運び屋は露店とは少し離れた場所に滞在していた。ノボリなどはなかったが、彼の着ているシャツに運び屋を表す共通言語のロゴが大きく記載されていたからすぐに分かった。それと、全体的にがたいの良い国民の中でも一際がたいが良くて厳ついので目に付きやすかった。
ドロシーが運び屋に声を掛けて駆け寄り、オズワルドも続こうと足を踏み出す――――と、立ち眩みがした。
「オズワルド?」
異変を感じてドロシーが踵を返したが、オズワルドは首を振って何ともない風に歩き出した。
「城の近くを経由して街の北方まで頼む」
オズワルドが代わりに運び屋に依頼すると、彼は気前良く引き受けてくれた。
「オッケー! 代金は後で貰う。と、言う事で――――」運び屋の身体が淡く光り、一瞬のうちに大きな竜の姿になった。「ささ、乗った乗った」
これだけの巨体が道に鎮座していると言うのにまだまだ道幅に余裕があるのは、それを想定して設計されているからだ。ヴィダルシュに比べたら無駄に思える程に広いのも頷ける。
まずドロシーが背に乗り、それから彼女を支える様にオズワルドが後ろに乗った。
「じゃあ、行くぜ。振り落とされねーようにしっかりと掴まってな」
バサバサと大きく翼を羽ばたかせると、竜は風を切って空へと舞い上がった。
風圧が物凄く2人は自然と目を伏せていた。頬に当たる空気は冷たく、地上よりももっと澄み切っていた。
2人はほぼ同時に視線を上げ、壮大な景色に息を呑んだ。
コバルトブルーの空はより近く、反対に色取り取りの街は遠く全体が見渡せた。こうして見下ろすと、街の騒がしい色合いは目印として効果を発揮しているのだと気付いた。彼らが意図してそうしたのかは不明だが……。
薄い雲の向こうに石造りの塔が聳え立っていた。塔の周りは崖で、陸路からは到底行き来不可能だった。
塔の天辺に国旗がはためいていた。ブルーヴェイルの国王とその一族が暮らすゼーム城だ。
オズワルドもドロシーも話には聞いていたが、実際に見たのは初めてでヴィダルシュ城とは明らかに形状の異なる造りに不思議な感覚を抱いた。
下手したら魔獣の住まわるダンジョンの様に見える。
運び屋はギリギリまで城へ近付いてくれた。
「すげーだろ。ま、俺も中までは入った事はないがな」
その時、最上階の硝子のない窓から黄金色の竜が飛び去った。
「おっと、ありゃ……」と運び屋が言い掛けると、窓辺から深緑色のローブを着た男性2人が飛び去った竜に向かって必死に叫んだ。
「王よ、お戻り下さい!」
「勝手は許しませんよ! まだ仕事が山積みではありませんか」
黄金色の竜は首を後ろへ捻った。
「ちょっと気分転換して来るだけだから! 決して後をついて来るなよ……って! ぎゃああぁぁっ!? 言ってる傍から!!」
王の後を竜の姿になった側近2人組がすぐさま追い掛けて来て、王は全力で逃げていった。
運び屋と2人の乗客はそのやり取りを呆然と見届け、ドロシーが口を開いた。
「自由な……お方なんですね」
「お前の父親みたいだな」
幼き日のハートフィールド陛下の姿を思い浮かべ、オズワルドはクスッと笑った。
ドロシーは後ろを振り返る。
「お父様が? わたし知りませんわ」
「そりゃ、お前が産まれる前の事だからな」
「そうなんですか。あの、わたし……」
オズワルドの過去を教えてほしい、と言おうとして直前で躊躇った。今まで過去など然して重要なものではないと思ってきた。現在を知っていればそれで十分だと。けれど、父の事を語るオズワルドの顔は穏やかで反対に父もその頃のオズワルド……つまりは過去を知っていると言う事になり、何故かそれが悔しくて寂しく感じた。
その想いは強いのに躊躇ってしまったのは、オズワルドの顔に度々陰りを見たから。今はそんな事はないが、きっと過去に触れようとすればさせたくもない顔をさせてしまうのだろう。それだけは嫌だった。
「何か言い掛けたか?」
オズワルドに問われ、ドロシーは前を向いて首をぶんぶん横に振った。
ゼーム城から少しずつ遠ざかっていく。
徐々に運び屋が加速し始め、そこらで戯れている竜達をぐんぐん追い抜きあっという間に目的地へ辿り着いた。
2人は代金を支払い、運び屋と別れて再び地上を歩いた。
北方である此処は自然が多く、店よりも住宅が多く建ち並んでいた。あまり観光する場所ではないが、国民の暮らしがよく分かるので社会勉強にはもってこいだった。
竜族はよく笑う種族だった。ちょっとした事で声を荒げる人間とは違い、意見が食い違う事があっても笑い飛ばす事で諍いには発展しなかった。
また、身分による差別もなかった。どうしても貧困に喘ぐ者はあれど、必ず誰かが救いの手を差し伸べる。平等で平和で平穏だった。
以前マルスがオズワルドに言っていた。
――――種族関係なく、ああなんだよねぇ。オズくんにも、普通に接してくれるよ。
と。
その言葉が今実感出来た。
長い歴史の中で竜族が発端で起こった戦争は1つとしてないのも、国民の多くがそう言う質だからだ。
国民達の暮らしが十分分かった所で、2人は歩を進め住宅街から離れた。
太陽が大分西へ移動して橙色の光を放っていた。
眩しさに目を細め、ドロシーの一歩先を歩いていたオズワルドは足を止めた。
切り立った崖の上だ。そこからは下界の景色が一望出来た。
途中から枝分かれしている広大な川の向こうに青く煌めく森が果てしなく続いており、更にその向こうに岩肌が剥き出しの土地が見えた。
青く煌めく森の木々が風に揺れる度に硝子がぶつかり合ったかの様な心地の良い音色が聞こえて来たが、人間であるドロシーには聞き取れない音域だった。
ドロシーは時折強く吹く風によろめかない様に、慎重にオズワルドの隣に並んで同じ景色を眺めた。
「綺麗……」
夕影も相俟って、一層幻想的に見えた。
「あれが……アゲートヘイムだ」
オズワルドが消え入りそうな声で言い、ドロシーは彼の顔を見た。
「……エルフの国、ですね」
オズワルドの顔は曇っていた。夕日を受けてオレンジがかっている琥珀色の瞳も微かに揺れていた。
ドロシーはそれ以上は口を噤んで、視線を前に戻した。
エルフの国アゲートヘイム。首都クリスタルエリア。宝石の様に美しい青の果実を実らせる木々に覆われた、外からでは森にしか見えぬその場所に彼らはひっそりと暮らしている。
474年前の人間との戦争の時には森の大部分が焼け、謎に包まれた街が露になったのだが、今では生命力を取り戻した木々に囲まれてまた外からでは見えなくなった。どの国とも友好関係にあるものの、独特の雰囲気から余程の用があるか変わり者ぐらいしか立ち入らない。
オズワルドはエルフの国を見つめたまま、また口を開いた。
「私も国内がどうなっているのか分からない」
ドロシーは黙ってオズワルドの話を聞いていた。
「それでも、少しだけ記憶に残っているんだ。あの木、近くで見た事がある。私は確かにあの国に居たんだ」
そこで言葉を切って、オズワルドは片手で頭を押さえた。
「オズワルド……大丈夫ですか?」
「……私の母親は双子だった。エルフの中では双子は不吉な存在。だから、母と叔父は街外れに追いやられてそこで暮らしていた――――こほ、こほ」
オズワルドが咳き込み膝をつくと、ドロシーは青ざめてすぐに華奢なその背を抱いた。
「だ、大丈夫ですか!?」
オズワルドは顔を上げ、平気でない顔で「平気だ」と告げるとドロシーの手は借りずに立ち上がった。
「まあ、ミッドガイアでの暮らしの方が長いな」
ドロシーが再び見たオズワルドの顔はいつも通りだった。だから、ドロシーはオズワルドの「平気だ」と言う言葉を信じた。
先程の一時の不調は過去を思い出した反動だろう。思い出したくなかった部分まで思い出してしまって、思わず身体が拒絶反応を示したのかもしれない。少なくとも、ドロシーはそう思っていた。
だが、どうしてそこまでしてオズワルドがこれまで語らなかった過去を語ったのかドロシーにはよく分からなかった。
「何故って、私にも分からないよ。唯……何となく、そんな気分だったのかもしれない」
ドロシーの疑問だらけの顔を見たオズワルドは言葉で問われる前に答えていた。
更にドロシーの顔が疑問で埋め尽くされると、オズワルドは身を屈めて彼女の眉間を指で弾いた。
「いった。何するんですの!?」
「お前は表情で何考えているのかすぐに分かる」
「だからわたしの心を読んだかの様に話し出したんですね! って、そんなにわたし顔に出ていない……です?」
「何で半疑問形なんだよ。私がヒトの感情に敏感と言うのもあるが、お前は誰にでも分かるレベルだと思うぞ」
「オズワルドは……時々本音が分かりません」
「そうか? さて、そろそろ宿に行かないとな」
夕日の赤みが更に増していた。東の空からは闇が迫って来ており、直に夜になる。
「そうですわね。あ! と言いますか、わたし達宿の予約取ってないじゃないですか」
ドロシーが慌てふためき、オズワルドは呆れた視線を彼女に向けた。
「今後は後先考えて行動しろ。今からだと泊まれそうもないな……」
2人はその辺を徘徊していた運び屋を捕まえ、宿泊施設のある中心街に急いで戻った。
ドロシーが運び屋に声を掛けて駆け寄り、オズワルドも続こうと足を踏み出す――――と、立ち眩みがした。
「オズワルド?」
異変を感じてドロシーが踵を返したが、オズワルドは首を振って何ともない風に歩き出した。
「城の近くを経由して街の北方まで頼む」
オズワルドが代わりに運び屋に依頼すると、彼は気前良く引き受けてくれた。
「オッケー! 代金は後で貰う。と、言う事で――――」運び屋の身体が淡く光り、一瞬のうちに大きな竜の姿になった。「ささ、乗った乗った」
これだけの巨体が道に鎮座していると言うのにまだまだ道幅に余裕があるのは、それを想定して設計されているからだ。ヴィダルシュに比べたら無駄に思える程に広いのも頷ける。
まずドロシーが背に乗り、それから彼女を支える様にオズワルドが後ろに乗った。
「じゃあ、行くぜ。振り落とされねーようにしっかりと掴まってな」
バサバサと大きく翼を羽ばたかせると、竜は風を切って空へと舞い上がった。
風圧が物凄く2人は自然と目を伏せていた。頬に当たる空気は冷たく、地上よりももっと澄み切っていた。
2人はほぼ同時に視線を上げ、壮大な景色に息を呑んだ。
コバルトブルーの空はより近く、反対に色取り取りの街は遠く全体が見渡せた。こうして見下ろすと、街の騒がしい色合いは目印として効果を発揮しているのだと気付いた。彼らが意図してそうしたのかは不明だが……。
薄い雲の向こうに石造りの塔が聳え立っていた。塔の周りは崖で、陸路からは到底行き来不可能だった。
塔の天辺に国旗がはためいていた。ブルーヴェイルの国王とその一族が暮らすゼーム城だ。
オズワルドもドロシーも話には聞いていたが、実際に見たのは初めてでヴィダルシュ城とは明らかに形状の異なる造りに不思議な感覚を抱いた。
下手したら魔獣の住まわるダンジョンの様に見える。
運び屋はギリギリまで城へ近付いてくれた。
「すげーだろ。ま、俺も中までは入った事はないがな」
その時、最上階の硝子のない窓から黄金色の竜が飛び去った。
「おっと、ありゃ……」と運び屋が言い掛けると、窓辺から深緑色のローブを着た男性2人が飛び去った竜に向かって必死に叫んだ。
「王よ、お戻り下さい!」
「勝手は許しませんよ! まだ仕事が山積みではありませんか」
黄金色の竜は首を後ろへ捻った。
「ちょっと気分転換して来るだけだから! 決して後をついて来るなよ……って! ぎゃああぁぁっ!? 言ってる傍から!!」
王の後を竜の姿になった側近2人組がすぐさま追い掛けて来て、王は全力で逃げていった。
運び屋と2人の乗客はそのやり取りを呆然と見届け、ドロシーが口を開いた。
「自由な……お方なんですね」
「お前の父親みたいだな」
幼き日のハートフィールド陛下の姿を思い浮かべ、オズワルドはクスッと笑った。
ドロシーは後ろを振り返る。
「お父様が? わたし知りませんわ」
「そりゃ、お前が産まれる前の事だからな」
「そうなんですか。あの、わたし……」
オズワルドの過去を教えてほしい、と言おうとして直前で躊躇った。今まで過去など然して重要なものではないと思ってきた。現在を知っていればそれで十分だと。けれど、父の事を語るオズワルドの顔は穏やかで反対に父もその頃のオズワルド……つまりは過去を知っていると言う事になり、何故かそれが悔しくて寂しく感じた。
その想いは強いのに躊躇ってしまったのは、オズワルドの顔に度々陰りを見たから。今はそんな事はないが、きっと過去に触れようとすればさせたくもない顔をさせてしまうのだろう。それだけは嫌だった。
「何か言い掛けたか?」
オズワルドに問われ、ドロシーは前を向いて首をぶんぶん横に振った。
ゼーム城から少しずつ遠ざかっていく。
徐々に運び屋が加速し始め、そこらで戯れている竜達をぐんぐん追い抜きあっという間に目的地へ辿り着いた。
2人は代金を支払い、運び屋と別れて再び地上を歩いた。
北方である此処は自然が多く、店よりも住宅が多く建ち並んでいた。あまり観光する場所ではないが、国民の暮らしがよく分かるので社会勉強にはもってこいだった。
竜族はよく笑う種族だった。ちょっとした事で声を荒げる人間とは違い、意見が食い違う事があっても笑い飛ばす事で諍いには発展しなかった。
また、身分による差別もなかった。どうしても貧困に喘ぐ者はあれど、必ず誰かが救いの手を差し伸べる。平等で平和で平穏だった。
以前マルスがオズワルドに言っていた。
――――種族関係なく、ああなんだよねぇ。オズくんにも、普通に接してくれるよ。
と。
その言葉が今実感出来た。
長い歴史の中で竜族が発端で起こった戦争は1つとしてないのも、国民の多くがそう言う質だからだ。
国民達の暮らしが十分分かった所で、2人は歩を進め住宅街から離れた。
太陽が大分西へ移動して橙色の光を放っていた。
眩しさに目を細め、ドロシーの一歩先を歩いていたオズワルドは足を止めた。
切り立った崖の上だ。そこからは下界の景色が一望出来た。
途中から枝分かれしている広大な川の向こうに青く煌めく森が果てしなく続いており、更にその向こうに岩肌が剥き出しの土地が見えた。
青く煌めく森の木々が風に揺れる度に硝子がぶつかり合ったかの様な心地の良い音色が聞こえて来たが、人間であるドロシーには聞き取れない音域だった。
ドロシーは時折強く吹く風によろめかない様に、慎重にオズワルドの隣に並んで同じ景色を眺めた。
「綺麗……」
夕影も相俟って、一層幻想的に見えた。
「あれが……アゲートヘイムだ」
オズワルドが消え入りそうな声で言い、ドロシーは彼の顔を見た。
「……エルフの国、ですね」
オズワルドの顔は曇っていた。夕日を受けてオレンジがかっている琥珀色の瞳も微かに揺れていた。
ドロシーはそれ以上は口を噤んで、視線を前に戻した。
エルフの国アゲートヘイム。首都クリスタルエリア。宝石の様に美しい青の果実を実らせる木々に覆われた、外からでは森にしか見えぬその場所に彼らはひっそりと暮らしている。
474年前の人間との戦争の時には森の大部分が焼け、謎に包まれた街が露になったのだが、今では生命力を取り戻した木々に囲まれてまた外からでは見えなくなった。どの国とも友好関係にあるものの、独特の雰囲気から余程の用があるか変わり者ぐらいしか立ち入らない。
オズワルドはエルフの国を見つめたまま、また口を開いた。
「私も国内がどうなっているのか分からない」
ドロシーは黙ってオズワルドの話を聞いていた。
「それでも、少しだけ記憶に残っているんだ。あの木、近くで見た事がある。私は確かにあの国に居たんだ」
そこで言葉を切って、オズワルドは片手で頭を押さえた。
「オズワルド……大丈夫ですか?」
「……私の母親は双子だった。エルフの中では双子は不吉な存在。だから、母と叔父は街外れに追いやられてそこで暮らしていた――――こほ、こほ」
オズワルドが咳き込み膝をつくと、ドロシーは青ざめてすぐに華奢なその背を抱いた。
「だ、大丈夫ですか!?」
オズワルドは顔を上げ、平気でない顔で「平気だ」と告げるとドロシーの手は借りずに立ち上がった。
「まあ、ミッドガイアでの暮らしの方が長いな」
ドロシーが再び見たオズワルドの顔はいつも通りだった。だから、ドロシーはオズワルドの「平気だ」と言う言葉を信じた。
先程の一時の不調は過去を思い出した反動だろう。思い出したくなかった部分まで思い出してしまって、思わず身体が拒絶反応を示したのかもしれない。少なくとも、ドロシーはそう思っていた。
だが、どうしてそこまでしてオズワルドがこれまで語らなかった過去を語ったのかドロシーにはよく分からなかった。
「何故って、私にも分からないよ。唯……何となく、そんな気分だったのかもしれない」
ドロシーの疑問だらけの顔を見たオズワルドは言葉で問われる前に答えていた。
更にドロシーの顔が疑問で埋め尽くされると、オズワルドは身を屈めて彼女の眉間を指で弾いた。
「いった。何するんですの!?」
「お前は表情で何考えているのかすぐに分かる」
「だからわたしの心を読んだかの様に話し出したんですね! って、そんなにわたし顔に出ていない……です?」
「何で半疑問形なんだよ。私がヒトの感情に敏感と言うのもあるが、お前は誰にでも分かるレベルだと思うぞ」
「オズワルドは……時々本音が分かりません」
「そうか? さて、そろそろ宿に行かないとな」
夕日の赤みが更に増していた。東の空からは闇が迫って来ており、直に夜になる。
「そうですわね。あ! と言いますか、わたし達宿の予約取ってないじゃないですか」
ドロシーが慌てふためき、オズワルドは呆れた視線を彼女に向けた。
「今後は後先考えて行動しろ。今からだと泊まれそうもないな……」
2人はその辺を徘徊していた運び屋を捕まえ、宿泊施設のある中心街に急いで戻った。