白い雪結晶のスニーカーを履いて、家を出る。いつもの横断歩道の方へ私は小走りで向かっていった。
麗太くんとお付き合いしてから一週間が経過した。私は毎朝、五時くらいからウォーキングをしている。近所を散歩するだけなのに、知らない町のような景色が広がっているように見えた。
同じところでも朝や昼、夜では見え方が違うことを知った。毎朝早起きするのは大変だけれど、頑張った分だけご褒美があるから。
「あっ、おはよう、愛海。今日も早起きできたんだな」
「麗太くんおはよう、うん、頑張ったよ」
――大好きな人に、会えるというご褒美。。それだけで私は何でも頑張れる気がした。
「夏休みって長期休みだから、何か挑戦していてもサボっちゃう人が多いんだよな。姉ちゃんもダイエットするとか言ってたけど、明日からやるの一点張りだし」
「あはは、ダイエットあるあるだよね。明日からやるって言ってもやらない、みたいな。でも美桜さん細いと思うけどなあ」
美桜さんはとても足が長いし、スタイルが良い。私もあんなふうになれるように頑張りたい。美人になれるよう努力したい。麗太くんの隣に相応しくなるために。
あと、朝にランニングや散歩している人を見て、私も輝きたいと思った。私は特技も趣味もないから何も頑張れていない。そう思い、まずはウォーキングすることにした。
「だから愛海はすごいよな、続けられて。よく頑張ってる」
「ありがとう、麗太くんがいつも頑張ってって言ってくれるからだよ」
そう言うと、麗太くんは手を私の背中に回して、ぎゅっと強く優しく抱きしめてくれた。
麗太くんの心臓の音が微かに聞こえる。
「れ、麗太くん?」
「……愛海、細いな。折れちゃいそう」
麗太くんの吐息が私の耳をくすぐる。誰かに見られてしまったらどうしようという緊張感と同時に、好きな人からのハグが嬉しいと思ってしまう。
「愛海ってさ、前の苗字は何だったの? あ、聞かれたくなかったらごめんな。ただ気になっただけ」
「ゆきしろだよ。雪に白って書いて、雪白」
「……雪白か。素敵だな」
胸がトクン、トクンと高鳴っているのが分かる。私の前の苗字を褒めてくれただけなのに、今にもスキップしてしまいそうなくらい嬉しい。
もちろん私も雪白という苗字は気に入っていたけれど、麗太くんに言われると更に特別な感じがする。
(やっぱり恋の力って、本当にすごい)
「あっ、そうだ。さっきコンビニで買ったんだ。愛海にもやるよ」
スポーツドリンクを私にひょいと軽く投げてきた。焦りながら、何とか手でキャッチする。
「ちょ、ちょっといきなり投げないでよっ、びっくりした」
「ははっ、ごめんごめん」
そう言って麗太くんは、私の頭を優しく撫でた。やはり私のことをからかうのが好きなのだろうか。途端にまた胸がドキドキしてしまう。こういう麗太くんの無邪気で子供っぽい仕草がとても愛おしい。
「じゃあそろそろ帰るか。愛海、じゃあな」
「……うん、じゃあね」
だんだん日が昇ってくる。行くときは麗太くんに会える楽しみがあったけれど、帰り道は孤独で寂しい。また学校で会えるけれど、“終わり” はいつくるか分からないから。明日には死ぬかもしれない、そんな恐怖がある。
(明日も、麗太くんに会えますように)
「ただいま」
(お母さん、ただいま。幸せだったよ)
いつものように、心のなかでお母さんにただいまと言う。お母さんがおかえりなさい、と微笑んでくれたように感じた。
「おかえりなさい、愛海ちゃん。ごめんね、早く起きれなくて」
「いえ、私が朝早くから出かけてるだけなので。友里香さんは無理して起きなくて大丈夫ですよ」
家族に本音を言ったあの日から、私は日頃から我慢することが少なくなった。もちろん笑顔でいられるように頑張っているけれど、以前のように偽りの笑顔を作ることはなくなった。
本当に苦しいときや悲しいと思っているときも笑顔でいることは、お母さんが望んでいないと思うから。
「愛海ちゃん優しいよね、本当にありがとう」
「……ううん、私は別に優しくなんかないです。お母さんが優しかったから、かな」
友里香さんの前で “お母さん” の話題を出してしまって、慌てて口を閉じる。友里香さんはお母さんのこと何て思っているのかな。愛する人の前の妻なのだから嫉妬心はないのだろうか、と疑問になる。
「うん、きっとそうだよね。洋介さんの奥さんだったんだし、こんな優しい愛海ちゃんのお母様だものね」
いつものようにお父さんではなく、”洋介さん“ と呼んでいる友里香さんが新鮮に思えた。お母さんも洋介さんと呼んでいたから。心の何処かで友里香さんにお母さんの幻影を見てしまう。
(……優しいところとか料理が得意なところ、お母さんに似てるなあ)
友里香さんや沙耶香ちゃんと生活する環境に、ほんの少しだけ慣れてきた。前までは心で全て拒否していたのに。私が変われたのは、麗太くんのおかげだろう。お母さんが亡くなったあの日から私の時間は止まっていたけれど、少しずつ針が進んでいっている気がした。
「……ん」
部屋に行ってからいつの間にか二時間ほど仮眠をしてしまった。スマートフォンから鳴っている音に目が覚めて、私はベッドの上にあるスマートフォンを取った。
「電話だ」
着信の相手は麗太くんだった。驚きのあまり「えっ!?」と叫び声を上げてしまう。私は急いでベッドから降り、椅子に腰を掛けた。
『あ、もしもし愛海? ごめん急に電話掛けちゃって。何か用事あった?』
「は、はい、愛海です。ううん、全然大丈夫だよ」
『ははっ、何その受け答え。AIかよ』
電話は何度かしたことがあるとはいえ、緊張で声が上擦ってしまう。麗太くんの声がいつもより近くに聞こえる。
「そんな笑わなくてもいいじゃん……!」
『分かった分かった、ごめんなっ』
くっくっくっ、と麗太くんは声を押し殺して笑っている様子だ。顔は見えないけれど、きっと麗太くんの笑顔は太陽のように眩しいのだろう。
(……麗太くん私のことからかってるんだろうな)
『ふぅ、悪い悪い。でさ、愛海って誕生日いつ?』
「えっ、誕生日? 六月八日だけど……何で?」
『……自分の彼女の誕生日も覚えてないって、彼氏失格だろ』
“彼氏彼女” という関係がまだ慣れない。だって好きな人と付き合っているなんて信じ難いから。麗太くんの一番になれていると思うと、何でもできる気がする。
「嬉しい、ありがとう。れ、麗太くんの誕生日はいつ?」
『俺は五月一日。お互い、来年は祝えたらいいな』
「……うん、そうだね」
頷いたものの、寂しいと感じた。明日も明後日もその次の日もやってくるとは限らないから。麗太くんの誕生日を祝えるその日まで、私は生きていられるのだろうか。
私はペチッ、と自分の頬を叩いた。
(ネガティブになっちゃだめだよね)
「そういえば、何で電話なの? 聞くだけなら連絡でも大丈夫だよ」
『……俺が声聞きたかったから。迷惑だった?』
「えっ、ぜ、全然! むしろ嬉しい、し」
『……そっか。なら良かった』
麗太くんのか弱くて優しい声にドキン、とする。頭の中まで鼓動が聞こえるくらい、胸がドキドキしているのが分かる。
『じゃあ、そろそろ切るか。じゃあな、愛海』
「あっ、うん、麗太くんじゃあね」
通話終了の赤いボタンを押して、私は勢いよく布団に覆い被さった。好きな人と通話した後は、何だか孤独な感じがする。幸せな時間が続いた分、一人になると寂しくなった。
けれどきっとまた、麗太くんと会える。笑顔で麗太くんと話せる。麗太くんがまた抱きしめてくれる。そう思うと胸がぽかぽかと暖かくなった。
この先もまた、麗太くんと幸せな関係が続きますように。机の上に飾ってあるペンギンのキーホルダーを見ながら、静かにそう願った。
麗太くんとお付き合いしてから一週間が経過した。私は毎朝、五時くらいからウォーキングをしている。近所を散歩するだけなのに、知らない町のような景色が広がっているように見えた。
同じところでも朝や昼、夜では見え方が違うことを知った。毎朝早起きするのは大変だけれど、頑張った分だけご褒美があるから。
「あっ、おはよう、愛海。今日も早起きできたんだな」
「麗太くんおはよう、うん、頑張ったよ」
――大好きな人に、会えるというご褒美。。それだけで私は何でも頑張れる気がした。
「夏休みって長期休みだから、何か挑戦していてもサボっちゃう人が多いんだよな。姉ちゃんもダイエットするとか言ってたけど、明日からやるの一点張りだし」
「あはは、ダイエットあるあるだよね。明日からやるって言ってもやらない、みたいな。でも美桜さん細いと思うけどなあ」
美桜さんはとても足が長いし、スタイルが良い。私もあんなふうになれるように頑張りたい。美人になれるよう努力したい。麗太くんの隣に相応しくなるために。
あと、朝にランニングや散歩している人を見て、私も輝きたいと思った。私は特技も趣味もないから何も頑張れていない。そう思い、まずはウォーキングすることにした。
「だから愛海はすごいよな、続けられて。よく頑張ってる」
「ありがとう、麗太くんがいつも頑張ってって言ってくれるからだよ」
そう言うと、麗太くんは手を私の背中に回して、ぎゅっと強く優しく抱きしめてくれた。
麗太くんの心臓の音が微かに聞こえる。
「れ、麗太くん?」
「……愛海、細いな。折れちゃいそう」
麗太くんの吐息が私の耳をくすぐる。誰かに見られてしまったらどうしようという緊張感と同時に、好きな人からのハグが嬉しいと思ってしまう。
「愛海ってさ、前の苗字は何だったの? あ、聞かれたくなかったらごめんな。ただ気になっただけ」
「ゆきしろだよ。雪に白って書いて、雪白」
「……雪白か。素敵だな」
胸がトクン、トクンと高鳴っているのが分かる。私の前の苗字を褒めてくれただけなのに、今にもスキップしてしまいそうなくらい嬉しい。
もちろん私も雪白という苗字は気に入っていたけれど、麗太くんに言われると更に特別な感じがする。
(やっぱり恋の力って、本当にすごい)
「あっ、そうだ。さっきコンビニで買ったんだ。愛海にもやるよ」
スポーツドリンクを私にひょいと軽く投げてきた。焦りながら、何とか手でキャッチする。
「ちょ、ちょっといきなり投げないでよっ、びっくりした」
「ははっ、ごめんごめん」
そう言って麗太くんは、私の頭を優しく撫でた。やはり私のことをからかうのが好きなのだろうか。途端にまた胸がドキドキしてしまう。こういう麗太くんの無邪気で子供っぽい仕草がとても愛おしい。
「じゃあそろそろ帰るか。愛海、じゃあな」
「……うん、じゃあね」
だんだん日が昇ってくる。行くときは麗太くんに会える楽しみがあったけれど、帰り道は孤独で寂しい。また学校で会えるけれど、“終わり” はいつくるか分からないから。明日には死ぬかもしれない、そんな恐怖がある。
(明日も、麗太くんに会えますように)
「ただいま」
(お母さん、ただいま。幸せだったよ)
いつものように、心のなかでお母さんにただいまと言う。お母さんがおかえりなさい、と微笑んでくれたように感じた。
「おかえりなさい、愛海ちゃん。ごめんね、早く起きれなくて」
「いえ、私が朝早くから出かけてるだけなので。友里香さんは無理して起きなくて大丈夫ですよ」
家族に本音を言ったあの日から、私は日頃から我慢することが少なくなった。もちろん笑顔でいられるように頑張っているけれど、以前のように偽りの笑顔を作ることはなくなった。
本当に苦しいときや悲しいと思っているときも笑顔でいることは、お母さんが望んでいないと思うから。
「愛海ちゃん優しいよね、本当にありがとう」
「……ううん、私は別に優しくなんかないです。お母さんが優しかったから、かな」
友里香さんの前で “お母さん” の話題を出してしまって、慌てて口を閉じる。友里香さんはお母さんのこと何て思っているのかな。愛する人の前の妻なのだから嫉妬心はないのだろうか、と疑問になる。
「うん、きっとそうだよね。洋介さんの奥さんだったんだし、こんな優しい愛海ちゃんのお母様だものね」
いつものようにお父さんではなく、”洋介さん“ と呼んでいる友里香さんが新鮮に思えた。お母さんも洋介さんと呼んでいたから。心の何処かで友里香さんにお母さんの幻影を見てしまう。
(……優しいところとか料理が得意なところ、お母さんに似てるなあ)
友里香さんや沙耶香ちゃんと生活する環境に、ほんの少しだけ慣れてきた。前までは心で全て拒否していたのに。私が変われたのは、麗太くんのおかげだろう。お母さんが亡くなったあの日から私の時間は止まっていたけれど、少しずつ針が進んでいっている気がした。
「……ん」
部屋に行ってからいつの間にか二時間ほど仮眠をしてしまった。スマートフォンから鳴っている音に目が覚めて、私はベッドの上にあるスマートフォンを取った。
「電話だ」
着信の相手は麗太くんだった。驚きのあまり「えっ!?」と叫び声を上げてしまう。私は急いでベッドから降り、椅子に腰を掛けた。
『あ、もしもし愛海? ごめん急に電話掛けちゃって。何か用事あった?』
「は、はい、愛海です。ううん、全然大丈夫だよ」
『ははっ、何その受け答え。AIかよ』
電話は何度かしたことがあるとはいえ、緊張で声が上擦ってしまう。麗太くんの声がいつもより近くに聞こえる。
「そんな笑わなくてもいいじゃん……!」
『分かった分かった、ごめんなっ』
くっくっくっ、と麗太くんは声を押し殺して笑っている様子だ。顔は見えないけれど、きっと麗太くんの笑顔は太陽のように眩しいのだろう。
(……麗太くん私のことからかってるんだろうな)
『ふぅ、悪い悪い。でさ、愛海って誕生日いつ?』
「えっ、誕生日? 六月八日だけど……何で?」
『……自分の彼女の誕生日も覚えてないって、彼氏失格だろ』
“彼氏彼女” という関係がまだ慣れない。だって好きな人と付き合っているなんて信じ難いから。麗太くんの一番になれていると思うと、何でもできる気がする。
「嬉しい、ありがとう。れ、麗太くんの誕生日はいつ?」
『俺は五月一日。お互い、来年は祝えたらいいな』
「……うん、そうだね」
頷いたものの、寂しいと感じた。明日も明後日もその次の日もやってくるとは限らないから。麗太くんの誕生日を祝えるその日まで、私は生きていられるのだろうか。
私はペチッ、と自分の頬を叩いた。
(ネガティブになっちゃだめだよね)
「そういえば、何で電話なの? 聞くだけなら連絡でも大丈夫だよ」
『……俺が声聞きたかったから。迷惑だった?』
「えっ、ぜ、全然! むしろ嬉しい、し」
『……そっか。なら良かった』
麗太くんのか弱くて優しい声にドキン、とする。頭の中まで鼓動が聞こえるくらい、胸がドキドキしているのが分かる。
『じゃあ、そろそろ切るか。じゃあな、愛海』
「あっ、うん、麗太くんじゃあね」
通話終了の赤いボタンを押して、私は勢いよく布団に覆い被さった。好きな人と通話した後は、何だか孤独な感じがする。幸せな時間が続いた分、一人になると寂しくなった。
けれどきっとまた、麗太くんと会える。笑顔で麗太くんと話せる。麗太くんがまた抱きしめてくれる。そう思うと胸がぽかぽかと暖かくなった。
この先もまた、麗太くんと幸せな関係が続きますように。机の上に飾ってあるペンギンのキーホルダーを見ながら、静かにそう願った。