル様が謝るんです? えーっと、僕褒めているっすよ?」
「そう言う事だからお前は宿舎に戻れ。これから休憩なんだろ?」
「どう言う事!? うーん……じゃあ、分かりました。戻ります」
マルスにしてはあっさりと引き下がり、踵を返した。
不思議に思ったが、オズワルドは邪魔者を追い払えて満足だった。
正直なところマルスの事は嫌いではないが、だからこそ一緒に居たくなかった。今日の様な日は、特に。何事もなく行事を終わらせるにはハーフエルフである自分は空気を演じなければならない。
ところが、残念な事にマルスは数分後に戻って来た。しかも、未開封のワインボトルを抱えて。
隣に立ち並んだマルスに、オズワルドは顔を思い切り顰めた。
「何しに来た」
「何しにって、こんな星明かりの下でやる事といったら!」
マルスはワインボトルを自分の顔まで持って行き、横から満面の笑みを浮かべた顔をひょこっと出した。
「これでしょう!」
「それ……騎士達とやればよくないか?」
「何処までも今日はツンツンなんですね……。マルス、悲しくて泣いちゃう。だけど、いつかデレが来ると信じてるっす!」
「何だそれは。よく分からないが、私に構うな。今は独りで居たい」
「……だから、構いたくなるんすよ」
ワインボトルを下ろしたマルスの表情はこれまで見た事のない真剣なもので、サファイアブルーの猫目は真っ直ぐオズワルドの琥珀色の瞳を見つめていた。
オズワルドはいつもと違うマルスの様子にゾクッとした。
暫しの沈黙が下りると、先にマルスの方が口を開いた。
「僕はオズワルド・リデル様、貴方の事が好きです」
「それは前にも聞いたが……」
オズワルドが相変わらずのマルスの雰囲気に戸惑いつつ返すと、マルスは苦笑した。
「ええ。言いましたね。でも、リデル様……何か勘違いしてません?」
「言っている意味が……」
「僕、ゲイなんですよ」
「…………」
「だからですね? 好きって言うのは恋愛対象として、です」
「…………!?」
オズワルドは一気に青ざめ、後退る。踵が屋根の縁を踏んだ。
「そ、そそそれは……! ちょ、ちょっと……と言うか、大分? と、とにかく無理だ!」
「そんなに!? その反応、さすがに傷付くっすよ!?」
オズワルドの狼狽え様に、マルスも狼狽えた。
「わ、悪い……。そう言った趣味はない、から」
「でしょうね!? 大抵はそうっすよ! それより落ちるっすよ!!」
マルスが手を伸ばすと、オズワルドは更に引き下がり身体がぐらついた。
「あっ……」
重力に従って、身体が落ちていく。
マルスの伸ばした手は空を掴んだだけだった。
「リデル様――!」
マルスの叫びが木霊すると、突然オズワルドを目映い光が包み一瞬で消し去った。
「はあ……」
マルスが驚く間もなく後ろからオズワルドの溜め息が聞こえ、振り返ってみれば彼が脱力した様にしゃがみ込んでいた。
心配せずとも、魔術師である彼ならば空間移動魔法で回避出来たのだ。
「……何か、申し訳なかったっす」
マルスが悄然とすると、オズワルドは立ち上がって目を伏せた。
「いや、私も過剰反応してしまったようだ」
「そう、すね」
先程の反応は同性愛に対する拒絶反応だった。それも、既に経験して心的障害になっているぐらいの……。
マルスは取り繕う様に、ニコリと笑った。
「でも、僕は貴方をどうこうする気はありません。と言うより、ドロシー王女に焼き殺されます」
「あぁ……」
ドロシーがマルスを焼き殺すところを容易に想像出来たオズワルドは同意した。
「想い……伝えられただけで僕は満足ですし!」
「その、まあ……何か悪かった」
「リデル様謝ってばかりですね。うーん……ま、そうそう僕と同類のヒトって居ないっすよ。ただね、1つだけお願いしたい事があるんです」
「……何だ? 内容次第ではお前を」
「皆まで言わないで下さい! 恐いんすよ、目が!」
コホンと咳払いして、マルスは改めてオズワルドに真剣な目を向けた。
「オズワルド様……って、お呼びしてもいいですか?」
「……は?」
拍子抜けする頼み事に、オズワルドはポカンとしてしまった。
「ファーストネームでお呼びした方が親しみ感あるって言うか……。駄目っすか?」
「駄目も何も……私は呼び方など気にしていない。周りが勝手にファミリーネームで呼んでいるだけだ。好きな様に呼べばいい」
「そうっすか! じゃあ、オズワルド様で! あの……前々から気になっていたんですけど、それって本当にファミリーネームなんすか?」
「……どう言う意味だ」
「あぁ……いえ、別に。特に確信がある訳じゃないっすけど、何となく。ミドルネームなんじゃないかって思って。僕の思い過ごしならいいです」
マルスはなかなかに勘の鋭い男だった。
オズワルドはいつだって気を張って生きている。周りに弱みを見せない様にと、どんな時でも冷静で傲慢な男を演じてきた。隙を見せてしまったのはドロシーの前ぐらいで、それ以外の者は気付く筈もないと思われたのだが……。
オズワルドはマルスに対して嘘をつく必要はないと感じ、小さく首肯した。
「今まで誰も気付く事はなかった。疑いもしなかったよ」
「……本当の家名を名乗れない理由、あるんすよね」
「理由なく隠す必要などないだろう」
無意識にオズワルドの視線は、マルスの鎧の右肩部に刻まれた国章に向いていた。
目敏いマルスはその意味に気付くと、急に心臓がキュッと締め付けられる様な想いがした。実際に痛んでなどいないのに、つい心臓を押さえていた。
「……どうした?」
オズワルドは悲痛な表情を浮かべるマルスに不安の目を向けた。
マルスはハッと気付くと、コロッと表情と態度を改め楽しそうにまたワインボトルを前に出した。
「とにかく飲みましょうよ。ね? オズワルド様」
「……仕方ない。今夜だけ付き合ってやる」
「ちょっ。その言い方変に解釈しちゃうじゃないっすか」
「その愉快な頭、磨り潰してやろうか」
「いやいや! 冗談ですって! もう、恐いなぁ」
2人は並んで座り、マルスが何処からか出したワイングラス片手に星空の下ワインを酌み交わした。
今宵の空はいつにもなく沢山の星で彩られていて美しく、つい溜め息が零れてしまう。数刻前まで星の代わりに夜空を七色に染め上げていた花火も美しかったが、やはり自然には敵わない。
星が瞬き、涼しげな澄んだ夜風が吹き抜ける。
すると、その合間を擦り抜ける様に綺麗で悲しい旋律が聞こえてきた。マルスの耳にもはっきりと届くそれは歌だった。しかも、声に聞き覚えがあった。
マルスは宿舎へ向いている身体を声のする方へと向け、歌に誘われる様に歩いて行った。
紺碧の空にちりばめられた星々は手を伸ばせば届きそうなぐらい近くに感じられ、じっと見つめていれば吸い込まれてしまいそうだった。
夜間は誰も出入りしない食料庫、その屋根の上にオズワルドの姿はあった。
不安などを感じた時此処で歌うのが好きだった。
皆が住む場所とは離れた場所にあるので、歌声を聞いて不快な想いをさせる事もない。実際、オズワルドの歌声は種族や性別、年齢を問わず全ての者を魅了する力があるのだが、ハーフエルフと言う事だけで皆は認めようとはしなかった。
オズワルドの心を映した様な悲しい旋律は星空へ美しく響き渡る。
恐らく居館に居るエルフらの耳には届いてしまっているだろうが、それはもうどうしようもないし、どうでもよかった。今は不安を紛らわす為に歌いたかった。
「いやあ……綺麗なもんっすね」
背後から青年の声が聞こえ、オズワルドはピタリと歌うのを止めた。
訝しげに向き直れば、黒と浅葱の2色の短髪の青年が窓から屋根へ足を下ろしていた。
青年はへらへら笑いながらオズワルドに躊躇いなく近付いて来る。
「リデル様、こんばんは!」
「……マルス。私に何か用か?」
オズワルドの目はまだ警戒の色を宿していた。
マルスは両手を挙げ、敵意がない事を必死に示す。
「ちょ、酷いっすよ~! 僕達、街でデートした仲じゃないですかっ」
「はぁ?」
オズワルドの眼光が更に鋭くなり、いよいよマルスにも余裕がなくなった。
「恐い恐い恐い!! 今日はいつもに増してツンツンしてません!?」
「私は通常通りだが? 大体、用もないのにこんなところにまで来るな」
「え~……。だって、綺麗な歌声が聞こえたんですもん。気になるに決まってるじゃないっすか」
「それは…………悪かった」
「えぇっ!? な、何でリデル様が謝るんです? えーっと、僕褒めているっすよ?」
「そう言う事だからお前は宿舎に戻れ。これから休憩なんだろ?」
「どう言う事!? うーん……じゃあ、分かりました。戻ります」
マルスにしてはあっさりと引き下がり、踵を返した。
不思議に思ったが、オズワルドは邪魔者を追い払えて満足だった。
正直なところマルスの事は嫌いではないが、だからこそ一緒に居たくなかった。今日の様な日は、特に。何事もなく行事を終わらせるにはハーフエルフである自分は空気を演じなければならない。
ところが、残念な事にマルスは数分後に戻って来た。しかも、未開封のワインボトルを抱えて。
隣に立ち並んだマルスに、オズワルドは顔を思い切り顰めた。
「何しに来た」
「何しにって、こんな星明かりの下でやる事といったら!」
マルスはワインボトルを自分の顔まで持って行き、横から満面の笑みを浮かべた顔をひょこっと出した。
「これでしょう!」
「それ……騎士達とやればよくないか?」
「何処までも今日はツンツンなんですね……。マルス、悲しくて泣いちゃう。だけど、いつかデレが来ると信じてるっす!」
「何だそれは。よく分からないが、私に構うな。今は独りで居たい」
「……だから、構いたくなるんすよ」
ワインボトルを下ろしたマルスの表情はこれまで見た事のない真剣なもので、サファイアブルーの猫目は真っ直ぐオズワルドの琥珀色の瞳を見つめていた。
オズワルドはいつもと違うマルスの様子にゾクッとした。
暫しの沈黙が下りると、先にマルスの方が口を開いた。
「僕はオズワルド・リデル様、貴方の事が好きです」
「それは前にも聞いたが……」
オズワルドが相変わらずのマルスの雰囲気に戸惑いつつ返すと、マルスは苦笑した。
「ええ。言いましたね。でも、リデル様……何か勘違いしてません?」
「言っている意味が……」
「僕、ゲイなんですよ」
「…………」
「だからですね? 好きって言うのは恋愛対象として、です」
「…………!?」
オズワルドは一気に青ざめ、後退る。踵が屋根の縁を踏んだ。
「そ、そそそれは……! ちょ、ちょっと……と言うか、大分? と、とにかく無理だ!」
「そんなに!? その反応、さすがに傷付くっすよ!?」
オズワルドの狼狽え様に、マルスも狼狽えた。
「わ、悪い……。そう言った趣味はない、から」
「でしょうね!? 大抵はそうっすよ! それより落ちるっすよ!!」
マルスが手を伸ばすと、オズワルドは更に引き下がり身体がぐらついた。
「あっ……」
重力に従って、身体が落ちていく。
マルスの伸ばした手は空を掴んだだけだった。
「リデル様――!」
マルスの叫びが木霊すると、突然オズワルドを目映い光が包み一瞬で消し去った。
「はあ……」
マルスが驚く間もなく後ろからオズワルドの溜め息が聞こえ、振り返ってみれば彼が脱力した様にしゃがみ込んでいた。
心配せずとも、魔術師である彼ならば空間移動魔法で回避出来たのだ。
「……何か、申し訳なかったっす」
マルスが悄然とすると、オズワルドは立ち上がって目を伏せた。
「いや、私も過剰反応してしまったようだ」
「そう、すね」
先程の反応は同性愛に対する拒絶反応だった。それも、既に経験して心的障害になっているぐらいの……。
マルスは取り繕う様に、ニコリと笑った。
「でも、僕は貴方をどうこうする気はありません。と言うより、ドロシー王女に焼き殺されます」
「あぁ……」
ドロシーがマルスを焼き殺すところを容易に想像出来たオズワルドは同意した。
「想い……伝えられただけで僕は満足ですし!」
「その、まあ……何か悪かった」
「リデル様謝ってばかりですね。うーん……ま、そうそう僕と同類のヒトって居ないっすよ。ただね、1つだけお願いしたい事があるんです」
「……何だ? 内容次第ではお前を」
「皆まで言わないで下さい! 恐いんすよ、目が!」
コホンと咳払いして、マルスは改めてオズワルドに真剣な目を向けた。
「オズワルド様……って、お呼びしてもいいですか?」
「……は?」
拍子抜けする頼み事に、オズワルドはポカンとしてしまった。
「ファーストネームでお呼びした方が親しみ感あるって言うか……。駄目っすか?」
「駄目も何も……私は呼び方など気にしていない。周りが勝手にファミリーネームで呼んでいるだけだ。好きな様に呼べばいい」
「そうっすか! じゃあ、オズワルド様で! あの……前々から気になっていたんですけど、それって本当にファミリーネームなんすか?」
「……どう言う意味だ」
「あぁ……いえ、別に。特に確信がある訳じゃないっすけど、何となく。ミドルネームなんじゃないかって思って。僕の思い過ごしならいいです」
マルスはなかなかに勘の鋭い男だった。
オズワルドはいつだって気を張って生きている。周りに弱みを見せない様にと、どんな時でも冷静で傲慢な男を演じてきた。隙を見せてしまったのはドロシーの前ぐらいで、それ以外の者は気付く筈もないと思われたのだが……。
オズワルドはマルスに対して嘘をつく必要はないと感じ、小さく首肯した。
「今まで誰も気付く事はなかった。疑いもしなかったよ」
「……本当の家名を名乗れない理由、あるんすよね」
「理由なく隠す必要などないだろう」
無意識にオズワルドの視線は、マルスの鎧の右肩部に刻まれた国章に向いていた。
目敏いマルスはその意味に気付くと、急に心臓がキュッと締め付けられる様な想いがした。実際に痛んでなどいないのに、つい心臓を押さえていた。
「……どうした?」
オズワルドは悲痛な表情を浮かべるマルスに不安の目を向けた。
マルスはハッと気付くと、コロッと表情と態度を改め楽しそうにまたワインボトルを前に出した。
「とにかく飲みましょうよ。ね? オズワルド様」
「……仕方ない。今夜だけ付き合ってやる」
「ちょっ。その言い方変に解釈しちゃうじゃないっすか」
「その愉快な頭、磨り潰してやろうか」
「いやいや! 冗談ですって! もう、恐いなぁ」
2人は並んで座り、マルスが何処からか出したワイングラス片手に星空の下ワインを酌み交わした。