踏切の音が鳴り響く。
 狭い道路を同じ見た目の車が同じ道をぐるぐるしているだけの光景を今日だけでかれこれ3時間は見続けている。
 
 チャイムが鳴って館内に
 今のが最終時限であること、忘れ物が無いように帰ることを告げる放送が流れるのも何回も聞いてるからそろそろアナウンスの内容を覚えてきた。
 私1人しかいない自習室でアナウンスにかぶせてつぶやく。
 「今日も、お疲れ様です」
 視線の先には1人の先生。
 今日の業務を終えた先生は他の先生と合流し何やら楽しそうにおしゃべりしながら急ぎ足で事務所に向かう。

 ここは自動車学校。

 先生は、自動車学校の先生にしては致命的なのでは? というくらい前髪が目元にかかっていて目がよく見えない。
 髪は天パでもしゃもしゃしているから少し頭を振ったくらいじゃ視界は広がらなくて、何度も頭をフリフリする様子がたまらなくかわいらしい。
 今日も先生を見ることが出来たので満足して岐路に立つ。


 「ただいま」
 リビングのドアを開けるや否やスパイスのいい香りが自然と空腹を誘ってくる。
 「カレー? 」
 台所で何かをかき混ぜているお母さんを覗くようにして聞くと答えよりも先に正解はカレーだとわかる。
 「また3日カレーコースだ」
 少し呆れた感じで言うけどお母さんのカレーは美味しくて好きだし、多分お母さんもそれをわかってる。
 「それがいいんでしょ? 」
 とご飯にたっぷりカレールーをかけてくれる。
 
 「どお? 念願の自動車学校は。楽しい? 」
 いたただきますして私がカレーを頬張ったのを確認してからお母さんは尋ねる。
 お母さんには私が自動車学校に行きたかった本当の理由を言っていないから少し後ろめたい気持ちもあるけど
 楽しいのは事実だ。
 「難しくて嫌になりそうなこともあるけどひとまずは楽しくやってるよ」
 その言葉に安心したみたいで、お母さんは自分の教習生時代の話を始めた。
 
 私は免許を無事取れるんだろうか。
 とれたとしても運転できるのかな。
 
 自室に戻り今日習ったことを少し復習する。
 今日はS字と言ってその名のとおりSの字になった道路を通る練習をした。
 担当の先生は小金井先生。
 あの黒髪天パの先生だ。
 実は私の教習所は指名制度というのがあって、嫌な先生は外せるし好きな先生は指名してその先生となるべく当たるようにしてもらえるシステムがある。
 私は恥を忍んでできる教習全てを小金井先生にしてもらってる。
 気持ち悪いのはわかってる。
 でもこれが私の人生最後のわがままになるだろうから許してほしい。

 先生は見た目よりしゃべり方がおっとりしていて丁寧な人だ。
 いつも伏し目がちなのにたまに「どお? できそう? 」とこちらを見てくるときの目が素敵。
 先生は自分の事をたばこも吸うし、生活だらしないし、お金ないし、くずだよ。というけどそれが良かった。
 そうやって自分の事を沢山しゃべってくれてる時が凄く嬉しい。
 毎度教習が私だから多分先生も私が指名してるってわかってると思う。
 それでも嫌な顔せずに「名前覚えたよ」って笑いかけてくれたときは思わず表情を崩してしまいそうになった。
 
 今日の復習つもりが先生の振り返りみたいになっちゃった。
 今日はもう寝よう。
 明日も自動車学校だ。


****

 
 「草羽(くさばね)そよぎさんだね。今日もよろしく」
 先生に教科書とか諸々を渡して車内に座る。
 いつもは先生が先に運転席に座ってお手本を見せてくれるけど今日は
 「昨日ぶりだし、沢山練習しよ」 
 と最初から私が運転席に座った。
 
 座席を合わせてシートベルトを締める。
 ミラーを確認してブレーキを踏み、エンジンをかけた。
 何回のってもこの瞬間の緊張感には慣れない。
 
 「よしじゃあウインカーだして、行こう」
 おっとり目な性格なのに教習が始まるときはいつも元気な掛け声をかけてくれる。
 先生の声に合わせてゆっくりアクセルを踏んだ。

 「今日車多いね」
 教習時間は50分と決められている。
 場内に車の数が多いとそれだけ譲り合ったり、順番待ちしたりと練習回数が減ってしまう。
 現に私達も今、S字を練習する道路の順番待ち。
 でも私はこれでいいと思ってしまう。
 止まってるときの方が先生と沢山おしゃべりできるから。

 会話の流れで髪を耳にかけた時だった。
 「え、そよぎさんピアスあけてるの? 」
 突然言われるので自分でもピアスを手で触り確認してしまう。
 「あ、ピアス、あいてます。ピアス反対派ですか? 」
 これで反対派って言われたらはずそ。
 別にちょっと憧れであけてみただけだし。
 でも先生はそんな私の心配を吹き飛ばすように
 「全然、むしろおしゃれでいいなって思うよ」
 
 そう言いながら手が
 ピアスに伸びる。

 え、え? 

 心臓がバクバクする。

 でも、少ししたところで何かに気が付いたのか、先生は伸ばす手を引いた。
 多分先生が気が付いたのは
 『生徒と先生の壁』
 だろう。
 生徒を触ってしまえば人によっては痴漢だなんだと面倒ごとを起こす人もいるだろうし
 私みたいに変に勘違いしてストーカーまがいなことをしていしまう人もいるかもしれない。
 先生はそういう所をちゃんとしていたから容易に生徒の事を触ったりしない。
 その気遣いが私には辛かった。
 
 上がるだけ上がってそのまま放置された心拍数を無視できなくて
 「先生はあけないんですか」
 とぶっきらぼうに聞いてしまう。
 さっき私に伸ばしてきた手を自分の耳にあて答える。
 「痛いの、怖いじゃん? 」
 しまった。心臓をおとなくさせるために聞いたのに、なんだその可愛い反応は。
 この感情を絶対に悟られたくない。こういう時人間がする行動っておかしなことを口走ることなんだなとその時学んだ。
 私は何を血迷ったのか
 「じゃああけたくなったら私があけてあげます」 
 なんて言っていた。
 もうここまで来てしまうとなにかとあきらめがつく。
 先生が鈍感でよかった。
 鈍感というか女に興味なさそうな人種であることがここにきて初めて功を期した。
 「あけてくれるの? 」
 と小さくクスクス笑ってまた教習を再開させた。


****



 「草羽さん、なかなか病状よくならないね」
 CTの画像を見ながらこうやってお医者さんが言うのをあと何回聞けばいいんだろう。
 
 私は病気だ。

 それも”原因不明”とかいう4文字で片づけられるやつ。
 家族はこの結果にまた頭を抱える。
 病気を患っている私が1番よくわかっている。

 着実に病気は私の身体をむしばんでいる。

 朝、頭が割れそうになるくらい痛むことが増えた。
 めまいで酔って嘔吐することはもはや珍しいことじゃないし、視界に靄がかかって意識がもうろうとすることもある。
 こんな状態で車に乗ったら危険なことくらいは馬鹿でも分かる。
 予想通り、しばらく緊急入院することがきまり病院の先生から聞きたくない言葉が発せられた。

 「草羽さん、ごめんだけど自動車学校はそろそろ限界かもしれない」

 分かってる。分かってるよそんなこと。
 これは私1人の問題じゃない。
 私が乗車中に意識を失えば自動車学校の責任問題、この先生たち、お母さんやお父さんの監督不行き届きなどいろんな面で世間から批判を浴びてしまう。交通事故を起こし誰かにケガを負わせたり最悪殺してしまったりでもしたらそれこそどれだけの人に迷惑が掛かるか分からない。
 もう「分かりました」というしかなかった。
 

 私の行動範囲は基本的に病室だけになった。
 なんなら点滴を指しているときはベッドの上のみ。
 暇で暇で仕方がない。
 小金井先生、元気かな。
 
 「そよぎ~来たぞ~」
 そう言いながら病院とは思えないほどの元気で病室のドアを開けるのは幼馴染のなぎ。
 最近はなぎと会話をすることが私の暇つぶしになっている。
 話の内容はもっぱら小金井先生のことでかれこれ1週間は聞き続けてもらっている。
 なぎは昔からあまり自己主張するタイプじゃないから何も言わずにうんうんと来てくれることに甘えてしまっている。
 自己主張しなくても凄く仲間思いで小学生の時から今も続けているサッカーではキャプテンやエースを任されることも少なくない。
 今日もエナメルバックを足元に置き椅子に腰かけた。
 大学受験を終えたなぎはOBとして部活に参加しているらしい。
 
 「このまま体調が回復したらもう1回は車乗っていいって言われんだ」
 今日なぎに絶対話そうと決めていたことを1番に言う。
 これを聞いたとき嬉しくて嬉しくて。
 これが最後だと思って乗るのといきなり最後になるのとじゃやっぱり心の持ちようも違う。
 最後の先生を噛みしめよう。

 「よかったじゃん! 絶対回復させないとな。楽しみができることはいい薬だって先生も言ってたし」
 そう言うなぎとハイタッチをして、少し思ってしまう。
 なぎならこんなにたやすく触れられるのに。
 
 なぎが今の私気持ちを察したのかは分からないけど
 「今日も聞かせてよ」
 といつもより元気強くいってきたのは少なからず私をはげますためだと思う。
 なぎには小さい頃から本当に救われてきた。
 人より周りの事によく気が付く分私の体調の変化とかにもすぐ反応してくれた。
 この病気になる前からメンタルが崩れやすかった私からすると自分に限界が来る前になぎが「休もう」と言って話を聞いてくれたことに助けられてきた。
 お互いの家から道路1本挟んだ公園で深夜まで話を聞いてもらっていたら町を巡回する自治会のおじいちゃんに怒られたこともあったっけ。

 「じゃ、今日はそろそろ帰るわ。温かくして寝ろよ~」
 面談時間ぎりぎり。
 いつもこの時間まで相手をしてくれる。
 
 「なぎ、ありがと」

 ドアを開けるその背中が少し寂しくてそう声をかけた。
 なぎはこちらを振り返って一瞬何かを言おうとしたみたいだけどそれを飲み込み
 「気にすんなって」 
 と笑ってまた手を振った。
 
 ドアが閉まってしまうと一気に孤独が押し寄せる。
 薬の副作用プラス自分のメンタルの弱さがここで出る。
 寂しい。
 誰かに抱きしめられて眠りたい。
 シンと静まり返ったこの部屋で落ちる点滴を眺めていつか来る睡魔を待つ。
 このまま、目が覚めずに死んだらどうしよ。
 
 そしていつまでこんなことを考え続けなきゃいけないんだろ。
 

****



 びっくりした。
 まさかの外出許可。
 そして車に乗ることも許可された。
 夜、1人で孤独に襲われることもしばらくなくなる。
 それでも日中はまだ元気に活動できないことが多いから最終時限だけ。
 今日行ったら、もう行けなくなっちゃうのかな。
 最後の小金井先生かもしれない。
 そう思うと胸が苦しかった。

 「わ、そよぎさんじゃん。久しぶりだね」
 最後の教習からかなり経ってるのにまだ私の事を覚えててくれたんだ。
 自然と頬が緩む。
 一応習ったことを復習しては来たけどやっぱり実際に乗ってみると全然違くて
 1つ1つの動作に緊張感がます。
 先生もそれが分かってるみたいで
 「ゆっくりでいいよ」
 「ここもっかい確認しとこうか」
 とゆっくりなペースで進めてくれた。
 この横顔がもう懐かしい。
 やっぱり伏し目がちであまり目は合わない。
 前髪からうっすら見える目は変わらず斜め下。
 だからお手本みせてくれてるときのまっすぐ前を見る時がたまらなく好きなんだよな~。
 
 今日も教習所は練習する車でいっぱいで待ち時間が発生する。
 あっという間に45分経ってしまい「あと5分しかないね。今日はこれくらいにしとこうか」と車を定位置に止めた。
 今日の教習内容の振り返りや次回の説明をされる。
 ”次回”
 もうやってこないかもしれないのに。
 そう思ったらぶっきらぼうに素直になりきれない口が開いてしまった。
 
 「次は多分ありません」

 言ったことをいまさら後悔はしないよ。
 だって先生が驚いて、こっちを見てくれたもん。
 
 「どうして? 」そう言われてる気がして先生の言葉を待たずして
 
 「私、もうすぐ死ぬんです。余命宣告されてて」

 はっきりと言った。
 視線を逸らしてしまう。
 こんなこと言われたら困るかな。
 
 「じゃあ、なんで免許を取ろうと思ったの? 」
 いつもと変わらない少し淡々としたしゃべり方で聞いてくるから勘違いしてしまうそうになる。

 ここまで来たらもう言ってしまおう。
 きっと言わずに後悔するよりはよっぽどまし。

 「小金井先生に会いたかったんです。高校1年生の終わりにたまたま教習中の先生を見かけて、はじめて一目惚れしたんです」
 頑張って先生の目をまっすぐ見る。
 「これってストーカーですか」
 意地悪な質問かな。
 なんでそんなに動じないの?
 泣きそうになる。
 
 「立場が逆ならそうかもね」
 その言葉を言いながら少し微笑むの、ずるい。

 「ですよね。すみません。もう、辞めます。自分でも分かってたんですけど、もうすぐ死ぬと思ったら後悔はしたくなくて親にもわがままを言いました」
 これが最後か。
 先生の中での私の印象は
 軽いわがままなストーカー女かな。
 これでよかったのかもしれない。
 むしろ吹っ切れるでしょ。
 そう言い聞かせてたのに。

 「辞めなくていいんじゃない? 」

 ”なんで辞めるの? ”みたいなきょとん顔で言ってくる。
 動揺を押し殺して先生の次の言葉を待った。
 
 「せっかくならいい思い出で終わろうよ。車に乗るのが体調的にしんどくても遊びに来たらいいよ。気分転換にもなるだろうし。俺新米のぺーぺーだからほぼ毎日出勤してるしね」
 
 嘘。今、来ていいよって言った? 本当に? 私そういうの本気にしますよ。
 そう疑う私に先生は「待ってるね」と預けていた教科書たちをポンと渡してきた。
 
 今日の教習が終わり岐路に立った。
 先生の言葉が何度も頭をぐるぐるする。
 先生はずるい。たらしだ。
 
 あまり本気にしてなかったけど
 体調のいい日、自動車学校に足を運んでみた。
 いつもの自習室の教習コースが良く見える席に座る。

 ちょうど午前の教習が終わった時間だったみたいでこれから1時間ほどのお昼休憩だ。
 先生たちは事務所でお昼を食べるから今から1時間は先生を目に入れることが出来ない。
 ちょっと残念。
 そう肩を落とした時だった。

 「元気? 」

 後ろからいきなり声をかけられ「わ」と小さく声を漏らして振り返る。

 「え、小金井先生⁈ 」

 珍しくいたずら気な小金井先生に心臓が鳴りやまない。
 「よく来たね。今日は平気なの? 」
 落ち着いたトーンが心地いい。
 「はい、久々に朝起きても頭痛がしなかったので」
 いざ先生のほうから積極的に来てくれると今度はこっちが目を合わせられない。
 「そっか、よかった」
 と言ってタバコを吸いにいく先生は何やら同僚の先生に小突かれていた。
 まだバクバク音を鳴らす心臓が鳴りやまない。

 先生はそれからも私を見かけたらこそっと小さく手を振ってくれたり気分が乗った時には話しかけに来てくれた。
 でも、あくまで先生と生徒の距離。
 たぶらかそうとか、あわよくばって考えが全く見えなくて
 正真正銘、妹みたいな位置づけって感じだった。
 あと、私がもうすぐ死ぬとか言ったのが余計先生に気を使わせてしまってる気がする。
 ごめんね、分かってても先生の言葉に甘えちゃって。
 今日もまた自習室で頬杖をついて先生を見守る。
 まだ新米だからと言ってたらなのか先生はあまり一般道に出ない。
 教習所内で授業をすることがほとんどだから私には助かる。
 
 でも、かわいい女の子と一緒に教習してるときはちょっと嫌。
 
 勝手に独占欲。
 先生かっこいいから
 私が死んだ後にちゃっかり生徒に告白されて付き合っちゃったりしたら
 化けて出てきちゃうよ。

 そんなことをボケーっと考えていた時だった。
 今までにないくらいの頭痛が襲ってきた。
 頭の内側でとげのついたボールがバウンドしているような感覚。
 
 これ、やばい。

 痛すぎる頭ではそれしか考えられなかった。
 絶対にここで倒れたくないと思ったのはしばらくした後。
 なんとか揺れる視界でお母さんに連絡し、迎えに来てもらうことが出来た。

 車に揺られながらお母さんが何か話しかけてくるのが聞こえるけど
 水の中に入ってるみたいでよく聞こえない。
 初めてちゃんと「死ぬかも」と思った。
 今まで体調が悪化したことは何度もあるけどこれはそれらの非じゃない。
 
 もうろうとする意識の中で担架で運ばれ酸素マスクをつけられたところまで認識してそこからフッと意識が途切れた。


****



 「,,,,そよぎ? 」
 とても一瞬のように感じたその時間に終止符を打ったのは何とも聞きなじみのある声だった。
 少ししか眠っていなかったはずなのに体が、瞼が、重すぎて上手く動かせない。
 これまでの経験でかなり眠っていたのかなと予想がついた。
 
 「そよぎ」
 もう1度呼ばれた自分の名前に一生懸命返事をする。
 でも出た言葉は「ん,,,,」という息に等しいもので
 「無理しなくていいよ」
 と私をなでた。
 
 視界が霞んでよく見ないけどその声はなぎでしょ。
 「おばさんたち、呼んでくるね」
 と席を立つなぎに
 「ま、って」
 と必死に声を出した。
 もう少し元気になってからじゃないと心配かけちゃうよ。
 そう言おうと思ったのに、自分からポロっと出た言葉に自分でも戸惑った。
 
 「小金井先生に、会いたいよ」

 同時に零れてやまない涙。
 あぁ、私こんなに弱ってるんだ。
 客観的に自分を見て笑ってしまう。
 驚いたことが良かったのか分からないけどだんだんと感覚を戻してきて体が起き上がるようになった。
 それをすかさずなぎが支えてくれる。
 「ごめん、ずっと見ててくれたんだよね。なのにこんなこと」
 起きて第一声がこれなんてずっと起きるまでそばにいてくれたであろうなぎに申し訳ない。
 弁解しようと口を開いたけどまだ鈍くてワンテンポ遅れてしまう。
 なぎはそのすきをついてこういった。

 「俺じゃ、ダメ? 」

 その言葉が「起きて最初に見るのが俺じゃダメ? 」って意味じゃないことは長年連れ添ってればなんとなく分かる。
 だからこそなぎには絶対に続きの言葉を言わせたくなかった。

 「俺はさ,,,,」
 「まって」

 さえぎってしまう。ごめん。なぎ。こんなやつでほんとごめん。

 「私にとってなぎはなんでも話せるたった1人の友達なの。なぎの優しさに甘えてたこともわかってる。なぎの前では素直に怒れたし素直に泣けた。私不器用だからさ」
 そこまでしゃべって息がきれる。
 この体、ほんとどうにかしてほしい。
 話を遮って語りだしたのにこんな間でさえなぎは静かに待ってくれる。
 また息を大きく吸って話だす。
 「メンタルが弱って誰にも頼れなかった時にいつもそれに気が付いてくれたのはなぎだけなの。そう言う関係(・・・・・・)になってしまったらきっとそうはいかなくなる。なぎが今まで私の事だから仕方ない、まあいっかって付き合ってくれたことがそうじゃなくなる。呆れや嫌って感情になってしまう。それが嫌なの」
 
 「なぎは私にとって誰にも変われない大切な幼馴染なの」 

 そこまで一気にしゃべって限界が来てしまった。
 もう息がきれてまともになぎの顔も見れない。

 でもこれだけは分かる。
 
 「そっか。ありがと」
 とほほ笑んだような声色で言うなぎの顔が暗く寂しそうに沈んでることを。
 
 「ごめんね。自分勝手で」
 この言葉がなぎに届いたかは分からない。
 そこで私は再び意識がとぎれてしまった。

 
 いよいよ自動車学校に行くことすらできなくなった私は先生にさようならを言う事もなく自動車学校を辞めることになった。


****



 朝起きて、運ばれてくる食事を食べ、寝る。
 また起きて食事をとる。
 検査をしてまた寝る。

 そんな生活を続けて2週間ほどが経過した。
 もう今日が何月何日の何曜日かさえ把握できていない。
 変化があるのは自分の体調だけ。
 頭が割れそうなほど痛い。

 それに対して「なんで私がこんなめに」とか「自分だけ辛いんじゃないか」とか「皆元気でいいな」とかそんな感情すらわかなくなってしまった。
 私はもう死ぬのを待つだけの孤独な生物だ。
 お母さんもお父さんもなぎも顔を出しては会話をしてくれるけどそれに対して応答したりこちら側が話したりと言う事がしんどくて眠っていることがほとんど。
 目を覚ますと花瓶の花が変わってたり、置手紙が置いてあったり、皆の温かみには本当に感謝してる。
 
 でも、もうそろそろ楽にしてほしい。

 そんな言葉が頭の中を自分の声で流れるようになってしまった。
 
 こんな娘で、こんな幼馴染で、こんな患者でごめんなさい。
 そう言う気持ちがあふれて抑えられなくなって、皆に手紙を書くことにした。
 いつ字が書けなくなるか分からないから今のうちにね。

 おもむろに紙とペンを取り出し紙に向かって字を書く。
 こんなことですら凄く懐かしく感じる。
 ちゃんと文字書いたの久々じゃん。

 お母さんへ。
 お父さんへ。
 なぎへ。
 それから病院の先生と看護師さんたちに。
 
 今まで抑えていた感情を文字にして吐き出すってこんなにすっきりするんだと初めての感覚にさらにペンが進む。
 普段なら恥ずかしくて言えないこと、気を遣わしてしまいそうで言えなかったこと、私の本当の気持ち、
 全部全部ぶつける。
 
 沢山のごめんねとあふれてやまないありがとう。

 今の私なら小金井先生にも手紙が書けるかも。
 気持ち悪いかな。
 もう私のことなんて覚えてないかな。
 それとも忘れ去りたい過去かな。
 
 でも

 死んだら何もできないんだし、どうせ先生のもとへは届かないだろうし、想いをぶつけるのは悪いことじゃない?
 最後は楽しく。
 先生の言葉。
 そう思ってまた紙に向かった。


 小金井先生へ。
 
 そこから止まることはなかった。
 書いてるうちに書きたいことが浮かんで支離滅裂になってるけどそれで消しゴムを使うこともなくただひたすらに。

 そして書けば書くほど先生との”if”を想像してしまう。
 もし、私が健康体だったらもっと先生と居れたのかな。
 もし、私が先生の同級生だったらテスト前とか一緒に勉強できたかな。
 もし、私が先生の同期だったら悩みとか聞き合ったり一緒にご飯行ったりできたのかな。
 もし、私が

 先生と出会っていなかったら
 
 私はどうしてたんだろ。
 もっと早くあきらめて死んでいたかな。
 誰が何と言おうと先生が私の生きがいだったから。
 嫌われたくない、でももっとお話ししたい。近づきたい。触れてみたい。
 そうやって先生の事を考えてるとき、生きてるって実感できていた気がする。
 
 気持ち悪いって思われるかな。思われるよね。
 だって先生からしたら所詮何百人もいる生徒の中の1人。
 数カ月で移り変わっていく生徒の中の1人。
 自動車学校の先生たちのなかじゃあるあるな生徒の1人かもしれない。
 「いるよね、こうやって執着してくる生徒」
 の1例かもしれない。
 
 でもね先生、私が先生を好きな事は揺るがないよ。
 最期にもう1度だけ会いたかった。
 一目でいい。
 先生に会ってから死にたかった。
 ごめんね先生。でもありがとう。私にこんな気持ちを教えてくれて。

 ずっとずっと大好きです。


 書き終えてペンを置いたとき
 その瞬間は唐突に来た。

 息ができない。
 呼吸の仕方が分からない。
 私の隣で機会がこの世の終わりみたいな音を鳴らす。
 その音さえも頭の中でこだまして寝転がっているはずなのに天井を見るとぐるぐると回転して、次は波打って、迫ってくる。
 病室に何人もの人が押し寄せて私に声をかけて揺さぶってくるけど返事しようにも声の出し方が分からない。
 ただ苦しい。早く楽にして。
 それだけを願っていた。
 
 もうろうとする意識の端で確かに聞こえた一言があった。

 「最期を覚悟してください」


****



 先生から告げられたのはもって1週間だろうと。
 家族は泣き、なぎは静かに私のお母さんの背中をさすった。
 「なるべく一緒に居てあげてください」
 と言われた通り、お父さんは仕事を休んで病室に通うようになり
 お母さんとなぎはかわりばんこで病室に寝泊まりするようになった。
 私自身、本当に1週間で死ぬのかという程そこそこ普通に過ごせていた。
 私にとっての普通は、なんとか会話が出来て、トイレに自力で行けて、意識を失うことなく1日を終えることだけど。 
 私も家族やなぎといれる時間を大切にしようと毎日を噛みしめて生きていた。

 
 今日はなぎが1日いてくれる日のはずなのになかなか来なくて寂しい。
 せっかく今日は珍しく調子がいいのに。

 外を眺めて小さく伸びを1つした時だった。
 ノックが聞こえ病室のドアが開き、振り返る。

 言葉を失った。

 夢だとも思った。
 だって、そんなの、なんで?
 同時にあふれ出しそうな涙をこらえて代わりに言葉を絞り出した。

 「小金井先生,,,,? 」

 いつものスーツ姿で小さく手を振る小金井先生がそこにいた。
 なぎは「びっくりしてるな~」と手を叩いて笑っている。
 状況が整理できなくて、頭がパンク寸前だ。
 久しぶりの先生はすこし髪が伸びていてさらに目がうっすらとしか見えなくなっていた。
 「じゃ、2人の時間を楽しんでくださいね」
 そう言ってなぎが病室を出てしまい、何も理解が追いついていない私と「ありがと」となぎを見送る先生と2人きりの状況になってしまった。
 
 「座っていい? 」
 隣にある丸椅子を指さす。
 「ど、どうぞ。そんな椅子ですみません,,,,」
 動揺が、動揺が隠しきれない。
 先生は変わらずかっこいい。
 
 「今日は、なんで来てくださったんですか、びっくりしちゃってもう。あの、ほんと」
 意味もなくあたふたと言葉を並べる私に対して先生は落ち着いていて
 「えっとね」
 と話を始めてくれた。
 
 「ちょっとそよぎさんに伝えたいことがあって、聞いてもらってもいい? 」
 「もちろんです」と頭を強く降る。
 どうしよ、気持ち悪いと思ってたとかだったら。

 「そよぎさんのこと最初は不思議な子だと思ってたんだよね。いつも最終時限まで残ってるし教習では毎回当たるし、なのに冷静沈着であまりガツガツ話しかけてくる子じゃなかったからなかなかそよぎさんをつかむのが難しくて」
 でも、と続ける先生の言葉を1つでもこぼしたくなくて耳を傾ける。
 
 「でも,,,,だから、なのかな俺の言葉1つ1つに小さくリアクションしてくれるのが嬉しくて反抗期で素直になりきれない妹と接してるみたいな感じに思えてきたんだよね。勝手に自分の中で距離縮めちゃってた。ごめんね」
 そんなの全く謝ることじゃない。
 そんな風に思ってくれてたんだ。
 でもやっぱり位置は”妹”

 「そよぎさんの事を見つけたら嬉しいなって思うし、いないと心配だった。ちょっと寂しいななんて思うこともあったんだよ」
 え、それって。
 期待してしまう。
 先生は教習中と同じでいぜん伏し目がち。
 
 「さっき教習所でタバコすってたらなぎくんが来てね。病院でのそよぎさんの事を聞いたんだ。そしたら先輩とかも”行ってきてやれ”って言ってくれたし何より、俺自身がもう1度だけでもそよぎさんに会いたいって思ったんだよね。今はもう生徒と先生の関係じゃなくて1人の人間としてね」
 まだこちらは見てくれない。
 でもそっちの方が好都合かも。
 こんな泣き顔見られたら恥ずかしくて死ぬに死にきれない。

 「ミイラ取りがミイラになったってやつだね」

 そう言って頭をポリポリとかく先生をみて思った。
 この時のために私は今日まで生きてきたんだって。
 こんなこと、絶対にないと思ってた。
 もしも、ですら想像したことなかった。
 だって、私がこんな幸せになっていいはずがない。

 涙に流れて最後のわがままだと今まで言えなかった言葉がこぼれ出る。


 「触れても、いいですか,,,,? 」


 先生は「いいよ~」と言いながらフッと微笑み手を差し出してくれた。
 それに私の手を恐る恐る近づける。
 手のひらに指先が少し触れて
 
 そのまま、優しく握り返してくれた先生の手は大きくて、そして暖かかった。

 「小さい。そよぎさんが生きてるって感じするね」

 かっこつけてとかじゃなくて握った私の手を見て自然にそんなことを言うもんだから胸が締め付けられて余計に涙が止まらない。

 「先生、私先生に忘れられてしまうのが怖いです。私はずっと先生が大好きだけど。先生の気持ちには終わりが来るんじゃないかって、怖い」

 こんなことを言うのはずるいだろうか。
 もうすぐ死ぬ人間が自分の事を忘れないでというのは一種の呪いだ。
 でも私はこういう時「私の事は忘れて幸せになって」という物語の主人公のようなことは言えなかった。
 「欲深くてごめんさない」
 と謝る私に「じゃあ」と提案してくれた。

 「これ、くれる? 」

 そう言って私のピアスに触れた。
 今日は調子が良かったのでつけてたんだった。
 これはだいぶ前に先生に褒めてもらったピアス。
 これと一緒に最期まで居たいという気持ちもあったから
 「半分こでもいいですか」
 と聞くと「もちろん」とほほ笑んでくれた。

 あの時したぶっきらぼうな約束が本当に果たされる日が来るなんて。
 
 「ちょっと怖い」
 という先生を少しかわいいと思いつつひと思いにスッとピアス穴をあけた。
 本当は1か月くらいはファーストピアスしてなきゃだめだけど今は私のをつけて
 「これで忘れないね」 
 とお互いピアスをなでた。

 こんな幸せがあっていいのだろうか。
 好きな人がいつしか私の事を想ってくれるようになっていたなんて。
 これが夢なら覚めないでほしい。
 なぎが最期くらいと用意してくれた嘘なら死ぬまでその嘘をつきぬいてほしい。
 これ以上の幸せない。
 
 私なんかには有り余るくらいの幸せをもらった。
 高校1年生の時から想い続けていた小金井先生。
 時を超えて今、想いは実った。
 
 
 
 あの時の自分へ。
 病気が発覚したときの自分へ。
 余命宣告されたときの自分へ。
 絶望の淵でなんとかもがき今日まで生き抜いた自分へ。

 あなたはいろんな人の力を借りて、沢山の人に支えられ、幸せな人生を送りましたよ。

 
 そして私は大好きな家族と、大好きななぎと、大好きな先生に最期の最期まで愛情を注いでもらい

 永遠の眠りにつきました。


 今まで本当にありがと

 大好き


 さよなら