彼女と出かけた次の日は月曜日だったため学校があった。
 雨のせいで僕の心は家を出て五分も経たないうちに憂鬱な気持ちで満たされた。
 レインコートを着て自転車を走らせる。雨風を切り裂いて走る風景は晴れの日では体感できない感覚が芽生え、新鮮さが体を包み込む。
 僕が日々学生として勉強に勤しんでいる高校は市内の中心部にある。駅から近く利便性が高いのと、自称文武両道の名門という半詐欺的詐称を市外に売っているため、市外から通っている生徒は珍しくなかった。そんなこの学校にはスポーツも勉強も平均以上という生徒が大半だった。僕はというとその大半から除外されていると自覚しているし、周りからの評価は聞くまでもなかった。なぜかって? それは僕が文化部に所属しているからだ。年齢=文化部歴であったので、人生のハッピーセットとして陰キャという名がついてきた。唯一、国語の成績だけがトップなのが誇りだ。
前にも話した通り僕は友達という存在を一人しかもっていないし、生きる上での必需品ではなかったのでたくさん作らない努力をあえてしてきた。その結果が今の僕だ。よく「友達はたくさんいた方が賑やかで楽しい生活になる」とかいう根拠もない発言をする人がいるけれど僕は真っ向から否定したかった。無駄な雑談に時間を割いたり、見たくない映画を見たりと友達を作る=お金と時間を溝に捨てている、と言っても過言ではなかった。確かに、自分とやりたいことが百パーセント一緒の思考を持った人間なら少なからず友達になる価値はあるだろう。しかし、現実にそんな人間はいない。多少の不利益が生じても友達は作るという大多数の意見の方がもしかしたら正しいかもしれない。それでも僕は自分の時間を削る道具にしかならい友達はいらない。そう断言する。
 そんなことを考えていると学校に着いた。敷地内では自転車に乗ってはいけないというルールになっているので、手で押しながら駐輪場へと向かう。学校の駐輪場は大きく、汚いという点から有名だった。雨の日は錆付いた穴から雨水が垂れることは日常茶飯事なので、穴の開いていない所に止めるのが恒例行事となっていた。
 いつものようにわいわいお祭り騒ぎのような雑談が聞こえてくる。友達が一人しかいない僕にとって、彼らにとってのあいさつ代わりである話に参加する必要はなかった。視界に入る人が歩くとともに後ろに流れていくのを感じながら校舎に入る。雨のため床は少し濡れており、傘たての中には無造作に傘が敷き詰められていた。
 階段を上る。
 僕はあいさつを交わさずに教室に入る。
 僕が教室に入った途端、クラスメイト達の声量がジェット機からお通夜時へと状態変化した。疑問を抱きながら歩くがクラスメイト達が目で僕を追ってきた。僕は平常心を保ちながら自分の席に座る。持ち物に不備がないか確認している時、目の前に一人の男が現れた。僕はそれを暗くなった視界によって把握する。
「相模原君、日曜日何してたの?」
 学校で名前を呼ばれたのが久しぶりだったので驚く。
 低いが優しい声。それが彼の第一印象だった。名前すら覚えいないこの人に僕は戸惑いを見せてしまう。
「君、誰?」
 単刀直入に名前を知らないことを知らせる。
「いやだな~この僕を知らないわけないじゃん」
 四字熟語でこの人を表すなら自画自賛がお似合いだ。
「本当に、君誰?」
 本当に面倒くさかった。話すことに免疫のない僕にとってこの状況を素早く脱出することが今日の一番の課題だと確信する。
「一応、僕の自己紹介をしよう。耳の穴をかっぽじって聞いていろよ」
 さっきとは違う高らかな軽い声で話し始めた。あまりの声の差にびっくりしたが下手な相槌を打つという無理難題の挑戦を強いられたため気がそっちに動転する。脳が彼の言葉なんて記憶するなと命令をしてきたので従う。
「僕の名前は西川優(にしかわゆう)。生徒会長で野球部のキャプテン。そこら底辺よりはイケメンで、お金持ちで、成績と地位はとても優秀な漢です。特技は三桁×三桁が暗算で出来るという事で~す。ちなみにペットとして家の水槽でカエルを飼っています。よろしくね、相模原常陸君」
 カエルを飼っているという核心にはあえてコメントせず、素っ気ない返事をする。彼は僕の態度に不満があったのか眉間にしわをよせる。僕は早く去れという意見を込めて本を開ける。
「じゃ本題に入ろうか相模原」
 突然発した威嚇するような声と呼び捨て。あまりの大差に心臓がびくりとなる。本を読もうと試みたが彼の言葉が僕の行動を阻む。さすがの僕でも危機感を感じたので彼を刺激しないようにゆっくりと本を閉じる。
「お前、日曜日何していた」
 とうとう呼び捨てを超えて僕は代名詞扱いされた。もちろん彼女と一緒に出掛けていたことは拷問されたって言うつもりはない。しかし、わざわざ聞いているのだから日曜日の件を知っているのかもしれない。僕は身を守るため一応嘘をつく。
「家に居た……」
「嘘をつくな!」
 さっきよりもすべてがヒートアップした彼。机を叩きながら僕に真実を求める眼差しをつきつけてきた。クラスメイト達が一瞬注目する。が、被害者が僕で加害者が彼という事に納得度したのか何もなかったかのような振る舞いをする。これがさっき彼の発した「地位」という人間の評価だった。
「ネタは上がっているんだよ。早く吐け!」
 本当の事を言った方が読書の時間を確保できる。
 僕はそれだけを願い吐き捨てるように言う。
「日曜日は出かけてたよ」
「誰とだよ」
「一ノ……」
「やっぱりかよ」
 彼は僕が彼女のフルネームを言い終わる前に声を漏らした。クラス内でも孤立している彼女のことを話すなど何かあるのだろうか。
 彼は人を殺しそうな目で僕を見る。
「お前、来夏に何した」
 再度机を叩き、鋭い目つきと呼吸で僕の良心を煽る。
「別に。君の思っているようなやましい事なんてしてないよ」
「やましい事はって。二人で一緒にいたのかよ」
 彼は僕の意見に欠点を見つけては質問する。早く終わらすために事実を述べたつもりが墓穴を掘ってしまったようだ。
「一緒にいったといっても映画を鑑賞しただけだよ」
「来夏はなんで俺を選ばないんだ……」
 最後の文は小声だったが僕は拾うことができた。わざと僕の耳に入るように言ったのかもしれない。彼は軽く舌打ちをした。その時、事の張本人である彼女が教室に入ってきた。彼女も僕と同様にあいさつなど交わさず、自分の席に直行する。
 彼は彼女の席に行き、挨拶を交わすが彼女は会釈程度しかしなかった。



 翌日には同じクラスの女子である斉藤舞(さいとうまい)から彼女との関係についてしつこく聞かれた。
「あんた、来夏とどういう関係なの?」
「ただのクラスメイトだよ……」
 人望がない彼女にも大切にしてくれる人がいるとは思わなかった。
「まさか来夏に恋愛感情抱いてないでしょうね」
「抱いてなんかいないよ」
「どっちでもいいけど二度と来夏とは関わらないでよね……私、来夏の事好きだから……」
 彼女のことが好きなのはきっと友達としてだろう。
 斉藤は警告を吐き捨てて僕から離れていった。
 彼女と関わるとろくなことがないと改めて思った。





「夏は夜」
 清少納言が書いた枕草子。夏の冒頭文は大半の人が知っているだろう。この文に込めた作者の思いは「夏の夜は蛍などが飛び交っていて良い」という風に世間では言われているが本人ではないので実際のことはわからない。
 枕草子の授業を行ったのは中学二年生の秋。健全ではない思春期真っただ中な男子は変な方向のジャンルへと繋げた。
「夏は夜とかエロいよな」
「夜の営みがこの時からあったのかよ」
 今になって思えば男子が女子から嫌われている理由がわかるかもしれない。
 僕はというと夏は大嫌いだ。通常の学生は夏休みという長期休暇や男子に至っては水着という意味不明な目的から好きという奴もいた。エアコンをつける夏ならいいけれども、扇風機と窓で対応しなければならない夏の夜は地獄と化している。
 べっとりと服にしめつく肌や滝のように流れ出る汗にうんざりしていた。そして、とうとう今年も夏という季節が巡りに巡ってきてしまった。
「常陸君って夏好き?」
「え⁉」
 心の中が分かるエスパーかと思い、裏声が出てしまった。
 僕と彼女は今部室にいる。
「常陸君聞いてる?」
「ごめん聞いてなかった。もう一回お願い」
 彼女は机上に顔をつけながら話す。
「だ・か・ら、夏は好き?」
「嫌いだね」
「何で?」
「夏は怖いから……でも、長期休暇を得られる夏休みは好きだよ。僕は単に『夏』っていう単語が嫌いなんだ」
「常陸君に限って肝試しが怖いなんて」
「変な解釈をしないでくれる。あと、どっちかっていうと肝試しは好きだよ。夏が怖い理由が明確にあるんだ」
 心に閉ざしたままだった気持ちを吐き出す。他人に話すのは初めてだけど彼女なら嘲笑もせずに聞いてくれるだろう。
「実は僕の母はいないんだ。僕が中学二年生の夏に死んだ」
「何が原因で亡くなったの?」
「死因は七色病」
 死因を強調するために体言止めにしてしまう。
「嘘」
 彼女は青ざめた顔をしていた。いつもの冷静さと明るさが消えていた。そりゃそうだ。自分と同じ病気で亡くなった人の話を聞いて驚かない人なんていない。それでも彼女なら受け止めてくれると思い口を開いた。
「僕の母は突然死んだ。当時、幼かった僕はそう思い込んでいた。病気で死んだという真実を全く知らず、最近薬をよく飲み、病院に通っている程度の甘い認識だった。母の死後、父から全容を聞かされた時は流石に驚いたよ。何で教えてくれなかったの?言ってくれればもっとお母さんと遊べたのにと、父に対して思うがままに意見をぶつけたよ。でも今になって思うと父の言動も納得がいく。それっきり父とは最低限の話しかせず、十年近くたった今でも互いに背をむけあいながら生きてるよ。家で会話をしなくなったのが引き金となったのか、僕は本来の自分を見失った。さすがにやばいと焦り、自分の新しい型を作るよう心掛けた。そして出会たのが読書という趣味だった。本を読むことにより新しい価値観が生まれ、何か自分の人生を良い方向へと修正できる材料が見つかるかもしれないと期待を抱いているがいまだに見つからない。以上のことから僕は夏が嫌いだ。母が突然死んだみたいに、予告なしに災難が襲ってきそうな夏が怖いから嫌いなんだ。正直君の病名を聞いた時は驚いたよ。まさか身近に母と同じ病気を患っているクラスメイトがいるんだなんて。前世で現世でも罪を犯していない君が何でこんな目にあうのかって……一日一日を大切に生き、心から楽しく過ごしている君が早死しちゃうんなんて可哀そうだなと今でも思っているよ」
 彼女との間に沈黙の時間が走る。
「話してくれてありがとう。常陸君のお母さんが私と同じ病気で亡くなったと聞いたときは私も驚いたよ。でもね、私は夏が好きだよ。まあ自分の名前にも入っているし。夏の魅力に気が付いていない常陸君は本当にもったいないよ。私は夏が好きだけど来年は夏を迎えられるかすら分からない。って、名前と矛盾しているけどね」
 ほほえみを交わして彼女は言う。何か吹っ切れたような顔だった。
「とりあえず私の当面の目標は二つ。一つ目は来年の夏を迎えること。二つ目は常陸君に夏を好きになってもらうこと」
「僕の夏嫌いは未来永劫変わらないよ」
「絶対に好きにさせてやる」
「やっぱり君とは方向性が合わないね」
「それは私も思った」

 僕は家に帰った後、線香をあげた。今日は母の命日だからだ。煙たい空気が肺を満たす。仏壇には父と姉のものだと思われる線香が煙を上げていた。母の遺影を見ていたらふと彼女の言葉が頭をよぎった。
 僕は考えてしまう。
『僕は夏が好きになれるのだろうか』





 とある日の朝、僕は決意のこめた手でスマホを握った。まだ外は薄暗く小鳥のさえずりは聞こえてこなかった。部屋の勉強机の読書灯をつける。光量は最小限に保った。部屋の明るさが視力を得れる程度なので何かいけないことをしている虚無感に襲われた。スマホのロックを解除すると僕は一ミリの迷いなくTwitterを開く。そしてDMを送る……。
 その相手とは小説家の美作大作だった。
 すぐに既読が付いた。僕は何気ない気持ちで返信が来る前に電源を切って、再び眠りについた。
 美作大作にDMを送ったその日の午後、僕は半日ぶりにスマホを開く、案の定返信の嵐がたまっていた。

『作家、一ノ瀬来夏の盗作疑惑の件について伺いたいことがあります。単刀直入に申しますと、あなたが盗作されたのではなく、あなたが盗作したのですよね。こちらには決定的な証拠があります。無視や事実と曲げたことを私に言ったら、証拠と共に世間に公開しますよ』

 美作は焦った様子を必死に隠しながらも、弁解の返信を送ってきた。
『何かの間違いではないですか? 私は被害者ですし……』
 全く肯定する様子がなかったので僕はとある写真を送る。既読がついて数瞬、美作は何かを悟ったのか、急に態度を変えだした。
『お前! その写真どこで手に入れた』
 美作が焦るは当然だろう。その写真とは彼女と美作の小説に関するやり取りが鮮明な状態で映っていたからだ。僕がこの前彼女の隙をついてスマホを開き、盗撮した。
 僕ははらわたをえぐる一言を丁寧に添える。
『世間に公開してもよいという認識でいいですね』
『ちょっと待ってください! 一度会って話しましょう』
 そして僕は後日、彼と会うことになった。彼が僕の住んでいる大垣までご足労し、駅近くの喫茶店で待ち合わせた。僕は少しばかりのワクワク感に襲われた。それはきっと大物作家に会えることでも、彼女の無実を証明することができるかもしれないという高揚感ではなく、人間的に自分が成長するかもしれないと期待していたからだ。
 僕が集合予定の10分前に喫茶店に行くと、すでに彼が待っていた。有名作家のため顔は割れていた。僕は近づく。
「君が相模原君か」
 まさかとは思っていたが本物の美作大作だった。仙人のような長い髭を生やしたオーラに飲み込まれそうになった。本来の目的を忘れかけていたが、ふと我に返り、僕は美作の隣の席に座る。初対面特有の沈黙などなく、彼は口を開いた。
「君と一ノ瀬君とはどういう関係なんだい?」
 驚くほど冷静な声で彼は質問を投げかけた。いくつもの修羅場をくぐってきて、今回はその一回に過ぎないというオーラを強く感じた。
 僕は平静を装う。
「ただのクラスメイトです」
 驚くほど反応はなかった。
「それで、例の件なんだけれども……お金ならいくらでも払うから世間だけには公開しないでくれ」
 彼は大きく頭を下げ、重みのある札束を戸惑いなく机の上に置いた。
 文豪だと思っていた彼へのイメージはとっくに崩壊していた。自分の名誉のためならすぐに現金を出すあたり、世間の汚い大人と全く変わらなかった。尊敬の意を抱いていた自分を激しく叱責する。
「本当にそれで済むと思ってるんですか」
「……」
 僕は冷静だった。
「まずはなんで今回のことが起きたのか説明してください。話はそこからです」
 彼は反省の意など全くなく、淡々と説明をする。
「単純に一ノ瀬の作品を真似ると売れると確信したからだよ。次の新作に俺は困っていた。世間からは天才小説家なんていう名前をつけられたから、この新作だけはどうしても失敗できなかった。新作の案に悩んでいたときにとある小説投稿サイトで、あの作品に出会ったんだよ。少し読んだだけで俺はビビって来たんだ。これなら売れる。俺の執筆力を組み合わせると最高傑作になると。そこからは早い。著者情報に書いてあったTwitterのアカウントに校閲という虚偽の目的でDMを送ったら、すぐに一ノ瀬は飛びついてきたよ。そしてあいつの作品の完全なるデータをもらい俺は晴れて出版したよ。テレビニュースになったときは驚いたよ。まさかテレビに取り上げられるほどに事が大きくなるとは思ってもいなかった。しかし、メディアは圧倒的知名度と人気を誇る俺をかばった。一ノ瀬がTwitterでした主張なんてなかったかのように……。世間をメディアの偏った情報に洗脳され俺が被害者だと思っている。俺への世間からの評価は高くなるは、小説は売れて金は儲かるはと最高の結果になったぜ」
 僕が聞いていることすら忘れているような口調で美作は堂々と話した。正味、ここまでのクズ人間とは思っていなかった。呆れを超えて反吐が出る。
 この人と話したら時間に失礼だ。僕は「わかりました。僕の独断で世間に公開するかは決めます」と言った。もちろん美作は僕を引き留めたが、僕は彼の手を振り払って喫茶店を去った。
 人情として皺ひとつない千円札を机に置いていった。
 僕は少し晴れた気持ちになった。