「大事にしたくない」という緒川の希望もあって、病院にはタクシーで向かった。

 タクシーに乗っている間、緒川は一言も喋らなかった。あまりにもぐったりしているものだから心配になり、何度も何度も彼女の顔を覗き込んだ。緒川には、それを拒む力も残っていないようだった。

 やがてタクシーが病院にたどり着く。そこは、緒川と再会したコーヒーショップの向かいにある大きな病院だった。

 移動中の車内で予め病院に電話をしていたからだろうか。病院に入るとすぐにスタッフの方が緒川を出迎えてくれた。看護師とも顔見知りらしく、中には「緒川さん、しっかり」と彼女に声をかけている人もいる。その様子を邪魔にならないよう、ただ傍観していた。

 待合室の端っこの椅子に座り、無言で緒川の診察を待つ。

 待っている間も、ずっと後悔していた。思い返せば緒川は水族館に着いた時から具合悪そうにしていた。ちょっとでも怪しんだはずなのに、俺は構わずに彼女に強行させてしまった。あそこでやめておけば、こんなことにならなかったのに。

 うなだれていると、不意に「風田君」と名前を呼ばれた。顔を上げると、緒川がそこに立っていた。もう自力で歩けるらしく、心なしか顔の赤みも消えている。

「ごめんね、ここまで付き合わせちゃって」
「いや、いい。むしろ、俺のせいだし……」

 ばつの悪さに緒川とろくに目を合わせられなかった。それでも緒川は「ありがと」と短くお礼を言って、俺の隣に腰を下ろした。

「もうすぐお父さんとお母さんが迎えに来てくれるって」
「そうか……それなら安心だな」

 そう言ったところで、誰かが「ひかり!」と彼女を呼んだ。顔を向けると、初老の男女が焦った表情でこちらまで寄ってきた。多分、緒川の両親だ。

 反射的に立ち上がってみたが、母らしき女性は俺に見向きもせず、緒川のほうへ向かった。

「ひかり……大丈夫?」
「大丈夫だよ、お母さん。点滴打ってもらったら、とても楽になった」

 緒川の言葉に彼女の母は「そう……」と安堵したように息を吐いた。その様子を男性──緒川の父は厳めしい顔で見つめていた。

「きみがひかりの連れの子かい?」

 突然緒川の父に声をかけられ、肩が竦み上がる。

「は、はい……このたびは娘さんを連れ回して申し訳──」

 そこで思わず息を呑んだ。言い切る前に緒川の父が俺の胸倉を掴んできたからだ。

「お父さん!」

 緒川と彼女の母の声が重なる。幸い別の患者は近くにいなかったが、辺りがざわざわとざわめき始めた。だが、そのざわめきにも屈せず、緒川の父は俺を睨みつける。