居館(パラス)の中央最上階に位置する謁見の間からは、城門の様子がしっかりと窺えた。
 大きな窓際に立ち、国王陛下は第2王女と宮廷魔術師の出立を見守っていた。
 城の者達と何もトラブルがなく、無事に向こう岸まで渡った事に安堵する。
 背後からカツカツと足音が近付いて来た。振り返らずにいる王の隣に、王とよく似た青年が並んで窓の外を睨んだ。

「何故彼を一緒に行かせたのですか」
「オズワルドが気に入らんか?」

 王が顔を向けると、ヴィルヘルムの整っている顔立ちは酷く醜く歪んでいた。

「当然です。彼はハーフエルフなんですよ? 世界に脅威をもたらしている魔女達と同じ血が通っている……」
「それは随分な偏見だな。それならばエルフは全て敵と言う事になってしまう。我が国も同じ過ちを繰り返したくはない。……昔はお前もオズワルドに懐いておったのにな」
「子供の頃の話です。それに、ドロシーがオズワルドのもとへ行くから私はついて行っただけで……」
「森で迷子になったお前をいち早く見つけ出し、城へ連れ帰ってくれたのもオズワルドだ」
「……そんな事もありましたね。だけど、ハーフエルフは存在するだけでよく思われないのも事実。異質で汚らわしい存在。私が王位を継いだら彼を国外追放してやる」

 拳を握るヴィルヘルムを王は涼しい顔で眺めていた。

「残念だが、次期国王はお前には譲らんよ」
「ま、まさか妹達に!?」

 ヴィルヘルムは心外だと言う様に後退る。
 王はそれ以上何も語らず、随分と小さくなった馬車の姿を追っていた。


 ガタゴトとふかふかの座席から振動が伝わる。大きな窓から見える景色はエメラルドグリーンの海一色で、何処までも続いている。
 ヴィダルシュ城を発ったオズワルドとドロシーは城下街の港で海上列車に乗り換えた。

 竜族の国ブルーヴェイルは同大陸の反対側、内海の向こうに位置する為一般的に海上を移動するのだ。
 一昔前は船が主流だったが、現在は魔術と技術の発達によって海上に魔術を施して列車を走らせる海上列車へと移行されつつある。
 海上列車の方が圧倒的に安全で早いが、陸路で行く事も出来る。その場合、山を越え、川を越え、また山を越え、エルフの国を通過して漸く辿り着ける。冒険者ならともかく、一般の者や勿論王族などはそんな無謀な旅路を選択したりなどしない。

 床一面やや光沢のあるボルドーの絨毯が敷かれる車内はボックス席が幾つも連なっていて、そのうちの1つをオズワルドとドロシーは向かい合わせで利用していた。
 ドロシーは窓に貼り付き、幼子の様にアメジスト色の瞳をキラキラさせた。

「オズワルド、見て下さい。海ですわよ」
「ああ。海だな。……と言うか、それ程珍しいものでもないだろ。城は湖に建てられてるんだし」

 オズワルドは横目に景色を見た。

「湖とは規模が違います。もう、貴方はロマンがないですね。あ、ほら! 海鳥が沢山飛んでいますわ」

 陽光を浴びた羽が一層白く浮き立ち、一面の青の中で輝いていた。
 オズワルドは未だにドロシーの見ているものに関心を示さず、頬杖をついていた。
 暫く同じ景色が続き、さすがのドロシーも窓の外への興味をなくして大人しくなった。オズワルドに話し掛けようとすると、彼は本を開きとっくに1人の空間に浸っていた。

「せっかく2人で居るのに……」

 ドロシーはしゅんっと俯いた。
 そこへ1つの足音が近付いて来て、傍らでトンッと止まった。

「ここ座ってもよろしいかな?」

 ドロシーとオズワルドが顔を上げると、通路から此方を覗き込む初老の男性の姿があった。
 浅葱色の短髪に優しげなサファイアブルーの瞳、グレーのジャケットにズボンと言うまさに紳士的な出で立ちだった。身長も結構あった。

「いいですわよ」

 ドロシーはにこりと微笑み、オズワルドの隣に移動して席を譲った。

「ありがとう。失礼するよ」

 男性は丁寧に頭を下げ、2人の向かいにゆっくり腰を下ろした。
 オズワルドは本を懐にしまい、男性を見た。

「……竜族か」
「ご名答。これは仮の姿でね。本来はとても大きな竜さ。当然、車内には収まらないね」
「そうだったのですか。わたしには人間にしか見えませんでしたけれど……」

 ドロシーは男性の姿を頭から爪の先までしっかり見、首を傾けた。
 男性は優雅に笑った。

「見た目には違いはないからね。しかし、ほら」

 男性がジャケットを捲ると、筋肉質の腕を覆う真っ青な鱗が露になった。
 オズワルドは平然としており、ドロシーは初めて見るそれに驚いた。
 男性はジャケットを元に戻した。

「鱗だけは消せなくてね。なかなかイカしてるだろう? そう言う君達は……特にそちらの少年はもしや」

 男性の視線はオズワルドの顔、正しくは琥珀色の瞳に向けられていた。

「ミッドガイア王国の国王陛下……いや、ヴィルヘルム王子では?」
「違います」とドロシーが即答した。
「お兄様はもっとふて腐れた顔をしていますわ!」

 両手で目をつり上げて、全く似ていない顔真似まで披露した。

「お兄様……?」

 男性が気になったのは顔真似の方ではなかった。
 オズワルドは顔半分を片手で覆い隠し、ドロシーはきょとんとした。

「と言う事は君は王女様かい?」

 男性に言い当てられ、ドロシーの顔が青ざめた。
 特に正体を隠していた訳ではないが、公務で来た訳でもない。単なる社会勉強と称した完全プライベート旅行だ。出来る事なら一般人として通したかった。
 オズワルドは諦め、男性の問いを肯定した。

「この方はミッドガイア王国第2王女ドロシー・メルツ・ハートフィールド様だ。そして私は宮廷魔術師のオズワルド・リデル。王女の社会勉強としてブルーヴェイルへ向かっているところだ」
「ドロシー王女にオズワルド様か。これは偶然にして幸運ですな。私も名乗らないと失礼だから名乗らせてもらうよ。私はイーサン・リザ―ディアだ。王都に住む一般国民さ。私は逆にミッドガイア王国へ行って来た帰りだよ」
「我が国へのご訪問、どうもありがとうございます。ですが、1つだけ訂正させて下さい。わたしは社会勉強ではなく、オズワルドとランデブーをしにブルーヴェイルへ向かうのです」

 ドロシーが真剣な顔で語ると、イーサンは「ほぉ」と納得した。
 だが、オズワルドが更なる訂正をした。

「社会勉強だ」
「それは建前です」

 透かさずドロシーが反論し、オズワルドも反論する。

「いや、違う」
「ランデブーです」
「社会勉強だ」
「ランデブー!」

 1歩も譲らないドロシーの頬をオズワルドは抓った。

「いひゃいですわ! 酷いですわ!」

 じわりとドロシーの瞳に涙が滲み、オズワルドは手を離した。
 イーサンは笑っていた。

「実に仲がよろしいですな。兄妹の様だ」
「きょ、兄妹は嫌です! 恋人がいいです!」

 ドロシーはじんじん痛む頬を押さえながら必死に反論する。
 オズワルドはもう何も言わなかった。ドロシーをからかい飽きた瞳は窓の外へ向いていた。

「もうそろそろ着くか」

 窓の外に広がる青は海の色ではなく、空の色に変わっていた。
 ドロシーは驚いて窓に貼り付いた。

「えぇっ!? 空中を走ってる――――!?」

 オズワルドとイーサンは平然としていた。
 海上列車はミッドガイアの首都とブルーヴェイルの首都を繋ぐ交通機関。勿論これから向かうのはブルーヴェイルの首都ゼーム。高地に位置する。
 海が途切れると高地を目指して車体は空中へ浮かび上がる。海上の他、空中にも魔術の線路が創られていてそこを滑る列車はたとえ強風に晒されようと転落する事はない。
 それに、線路は実体がないので景観を損ねる事もないし、飛行動物の飛行妨害にもならない。
 空に溶け込む美しい山が近くまで迫り、間もなくしてゼームに到着した。