彼は、ゆっくりと、泳ぎ始めた。
 ようやく身体が動かせるようになった。
 ものすごい衝撃だった。彼の周囲の世界は一変してしまった。そして彼自身も深い傷を負った。傷が癒えるまでにかなりの時間を要した。
 動けるようになった彼が最初に感じたのは、空腹。
 食べ物を探さなければ。
 以前は彼の周囲に豊富な食物があった。魚やイカ類。しかし今、その姿は見えない。
 探せ。食物を探せ。
 海底から噴き出したマグマが、それまでそこに存在しなかった大きな岩礁を造っていた。今も高温の泡を吹き続けている岩礁を大きく迂回し、北側の海に出た。
 その時。
「声」を聴いた。はるか遠くから、海の中を響いて届いて来る、「声」。
 雌だ。雌の声だ。
 食欲と共に、彼が感じたもう一つの本能。
 自分の子孫を造らなければ。そのために、雌を確保しなければ。
 その声は、歓喜に満ちていた。
 雄だ。その雌は、別の雄と一緒にいるのだ。
 奪え。その雌を、奪え。
 彼は声のする方に向かって泳ぎ始めた。

 同じ方角から、別の「音」が聞こえた。「声」ではなく、「音」だ。
 以前にも聴いたことがある。海の上を走る、大きなかたまり。
 生物ではない。しかし、そのかたまりの上には、生物がいる。つまり、食物が。
 まずは、食物だ。空腹を満たす。雌を捕まえるのは、それからだ。
 彼は、その巨大な尾ひれを大きく動かして、速度を上げた。