列車から一歩踏み出すと、全身ひんやりとした澄んだ空気に包まれた。凍える程ではないが、この時期のミッドガイアよりも遙かに冷えていた。日陰だともっと体感温度は下がるだろう。
同じ様に列車から降りた乗客達は大半が竜族だった様で、皆解放された様に本来の姿へと戻って大きな翼を羽ばたかせて飛び去った。
ブルーヴェイル国内に限り国民の自由飛行が許されているとあって、今日もブルーヴェイルの大空は沢山の竜が飛び回っていた。
視線を空から地上へ移すと、まるで統一感のない色取り取りの建造物からなる街があった。自由奔放で騒がしい国民の性質を反映したかの様だった。
街を眺めているオズワルドとドロシーのもとへ、イーサンが笑顔で歩み寄った。
「どうだい? 我が国の王都ゼームは素晴らしいものだろう。是非楽しんでいって下され」
「ええ。とっても素敵なところですわ」
ドロシーが答えると、イーサンは2人に頭を下げた。
「車内では同席させてくれてありがとう。それでは、私はこれで」
ぶわっと強風が巻き起こり、2人が目を伏せるとイーサンは目の前から消えた。そして、再びその姿が確認出来たのは上空。浅葱色の巨体の竜が翼を羽ばたかせて2人をサファイアブルーの瞳で見下ろしていた。
オズワルドとドロシーがイーサンに会釈を返すと、イーサンは街へ向かって飛び去っていった。
「私達も行こうか」
オズワルドが歩き出し、その際にさりげなくドロシーの荷物を持った。
「あっ……」
「にしても、馬鹿みたいに重いな……これ」
リボンやフリルのあしらわれた女の子らしい鞄は、その見た目に反してずっしりとしていた。
礼を言おうとしていたドロシーの口からは、忽ちオズワルドへの文句が溢れた。
「馬鹿とは何ですか! わたしの荷物は馬鹿ではありませんっ」
「訂正するところはそこか」
ドロシーはオズワルドの横に並び、鞄を掴んだ。
「自分の荷物ぐらい自分で持てます。そう言う貴方こそ、手ぶらですけど大丈夫なんですの?」
「必要な物は現地調達するから問題ない。逆に、たかが一泊するのにそんな大荷物なお姫様の方がどうかしてるよ」
オズワルドはドロシーに荷物を返そうとはしなかった。
「女の子には色々あるんです!」
「色々ねー……」
400年以上生きて来て、未だに理解出来ない事の1つが所謂乙女心である。
「それはそうと、わたしの荷物!」
ドロシーはしつこくも鞄を掴んで離さなかった。
「護衛らしくそれぐらいはお持ちしますよ、お姫様?」
オズワルドが態とらしく微笑むと、ドロシーは頬を赤らめてそっぽを向いた。
「その笑顔は卑怯ですわ……」
2人は階段を下り、本格的にゼームへ足を踏み入れた。
色取り取りの建造物が建ち並ぶ街道には沢山の露店が構えており、商人らが必死に道行く者を呼び止めては商品を勧めている。
茶葉、スパイス、ビタミンカラーの果実、鉱物など、商品の多くがブルーヴェイルの特産品で観光に来たエルフや獣人などは興味を示している。
住民達はと言うと、子供達は人混みを掻き分けながら無邪気に駆け回り、主婦達は噂話に花を咲かせ、広場の案内板前では若い集団が歌や踊りを披露して観光客を喜ばせていた。
360度何処からも陽気な音や雰囲気が伝わって来る街だった。
まだまだ人生経験の浅いドロシーは楽しくて仕方がない様子だった。オズワルドの腕を引っ張って様々な場所に連れ回した。
オズワルドにとって何となく既視感のある展開だった。
まず、ドロシーが興味を持ったのは露店だ。街を入って1番に目につくものだ。
「これ! このヘンテコな果物はなんですの?」
ドロシーが男性客を押し退けて、ズイッと商人の前に出た。
オズワルドは客がエルフだと気付くとそっと謝り、ドロシーの隣に並んだ。エルフは舌打ちして去って行き、その際「汚らわしいハーフエルフめ」と本人にしか聞こえない声で吐き捨てた。
彼らの反応には慣れていたので今更傷付く事はないが、どれだけ時が経とうと変わらないそれに呆れていた。
それよりも今はドロシーだ。
商人はミーハー娘にも嫌な顔を一切せず、八重歯を見せて笑った。
「初めて見るのかい。こいつぁ、パイナップルさ! 甘酸っぱくてジューシーでそのまま食べてもよし、絞ってジュースにしてもよしの我ら竜族の大好物だ」
とげとげとした黄色い皮は竜の鱗の様。無造作に広がるしっかりとした葉は生命の力強さを感じた。
オズワルドは商人に不快な想いをさせていない事に一先ず安心した。
「兄ちゃん、そのパイナップルってやつを俺に売ってくれ」
横から太い毛むくじゃらの腕が伸びてきた。獣人だった。身体は相当毛深い人間の男性の様だが、頭部は狼そのものだった。
竜族の商人は気前よく、1番大きなパイナップルをドンと差し出した。
「ありがとよ。値段は全部一緒だから」
「うむ。最近うちの1番下の娘が食欲なくってな。きっとこれなら喜んで食べてくれる」
「パイナップルには元気の源ビタミンがたっぷり含まれているからな。すぐに元気になるさ。今度はその娘さんと買いに来てくれよ」
「ああ」
獣人は商人に代金を支払うと、パイナップルを抱えて足早に去って行った。
まだパイナップルをじっと眺めているドロシーに、商人はニカッと笑った。
「お嬢ちゃんも1つどうだい? 特別に安くしとくよ」
「そうですわねー……しかし、荷物になってしまいますし」
チラッとオズワルドを見て、これ以上持たせる訳にはいかないと思った。自分が持つのもきっと意外にも従順な護衛が許してくれなさそうだ。
「んー……。じゃあ――」と商人がパイナップルをポーンと空中に放ったかと思うと、風属性のマナを操作し食べやすいサイズに切り分けた。
そして、商人はいつの間にか用意した皿でパイナップルを受け止めた。
ちょっとした芸になっていて、周りからは歓声が上がった。その中心にいるオズワルドとドロシーは少し居心地が悪かった。
商人は竹串にパイナップルを団子の様に幾つか連ねて刺しそれを2本、2人の前に出した。
「これなら荷物にはならないだろう?」
商人は胸を反らした。
ドロシーは戸惑いの後、すぐに表情を変え瞳をキラキラ輝かせた。
「凄いですわ! これが巷で聞く“食べ歩き”と言うものですね!?」
「行儀悪いぞ」と、オズワルドは注意するがドロシーはまるで聞いてなどいなかった。
ドロシーは懐からお金を取り出し、嬉々とした顔で商人の手に握らせた。
「勿論買いますわ!」
「おう! 毎度あり……って、お嬢ちゃん、大分金が多いんだが」
「それはわたしの感謝の気持ちです。ありがたく受け取っておいて下さいませ」
感謝の気持ちと言っておきながらありがたく受け取れとは……。オズワルドは微苦笑した。
オズワルド以外には口うるさくする者が存在しない異国で、ドロシーは大いに自由を満喫した。
初めての食べ歩きは食卓にきちんと着いて物音を立てずに食べている時よりも、断然素材の味が美味しく感じ、自然を思う存分味わった。
「パイナップルって美味しいですね」
最後の一欠片を咀嚼し終えたドロシーは口周りを舌でペロリと舐め、オズワルドに振り返った。
彼はもう既に完食していた。
「ドロシー……。行儀が悪い」
「えー? だって、オズワルドだって同じじゃないですか」
「私の事はいいんだよ。お前は王女なんだ。もっと自覚を持て」
「そうですけれど……何だか納得がいきません」
ドロシーが不満げな目をオズワルドに向けると、平常通りの彼の顔は何処か寂しげな色を纏っていた。
オズワルド・リデルはドロシー・メルツ・ハートフィールドとは違い、最初から今の地位と名誉を手にしていた訳ではない。どれだけ蔑まれようが、虐げられようが、辱められようが、底辺から這い上がって来たのだ。勿論、その過去はオズワルド自身と彼の過去を知っていると言う水星の魔女シーラしか知らない。
その為、上流階級の礼儀作法を重要視しておらず一般国民の行いもある程度は理解出来るのだが、産まれも育ちも王族のドロシーはそうではない。ドロシーにはそうであってほしくないと思っていた。それこそが幸せなのだと信じていたのだ。
オズワルドの胸中は知る事は出来なかったドロシーではあるが、彼の僅かな表情や雰囲気の変化に気付きこれ以上の反論は控えた方がいいと判断した。
話題を逸らす様にドロシーは歌と踊りを披露する若者集団の方に視線を向けた。
「何でしょう。とっても楽しそうですわ」
パイナップルを食べて歩いている間に、2人は広場に来ていた。
一面煉瓦造りで街の案内板と噴水がある、ヴィダルシュとよく似た広場だった。案内板の前にドロシーの興味の対象が居た。
「民謡だな」
聞こえて来た歌声にオズワルドはそう零した。
ドロシーが歌声に誘われる様にふらふら歩いて行き、オズワルドも後に続いた。
同じ様に列車から降りた乗客達は大半が竜族だった様で、皆解放された様に本来の姿へと戻って大きな翼を羽ばたかせて飛び去った。
ブルーヴェイル国内に限り国民の自由飛行が許されているとあって、今日もブルーヴェイルの大空は沢山の竜が飛び回っていた。
視線を空から地上へ移すと、まるで統一感のない色取り取りの建造物からなる街があった。自由奔放で騒がしい国民の性質を反映したかの様だった。
街を眺めているオズワルドとドロシーのもとへ、イーサンが笑顔で歩み寄った。
「どうだい? 我が国の王都ゼームは素晴らしいものだろう。是非楽しんでいって下され」
「ええ。とっても素敵なところですわ」
ドロシーが答えると、イーサンは2人に頭を下げた。
「車内では同席させてくれてありがとう。それでは、私はこれで」
ぶわっと強風が巻き起こり、2人が目を伏せるとイーサンは目の前から消えた。そして、再びその姿が確認出来たのは上空。浅葱色の巨体の竜が翼を羽ばたかせて2人をサファイアブルーの瞳で見下ろしていた。
オズワルドとドロシーがイーサンに会釈を返すと、イーサンは街へ向かって飛び去っていった。
「私達も行こうか」
オズワルドが歩き出し、その際にさりげなくドロシーの荷物を持った。
「あっ……」
「にしても、馬鹿みたいに重いな……これ」
リボンやフリルのあしらわれた女の子らしい鞄は、その見た目に反してずっしりとしていた。
礼を言おうとしていたドロシーの口からは、忽ちオズワルドへの文句が溢れた。
「馬鹿とは何ですか! わたしの荷物は馬鹿ではありませんっ」
「訂正するところはそこか」
ドロシーはオズワルドの横に並び、鞄を掴んだ。
「自分の荷物ぐらい自分で持てます。そう言う貴方こそ、手ぶらですけど大丈夫なんですの?」
「必要な物は現地調達するから問題ない。逆に、たかが一泊するのにそんな大荷物なお姫様の方がどうかしてるよ」
オズワルドはドロシーに荷物を返そうとはしなかった。
「女の子には色々あるんです!」
「色々ねー……」
400年以上生きて来て、未だに理解出来ない事の1つが所謂乙女心である。
「それはそうと、わたしの荷物!」
ドロシーはしつこくも鞄を掴んで離さなかった。
「護衛らしくそれぐらいはお持ちしますよ、お姫様?」
オズワルドが態とらしく微笑むと、ドロシーは頬を赤らめてそっぽを向いた。
「その笑顔は卑怯ですわ……」
2人は階段を下り、本格的にゼームへ足を踏み入れた。
色取り取りの建造物が建ち並ぶ街道には沢山の露店が構えており、商人らが必死に道行く者を呼び止めては商品を勧めている。
茶葉、スパイス、ビタミンカラーの果実、鉱物など、商品の多くがブルーヴェイルの特産品で観光に来たエルフや獣人などは興味を示している。
住民達はと言うと、子供達は人混みを掻き分けながら無邪気に駆け回り、主婦達は噂話に花を咲かせ、広場の案内板前では若い集団が歌や踊りを披露して観光客を喜ばせていた。
360度何処からも陽気な音や雰囲気が伝わって来る街だった。
まだまだ人生経験の浅いドロシーは楽しくて仕方がない様子だった。オズワルドの腕を引っ張って様々な場所に連れ回した。
オズワルドにとって何となく既視感のある展開だった。
まず、ドロシーが興味を持ったのは露店だ。街を入って1番に目につくものだ。
「これ! このヘンテコな果物はなんですの?」
ドロシーが男性客を押し退けて、ズイッと商人の前に出た。
オズワルドは客がエルフだと気付くとそっと謝り、ドロシーの隣に並んだ。エルフは舌打ちして去って行き、その際「汚らわしいハーフエルフめ」と本人にしか聞こえない声で吐き捨てた。
彼らの反応には慣れていたので今更傷付く事はないが、どれだけ時が経とうと変わらないそれに呆れていた。
それよりも今はドロシーだ。
商人はミーハー娘にも嫌な顔を一切せず、八重歯を見せて笑った。
「初めて見るのかい。こいつぁ、パイナップルさ! 甘酸っぱくてジューシーでそのまま食べてもよし、絞ってジュースにしてもよしの我ら竜族の大好物だ」
とげとげとした黄色い皮は竜の鱗の様。無造作に広がるしっかりとした葉は生命の力強さを感じた。
オズワルドは商人に不快な想いをさせていない事に一先ず安心した。
「兄ちゃん、そのパイナップルってやつを俺に売ってくれ」
横から太い毛むくじゃらの腕が伸びてきた。獣人だった。身体は相当毛深い人間の男性の様だが、頭部は狼そのものだった。
竜族の商人は気前よく、1番大きなパイナップルをドンと差し出した。
「ありがとよ。値段は全部一緒だから」
「うむ。最近うちの1番下の娘が食欲なくってな。きっとこれなら喜んで食べてくれる」
「パイナップルには元気の源ビタミンがたっぷり含まれているからな。すぐに元気になるさ。今度はその娘さんと買いに来てくれよ」
「ああ」
獣人は商人に代金を支払うと、パイナップルを抱えて足早に去って行った。
まだパイナップルをじっと眺めているドロシーに、商人はニカッと笑った。
「お嬢ちゃんも1つどうだい? 特別に安くしとくよ」
「そうですわねー……しかし、荷物になってしまいますし」
チラッとオズワルドを見て、これ以上持たせる訳にはいかないと思った。自分が持つのもきっと意外にも従順な護衛が許してくれなさそうだ。
「んー……。じゃあ――」と商人がパイナップルをポーンと空中に放ったかと思うと、風属性のマナを操作し食べやすいサイズに切り分けた。
そして、商人はいつの間にか用意した皿でパイナップルを受け止めた。
ちょっとした芸になっていて、周りからは歓声が上がった。その中心にいるオズワルドとドロシーは少し居心地が悪かった。
商人は竹串にパイナップルを団子の様に幾つか連ねて刺しそれを2本、2人の前に出した。
「これなら荷物にはならないだろう?」
商人は胸を反らした。
ドロシーは戸惑いの後、すぐに表情を変え瞳をキラキラ輝かせた。
「凄いですわ! これが巷で聞く“食べ歩き”と言うものですね!?」
「行儀悪いぞ」と、オズワルドは注意するがドロシーはまるで聞いてなどいなかった。
ドロシーは懐からお金を取り出し、嬉々とした顔で商人の手に握らせた。
「勿論買いますわ!」
「おう! 毎度あり……って、お嬢ちゃん、大分金が多いんだが」
「それはわたしの感謝の気持ちです。ありがたく受け取っておいて下さいませ」
感謝の気持ちと言っておきながらありがたく受け取れとは……。オズワルドは微苦笑した。
オズワルド以外には口うるさくする者が存在しない異国で、ドロシーは大いに自由を満喫した。
初めての食べ歩きは食卓にきちんと着いて物音を立てずに食べている時よりも、断然素材の味が美味しく感じ、自然を思う存分味わった。
「パイナップルって美味しいですね」
最後の一欠片を咀嚼し終えたドロシーは口周りを舌でペロリと舐め、オズワルドに振り返った。
彼はもう既に完食していた。
「ドロシー……。行儀が悪い」
「えー? だって、オズワルドだって同じじゃないですか」
「私の事はいいんだよ。お前は王女なんだ。もっと自覚を持て」
「そうですけれど……何だか納得がいきません」
ドロシーが不満げな目をオズワルドに向けると、平常通りの彼の顔は何処か寂しげな色を纏っていた。
オズワルド・リデルはドロシー・メルツ・ハートフィールドとは違い、最初から今の地位と名誉を手にしていた訳ではない。どれだけ蔑まれようが、虐げられようが、辱められようが、底辺から這い上がって来たのだ。勿論、その過去はオズワルド自身と彼の過去を知っていると言う水星の魔女シーラしか知らない。
その為、上流階級の礼儀作法を重要視しておらず一般国民の行いもある程度は理解出来るのだが、産まれも育ちも王族のドロシーはそうではない。ドロシーにはそうであってほしくないと思っていた。それこそが幸せなのだと信じていたのだ。
オズワルドの胸中は知る事は出来なかったドロシーではあるが、彼の僅かな表情や雰囲気の変化に気付きこれ以上の反論は控えた方がいいと判断した。
話題を逸らす様にドロシーは歌と踊りを披露する若者集団の方に視線を向けた。
「何でしょう。とっても楽しそうですわ」
パイナップルを食べて歩いている間に、2人は広場に来ていた。
一面煉瓦造りで街の案内板と噴水がある、ヴィダルシュとよく似た広場だった。案内板の前にドロシーの興味の対象が居た。
「民謡だな」
聞こえて来た歌声にオズワルドはそう零した。
ドロシーが歌声に誘われる様にふらふら歩いて行き、オズワルドも後に続いた。