常寂光寺から離れるにつれ、道行く人の数はどんどん増えて、忘れかけていた喧騒が、じわじわとわたしたちのまわりに満ちていった。

びゅう、と頬を引っ掻くように、冷たい風が吹きつけてくる。ぴりっと刺すような痛みを感じて、わたしは思わず首を縮めた。どれだけ着込んでいても、ずっと外を歩いていると寒さに負けてしまいそうになる。胸の中心はこんなに熱く、早くシャッターを切りたいと燃えているのに、やはり体温はするすると抜け出ていくものだ。寒いなぁ、と、誰に言うわけでもなくつぶやいたら、途端に息が白く染まった。冬は、言葉を視覚化する。

小刻みに震えているわたしに気づいたのか、間崎教授が、道すがら見つけた自動販売機で、あたたかいミルクティーを買ってくれた。ありがとうございます、と受け取って、ミルクティーを両手で包む。さっきから三脚は担いでもらっているし、飲み物は買ってもらっているし、アシスタントのようなことをさせてばかりで、なんだか申し訳なくなった。まぁ、今に始まったことではないのだけれど。

出会ったばかりの頃は、教授の隣に立つことすら恐れ多くて、言葉一つ選ぶにも思考を巡らせていたものだけれど、時が経つにつれ、遠慮も配慮も、氷が解けるようになくなっていった。とはいえ、大学で顔を合わせる時は、教授は教授らしく、あの、どこか達観した表情で講義をし、わたしは学生のひとりとして、特に何も発言することなく、ただただノートを取っている。相変わらず目も合わせない。言葉も交わさない。だけど、キャンパスの外に一歩出たら、話が尽きることはない。京都のことと、写真についてと、あとは、他愛もない話題。わたしと教授は、そういう感じ。

ミルクティーをカイロ替わりにしながら歩いていくと、前方に、ぽうっと黄金色に輝く竹林が見えてきた。

「あっ、あれが竹林の小径ですね!」

興奮気味に叫ぶと、教授はおかしそうに「そうだよ」とうなずいた。わたしは慌ててミルクティーをカバンにしまい、カメラの準備を始めた。

わたしたちが光に向かって進んでいるのか、光がわたしたちに近づいているのか分からない。まるで天国の入口のようだ。

光にすっぽり包まれると、今が夜であることを忘れるくらい明るくなった。竹の葉の合間に見える空が墨のように真っ黒で、その彼方にある暗闇を想像したら、急にこわくなった。あの黒い場所にはきっと、おそろしい魔物が身を潜め、襲いかかる機会をじっとうかがっているのだ。無数の竹は、その魔物からわたしたちを守るバリアのように、わたしたちの上に覆い被さっている――そんな、おとぎ話みたいな妄想をした。そのくらいここは明るくてあたたかい。

光の粒が雪のように降り注いで、わたしの呼吸を、まばたきを、奪う。

道行く人の話し声も、もう聞こえない。寒さだってもう気にならない。自分という存在が、光の中に溶け出していくような、ふしぎな感覚に襲われた。「美しい」ということ、ただ、それだけが全身を駆け巡って、それ以外の感情を透明にしていく。

「……竹林の小径は」

教授の声で、はっと、酸素が喉の奥に入ってきた。とまっていた秒針が動き出したように、急に視界がクリアになって、あの、祭囃子のような人の話し声がまた、じんわりと湧き上がってくる。

「平安時代には貴族の別荘地として栄えていた場所なんだ。1000年以上経った今でも、この美しい景色は、ずっと変わらず存在しているんだよ。……奇跡みたいな、話だろう」

光に照らされた教授の横顔が、遠い過去に思いを馳せるようにやわらかくなった。奇跡、だなんて。そんなロマンチックな単語が教授の口から出てきたことが、少し意外だった。わたしはもう一度、光り輝く竹を見上げた。

「……空まで伸びてるみたい」

言葉にすると、心に生まれた感情が色濃くなる。さっきぼんやりと感じた美しさの中身が、どんどん、明確になっていく。

あたりまえだと思っていた。古い建物や、歴史ある景色を見る時に、それがここに存在していることを、あたりまえのように感じていた。だけどそれらは、台風や地震などの災害や区画整理で、失われる可能性があるものなんだ。存在し続けることは決してあたりまえではない。もしかしたらこの景色も、100年後には失われてしまうのかもしれない。

だけど、それでも今こうしてわたしは、1000年前の人と同じように、この竹林を美しいと感じている。それは確かに、奇跡と呼ぶのにふさわしい。

「前を向いて歩かないと、また転ぶよ」

教授が、幼い子供に注意するような口調で言う。知恩院を訪れた時のことを言っているのだ。あの時は、暗闇の中を走って転びそうになって、教授に腕をつかんでもらったんだっけ。思い出したら途端に恥ずかしくなって、わたしはごほん、とわざとらしく咳払いをした。

「子供じゃないんですから、転びませんよ」

「本当ですかねぇ」

そんな、他愛もない会話をしながらも、わたしはずっと一抹の緊張感を胸に抱いていた。まるで聖火を持って歩いているような、1本の縄の上を歩いているようなおそろしさが、静かに胸を震わせてやまない。

――君の目にどう映るのか、私に、教えてほしいんだ。

さっき、教授があんなことを言ったせいだ。それまで普通にシャッターを切っていたのに、なんだか妙に緊張してしまって、写真1枚撮るだけでも心臓がばくばく音を立てている。どうして教授はいきなりあんなことを言ったのだろう。





永遠に続くように思われた竹林の小径を抜け、次に向かったのは渡月橋。竹林の小径と並んで嵐山を代表するその橋は、竹林と同様黄金色にライトアップされ、背後にある山々も、美しい紫色へと塗り替えられていた。

まずはこの景色を写真におさめよう、と、わたしたちは渡月橋を見渡せる場所へと足を進めた。歩道ではないため、通行人の邪魔になる心配もない。そこにはすでに数名、同じように写真を撮っている人がいた。すぐ近くには桂川が流れている。

教授に三脚を組み立ててもらい、カメラをセットする。角度を調整し、渡月橋をフレームにおさめる。この世のものとは思えないくらい、鮮やかで上品な色。青空の下で見るものとはまた違う。どこか謎めいていて、艶やかな橋。

――その景色を見た瞬間。

緊張も不安もすべて吹っ飛んでしまって、わたしは無我夢中でシャッターを切り始めた。吐く息が白く染まったって、体が震えていたって関係ない。構図をどうしよう、とか、どうしたら美しく撮れるかしら、とか、カメラを構える前はうだうだと悩んだりもするけれど、一度景色を目にしたら、そんな感情はすぐに崩れて、ただシャッターを切るしかなくなってしまう。結局、理性よりも本能が勝つのだ。わたしは、写真がすきですきでたまらない。

数分経って、ようやくわたしはシャッターを切ることをやめた。竹林の小径を歩いていた時のように、視覚以外の感覚が、またふっと全身に降りてきた。……ああ、寒い。マフラーをきつく巻き直し、首を縮める。見上げたら空には大きな満月と、無数の星。夜がどんどん深まっていく。

「見せてくれないか」

教授が急かすようにそう言うので、わたしは三脚からカメラを外して手渡した。教授は美術品を鑑定するように、じっくりとわたしの写真を眺めていく。

心臓が、また思い出したように激しく暴れ出した。まるで大学の合格発表の時みたい。わたしの不安を表すように、薄雲が月を覆って、降り注ぐ光が弱くなった。

教授の隣に立ちながら、わたしは今日撮った――いいえ、今まで撮ったすべての写真を思い出した。金福寺の芭蕉庵や、興聖寺の琴坂。母と一緒に行った貴船神社や、正寿院の猪目窓。青もみじだって、紅葉だって、すきなようにすきなだけ撮っていたけれど、本当はどう思われていたのかしら。ちゃんと期待に応えられていたのかしら。

「……君の目には、この景色がこうやって映っているんだな」

判決の時を待っていたら、ひとりごとのように、教授が白い息を漏らした。

雲が流れて、また月が顔を出した。瞬間、彼の柔和な微笑みが、淡く白く照らし出された。

「ふしぎだな。何度も見た景色なのに、こうして写真を見ると全然違うように見える。景色なんて、誰の目にも同じように映っているのだと思っていたよ。……常寂光寺から京都タワーが見えることにも、君に言われて初めて気づいた」

わたしの方に目を向けて、敬意をたっぷり含んだ声で、

「君は本当に、いい目を持っているな」

「……わたしなんて、別に……」

わたしは途端に、くすぐったいような、恥ずかしいような、照れくさい気持ちになって、首に巻いてあるマフラーに顔を埋めた。

ああ、そうだ。一瞬でも厳しい評価をされると思った自分がばかだった。この人は、わたしの写真を心から好いてくれているというのに。体の中心にぽっと火が灯ったみたいに、あたたかな気持ちになった。ひねくれ者のこの人が、こんな風に素直に褒めてくれるのは、きっと特別なことなのだ。共感をしてくれる人がそばにいるということ。それはとても喜ばしいことなのだ。

写真を始めたばかりの頃。道端で美しい石を見つけた。卵のように白くて、つるりとしていて、まるで貝殻のような石だった。わたしはそれをきれいだと思った。父に与えられたカメラで写真を撮って、1番仲のよかった友人に見せた。だけど彼女は首を傾げ、それからおかしそうに笑ったのだ。そんなものただの石ころじゃない、こんなものを撮って何が楽しいの、と。

おいしいとか、楽しいとか、おもしろい、とか。

そういうものは人それぞれ違うけれど、「美しい」はみんな同じだと思っていた。夜空に光る星。七色の虹。風に舞う花びら。そういうものはみんな等しく「きれい」と感じるのだと。だからわたしはこの時初めて、わたしの「美しい」が必ずしも他人の「美しい」ではないと知ったのだ。今思えば当然のこと。みんな違うところに美を感じるのは、あたりまえのはずなのに。

わたしと教授だってきっと違う。年齢が違う。性別が違う。育ってきた環境が違う。コーヒーがすきか、紅茶がすきか。小説がすきか、漫画がすきか。見ているドラマ。食の好み。同じ景色を見ていても、きっと感じていることは違う。教授がおもしろいと思うことが、わたしにあてはまるとは限らない。わたしが美しいと思う景色を、教授も美しいと感じるとは限らない。100パーセントなんて存在しない。

だけどきっと、90パーセントくらいは被っている。きっと春は、30パーセントくらいだったのだろう。一緒にいればいるほど「美しい」が重なる。どんどん、どんどん、近づいていく。

――ねぇ、教授。

わたし、知っているんです。あなたが寒さに弱いことも。長く歩くのがきらいなことも。それなのにどうして、こうしてわたしを連れてきてくれるの。わざわざ予定を合わせてくれるの。撮影係、というだけじゃない。それだったら、わたしひとりで行かせれば済むことだから。

わたしと教授は、しばし時を忘れてぼんやりと渡月橋を眺めた。いくら見つめても見つめ足りない。まばたきを一度するたびに、景色はまた生まれ変わる。美しい、が増えていく。

「毎年、嵐山の花灯路を見ると、ああ、冬が来たな、と思うんだ」

教授は、おもしろいことを見つけた子供のように、はしゃいだ声を出して笑った。

そう。季節を感じるのは、カレンダーをめくる時だけじゃない。時間とは、日付とは、人間が勝手に決めたもの。いつだって、わたしたちに季節を教えてくれるのは、目の前に広がる景色なのだ。

――わたし、分かったんです。あなたが、こうしてわたしと一緒に景色を見てくれる理由が。

必要最低限のことしかしゃべらないあなたが、妙に饒舌になる理由。どこも見ていないあなたの瞳が、子供のように輝く時。それは今、この瞬間。この景色を瞳に映している時なんだ。

ああ、あなたも、この景色がすきなのね。わたしを連れてきてくれるのは、この景色を分かち合いたいからなのね。一緒に見て、違いを見つけて、感じたことを共有して。そうやって、「美しい」を増やしていく。視点が変わる。見るものが変わる。考え方が、価値観が変わる。共有する、ということは、きっと、視野を広げる機能がある。

冬はちょっぴり苦手だ。朝起きるのは億劫だし、外は寒いし、静電気は起きるし。それに何より、目に映る景色がどこもかしこも灰色で、なんだか物悲しい感じがするから。

――それなのに、わたしがここにいる理由。

歴史を教えてくれるのも、写真を見せてあげるのも、すべては共有するため。語り合うことで、わたしたちは新たな発見をすることができる。足りない視野を補い合いながら、たくさんたくさん写真を撮るの。何年経っても色褪せない、美しさを感じるために。いつだってこの人は、わたしに役割を与えてくれる。

冬が深まる。年が暮れる。12月が終われば、また新しい年が来る。きっとまたその先に、まだ知らない景色がある。

黒く染まった空を見上げた。先ほど流れていた雲は消え、宝石のようにきれいな月が、穏やかにわたしたちを見守っている。

わたしは頭上に手をかざし、その眩しさに目を細めた。





ああ、月光が、落ちてくる。