9月。深夜。海岸沿いの道路を一台の車が走っていた。赤い色のスポーツカー。
 車は海から流れ込む水路に架かる橋を渡ったところで停車した。
 車から降りてきたのは若い男女。二人はガードレールを回り込んで海岸沿いの歩道に入り、海岸へ降りるコンクリートの階段の入り口あたりで立ち止まった。
「ここだろ、巨大海洋生物だか何だかが、現れた場所」
 女性の横顔を見ながら男性が言う。
「うん……そうだよ」
 暗い夜の海の方を見ながら女性が答えた。
「お前も物好きだな。こんな場所見たがるなんて」
「物好きとか言わないでよ……でも、どうしても気になって」
「なにが?」
「あの時、怪物といっしょに、人魚がいたっていう話……」
「人魚? そう言えば、その前から人魚のことSNSで話題になってたな……」
「その人魚が、怪物にさらわれた女性を助けたって……」
「それって、作り話だろ? そんなことあるわけないだろ」
「そうかもしれないけど……」
「それに怪物の死骸は見つかったのに、その人魚とかは見つかってないんだろ? 人魚がいたっていう証拠ないわけだし」
「だから、その人魚がどうなったか、気になって……」
「最初から人魚なんていなかったんだろ? まあ、その現場を見て気が済むならいいけど……それにしても、なんでこんな夜中に?」
「それがね、最近この海岸に、深夜、青白い光が見える、ていう噂があって……」
「青白い光? なんだそれ。人魚の次は、人魂?」
「……うん。人魚と何か関係あるんじゃないかと思って」
「それも便乗したフェイクに決まってるだろ。そうでなきゃ、死んだ怪物か人魚の幽霊だ」
「幽霊? そんなこと、ないと思うけど……」

 しばらくの間、二人は暗い夜の海を見つめていた。
「そろそろ帰らないか? 何も見えないし。やっぱりフェイクだよ」
「うん……やっぱそうかな……」
 二人は海岸に背を向けた。
 歩道から車道に出て、車に乗り込む直前、女性はもう一度、海を見た。
 その時。
「待って!」
 女性が声を上げた。
「あれ!」
 女性は海の方を指さしている。運転席側に回り込んでいた男性も女性の指さす方を見た。
 暗い海に、青白い光が浮かんでいるのが見えた。
 二人はまた歩道へ走った。
 海岸からさほど遠くない水面に、確かにその光は、あった。浮かんでいた。
 いや、ただ浮かんでいるわけではない。その光は、動いていた。海岸へ向かって、二人がいる方に向かって、動いていた。
 二人は息を飲んでその光を見つめた。
 光の正体はわからない。でももし、あの光が海岸に上がって、自分たちを襲ってきたら……
 女性の背筋に冷たい物が走った。無意識に隣りに立つ男性の腕を掴んでいた。
 しかし……海岸の少し手前で光は進む方向を変えていた。自分たちがいる場所から少し逸れて……その進む先には、海から流れ込む水路と、そこに架かる橋があった。
 やがて光は水路に入り、二人のすぐ横にある橋の下に消えると、すぐにまた橋の反対側から現れた。橋の下をくぐり抜けたのだ。
 固まっていた二人の足が動いた。橋に向かって走っていた。車道を渡って反対側の歩道に入り、水路を見た。
 光が水路を上って行く。光の後に水紋ができていた。光が、いや、光る何かがは水路を泳いでいるように見えた。
 突然、光が静止した。泳ぐのを止めたのだ。
 光はゆっくりと、水路の片側のブロック塀に向かう。そして、光がブロック塀を上り始めた。
 周辺は暗い。その姿ははっきりとは見えない。しかし……光を背負った、人のようにも見えた。
「人魚……」
 女性がつぶやいた。
 光がブロック塀を登り切った。塀の上にあるのは、金網のフェンス。フェンスの向こうは……空地だった。かつてはそこに建物が建っていたのかもしれない、しかし今は、草の生い茂った空地だ。
 光は、フェンスの中を覗いているように見えた。何かを探しているように……
 光がフェンスをよじ登り、フェンスの上に立った。
 光が周囲を見回しているようにも見えた。
 声が、した。

「キュ───ン、キュ───ン」
 夜空を切り裂くような、高い音。
 その光が発しってるのだろう。その声は、泣いているようにも、誰かを呼んでいるようにも聞こえた。
「……切ない声だね」
 女性が言った。
「ああ……そうだな」
「探してるんだ……きっと誰かを探してるんだ」
「……誰かって?」
「わかんない。でも、探してる。光ってるのも、その誰かに合図を送ってるんだ。私はここにいるよ、て……」
 思い出したように、男性がポケットからスマホを取り出した。顔の前にスマホを構える。撮影しようとしているのだ。
「だめ!」
 女性が男性の手を押さえた。
「え⁉ なんで?」
「……そっとしておいてあげようよ」
「……でも、もし誰かを探しているんなら、そいつに教えてやらないと……SNSに揚げればきっと、そいつが見るんじゃないか? そいつが人間ならだけど……」
「大丈夫。そんなことしなくても、きっと届いてるよ。あの声は、その誰かに、届いてるよ……」
 そう言って、女性はまた光の方に向き直った。

「キュ───ン、キュ───ン」
 その声は、暗い水路に、そしてその上遥か空の暗い夜空に、響き渡っていた。

(完)