病室に入ると、ベッドに横たわったままの椎菜がうっすらと微笑んだ。
「椎菜……」
「へへ、ばれちゃった」
茶目っ気のある表情を作ろうとしているが、その顔に覇気はない。
「ここ、椅子あるよ」
「うん」
椎菜に促され、俺はパイプ椅子に腰かける。
白い病室の中、椎菜はその一部であるかのように溶け込んでいた。
「……病気だったのか」
「ん……」
「じゃあメッセージで、会うのは無理って言ってたのも」
「入院中だったからね」
「そういうことかよ」
俺は頭を抱える。
「好きな人が出来た、ってのは?」
「嘘だよ」
「なんでそんな嘘をついた?」
「洋ちゃんと、心中したかったから」
彼女の静かな声に息を飲む。
「……心中?」
「だって洋ちゃん、私が浮気したら解体して自分も後を追うって言ってたでしょ? それって……」
椎菜はうっとりした目を白い天井に向けた。
「ちょっといいなぁ、って思ったんだ」
「いいわけあるかよ!」
声を荒げた俺へ、椎菜は静かな眼差しを向ける。
「だって、一人で死ぬのは怖かったんだ」
椎菜の白く細い指が、こちらへ伸びてくる。
今にも崩れ去ってしまいそうで、俺は慌ててその手を取った。
椎菜は満足気に微笑み、俺の手を軽く掴む。
「酷いよね、神様って。何も受験が終わってからこんなことしなくてよくない? こうなると分かっていたら、勉強よりももっと楽しいことをして過ごせたのに」
椎菜が睫毛を伏せる。その間から雫が湧きだし、ころりと零れた。
「でも、嬉しかったんだ。すぐに終わる高校生活だと分かっていても、その最後の時間を洋ちゃんの隣で過ごせるって思って。その上、合格発表の日に告白までされて」
「あの時は……」
「嬉しかったんだ」
透明な雫が後から後から頬を伝う。
「すごく迷ったの。洋ちゃんに正直に話して、最後を看取ってもらおうかな、とか。でも、それでこれからも生きていく洋ちゃんの時間を無駄に使わせてしまうのは悪いなぁ、とか」
「無駄じゃねぇよ」
俺は椎菜の骨ばった小さな手を、両手で包み込む。
「無駄なわけあるかよ。お前と過ごす時間以上に、大切なものなんてねぇよ」
「ありがと、洋ちゃん」
椎菜は鼻をぐずつかせながら言葉を続ける。
「私ね、我がままだから、私が死んだ後に洋ちゃんが誰かと幸せになるの、嫌だなぁって思っちゃったんだ。そうしたら、告白の時の洋ちゃんの言葉を思い出して。私が心変わりをしたことにすれば、洋ちゃんは私を解体して一緒に死んでくれるかなぁ、って考えて」
あんな悪趣味なジョークを、こいつは本気で受け止めていたのか。
「だから今日、呼び出された時にわくわくしたんだ。あぁ、ついに今日が二人の命日になるんだ、って。なのに洋ちゃん、ナイフを忘れてくるんだもん」
「忘れて来たんじゃねぇよ。最初から本気でそんなことするつもりなかった」
「……だよね。洋ちゃんはそう言う人だから」
「それで、わざわざ俺にナイフをプレゼントしたのか」
「うん、背中を押してあげようと思って」
「ばか」
「へへ、そうだね……」
椎菜が姿勢を変え、天井を見る。
「サイコパスは私の方だった」
静かに目を閉じた椎菜に、俺は顔を近づける。
そして身をかがめ、その唇に自分のものを重ねた。
「洋ちゃん……」
椎菜は少し驚いたように目を見開き、次の瞬間顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくり始めた。
「私、酷いよね。自分の命が残り少ないからって、洋ちゃんを殺人犯にしてしまうところだった。洋ちゃんに、消えない汚名をかぶせるところだった。本当にごめんね」
「椎菜」
椎菜のやせ細った腕が、俺の首に絡む。弱々しい力で引き寄せようとする彼女へ、俺は抵抗せず従った。
「洋ちゃん、好き」
「うん。俺も好きだ椎菜」
「好き」
「あぁ」
「だから……」
椎菜の腕が緩んだ。俺は身を起こし、彼女の顔を見つめる。
「私が死んだら、すぐに私のことなんて忘れて。幸せに誰かと生きて」
「椎菜……」
「洋ちゃんが幸せになってくれることが、私の願いだから」
俺はもう一度彼女と唇を重ねる。
俺が椎菜に対して思っていたことを、彼女も同じように感じてくれていた。
心の奥底からしっかり結ばれ合った、そんな気がしていた。
それから俺は、毎日椎菜の病室を訪れた。
新学期が始まってからも、放課後、毎日。
「洋ちゃん」
日ごとに弱っていく彼女が今日も俺に訴える。
「私が死んだら、洋ちゃんは私のことを忘れて誰かと幸せになってね」
「……わかった」
「約束だからね」
「あぁ……」
俺が頷くたびに、椎菜は寂しさの入り混じった笑みを浮かべる。
(ごめん、椎菜)
君がこの世界から旅立ったら、俺もここにとどまる気はないんだ。
(嘘ついて、ごめんな……)
俺は彼女からプレゼントされたナイフを、ポケットの中で握りしめた。
――了――
「椎菜……」
「へへ、ばれちゃった」
茶目っ気のある表情を作ろうとしているが、その顔に覇気はない。
「ここ、椅子あるよ」
「うん」
椎菜に促され、俺はパイプ椅子に腰かける。
白い病室の中、椎菜はその一部であるかのように溶け込んでいた。
「……病気だったのか」
「ん……」
「じゃあメッセージで、会うのは無理って言ってたのも」
「入院中だったからね」
「そういうことかよ」
俺は頭を抱える。
「好きな人が出来た、ってのは?」
「嘘だよ」
「なんでそんな嘘をついた?」
「洋ちゃんと、心中したかったから」
彼女の静かな声に息を飲む。
「……心中?」
「だって洋ちゃん、私が浮気したら解体して自分も後を追うって言ってたでしょ? それって……」
椎菜はうっとりした目を白い天井に向けた。
「ちょっといいなぁ、って思ったんだ」
「いいわけあるかよ!」
声を荒げた俺へ、椎菜は静かな眼差しを向ける。
「だって、一人で死ぬのは怖かったんだ」
椎菜の白く細い指が、こちらへ伸びてくる。
今にも崩れ去ってしまいそうで、俺は慌ててその手を取った。
椎菜は満足気に微笑み、俺の手を軽く掴む。
「酷いよね、神様って。何も受験が終わってからこんなことしなくてよくない? こうなると分かっていたら、勉強よりももっと楽しいことをして過ごせたのに」
椎菜が睫毛を伏せる。その間から雫が湧きだし、ころりと零れた。
「でも、嬉しかったんだ。すぐに終わる高校生活だと分かっていても、その最後の時間を洋ちゃんの隣で過ごせるって思って。その上、合格発表の日に告白までされて」
「あの時は……」
「嬉しかったんだ」
透明な雫が後から後から頬を伝う。
「すごく迷ったの。洋ちゃんに正直に話して、最後を看取ってもらおうかな、とか。でも、それでこれからも生きていく洋ちゃんの時間を無駄に使わせてしまうのは悪いなぁ、とか」
「無駄じゃねぇよ」
俺は椎菜の骨ばった小さな手を、両手で包み込む。
「無駄なわけあるかよ。お前と過ごす時間以上に、大切なものなんてねぇよ」
「ありがと、洋ちゃん」
椎菜は鼻をぐずつかせながら言葉を続ける。
「私ね、我がままだから、私が死んだ後に洋ちゃんが誰かと幸せになるの、嫌だなぁって思っちゃったんだ。そうしたら、告白の時の洋ちゃんの言葉を思い出して。私が心変わりをしたことにすれば、洋ちゃんは私を解体して一緒に死んでくれるかなぁ、って考えて」
あんな悪趣味なジョークを、こいつは本気で受け止めていたのか。
「だから今日、呼び出された時にわくわくしたんだ。あぁ、ついに今日が二人の命日になるんだ、って。なのに洋ちゃん、ナイフを忘れてくるんだもん」
「忘れて来たんじゃねぇよ。最初から本気でそんなことするつもりなかった」
「……だよね。洋ちゃんはそう言う人だから」
「それで、わざわざ俺にナイフをプレゼントしたのか」
「うん、背中を押してあげようと思って」
「ばか」
「へへ、そうだね……」
椎菜が姿勢を変え、天井を見る。
「サイコパスは私の方だった」
静かに目を閉じた椎菜に、俺は顔を近づける。
そして身をかがめ、その唇に自分のものを重ねた。
「洋ちゃん……」
椎菜は少し驚いたように目を見開き、次の瞬間顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくり始めた。
「私、酷いよね。自分の命が残り少ないからって、洋ちゃんを殺人犯にしてしまうところだった。洋ちゃんに、消えない汚名をかぶせるところだった。本当にごめんね」
「椎菜」
椎菜のやせ細った腕が、俺の首に絡む。弱々しい力で引き寄せようとする彼女へ、俺は抵抗せず従った。
「洋ちゃん、好き」
「うん。俺も好きだ椎菜」
「好き」
「あぁ」
「だから……」
椎菜の腕が緩んだ。俺は身を起こし、彼女の顔を見つめる。
「私が死んだら、すぐに私のことなんて忘れて。幸せに誰かと生きて」
「椎菜……」
「洋ちゃんが幸せになってくれることが、私の願いだから」
俺はもう一度彼女と唇を重ねる。
俺が椎菜に対して思っていたことを、彼女も同じように感じてくれていた。
心の奥底からしっかり結ばれ合った、そんな気がしていた。
それから俺は、毎日椎菜の病室を訪れた。
新学期が始まってからも、放課後、毎日。
「洋ちゃん」
日ごとに弱っていく彼女が今日も俺に訴える。
「私が死んだら、洋ちゃんは私のことを忘れて誰かと幸せになってね」
「……わかった」
「約束だからね」
「あぁ……」
俺が頷くたびに、椎菜は寂しさの入り混じった笑みを浮かべる。
(ごめん、椎菜)
君がこの世界から旅立ったら、俺もここにとどまる気はないんだ。
(嘘ついて、ごめんな……)
俺は彼女からプレゼントされたナイフを、ポケットの中で握りしめた。
――了――