「愛海、これ愛海のお母さんの花束とお線香。愛海の父さんが持ってけって」

 「ええっ、こんなに持てないよ、男の子じゃないんだから」

 「まぁそうだよなっ、手伝うよ、愛海」

 相変わらず麗太くんは私のことをからかうのが好きなんだから……と呆れてため息をつく。一週間前、麗太くんと別れたことが夢だと思うくらい、いま幸せだ。いや、あんなに地獄のようなことが起こったからこそ幸せを感じられるのかもしれない。

 私達はある人のお墓の前へ立った。

 「――咲奈、元気にしてる? こいつ、俺の彼女の愛海」

 「初めまして、咲奈さん、水坂愛海です。麗太くんとお付き合いさせていただいています。あの、いま幸せなので……咲奈さんも、幸せになってください」

 「ははっ、何それ。やっぱ愛海似てるよなぁ、咲奈に」

 同じじゃなくて、似てる。その言葉が何よりも嬉しかった。麗太くんが好きだった人と私が似ていると言われたのだから。以前だったら私はきっと嫉妬していたけれど。

 きっと咲奈さんは、麗太くんのように太陽のような人だったと思うから。私もそうであれるよう頑張りたい。

 「じゃ、また来るから、咲奈」

 私は咲奈さんにぺこっと頭を下げた。そして両手いっぱいの華やかな赤いカーネーションの花束を持ち、すぐ隣にあるお墓へ移動した。

 「お母さん、久しぶり。今日は紹介したい人がいるの。私の彼氏だよ」

 「初めまして、愛海さんと付き合っている夏谷麗太といいます。愛海さんのことを泣かせてしまったこと、本当にすみません。でもこれからは安心してください、俺が幸せにします……!」

 「麗太、くん……」

 麗太くんの言葉に思わず涙を流しそうになってしまった。そこには麗太くんの過去の後悔と、私を大切に想ってくれていることが滲み出ているから。

 「私、笑顔でいられるように楽しむ。辛いときは笑えないけど許してね、お母さん。でも私幸せだよ」

 お母さんに手を振って、その場を後にする。『愛海が幸せで良かった。笑顔を大切にしてね』お母さんの懐かしい声が傍から聞こえた気がした。

 (お母さん、私のこと見守ってて)

 「あ、愛海ちゃん、もうお花あげてくれたの? ありがとうね」

 「いえ、全然大丈夫です。麗太くんが手伝ってくれたし」

 水を汲んできてくれた沙耶香さんたちと合流する。その途端、後ろから暗い妙なオーラが漂っていた。

 「……はぁ、ついに愛海にも彼氏ができちゃったのか。そういう年頃だもんな」

 「うん、黙っててごめん。でも麗太くんはすごく優しい人なんだよ、お父さん」

 「付き合う分には構わないんだがな。まぁ親として寂しい……って、勝手な言い分か。麗太くん、愛海をよろしく頼むぞ」

 「はい。約束します」

 (うわぁ……すごく、素敵)

 麗太くんの言葉にももちろん感動したが、家族とやり取りしてそう思った。ドラマや漫画のように、娘は渡さないって主張するお父さん。一度でいいから、こういう会話をしてみたかったんだ。

 「ねね、愛海お姉ちゃん」

 「ん? 沙耶香ちゃんどうしたの?」

 「いつか、このお兄ちゃんが沙耶香のお兄ちゃんになるの?」

 くりっとした目で私を見ながら、沙耶香ちゃんはそう言った。私は思わず目を逸らしてしまう。子供の純粋な言葉にどう返せばいいか悩んでしまった。

 (それって……麗太くんと私が結婚する、ってことだよね)

 まだしてもいないのに、想像するだけで体に火花が散ったような熱さが広がった。恥ずかしさで前を見れない。

 「おい、付き合うのはいいが結婚は認めてないぞ。愛海はまだ嫁にはやらん」

 「ちょ、ちょっとお父さんっ、麗太くん困っちゃうでしょ!」

 「ふふっ、愛海ちゃん。洋平さんは焦ってるだけなのよ。こんなの放っておきましょう」

 「友里香まで……!」

 お父さんや友里香さんのやり取りを見て、私は思わず吹き出してしまった。自然と笑顔になれたのは久しぶりかもしれない。こういう普通の家庭の会話を憧れていた。

 「愛海ちゃん。本当に、良かったね」

 「……はい。友里香さんのアドバイスのおかげです」

 「ううん、私は何も。それよりごめんなさい、私の暗い過去を話しちゃって。本当にごめんね」

 「いえ、友里香さんが話してくれたおかげで私も頑張れたんだし」

 私は深く呼吸をし、口を開いた。

 「ありがとうございます、お母さん」

 友里香さん――お母さんは目を丸くする。麗太くんともう一度付き合えてから、ちゃんと考えてみた。私のなかでお母さんは亡くなったお母さんしかいないけれど “二人” いてもいいんじゃないかと。

 (二人のお母さんがいるって、私幸せ者だよね)

 「あの、愛海さん今日お借りしてもいいですか?」

 麗太くんが突然、そんなことを言い出した。私は驚いて麗太くんに視線を向ける。

 「……あぁ、許可する」

 「楽しんできてね、愛海ちゃん」

 「愛海お姉ちゃん、麗太お兄ちゃんまたね!」

 何が何だか分からないまま、麗太くんは私の手を取って駆け出して行く。頭のなかがごちゃごちゃで、整理がつかない。

 「れ、麗太くん? どこに行くの?」

 「あの日を、もう一度やり直そう」

 「あの日、って……?」

 恐る恐る聞くと、麗太くんはくしゃっと笑った顔で答えた。

 「初デートの日」


 体が揺れる電車に乗りながら、私は考える。あの日は楽しみよりも緊張が勝っていて、麗太くんと会う前から胸がドキドキしていた、と懐かしくなった。

 水族館へ着いて周囲を見渡すと、土曜日なのにそこまで混雑していなかった。きっとあの日は夏休みだったから混んでいたんだろうな……と納得する。

 (……また、やり直せるんだ)

 「んじゃ、もう払っといたから。行こ、愛海」

 「え、自分の分はお金払うよ」

 「いーから。俺のせいで前、別れちゃったろ。だから少しはお詫びさせて」

 ……本当に、ずるい人だ。麗太くんに言われたら私は何も言えなくなってしまう。

 あの頃は私が麗太くんの服の裾を掴んでいただけだったけれど、今日は違う。恋人繋ぎで互いの手を握っている。

 「なぁなぁ愛海、この魚覚えてる?」

 「ダンゴウオでしょ、もちろん覚えてるよ」

 「おっ、さすが! 何で覚えてるの?」

 そんなの、好きな人の好きなものは知りたいし覚えているに決まっている。こういう鈍感なところも含めて、私は麗太くんのことが好きだ。

 「そういえば麗太くん、私のことマグロに似てるとか大きいとか言ってたよね。あれどういう意味だったの?」

 「ん……愛海のことからかうのが好きだから」

 「ええっ、ほんとに麗太くんって性格悪いよね」

 「だって完璧な人なんてこの世に存在しないんだろ」

 それ、一週間前、私が麗太くんに言った台詞なのだけれど。思えばあの日、勇気を出して麗太くんに本音を伝えられて良かったと心から思う。私が行動したおかげで今幸せになれているのだから。

 花菜ちゃんや遥香ちゃんにも電話で報告したら、泣いて喜んでくれた。二人が私の背中を押してくれたから感謝しかない。

 (私、たくさんの人に救われてるんだなぁ)

 「ここでオムライスも食べたよな」

 「食べてる途中、急に麗太くん黙ってたよね。あれ何だったの?」

 「ああ。咲奈とここ来たことがあったんだ。それで咲奈との思い出が蘇っちゃって……って愛海、気づいてたんだな。嫌な思いさせてほんとごめん」

 確かにあのときはまだ麗太くんの過去のことを知らなかったから、とても心配していた。一ヶ月くらい前なのに、とても懐かしく感じる。

 「うん、正直咲奈さんのこと嫉妬してた。でも今は麗太くんがこうやって隣にいてくれるから大丈夫だよ」

 「……愛海は、ストレートに言いすぎ。照れるだろ」

 耳まで真っ赤になっている麗太くんを見て、私まで赤面してしまう。いま私、どういう顔しているのだろう。

 (……恥ずかしい)

 「俺、そういう愛海に惚れたから。人に対しての優しさとか、頑張る姿に」

 「……私も、麗太くんのさり気ない優しさが、すき」

 改めて口に出すと余計に恥ずかしくなってしまう。好きな人に想いを伝えることは、やはり難しいことだと思う。

 「ここで告白したんだよな」

 「ね、夢みたいだった。好きな人から告白されるのってこんなに嬉しいんだなって」

 初恋の人と両想いになれるなんて、こんな幸せなことはあるのだろうか。きっと私、今世界中の誰よりも幸せだと心から思う。

 「あっ、そういえば持ってるよ、ペンギンのキーホルダー」

 「わざわざ持ってきてくれたの?」

 私は誤魔化すようにこくん、と頷いた。本当はお守りとしていつも持ち歩いている。けれど恥ずかしいから、麗太くんには内緒だ。

 「あのときのお礼、まだできてないよね、待ってて!」

 私は駆け足でお土産屋さんへ行き、ペンギンのキーホルダーを一つ手に取った。

 「はい、これ」

 「……同じやつ?」

 「ううん、少しだけ違うんだよ。私のペンギンは怒った顔してるけど、そのペンギンは笑ってるの」

 笑っている顔、困っている顔、怒っている顔……色々な種類のペンギンのキーホルダーがあってどれにするか迷った。私は麗太くんの笑顔が好きだから、笑っている顔のペンギンを選んだのだけれど。

 「ありがと、愛海。そっか、愛海のペンギン怒った顔なのか」 

 「そうなの! この不貞腐れてる感じが可愛いんだよね」

 「……なるほどな。愛海っぽい」

 「ええっ、それどういうこと?」

 「かわいいって意味」

 私が少し怒り気味に言うと、麗太くんは笑ってそう答えた。私よりも麗太くんのほうがストレートに言い過ぎではないだろうか。

 (嬉しいけど、本当に恥ずかしくなる)

 「愛海、ごめんな」

 「えっ?」

 「あのとき、別れようって言っちゃって。ほんとにごめん」

 『じゃあ俺と、別れてくれ』

 別人のような麗太くんの声と、冷たくて儚い視線。今でも頭のなかで覚えている。そう言われるとは思っていなかったから。

 「ほんと俺、どうかしてたよな。愛海のこと好きなのに」

 「……ううん。麗太くん、私のことを傷つけないように言ってくれたんでしょ? 確かに悲しかったけど、いまこうして麗太くんが隣にいてくれるから、それでいい」

 私はそう言って全身の体重を押しかけるように、麗太くんの手をぎゅっと強く握った。

 (また、離れ離れになっちゃいそうで怖い)

 「……やっぱり変わったな、愛海」

 「えっ……どこが?」

 「そうやって本音を言えるようになったところ。愛海は絶対に成長してるよ」

 (愛海 “は” だなんて……。麗太くん、他人事みたい)

 私はもっと強く手を握り、口を開いた。

 「麗太くんだって成長してるでしょ」

 「俺?」

 「だって、私が不幸になっていないから。麗太くん、自分と関わると不幸になるって言ってたけど私不幸じゃないよ」

 地獄をくぐり抜けてきたからこそ、いま幸せを掴めている。幸せになれているのは麗太くんが傍にいてくれるからだ。

 「……じゃあ、そろそろ帰るか」

 「うん、そうだね」

 ガタゴト揺れる満員電車はまだ慣れないけれど、新鮮な感じがしてとても心地が良い。窓の景色を見ると、木漏れ日の夕日が広がっていた。

 「愛海、家まで送ってこっか?」

 「ううん、ここから近いし、大丈夫だよ」

 「ん、気をつけて帰れよ。じゃあな」

 「うん、じゃあね――」

 言い終わる前に麗太くんの顔が近づいてきて、勢いに流されるまま唇と唇を重ね合った。

 暖かなきつね色の空に照らされ、私達は微笑みあった。