ふり向こうとした瞬間、ドンと背中に温かいものがぶつかる。
体を捩じって見てみれば、それは立ち去ったはずの椎菜だった。
「しい……」
「どうしてよ!」
「え……」
「どうして約束守ってくれないのよ!」
約束?
俺の背中にしがみついていた椎菜が顔を上げる。
その瞳は涙で濡れていた。
「浮気したら、私を解体するって! 私を食べて後を追うって、言ったじゃない!」
「そんなこと……、俺が本当に出来るわけがないだろうが!」
俺が叫ぶと、椎菜はビクッと体をこわばらせた。
「どうしてよ……」
「お前のことがマジで好きだからだよ!」
みっともなく、俺の眼からも涙が零れ落ちる。
「お前に幸せでいてほしいんだよ! お前が笑っているなら、俺の隣でなくたっていいんだよ。お前が好きだから、大切だから……!」
声は上ずり掠れ、喉に引っ掛かる。鼻水も流れ落ち、これまでで最も無様な姿を椎菜に晒している。それでも、伝えずにいられなかった。
「幸せになってくれ、椎菜!!」
正面から向かい合い、すっかり細くなってしまった彼女の両肩を掴む。
椎菜がくしゃりと表情を歪めた。
「なんで、殺してくれないのよ……」
椎菜も俺に負けず劣らずの、ぐちゃぐちゃな顔になる。
「私のこと、その程度にしか思ってなかったの? あの言葉は、そんな軽いものだったの?」
「椎菜……」
「洋ちゃん、どうして!?」
悲鳴に近い声が椎菜の口からほとばしり出る。
その瞬間、椎菜の体がぐらりと傾いだ。
「椎菜!?」
俺は慌てて彼女を抱きとめる。その体は,ひどく軽かった。
「椎菜? どうした、椎菜!」
椎菜は目を開くことなく、ぐったりと俺の腕の中に身をもたせかけている。
(救急車か? いや、それより……)
俺は連絡先を交換していた、椎菜の母親にメッセージを打った。
「直接会うのは久しぶりね、洋ちゃん」
椎菜の母親と共に、俺は病院の待合室のソファに座っていた。
外はすっかり陽が落ち、白々とした光が待合室を照らしている。
「すぐに連絡してくれて、助かったわ。今あの子は、応急処置をしてもらってるから」
「……どういうことなんですか」
やつれ切った面差しのおばさんに、俺は窓ガラスの反射越しに目を合わせる。
椎菜の運ばれた病室からは、生活感がにじみ出ていた。
椎菜の箸、歯ブラシとコップ、スマホの充電器。
椎菜の好きな本、そして見覚えのあるイヤホン。
彼女が長期にわたってここで寝起きしていたことを、俺は一目で悟った。
「椎菜、病気だったんですね」
「……」
「話してください、お願いします!」
おばさんは眉間にしわを寄せ、グッと何かを飲み込むと、大きく息をついた。
「あの子ね、もうあまり長くないの。恐らく今年の冬は迎えられないわ」
頭から氷柱を叩きこまれた気がした。
「な……、そ……」
「今年の頭から体の具合が悪くてね。受験が終わるのを待って病院に行ったの。そうしたら、余命半年だってお医者さんから……」
おばさんの口から病名が告げられたが、頭が真っ白で言葉が脳の上を滑っていく。
「合格発表の日、洋ちゃんに告白されたってあの子喜んでいたわ。嬉しそうに笑いながら、泣いていたの。もっと早く知りたかった、両想いなら私から告白するべきだった、って」
(あ……)
――遅いよ! 私は小学生の頃から、洋ちゃんのこと好きだったんだよ?
そう言いながら泣いていた椎菜。
(あれは、そう言う意味だったのか……)
「あ、あの……」
こわばり震える口を何とか動かし、俺はおばさんに問う。
「椎菜、彼氏ができたって言ってたんですけど。夏休みの間に」
「彼氏?」
おばさんは悲しげに微笑み、首を横に振った。
「夏休みに入ると同時にあの子はここで入院してたのよ。そんな出会いがあったようには見えないわ。それに、そんな相手がいれば一度くらいお見舞いに来たはずでしょう?」
「来て、ない?」
「いないのよ、そんな相手。だって……」
おばさんが両手で顔を覆い、声を震わせた。
「あの子は洋ちゃんのことだけがずっと好きだったんだから……!」
「……」
「今日、外出許可を取って出かける前、あの子は私にこう言ったの。『私に何があっても、洋ちゃんを恨まないで』って……。どういうつもりかまでは、聞けなかったけど……」
(椎菜……)
その時待合室の扉が静かに開いた。
薄ピンク色の服の看護師が、こちらへ軽く頭を下げる。
ばね仕掛けの人形のように、椎菜の母親が立ち上がった。
「看護師さん、あの子は!?」
「今は落ち着かれました。お話も出来る状態なのですが、あの、ヨーチャンとは?」
「俺です」
「二人きりで話がしたいと、お嬢さんがおっしゃっているのですが。お母様、構いませんでしょうか?」
「えぇ、はい」
ハンカチで涙をぬぐいながら、おばさんが俺の肩に手を掛けた。
「お願い、行ってあげて、洋ちゃん」
「……はい」
体を捩じって見てみれば、それは立ち去ったはずの椎菜だった。
「しい……」
「どうしてよ!」
「え……」
「どうして約束守ってくれないのよ!」
約束?
俺の背中にしがみついていた椎菜が顔を上げる。
その瞳は涙で濡れていた。
「浮気したら、私を解体するって! 私を食べて後を追うって、言ったじゃない!」
「そんなこと……、俺が本当に出来るわけがないだろうが!」
俺が叫ぶと、椎菜はビクッと体をこわばらせた。
「どうしてよ……」
「お前のことがマジで好きだからだよ!」
みっともなく、俺の眼からも涙が零れ落ちる。
「お前に幸せでいてほしいんだよ! お前が笑っているなら、俺の隣でなくたっていいんだよ。お前が好きだから、大切だから……!」
声は上ずり掠れ、喉に引っ掛かる。鼻水も流れ落ち、これまでで最も無様な姿を椎菜に晒している。それでも、伝えずにいられなかった。
「幸せになってくれ、椎菜!!」
正面から向かい合い、すっかり細くなってしまった彼女の両肩を掴む。
椎菜がくしゃりと表情を歪めた。
「なんで、殺してくれないのよ……」
椎菜も俺に負けず劣らずの、ぐちゃぐちゃな顔になる。
「私のこと、その程度にしか思ってなかったの? あの言葉は、そんな軽いものだったの?」
「椎菜……」
「洋ちゃん、どうして!?」
悲鳴に近い声が椎菜の口からほとばしり出る。
その瞬間、椎菜の体がぐらりと傾いだ。
「椎菜!?」
俺は慌てて彼女を抱きとめる。その体は,ひどく軽かった。
「椎菜? どうした、椎菜!」
椎菜は目を開くことなく、ぐったりと俺の腕の中に身をもたせかけている。
(救急車か? いや、それより……)
俺は連絡先を交換していた、椎菜の母親にメッセージを打った。
「直接会うのは久しぶりね、洋ちゃん」
椎菜の母親と共に、俺は病院の待合室のソファに座っていた。
外はすっかり陽が落ち、白々とした光が待合室を照らしている。
「すぐに連絡してくれて、助かったわ。今あの子は、応急処置をしてもらってるから」
「……どういうことなんですか」
やつれ切った面差しのおばさんに、俺は窓ガラスの反射越しに目を合わせる。
椎菜の運ばれた病室からは、生活感がにじみ出ていた。
椎菜の箸、歯ブラシとコップ、スマホの充電器。
椎菜の好きな本、そして見覚えのあるイヤホン。
彼女が長期にわたってここで寝起きしていたことを、俺は一目で悟った。
「椎菜、病気だったんですね」
「……」
「話してください、お願いします!」
おばさんは眉間にしわを寄せ、グッと何かを飲み込むと、大きく息をついた。
「あの子ね、もうあまり長くないの。恐らく今年の冬は迎えられないわ」
頭から氷柱を叩きこまれた気がした。
「な……、そ……」
「今年の頭から体の具合が悪くてね。受験が終わるのを待って病院に行ったの。そうしたら、余命半年だってお医者さんから……」
おばさんの口から病名が告げられたが、頭が真っ白で言葉が脳の上を滑っていく。
「合格発表の日、洋ちゃんに告白されたってあの子喜んでいたわ。嬉しそうに笑いながら、泣いていたの。もっと早く知りたかった、両想いなら私から告白するべきだった、って」
(あ……)
――遅いよ! 私は小学生の頃から、洋ちゃんのこと好きだったんだよ?
そう言いながら泣いていた椎菜。
(あれは、そう言う意味だったのか……)
「あ、あの……」
こわばり震える口を何とか動かし、俺はおばさんに問う。
「椎菜、彼氏ができたって言ってたんですけど。夏休みの間に」
「彼氏?」
おばさんは悲しげに微笑み、首を横に振った。
「夏休みに入ると同時にあの子はここで入院してたのよ。そんな出会いがあったようには見えないわ。それに、そんな相手がいれば一度くらいお見舞いに来たはずでしょう?」
「来て、ない?」
「いないのよ、そんな相手。だって……」
おばさんが両手で顔を覆い、声を震わせた。
「あの子は洋ちゃんのことだけがずっと好きだったんだから……!」
「……」
「今日、外出許可を取って出かける前、あの子は私にこう言ったの。『私に何があっても、洋ちゃんを恨まないで』って……。どういうつもりかまでは、聞けなかったけど……」
(椎菜……)
その時待合室の扉が静かに開いた。
薄ピンク色の服の看護師が、こちらへ軽く頭を下げる。
ばね仕掛けの人形のように、椎菜の母親が立ち上がった。
「看護師さん、あの子は!?」
「今は落ち着かれました。お話も出来る状態なのですが、あの、ヨーチャンとは?」
「俺です」
「二人きりで話がしたいと、お嬢さんがおっしゃっているのですが。お母様、構いませんでしょうか?」
「えぇ、はい」
ハンカチで涙をぬぐいながら、おばさんが俺の肩に手を掛けた。
「お願い、行ってあげて、洋ちゃん」
「……はい」