オズワルドとドロシーは最後に竜族一家と朝食を共にした。これ以上の迷惑は掛けられなかったので礼を言ってすぐに帰りたかったのだが、陽気な彼らのペースに流されて気付いたら食卓を囲っていた。
 料理は肉とスパイスばかりの夕食とは違い、果物を中心としたあっさりとしたもので異国の2人にも馴染みやすかった。特にオズワルドは数日ぶりの食事とあって、胃に優しくありがたかった。
 食後の紅茶と談笑を楽しんだ後、オズワルドとドロシーは皆に礼を言って席を立った。

「一晩のつもりが私の不注意のせいで長居してしまった。迷惑をかけてすまなかった。それからありがとう。……これを」

 オズワルドが懐から取り出した巾着をイーサンに差し出した。
 何かよく分からないまま取り敢えず受け取ったイーサンはずっしりとした重さに驚き、次いで中身を確認して首をゆるゆる横に振った。

「これは受け取れないよ。家は宿屋ではないからね」

 貫禄のある笑顔で、オズワルドにそれを返した。
 あっさり返されてしまった金貨の重みに、オズワルドは納得がいかず「しかし……」と食い下がろうとした。
 今度はイーサンの妻が前に出て来て、笑顔で制した。

「いいのよ。見返りを求めた訳じゃないから反って悪いわ。オズワルドくんが元気になってくれただけで満足よ」

 オズワルドはどうにも背中がむず痒かったが、小さく頭を下げて大人しく巾着をしまった。
 しかし、まだオズワルドとドロシーの顔は納得しておらず、イーサンは微笑むと人差し指を立てた。

「それなら、1つ頼み事があるんだが」
「はい! 何でしょう?」

 真っ先に応えたドロシーの表情はパッと明るくなり、オズワルドもイーサンの言葉を期待している様子だった。

「まったく……律儀だねぇ。うん。頼み事と言うのは、伝言……みたいなものだ。ヴィダルシュ城に私の孫が騎士として務めていてね、数日前に別件でヴィダルシュに行った時についでに挨拶しようかと思ったのだが……何せ突然だったから不在で逢う事が出来なかったんだ。だから、孫に宜しく伝えておいてほしい」
「お孫さん……ですか……」

 ドロシーは目を瞬かせ、記憶を手繰り寄せる。
 騎士は第1から第3までの団があり、それぞれ団長、副団長を含め40人体制だ。さすがに1人1人の顔と名前は記憶していなかった。
 オズワルドもまた、騎士団とはあまり関わりのない為にイーサンの孫が誰なのか見当が付かなかった。
 2人が黙り込んだ事を見兼ねてイーサンはこう付け加えた。

「マルス・リザ―ディア。黒と浅葱の2色の髪が特徴的だから見ればすぐに分かるよ。それに、彼は第2騎士団の副団長を任されているみたいだからね」
「あっ……」

 オズワルドとドロシーは同時に声を漏らすと、脳裏にあの陽気な騎士の顔が浮かんだ。ミッドガイア王国を発つ時に見送ってくれたのが彼だった。
 そもそも、イーサンが最初に名乗った時にファミリーネームで気付けた筈だった。
 異国の地での意外な繋がりに驚きつつも、2人はもう1度リザ―ディア一家にきちんと礼を述べた後ブルーヴェイル王国を発った。


 帰りの海上列車の中、ドロシーは行きの時の様にはしゃぐ事はせずにオズワルドの隣に座って静かにしていた。
 スペースがあるのに、はたまた向かい側が空いているのにもかかわらず、ピッタリ密着して来るドロシーにさすがに困惑したオズワルドは窓の方に寄って少しだけスペースを空けた。が、また詰められて壁とドロシーに挟まれる形になり今度こそ抜け出せなくなった。
 オズワルドは溜め息をついた。

「ドロシー。そんなに密着する意味あるか? 端から見たら不自然だぞ」
「端から見たら恋人に見える……の間違いではありませんか?」

 ドロシーは何食わぬ顔で言って見せ、オズワルドは頭痛がしてきた。

「夜あんなに恥ずかしがっていたのに、何が違うと言うんだ」
「よ、夜……って、変な言い方しないで下さい! それはもう1段階先と言いますか……。と、とにかく! まずはこう言う距離感をとってからですね……」
「はいはい。ところで……」

 ドロシーを適当にあしらった後、オズワルドはさらりと話題を変えた。
 それに不服ながらも、ドロシーは話を聞く体制を取った。

「結局私は何日寝ていたんだ?」
「えーっとですね……。5日間です」
「そんなにか。何というか、迷惑掛けたな。お前には礼を言っていなかった……ありがとう。その……色々……」

 オズワルドは珍しく歯切れが悪く、ドロシーと目を合わせようとしなかった。ふと、窓硝子に映る自分の姿が目に入り、そこに黒髪黒目の別次元の自分の姿が重なった。

 あれ? 何か忘れている様な……。

 ドロシーは暫く不思議そうにオズワルドを見つめていたが、はたと重要な事を思い出してやや大きめな声を上げた。弾みで、オズワルドの思考は何処かへ行った。

「あと2日後ですわ!」
「2日後……あぁ」

 初めは何の事だか心当たりがなかったオズワルドだが、思い出して少しばつが悪そうに表情を歪めた。

「国立記念祭、か」

 ミッドガイア王国国立記念祭。年に1度王都ヴィダルシュを中心に行われる国の恒例行事で、王都では街全体が華やかに飾り付けられて露店も増え1日の終わりには打ち上げ花火を上げるのだ。
 また、ヴィダルシュ城には各国の代表が集い会食や舞踏を楽しむ。国にとっては他国との交友を深める行事でもあった。

「そうですわよ。16になったわたしも行事への参加が許されたので、とても楽しみにしているのです。しかし、不安でもあるのです……」
「そこは陛下や王子がエスコートしてくれるだろ。シンシア王女も居るし」
「そうですね。唯、それでも不安がありまして……だから、ですね」

 ドロシーは上目遣いにオズワルドを見たが、彼は眉1つ動かさなかった。
 ムッとしてドロシーは続けた。

「オズワルド、貴方に行事への参加をしていただきたいのです」
「それは……出来ないな」

 いつもは即答するオズワルドが少しばかり間を置きながら控えめに返答すると、ドロシーは落胆しすぐに彼を問い詰めた。

「何故ですか? 貴方は宮廷魔術師。地位も実力も申し分ない筈です。それに、他国からも宮廷魔術師は招かれます。……やはり、エルフが来るからでしょうか」

 最後の言葉は問いと言うよりは確認だった。
 オズワルドは最後の言葉に深く頷いた。

「私はハーフエルフだ。どの種族にもよく思われていない……特にエルフには。せっかく友好な関係にあるのにそれを自ら崩す事など出来ない。お前はもう随分と立派だよ。1人でも大丈夫だ。自信を持て」
「……わたし、どうしても納得がいきませんわ」
「何がだ」
「だって、オズワルドにもエルフの血が流れているのに……。半分は同族なのに。そんなに避ける事、ないのに……」
「それは……」

 “穢れた血”だから……。

 表面上は笑顔で固い握手を交わしているが、実のところエルフにとって人間は憎むべき種族。決して相容れぬ存在なのだ。それを否定するかの様なオズワルドの存在は国辱そのもの。
 ハーフエルフをミッドガイア王国の宮廷魔術師に据えている事には渋々目を瞑っている彼らだが、国の重要行事に参加したとなると忽ち態度を一変させ平和条約破棄と言う事も十分にあり得る。
 オズワルドは曖昧に笑うと、ドロシーの頭を撫でた。

「どちらにせよ、私はそう言った華やかな場所は好まない。ダンスも得意ではないからな」
「ダンスが得意ではない、は嘘ですよね!? 貴方、歌もダンスも得意だし、文字も絵も上手だし、頭は良いし、運動神経抜群で強いし、容姿端麗……あと、優しい」

 ドロシーは頭を撫でられている事に頬を赤らめていたが、やがてオズワルドの手が離れると微かに寂しそうな顔をし、すぐに眉をつり上げて八つ当たりの様に言い放った。

「苦手な事ないんですか!? 隙がなさ過ぎです!」

 オズワルドは数秒考える素振りをすると、天井を仰ぎぼやいた。

「あるよ。多分、1つだけ」
「えっ? えっ? 何です?」

 ドロシーが純粋な目を向けて身を乗り出すと、オズワルドはそっぽを向いて目を閉じた。

「……言わない」

 鼓動が速くなり、身体が熱くなる。
 隣で心地良い薔薇の香りがいつまでもしていたのだった。