こぶしを利かせた力強い歌声は天まで届き、竜達の羽ばたきを一時停止させて道行く者達の足を止めさせた。
 何週間か1度行われる若い竜族の音楽集団の歌と踊りは同族からも根強い人気があった。
 歌詞は聞き慣れない言語で、竜族は勿論の事オズワルドもそれが古代竜語だと気付いていた。唯、比較的若い竜族や人間とエルフのハーフであるオズワルドには詳しい事は分からなかった。
 ブルーヴェイルの大木から作られた弦楽器や打楽器の奏でる伸びやかな音色や独特の舞いから、民謡である事は想像に難くなかった。
 やがて演奏が終了し、歌い手であり団長であるスレンダーな女性が頭を下げた。途端に歓声が波の様に押し寄せ、それに呑み込まれてしまわぬ様ドロシーも必死に拍手喝采を贈った。

「ブルーヴェイル国民の皆様、そして観光客の皆様。わたくしどもの演奏をお聴き下さって、本当にどうもありがとうございます。既にお気付きかと思いますが、わたくしが歌わせていただいた歌は古代竜語で我が国の歴史を謳ったものです」

 頭を上げた歌い手が丁寧に歌詞の解説をし始めた。
 竜族は全種族最長寿で、歴史も1番深く長い。しかし、昔から楽観的な性格の者が多く歴史の記録はいい加減な部分ばかりだった。そこを何とか掻き集めて民謡として後世に語り継いでいるのだ。
 ざっくり言ってしまえば、全勝無敗の最強種族と言う事である。その上、戦いの勝ち負けに一切拘らないと言う寛大さ。他の種族から羨望の対象にさせるのも当然の事だった。他の国よりも観光客数が圧倒的に多いのもそれが理由だった。
 話しやすい国民、争いがなく過ごしやすい街、観光だけでなく永住したい国ナンバーワンなのだ。

 周りの満たされた空気にドロシーは、己の立場を強く感じた。王位はきっと女性であり次女である自分には渡される事はないだろうが、王族である以上何よりも国民の事を考えなければならない。国民を安心させどの国からも愛される様な豊かな国を目指すのが常の目標だ。王の言った社会勉強とはそう言う事だった。

「わたし、すっかりこの国が気に入りました。我が国もそう思っていただける様にしたいですわ……いえ、します」

 先程までの好奇心旺盛の少女の顔ではなく、一国の王女の顔をしていた。
 ドロシーの短時間での成長にオズワルドは琥珀色の瞳を細め、意気込むその頭を撫でた。

「立派になったな」
「ちょ、ちょっと! 子供扱いしないで下さいっ」

 ドロシーは仰け反り、恥じらいを含ませた瞳でオズワルドを精一杯睨んだ。

「その反応は逆効果だと思うが」
「むぅ~」

 口では到底オズワルドには敵わない。
 ドロシーは諦め、帰り支度をしている音楽集団の横を通り過ぎて案内板を眺めた。少し遅れてやって来たオズワルドも同じ物を眺めた。

「ゼームは広いですわねー……。馬車とかはないのかしら」
「あはは。竜族に馬車は必要ないよ」

 ドロシーに応えたのは、帰り支度中の音楽集団の歌い手だった。彼女はオズワルドの隣に来て微笑み、振り向いたドロシーにも微笑んだ。

「そう、なんですの?」

 その問いにはオズワルドが答えた。

「飛べば早いだろ」
「あぁ……」

 ドロシーは駅で別れたイーサンの事を思い出した。彼は自宅へ向かってひとっ飛びだった。
 王城も更に高所に位置して徒歩で向かう事は不可能だが、翼のある彼らには容易い事だった。もし多種族の者が向かいたい場合は城の使いの者が翼を貸してくれるのだ。

「と、言う事は……」
「各地点に居る運び屋の竜に賃金支払えば街中何処へでも、何なら王都以外にも連れていってもらえるよ」

 歌い手がそう言って親指を上に立てた。

「なるほど。それは知りませんでした。教えて下さってどうもありがとうございます」
「貴女、あたし達の演奏を真剣に聴いてくれていたね。お礼を言いたいのはこっちの方さ。2人ともミッドガイアから観光に来たのかい?」
「ええ。より愛を深める為に参ったのです」
「愛? ふふ。そうか」

 歌い手はドロシーとオズワルドを順に見て納得した。
 オズワルドをハーフエルフだとは気付けず見たままの年齢にしか見えない彼女からして見れば、2人は仲睦まじい恋人同士の様に見えた。

「羨ましいねぇ。美男美女カップルじゃないか。あたしは夢追い掛けるのに必死で恋愛なんてしてる暇なかったな。お幸せに!」
「ありがとうございます。きっと貴女も良いお方に出逢えますわ」
「そんときゃウェディングソングを此処で披露しようかな」

 あははと、豪快に笑いながら歌い手は仲間達を引き連れて上空へと本来の姿で飛び立っていった。
 オズワルドは終始、女性2人の盛り上がりに入る事が出来なかった。それを肯定と捉えたのか、ドロシーは勝ち誇った笑みでオズワルドの腕に絡み付いた。

「では観光を続けましょう。愛を深める為に」
「先程褒めたのを撤回させてもらおうか」

 オズワルドは溜め息混じりに言った。

「それはそれ。これはこれ。んー……ブルーヴェイルに来たのなら特産品はもう1度見るべきですわね」

 パイナップルとその他の南国果実はサラッと見たが、その他はまだだった。街中至る所に露店はあるので、今度はまだ行っていない王城方面に向かう事にした。
 向かっている途中、オズワルドはさり気なくドロシーの腕を振り解いた。
 王城に近付くにつれ、更なる賑わいが2人を迎えた。
 露店の数は入り口付近より圧倒的に多くなり、客数もそれに比例した。また、露店だけでなく、屋内店も街道沿いに立ち並んでいた。
 特産品を扱う店は勿論、主婦達が買いに来る食材やタオル、衣類などの日用品、冒険者に必須の武器防具店、薬屋、宿泊施設、此処に来れば全てが揃う。

「ドロシー。先に宿……」

 オズワルドが言い終える前に、ドロシーは露店へ走っていってしまった。
 オズワルドは肩を竦め、彼女の後を追った。
 太陽が頂上から西へ滑り降りている現時刻、宿泊予約で混み合い始めるので早めに予約をしたかった。王国側は2人に対して港までの送り迎えしかしてくれず、後の事は自分達で何とかするしかなかった。それも含め社会勉強だった。
 ドロシーは露店に並ぶ茶葉を見、実際に香りを嗅いだりしていた。
 中年の女性店主が商品を指し示した。

「そっちの茶葉はウーロンよ。そんで、こっちがミッドガイアでも人気のホーリィライトね」

 ホーリィライトは王宮でもよく振る舞われる、一般国民にしてみれば高級な茶葉の1つである。満月の夜に摘まれたそれは、黄金色の水色(すいしょく)に上品な白薔薇の様な香りがし、ストレートでもミルクを入れても美味しく味わえる。
 茶葉にうるさいオズワルドは興味津々にドロシーと一緒になって茶葉を眺めた。
 さすがは原産国。ミッドガイアよりも遙かに多くの種類の茶葉が当然の様に並んでいる。そのどれもが知識としてあるだけで、実物まで見た事のない物ばかりだった。

「やはりお茶が好きなんですね」

 ドロシーは嬉しそうなオズワルドを見て嬉しそうだ。
 オズワルドは頷いて、茶葉を真剣に選ぶ。せっかくなので、ミッドガイアでは手に入らない種類が欲しい。
 上流階級らしく、此処から此処まで全部! と言っても金銭的には問題ないのだが、そう言った大雑把さは持ち合わせていないオズワルドは真面目にこれだと言う物だけを選び抜く。そうして購入したのは5種類だ。茶葉の入った紙袋を抱えたオズワルドはご満悦の様子だった。

「今度、その茶葉でお茶を淹れて下さいね」
「気が向いたらな」

 オズワルドが曖昧な返答をする時は決まって肯定したと言う事。彼とずっと一緒だったドロシーにはお見通しで、ドロシーの心は弾んだ。

「茶葉買ったなら、お茶請けに菓子なんてどうよ?」

 隣の露店から女性と見間違う外見の男店主が2人に手を振った。
 花柄のテーブルクロスの上には、ドライフルーツやクッキーなどの焼き菓子がズラリと並んでいた。どれも美味しそうで色形が愛らしく、ドロシーの乙女心をギュッと掴んだ。

「この猫型クッキー可愛いですわ」
「ね、猫……」

 オズワルドの笑顔が引き攣った。生き物でなくとも、猫を象っている物は全て苦手の対象だった。幼い頃のトラウマがそうさせるのだが、もう彼自身記憶が曖昧で覚えておらず恐怖だけが残ってしまっている状態だった。最早迷宮入りだった。
 オズワルドのトラウマに気付かない男店主は、うっとりとした顔で頬杖を付いた。

「猫の獣人さんにも人気なんだよ。僕、猫が好きでさー。あ、食べるって意味じゃないよ? 竜族は肉大好きで猫喰う奴も居るけど。僕は猫と戯れるのが好きなんだ」
「分かります。わたしも猫大好きですわ。いつもはツンツン素っ気ないのに、実は甘えたがり屋さんで」

 ドロシーはオズワルドを一瞥し、クッキーに視線を戻した。
 オズワルドは一瞥の意味が分からず訝しげな表情を浮かべた。

「では、この猫クッキーを1袋とそちらの花びらキャンディを2袋下さい」
「はいはい。毎度ありがとうございます。猫好き仲間として、こっちの猫マドレーヌをおまけしとくよ」
「まあ。嬉しいですわ」

 ドロシーは代金と引き換えに、甘いお菓子を受け取った。