「ドロシー王女。出来ましたよ」

 メイドが1歩下がり、一礼した。
 目の前の姿見には、ドレス姿のドロシーとその1歩後ろにメイドが映っていた。
 此処はドロシーの自室の隣にある試着専用の部屋で、広い室内に置かれたクローゼットの中には数え切れない程の大量のドレスやその他の衣装が収納されている。
 ドロシーは全体を確認し、笑顔で頷いた。

「ありがとうございます」

 国立記念祭用に仕立てられたドレスは彼女には珍しい漆黒で、控えめのレースとリボンにフリル、そして腰回りを美しく見せるAラインと足首までの長さの裾が大人っぽさを演出している。豊満な胸元を強調する様に露になったデコルテの上で、薔薇の形にカットされたルビーのペンダントが天井の明かりを乱反射させて煌めく。ピアスも同じ物だ。
 また下ろした髪はサイドで丁寧に編み込んであり、青みがかった白の花飾りが差してある。
 光沢のある純白のヒールはステップが踏みやすいように、やや控えめの高さだ。
 鏡に映る窓硝子に、七色の光が映り込む。
 ドロシーは振り返り、窓の近くまで歩いて行くとそれをじっくりと眺めた。

「花火。今年も綺麗ですわ」

 闇夜を彩る光の花々はとても幻想的で、咲いて散る度に心が弾む。
 この日の為にヴィダルシュの街は街を飾り付けて商いを増やし、盛り上げてきた。早朝から種族問わず心が満たされた1日は、打ち上げ花火で締めくくる。
 しかし、王城の祭りはこれからだ。街を見て回っていた各国の代表が集まり、会食と舞踏を心ゆくまで楽しむ。
 ノックの音が聞こえ、次いで扉の向こうから気品のある女性の声がドロシーを呼んだ。
 ドロシーがメイドを引き連れて扉へ向かい、メイドが扉を開けるとそこには姉のシンシア王女が立っていた。
 シンシアもこの日の為に銀髪に映えるワインレッドのドレスを着用し、ドレスと同じ生地で作られたリボンをいつものハーフアップした髪に付けていた。

「お姉様! 素敵ですわ」

 ドロシーが興奮気味に言うと、シンシアは頬を染めて「そんな事より」と話題を戻した。

「もう支度はよくて?」
「はい!」
「では、行きますわよ。くれぐれも粗相のないようにね」
「勿論ですわ」

 シンシアに連れられ、ドロシーはパーティ会場へと向かった。


 居館の大広間は床一面に金色の花の刺繍が施されたボルドーの絨毯が敷かれ、純白な内壁には金の縁の窓枠が幾つか嵌め込まれて薄いカーテンが掛けられている。そして、天井では全てにダイアモンドを使用した巨大なシャンデリアが星の様にキラキラ輝いていた。
 東側には料理の並んだ丸テーブルが幾つか置かれ、西側には広いスペースが設けられている。
 今宵の来客である人間、エルフ、竜族、小人、獣人の王族や宮廷魔術師が此処に集っていた。
 皆、各々立食をしたり、談笑を楽しんだりしてざわついていた。人口比率は東側に集中しているが、西側にもちらほらとダンスの練習をする者達の姿が見受けられた。
 大扉が開き、まずはシンシアが、そして少し落ち着かない様子のドロシーが入って来た。皆の視線が自然と2人に、特に姉の背に隠れているドロシーへと向いた。

「き、緊張……しますわ」
「……堂々としていなさい」

 シンシアはドロシーに向き直って両肩を掴むと、口角を上げた。それに倣い、ドロシーも必死に笑顔を作った。
 シンシアが先に皆の輪に加わり、ドロシーは胸を張って歩き出した。
 ドロシーが歩く度に薔薇の香りがふわりと香り、髪が波打ち豊満な胸がユサリと揺れる。そんな可愛らしさの中に上品さと妖艶さを兼ね備えた王女に心奪われない男性は居なかった。
 何名かの男性が我先にとドロシーに声を掛けて来た。

「ドロシー王女! よかったら食事をご一緒に……」
「あの、希望があれば僕が料理取って来ます!」
「いつもの赤いドレスも素敵ですが、そちらも素敵ですね。よくお似合いです」

 彼らは皆、ミッドガイア王国の王族でドロシーの婚約者候補の者達だった。他にも、妖精や獣人も頬を紅潮させて寄って来ていた。
 ドロシーは1人1人に笑顔で応え、それがまた周りからの好感度アップに繋がって同性からも嫉妬ではなく羨望を向けられた。
 また1人、婚約候補者がやって来た。既に出来上がった逆ハーレムにも物怖じせず、ドロシーの隣を陣取った。

「あら。ご無沙汰しておりますわ。フレイ様」

 ドロシーが嫌な顔をせずに微笑むと、フレイと呼ばれた彼はその反応を待っていたとばかりにすぐに微笑み返した。他の男性陣には白い目で見られているが、彼の世界には目の前の想い人以外は存在していなかった。

「ドロシー様、暫く見ないうちにこんなにご立派に……。そして、益々美しくなられた」
「お褒めいただけて光栄ですわ。フレイ様も男らしくて素敵です」
「私は予てよりこの時を待っておりました。貴女が社交界デビューをなさる……この時を」

 フレイの真っ直ぐな瞳がドロシーの瞳を捕らえた。

「以前城内でお見掛けした時から私は一時も貴女の事を忘れる事が出来ず、それからお話する機会にも何度か恵まれ、明るく……時には力強い、崖上に咲き誇る一輪の花の如く美しい貴女にどんどん惹かれていきました。そして、今宵この胸の内を貴女にお伝えしたい」

 フレイは軽く息を吸い、ギュッとドロシーの手を掴んだ。

「ドロシー様、私は貴女の事が好きです。私と結婚して下さい」

 すると、ドロシーよりも先に周りの男性陣が反応し、フレイに罵声を浴びせ始めた。
 婚約の申し込みはハートフィールド国王陛下を通してからでないと行ってはならない規則になっており、当然フレイの行為は規則違反だった。
 フレイは罵声にも負けず、ドロシーの桜色の唇が動くのをじっと待っていた。
 やがて、ドロシーはフレイの手をそっと振り解くと眉を下げて笑った。

「ごめんなさい。貴方のお気持ちはとても嬉しいです。しかし、わたしには既に想いを寄せている方がいるのです。その方以外はわたしの心を奪う事など出来ないでしょう……」

 ドロシーの脳裏には、水色の髪に琥珀色の瞳の宮廷魔術師の姿が浮かんでいた。彼はドロシーの想いを本気で受け取る事はないだろう。けれど、それでもドロシーは構わないと思える程に彼に心を奪われていた。きっと、これからも。
 盛大にフラれてしまったフレイは勿論、他の男性陣も落胆し、暫し言葉を失った。
 そして、すぐに王女の恋慕の相手の姿を血眼で探した。
 だが、居る筈はない――――と、ドロシーは思っていたのだが、ふと視界の端に水色の髪が見えた気がして、視線を横へずらして見ると……

「え? 嘘……」

 濃紺のローブを着た水色の髪の男性の後ろ姿があった。彼はハートフィールド国王陛下と立食していた。
 ドロシーの視線に気付いた王が手招きし、ドロシーは先程とは真逆の何処か頼りない足取りで彼らのもとへ歩み寄った。
 王の姿を認めたドロシーの取り巻き達はさすがにバツが悪くなって、そそくさと散っていった。

「あ、あの……」

 ドロシーが声を掛けると彼が振り返り、その顔にドロシーは瞠目して落胆した。
 彼はオズワルドではなかった。
 冷静になってみれば、共通点は性別と水色の髪と言うだけで、髪の長さは肩より下で束ねて横に流しており、瞳は真っ青な海の色、背丈も彼よりもう少しあって顔も大人びていた。しかも、男性はエルフだった。
 ヒト違いだった事が恥ずかしくなり、ドロシーは言葉を失って目を伏せた。顔が沸騰しそうなぐらい熱かった。
 王は娘の機微に気付いて微苦笑すると、エルフの彼を手の平で指し示した。

「こちら、アゲートヘイム王国の宮廷魔術師の方だ」

 紹介に預かった彼は恭しく一礼した。

「お初にお目にかかります。ドロシー様。私はダンタリオン・D・ブルースターと申します。以後、お見知りおきを」
「あ……は、はい」

 ダンタリオンの優しげな笑みに、一層ドロシーの鼓動が早まった。
 外見だけでない。ダンタリオンの1つ1つの所作に、愛しい彼の面影を見た。
 ダンタリオンは不意に視線を外し、窓の外を見た――――と言うより、訊いている風だった。
 ドロシーは首を傾けた。

「どう……なさいましたか?」
「いえ」

 ダンタリオンは何事もなかったかの様に取り繕い、ドロシーに手を差し出した。

「ドロシー様。よろしければ、私と一曲踊っていただけませんか?」
「えっ……あ、はい。お願い、します……」

 ドロシーが怖ず怖ずと手を重ねると、ダンタリオンは微笑みその手を引いて皆が集まりだした方へと誘った。
 その時、ドロシーは一瞬誰かの視線を感じて振り返ったが、その先で兄のヴィルヘルム王子がエルフの来客達と会話しているだけだった。
 ドロシーがダンタリオンに連れられて去って行くと、ヴィルヘルムはもう1度ドロシーに視線を向けた。その視線は兄のものではなく、1人の男のものであったが、誰もそれに気付く事はなかった。
 端に構えた音楽集団らのヴァイオリンの優雅な演奏が始まると、ペアとなった者達が踊り出す。
 踊りながら、ダンタリオンはヴァイオリンの演奏ではない、もっと美しい音色を1人聴いていた。

 エルフ語。しかも、この歌は……。一体誰が歌っているのだろうか。