食後にはもう1つの特産品である茶葉で淹れたお茶が用意された。これはオズワルドもドロシーもありがたかった。
 湯気の立つお茶は澄んだオレンジ色で、仄かにハーブの香りがした。
 オズワルドがお茶を一口飲んで落ち着いているところへ、イーサンが声を掛けて来た。

「そう言えば、オズワルドくん。君はハーフエルフ……だよね」

 え? と一斉に視線がオズワルドへ集中した。
 オズワルドは動揺する事なく静かにカップをソーサーに置くと頷いた。

「そう。外見は貴方達と同じ様に人間に見えるが、1つだけ変えられないものがある」

 空いた手で水色の横髪を耳に掛けた。その露になった耳は人間にしては少し尖っていた。

「こうすれば大概騙せるからな」言いながら、オズワルドは耳を髪で覆い隠した。「貴方達を騙すつもりはなかったが」

 その言葉は別の誰かは騙している、或いは騙していたと言う口ぶりだった。
 竜族は他者を差別しない者が多いが、全てがそうではなく少なからずハーフを認めない者もいる。
 しかし、イーサンからは嫌悪感はなく寧ろ身内に向ける様な暖かな眼差しをハーフエルフに向けていた。

「最初に会った時すぐには気付かなかったけど、今改めて見るとね……線の細さや雰囲気がエルフっぽいんだよね。あぁ、悪い意味ではないからね。実はね、私の長女もハーフなんだ。竜と人のね」

 長女は此処にはいないが、長男と3女は居る。つまり、彼らもハーフなのかとオズワルドとドロシーは思ったが、彼らの母でありイーサンの妻でもある女性を見てその考えはあっさりと消え去った。彼女は竜族である。
 2人が疑問に思うのも想定内だったイーサンは話を続けた。

「最初の妻との間に産まれた娘の事だよ。前妻は人間だった。それ故に寿命が短くてな……もうとっくの昔に死んでしまった。だけど、娘はまだ生きているし子供も2人居る。今は郊外で娘と2人幸せに暮らしているよ。差別の少ないこの国でも生きづらい事もあってね……王都じゃ暮らしていけなかったんだよ。それだけは本当に申し訳ないと思う。だから、勝手ながらオズワルドくんに親近感が沸いてしまったんだ」
「……そうか」

 どう受け答えたら分からなかったオズワルドは一言そう返し、再びお茶に口を付けた。


 湯浴みまでさせてもらったオズワルドとドロシーは、約束通り3女に部屋に案内してもらった。
 大家族だから1室しか空いていないのかもしれないと3女に抗議せず2人で扉を潜ってみたはいいが、ベッドは1つしか置かれていなかった。
 最悪キングサイズで2人横になっても十分なスペースを空ける事は可能だが、年頃の少女は顔を耳まで真っ赤にして後退った。

「オズワルドと同じベッド……っ! う、嬉しいですがっ……! い、いつかはそんな時が来るとは思って……いましたが!? いえいえ!! ま、ままままだそれは早いと言いますか……!」
「……何しているんだ」

 オズワルドは平然とベッドまで移動し、ドロシーを見ていた。
 ドロシーはその場から動かず、唇をわなわな震わせた。

「あ、貴方こそ何しているんですかぁ!? だ、だだ男女がおおお同じ部屋でししし、しかも、同じベベベッドっ……で!! い、一夜を過ごそうだなんてっ……!」
「はあ? 何だそれ。私は娘……いや、孫娘かな……と寝る様なものなんだが」

 何て事ない風にオズワルドは小首を傾げた。
 すると、ドロシーの顔が別の感情で赤くなり頬は栗鼠の様に膨れ上がった。

「わたしは子供じゃありません!」
「……じゃあ、大人の一夜を過ごすか?」

 オズワルドが悪戯に笑うと、ドロシーは眉をつり上げたまま瞳に涙を滲ませ1つに結って横に流していた髪を振り解いた。赤色の長髪がサラッと波打ち、上品な薔薇の香りを散らした。

「オズワルドのばかっ!」

 大きなリボンの髪留めを思い切り投げつける……が、当然ながらオズワルドまでは届かずに近くの床に空しく落ちた。
 オズワルドは困った顔で笑い、髪留めを拾いにいく。

「からかって悪かった。そんなに嫌なら……」
「嫌じゃない!」

 渡された髪留めをドロシーは乱暴に奪い取る。

「……どっちだよ」
「い、嫌じゃ……ないんです。嬉しいんです。で、でも、あの……恥ずかしいと言いますか……」

 ドロシーは髪留めを両手でギュッと握り締めて、気恥ずかしそうに目を伏せた。

「複雑だな。それなら……そうだな……。お前が先に寝ろ。その後、私も寝るから」
「えっ……でも、それだとわたしの寝顔……」
「安心しろ。寝ている間に何もしない」

 そんな心配をしている訳じゃないのに……とドロシーは思ったが、オズワルドのペースに乗せられて自然な足取りでベッドへ向かった。
 ドロシーはベッドに横たわり、奇抜な柄の掛け布団を被ると目を閉じた。
 ブルーヴェイルは半日だけだったが、色んな所を見て回って気持ちも弾んで心身共に疲れた。目を閉じればすぐに睡魔が迎えに来てくれるのだと思った。しかし、どうしても意識をしてしまうのだ。

 オズワルドが傍に居る。

 目を開けて身体を反転させると、ベッドの縁に腰掛けて窓の外を見ている愛しい彼の後ろ姿があった。
 窓の外には青い月が浮かんでいて、その柔らかな光が水色の髪を美しく際立たせ人間離れした美麗な輪郭を創り出していた。

 ああ……綺麗。

 口に出していたのか、オズワルドが不意に振り返った。

「ドロシー。どうした?」

 目が合うと、ドロシーは布団で口元を隠した。
 オズワルドはどこか儚い笑みを浮かべると、顔を前に戻した。
 住人達は皆眠りについたのだろうか。とても静かな夜だった。
 ドロシーはまた身体を反転させ、今度こそ眠ろうと固く瞼を閉じた。

「なあ」

 オズワルドの呼び声に、つい決心が揺らぎドロシーは目を開けてオズワルドの方へ体ごと向けた。
 オズワルドの儚い琥珀色の瞳がドロシーを映していた。

「もし……血縁者だとしたらお前はどうする?」

 え?

 オズワルドは一体いきなり何を言い出すのだろう。ドロシーは目を瞬かせた。
 視線をスッと逸らそうとするオズワルドを呼び止める様に、ドロシーは答えた。

「えっと……それはわたしとオズワルドが、ですか?」
「…………」
「オズワルド? って、あれ?」

 どうしてか彼の横顔が一瞬ハートフィールド陛下と……父と重なって見えた。

「お父様……?」

 ポツリと零すと、父と同じ瞳の色で似た顔でオズワルドは微笑んだ。

「そろそろ眠くなってきたか?」
「いいえ。貴方のせいで何だか目が覚めてしまいましたわ」

 ドロシーがガバッと身を起こすと、途端に華奢な手に頭を押さえつけられそのまま元に戻された。

「若いうちはちゃんと睡眠をとらなければ駄目だ」

 オズワルドの声が間近で聞こえ、布団が丁寧に整えられる。いつの間にかドロシーの傍にオズワルドが来ていたのだ。森の奥で静かに咲き乱れる花の様な甘い香りもした。石鹸や香水ではない、エルフの血を引く彼自身の持つ匂いだった。
 ドロシーの頬はカッと赤くなったが、気にせずオズワルドは言った。

「どうしても眠れないのなら子守歌でも歌ってあげようか?」
「こ、子供じゃないんだから……。でも、オズワルドの歌は好きです。久しぶりに訊きたいですわ」

 ドロシーが控えめに頼むと、オズワルドは横になりドロシーに添い寝する形になった。
 ドロシーは悲鳴を上げそうだったが、オズワルドが歌い始めた為出来なかった。

 エルフの国アゲートヘイムに伝わる恋歌。今は殆ど使われなくなったエルフ語で綴られたその歌をオズワルドは透き通った美しい声で歌い上げる。
 森の奥にひっそりと揺れる湖の様に透き通っていて静かに、夜風の様に心地良く、月の光の様に優しく包み込む。もうそれだけで歌は完成していて、楽器の演奏は不要だった。
 静かな夜半の室内に響く悲しい旋律。
 恋歌は恋歌でも叶わぬ恋の歌。ドロシーが知る由もない別れの物語。それでも、ドロシーが好きだと言ったからオズワルドは歌う。

 ――――揺れる水面に映る影 君を捜して彷徨う
     月影が照らす道標 星の歌に誘われて
     忘れられない君の声
     たとえ君が僕を忘れてしまっても
     僕はずっと憶えている
     
     揺れる水面に映る影 君を捜して彷徨う
     夜明けが迫る道の先 星の歌が聞こえずとも
     忘れられない君の姿
     たとえ君が僕を忘れてしまっても
     僕はずっと憶えている