「国王陛下! こ、これには訳が……」
服を乱した少女に、その少女の両手を掴む少年(外見)。言い訳など出来る筈もなかった。
しかも、見られた相手はあろう事か被害者の父親。
寛大な国王陛下も、さすがに娘が被害にあっては青筋を立てるに違いないと思われたのだがまだ王の顔には笑みが残っていた。
「そう焦らなくとも、知っているよ。話は聞かせてもらっていたからね。だけど、ドロシー。女性の武器をそんな無闇に使ってはいけないよ」
「はい。お父様」
ドロシーはオズワルドからの拘束がなくなると、速やかに服装を正した。
オズワルドは改めて王に向き直って気を引き締めた。
王はまだ笑っている。
「どれ、オズワルド。我が儘な娘に付き合ってはくれないか?」
「いや、しかし……」
「城下街もいいが、せっかくだからもっと遠くに行ってみたらどうかな。たとえば……ブルーヴェイルなどどうだろう。立派な王女となる為に社会勉強も兼ねて」
ドロシーが嬉々とした表情を浮かべ、オズワルドは「いや」や「しかし」などの言葉を繰り返して渋っていた。
王の笑みが他人をからかうそれに変わった。
「これは国王命令だ。それとも、私の娘に乱暴したと公言するが?」
冗談と本気、どちらも同じ分だけ含まれていた。
厳格な一国の王も、時として子供っぽい一面を見せる。彼を産まれた時から知っているオズワルドには分かりきっていた事であった。
王はオズワルドがどちらを選ぼうと、悪戯っ子の様に楽しむつもりだ。オズワルドの狼狽えた姿を見るのが楽しくて仕方がないのだ。
オズワルドは観念した様に項垂れた。
「分かりました……。ドロシー王女とブルーヴェイルへ行って参ります。護衛として。……あの、私は本当に何もしていませんからね?」
「だからそれは知っていると言っただろう? 私の子供の頃からの付き合いだ。それぐらい分かっている」
「貴方は変わった方ですね……」
「そうかな? まあ、貴方に比べれば私などつまらん男だよ」
「どう言う意味ですか」
「ははは。とにかく、娘を頼んだぞ」
「はい。お任せを」
オズワルドは恭しく一礼した。
今や心から忠誠を誓っている国王陛下であるが、数十年前は彼も子供だった。王位継承権を持っている事を除けば、他の子供達と何ら変わりはなく寧ろハーヴェイの方が無邪気で悪戯好きだった。
よく城を抜け出しては父王に叱られ、反省を見せたかと思えばまた城を抜け出して。とにかく手の掛かる子供だった事は、今でもオズワルドは覚えている。
また、彼は当時から忌避されていた宮廷魔術師に興味と好意を抱いており、城内で姿を見掛ければ進んで声を掛けて来た。
今のドロシーの姿はその頃の父親とよく似ていた。
それにしても、あの子供だったハーヴェイが今や三児の父親だなんて本人を目の前にしても信じられない事だった。それだけ時は流れ、彼は大人になったのだ。
オズワルドは自分だけがいつまでも時間に取り残されている寂しさを感じる反面、目の前にある命の繋がりが嬉しくて仕方がなかった。
立派になったとハーヴェイやドロシーの頭を撫でてあげたいが、それはそれで子供扱いしている様だし身分の関係上出来なかった。
「やったぁ! オズワルドと旅行ですわっ」
無邪気に感情を全身で表現するドロシーに至っては前言撤回。まだまだ子供であった。
オズワルドは小さく息を吐き、ドロシーの頭を片手で押さえつけた。
「私はあくまで護衛ですし、旅行ではなく社会勉強ですからね」
「何故いきなりよそよそしい話し方になるのですか」
「以前申しましたよね。王族の御前では貴女を王女として扱うと」
「むぅ~。ですが、ブルーヴェイルは2人きりだし……うふふ」
「さて、話も纏まったようだし私はこれで失礼するよ。出発は今日の正午だ。気を付けて行って来なさい」
国王陛下は頭上に広がる青空の様な爽やかな笑みを残し、シルクのマントを翻して歩き去って行った。
「正午って……」
早すぎる。もしや、国王陛下は端からそのつもりで此処へ来たのかもしれないとオズワルドは思った。
「楽しみですね! 正午まで待ち遠しいですわ。それまでに勉強終わらせてしまいましょう」
丁度ドロシーを王室教師が迎えに来て、オズワルドとドロシーは一旦別れた。
オズワルドは自室へと引き返す。途中何度か騎士と擦れ違ったが、騒がしくて馴れ馴れしい青年とは1度も擦れ違う事はなかった。
自室で本日2度目のお茶を楽しんでいる所にノックの音が響いた。扉の向こうに居るのは世話係のメイドで間違いはないが、こんな時間に訪ねて来る理由が分からなかった。とりあえず、入室の許可をした。
「失礼します。リデル様」
メイドの両手には丁寧に折り畳まれた黒い生地が乗せられていた。全く見覚えのないものだった。
オズワルドが傍まで行ってそれを受け取ると、メイドは説明を加えた。
「そちらは国王陛下からです。ブルーヴェイルへ行かれる際のお召し物だそうで……」
「分かった」
「お気を付けて行ってらっしゃいませ。それでは失礼します」
メイドはぺこりと頭を下げて退室した。
オズワルドは渡された衣服を持ってベッドまで歩いて行く。
たった今決めた事なのにすぐに服まで用意出来るなんておかしい。
これで確信した。やはり、国王陛下は随分前からこれを計画していたのだ。
娘に甘い父親なのか、悪戯好きの子供なのか、どちらの顔も見せる国王陛下には最強と謳われる宮廷魔術師でも敵わなかった。
オレも身内には弱いな。
決して嫌ではなく、オズワルドの表情は柔らかかった。
城下街の教会から鐘の音が響き渡る。正午になった知らせだ。
今の季節、リアルムの日本ではこの時間帯は太陽が地上を焼き尽くす勢いで張り切っているが、スペクルムのミッドガイアはそこまで気温が上昇する事は滅多にない。一方の冬の気温は此方の方が遙かに低く積雪量も多い。
これからオズワルドとドロシーが向かうブルーヴェイルは亜熱帯気候で、平地は日中の平均気温30度、高地は約16度と場所によって気温差がある。それにより、茶葉の栽培が発展して世界最大の茶葉輸出国となっているのだ。
ヴィダルシュ城、城門前は騎士や使用人達が立ち並んでいた。向こう岸まで渡された跳ね橋の上の両端に綺麗に並んでいるのである。中には第2騎士団団長と副団長のマルス・リザ―ディアの姿もある。彼らは開かれた城門から馬車が出て来るのを心待ちにしていた。
湖上で戯れていた小鳥達が慌てて飛び去ると、2頭の白馬が白地に金の装飾の荷台を引き連れて現れた。瞬間、一斉に皆は敬礼した。
荷台の赤いカーテンからドロシー第2王女が顔を覗かせ、愛想の良い笑みと共に手を振り返した。
向かいの席では宮廷魔術師オズワルドが腕を組んで目を伏せていた。
ドロシーもオズワルドも普段着ではなかった。
ドロシーは赤い生地と黒いレースが縫い合わさったデザインのツーピースの服装で、赤い長髪は耳の下で2つ結びだ。
オズワルドは黄色いラインの入った黒い生地を幾重にも重ねたローブを纏い、赤い宝石の耳飾りを水色の髪の下から覗かせていた。
「オズワルドは何を着ても素敵ですわ」
見送りの挨拶を返し終わったドロシーは姿勢を前に戻し、オズワルドをじっくりと見た。
オズワルドは何も答えなかった。
「……仕方ない、ですよね」
ドロシーはオズワルドの心中を察していたので不快な気持ちにはならなかった。
王女とハーフエルフが2人きりで遠出するなど、此処に居る誰しもが認めてなどいないのだ。顔に笑顔を貼り付けているだけで、負の感情がヒシヒシと伝わってくる。それを感じ取っているオズワルドはせめて王女にその矛先が向かない様に努めるしかなかった。
「ドロシー王女! リデル様! 楽しんで来て下さいね――!」
たった1人だけ、張り詰めた空気などお構いなしに王女にもハーフエルフにも平等に手を振る者が居た。マルスである。
彼は過ぎ行く馬車に目一杯手を振っていた。
オズワルドは渋面を作り、ドロシーは勝ち誇った笑みを窓の外へ向けた。
「残念でしたわね、マルス。暫くオズワルドはわたしのものですわよ」
「誰がお前のものだ」と、オズワルドはそっと呟いた。
マルスは後頭部を掻き、へらっと締まりのない笑みを浮かべた。
「ありゃ。何だか王女様にライバル意識されてる?」
「マルス、お前って奴は。王家に仕える騎士たる者、言動には気を付けろ」
隣で団長が呆れていた。
やがて馬車が小さくなると、張り詰めていた空気は緩み皆速やかに城内へ戻っていった。
服を乱した少女に、その少女の両手を掴む少年(外見)。言い訳など出来る筈もなかった。
しかも、見られた相手はあろう事か被害者の父親。
寛大な国王陛下も、さすがに娘が被害にあっては青筋を立てるに違いないと思われたのだがまだ王の顔には笑みが残っていた。
「そう焦らなくとも、知っているよ。話は聞かせてもらっていたからね。だけど、ドロシー。女性の武器をそんな無闇に使ってはいけないよ」
「はい。お父様」
ドロシーはオズワルドからの拘束がなくなると、速やかに服装を正した。
オズワルドは改めて王に向き直って気を引き締めた。
王はまだ笑っている。
「どれ、オズワルド。我が儘な娘に付き合ってはくれないか?」
「いや、しかし……」
「城下街もいいが、せっかくだからもっと遠くに行ってみたらどうかな。たとえば……ブルーヴェイルなどどうだろう。立派な王女となる為に社会勉強も兼ねて」
ドロシーが嬉々とした表情を浮かべ、オズワルドは「いや」や「しかし」などの言葉を繰り返して渋っていた。
王の笑みが他人をからかうそれに変わった。
「これは国王命令だ。それとも、私の娘に乱暴したと公言するが?」
冗談と本気、どちらも同じ分だけ含まれていた。
厳格な一国の王も、時として子供っぽい一面を見せる。彼を産まれた時から知っているオズワルドには分かりきっていた事であった。
王はオズワルドがどちらを選ぼうと、悪戯っ子の様に楽しむつもりだ。オズワルドの狼狽えた姿を見るのが楽しくて仕方がないのだ。
オズワルドは観念した様に項垂れた。
「分かりました……。ドロシー王女とブルーヴェイルへ行って参ります。護衛として。……あの、私は本当に何もしていませんからね?」
「だからそれは知っていると言っただろう? 私の子供の頃からの付き合いだ。それぐらい分かっている」
「貴方は変わった方ですね……」
「そうかな? まあ、貴方に比べれば私などつまらん男だよ」
「どう言う意味ですか」
「ははは。とにかく、娘を頼んだぞ」
「はい。お任せを」
オズワルドは恭しく一礼した。
今や心から忠誠を誓っている国王陛下であるが、数十年前は彼も子供だった。王位継承権を持っている事を除けば、他の子供達と何ら変わりはなく寧ろハーヴェイの方が無邪気で悪戯好きだった。
よく城を抜け出しては父王に叱られ、反省を見せたかと思えばまた城を抜け出して。とにかく手の掛かる子供だった事は、今でもオズワルドは覚えている。
また、彼は当時から忌避されていた宮廷魔術師に興味と好意を抱いており、城内で姿を見掛ければ進んで声を掛けて来た。
今のドロシーの姿はその頃の父親とよく似ていた。
それにしても、あの子供だったハーヴェイが今や三児の父親だなんて本人を目の前にしても信じられない事だった。それだけ時は流れ、彼は大人になったのだ。
オズワルドは自分だけがいつまでも時間に取り残されている寂しさを感じる反面、目の前にある命の繋がりが嬉しくて仕方がなかった。
立派になったとハーヴェイやドロシーの頭を撫でてあげたいが、それはそれで子供扱いしている様だし身分の関係上出来なかった。
「やったぁ! オズワルドと旅行ですわっ」
無邪気に感情を全身で表現するドロシーに至っては前言撤回。まだまだ子供であった。
オズワルドは小さく息を吐き、ドロシーの頭を片手で押さえつけた。
「私はあくまで護衛ですし、旅行ではなく社会勉強ですからね」
「何故いきなりよそよそしい話し方になるのですか」
「以前申しましたよね。王族の御前では貴女を王女として扱うと」
「むぅ~。ですが、ブルーヴェイルは2人きりだし……うふふ」
「さて、話も纏まったようだし私はこれで失礼するよ。出発は今日の正午だ。気を付けて行って来なさい」
国王陛下は頭上に広がる青空の様な爽やかな笑みを残し、シルクのマントを翻して歩き去って行った。
「正午って……」
早すぎる。もしや、国王陛下は端からそのつもりで此処へ来たのかもしれないとオズワルドは思った。
「楽しみですね! 正午まで待ち遠しいですわ。それまでに勉強終わらせてしまいましょう」
丁度ドロシーを王室教師が迎えに来て、オズワルドとドロシーは一旦別れた。
オズワルドは自室へと引き返す。途中何度か騎士と擦れ違ったが、騒がしくて馴れ馴れしい青年とは1度も擦れ違う事はなかった。
自室で本日2度目のお茶を楽しんでいる所にノックの音が響いた。扉の向こうに居るのは世話係のメイドで間違いはないが、こんな時間に訪ねて来る理由が分からなかった。とりあえず、入室の許可をした。
「失礼します。リデル様」
メイドの両手には丁寧に折り畳まれた黒い生地が乗せられていた。全く見覚えのないものだった。
オズワルドが傍まで行ってそれを受け取ると、メイドは説明を加えた。
「そちらは国王陛下からです。ブルーヴェイルへ行かれる際のお召し物だそうで……」
「分かった」
「お気を付けて行ってらっしゃいませ。それでは失礼します」
メイドはぺこりと頭を下げて退室した。
オズワルドは渡された衣服を持ってベッドまで歩いて行く。
たった今決めた事なのにすぐに服まで用意出来るなんておかしい。
これで確信した。やはり、国王陛下は随分前からこれを計画していたのだ。
娘に甘い父親なのか、悪戯好きの子供なのか、どちらの顔も見せる国王陛下には最強と謳われる宮廷魔術師でも敵わなかった。
オレも身内には弱いな。
決して嫌ではなく、オズワルドの表情は柔らかかった。
城下街の教会から鐘の音が響き渡る。正午になった知らせだ。
今の季節、リアルムの日本ではこの時間帯は太陽が地上を焼き尽くす勢いで張り切っているが、スペクルムのミッドガイアはそこまで気温が上昇する事は滅多にない。一方の冬の気温は此方の方が遙かに低く積雪量も多い。
これからオズワルドとドロシーが向かうブルーヴェイルは亜熱帯気候で、平地は日中の平均気温30度、高地は約16度と場所によって気温差がある。それにより、茶葉の栽培が発展して世界最大の茶葉輸出国となっているのだ。
ヴィダルシュ城、城門前は騎士や使用人達が立ち並んでいた。向こう岸まで渡された跳ね橋の上の両端に綺麗に並んでいるのである。中には第2騎士団団長と副団長のマルス・リザ―ディアの姿もある。彼らは開かれた城門から馬車が出て来るのを心待ちにしていた。
湖上で戯れていた小鳥達が慌てて飛び去ると、2頭の白馬が白地に金の装飾の荷台を引き連れて現れた。瞬間、一斉に皆は敬礼した。
荷台の赤いカーテンからドロシー第2王女が顔を覗かせ、愛想の良い笑みと共に手を振り返した。
向かいの席では宮廷魔術師オズワルドが腕を組んで目を伏せていた。
ドロシーもオズワルドも普段着ではなかった。
ドロシーは赤い生地と黒いレースが縫い合わさったデザインのツーピースの服装で、赤い長髪は耳の下で2つ結びだ。
オズワルドは黄色いラインの入った黒い生地を幾重にも重ねたローブを纏い、赤い宝石の耳飾りを水色の髪の下から覗かせていた。
「オズワルドは何を着ても素敵ですわ」
見送りの挨拶を返し終わったドロシーは姿勢を前に戻し、オズワルドをじっくりと見た。
オズワルドは何も答えなかった。
「……仕方ない、ですよね」
ドロシーはオズワルドの心中を察していたので不快な気持ちにはならなかった。
王女とハーフエルフが2人きりで遠出するなど、此処に居る誰しもが認めてなどいないのだ。顔に笑顔を貼り付けているだけで、負の感情がヒシヒシと伝わってくる。それを感じ取っているオズワルドはせめて王女にその矛先が向かない様に努めるしかなかった。
「ドロシー王女! リデル様! 楽しんで来て下さいね――!」
たった1人だけ、張り詰めた空気などお構いなしに王女にもハーフエルフにも平等に手を振る者が居た。マルスである。
彼は過ぎ行く馬車に目一杯手を振っていた。
オズワルドは渋面を作り、ドロシーは勝ち誇った笑みを窓の外へ向けた。
「残念でしたわね、マルス。暫くオズワルドはわたしのものですわよ」
「誰がお前のものだ」と、オズワルドはそっと呟いた。
マルスは後頭部を掻き、へらっと締まりのない笑みを浮かべた。
「ありゃ。何だか王女様にライバル意識されてる?」
「マルス、お前って奴は。王家に仕える騎士たる者、言動には気を付けろ」
隣で団長が呆れていた。
やがて馬車が小さくなると、張り詰めていた空気は緩み皆速やかに城内へ戻っていった。