眩しい朝の光が窓硝子を通り抜け、丸テーブル上を明るく照らす。見事な文様の施された純白のティーカップに注がれた黄金色のお茶は、星が散りばめられた様な美しい光を纏って揺らいでおり、それをそっと口に含んだ少年は長い睫毛のかかった琥珀色の瞳を窓の外へ向けた。
 白い花の揺れる長方形の広い中庭を挟んだ向こう側には、中庭に少し突き出た白壁があり、大きな窓の内側には人影は全く覗えない。普段そこは、此処ヴィダルシュ城の主であるハートフィールド国王陛下の謁見の場として使用されている。
 宮廷魔術師である少年――――オズワルド・リデルはこの部屋で生活をしながら、国王の暗殺に備えていつでも対応出来る様に見張っているのだ。
 しかし、近年は平和なもので、国王暗殺は疎か、紛争も起きていない。100年前の魔法大戦で活躍したオズワルドも、今では殆どその偉大な力を振るう事はない。
 オズワルドは視線を戻し、ティーカップをソーサーに置いた。
 席を立ち、微かに聞こえた羽音に窓を振り返ると、青みがかった烏がこちらを目掛けて羽ばたいて来ていた。
 オズワルドは窓を開け放ち、部屋に飛び込んで来た烏を腕に止まらせて目を細めた。

「まさか……」

 今度は窓とは反対側の扉の向こうから騒がしい足音が聞こえ、バンっと勢いよく扉が開かれた。

「リデル様! オズワルド・リデル様!」

 黒い短髪の若い騎士だった。
 オズワルドは烏を空中へ放し、肩で呼吸する騎士を冷めた目で見た。

「もう少し静かにしてくれないか。用件は?」
「も、申し訳ございません。あ、あの! ま、魔女が……8人の魔女(プラネット)が現れました!」
「知っている」

 そう吐き捨てる様に言うと、オズワルドは右腕を上げ、烏を引き寄せる。すると、接触した箇所が青白い光に包まれ、光が消えた時には青い水晶の付いた銀色の杖が出現し、烏は水晶を抱くようにして装飾の一部と化した。
 杖を手にしたオズワルドは足下に魔法陣を描き、時空間を呼び寄せて別の場所へと消えていった。


 白い花がざわつき、突如出現した魔法陣から裾の長い白い上着を靡かせてオズワルドが姿を現した。自室と謁見の間に挟まれた所に位置する空間だ。
 見渡す限り、白い花の絨毯の広がる穏やかなこの場所に、場違いな重厚な鎧姿の者が集い、声を荒げて天へ長剣を向けていた。その先には、太陽を背にした8人の人影が浮遊していて、地上の者を嘲笑っていた。
 オズワルドは花の絨毯を踏みしめ、騎士達の後ろで立ち止まると口角を上げた。

「久しぶりだな。8人の魔女(プラネット)

 騎士達は宮廷魔術師の存在に気が付き、武器を下げて振り返り口々にその名を声に出した。
 8人のうちの、落ち着いた雰囲気を持った人魚の様な風貌の魔女が気品のある笑みを浮かべた。

「オズワルド・リデル。100年ぶりか。まだ人間どもに従っているのか」
「まだとは? 私は一度もそんなつもりはないが? それよりも何だ、その異様な魔力は」
「精霊を取り込んだのだ」

 周りがざわつき、オズワルドも僅かに片眉を上げた。
 魔女の気品のある笑みはいつしか傲慢なモノへと変わっていた。

「最早お前達は我々には敵わぬ」

 魔女が手を振り翳した瞬間、空中に巨大な魔法陣が展開されてそこから大量の水が吹き出して津波と化した。
 津波は中庭を飲み込み、花を磨り潰し、大量の鎧を壁際まで押し流した。
 オズワルドは一人、空中へ逃れており、同じ目線となった魔女と目が合った。
 魔女はフッと笑った。

「ではな。オズワルド・リデル」
「おい! 待て!」

 追い打ちも叶わず、オズワルドの目の前から8人の魔女は姿を消した。
 オズワルドは舌打ちし、地上へ降りた。
 あんなに美しかった庭は荒れ果て、至る箇所で騎士が横たわっていた。

「これは一体……」

 居なくなったオズワルドを追って来た黒髪の騎士が丁度現れ、惨状に息を飲んだ。
 オズワルドは水色の前髪を掻き上げ、苛立ちを一切隠さない様子で息を吐いた。

「さっさと治癒術師(ヒーラー)を呼んで来い」
「は、はい!」

 騎士は来た道を早急に引き返し、足音が遠ざかるとオズワルドは倒れている騎士達を一瞥し、反対方向へと歩いていった。


 カツカツと足音を響かせ、オズワルドは思考を巡らせて城の奥へと向かう。騒ぎがあった為に、普段必ず擦れ違う使用人達の姿もない。
 魔女が姿を消した直後から魔女の魔力を探っているが、おかしな事にこの世界の何処にも見当たらない。魔女達は100年前の魔法大戦で傷付いた時も姿を消し、同じく魔力探知は出来なかったものの、魔力が消耗していた故に探知不可能だった。魔女をも凌駕する魔力の持ち主たるオズワルドにも、さすがにこの広い世界から縮小した魔力を探知するのは難しかったのだ。だが、今は違う。精霊を取り込んだと言う魔女8人の魔力が探知出来ない筈がない。それなのに、掠りもしないのは……。
 オズワルドは大扉の前で立ち止まり、トンっと片手をついた。

 精霊は唯一、次元を行き来出来る。魔女の話が本当ならば、奴らはとっくにこの世界には居ない。

 扉にオズワルドの魔力が注がれてアラベスク文様が青白く輝き、扉がゆっくりと開いた。
 オズワルドは薄暗い扉の向こうへ足を踏み入れ、客人を迎え入れた扉はまたゆっくりと閉じていった。
 オズワルドの歩調に合せ、青い絨毯の左右に置かれた燭台に青白い炎が灯っていった。辺りは仄かに明るくなり、彼の進む先に彼の174cmある背丈を優に超える鏡がハッキリと見えた。青の宝石と銀の装飾で縁取られたそれに、オズワルドの全身が映った。
 両耳を覆い隠す水色の短髪に、毛先から覗く三日月を模したイアリング、長い睫毛が縁取る琥珀色の瞳、青いラインと無数の鏡の破片を装飾した足下まである長さの白いフード付きのコートと白い長ズボンと白いブーツを身に付けた、見た目十代後半ぐらいの少年が鏡の中に居る。他に映っているものと言えば、青い炎と周りの風景だけ。

 あちらの世界――――リアルムしかない。

 オズワルドが鏡に手を触れると、扉と同様に魔力が注がれて鏡面が青白く輝き始めた。
 鏡面が揺れ、景色が捻れてゆく。そうして、鏡面に映し出される景色が変化し始める。
 やがて、目の前のものを映していた鏡は、此処には存在しない景色を映した。沢山ある硝子張りの天まで届きそうな角ばった建物は、この世界には存在しないものだ。空は同じ色だが、少しだけ鏡の向こうのが澱んでいる様に見える。
 オズワルドは魔法を解いて杖を烏へと戻し、腕を前方へ向けた。烏は主人の命令を引き受け、腕が示す先へと飛び込んだ。そこは鏡の中。
 烏は鏡と言う境界線がないかの様に、その向こうにある景色を優雅に羽ばたいていった。
 鏡面がまた捻れ、元の風景を映し出すと、オズワルドはポツリと呟いた。

「無事に彼のもとまで」