僕は両手を地面につく新城に駆け寄る。
呼吸が荒く、額から滝のように汗が零れていた。
一体、何が起こって?
「呪いだよ。あぁ、くそっ」
片目を隠していた眼帯を新城は退かす。
目の部分。
びくびくと血管の部分が浮き出ていて、瞳の奥。
蒼い炎のようなものが浮き出ている。
「これは……」
「小さい頃にアイツにやられた呪いだ」
「フン、貴様が逃げるのが悪い。逃げようとした結果だ」
蒼い怪異が鼻音を鳴らして鋭い目で新城を見る。
「どれだけ足掻こうと、逃げようとしても私達は逃がしませんわよ?さぁ、里に戻りましょう?トウマ様。そして」
白い手を新城へ伸ばす緋い怪異。
「――結婚式をあげましょう」
「結婚式?」
怪異の告げた言葉の意味を理解するのに数秒を有してしまった。
この怪異は結婚式といった?
「お前、いや、お前ら、まだ諦めていなかったのか」
「当然だ」
「この想いは十年、いえ、百年、千年過ぎたとしても決して消えはしません」
胸元に手を当てながら妖艶な笑みを浮かべる緋い怪異。
見る者を見惚れさせる姿がありながらも熱に浮かされたような視線を新城へ向けている。
「まさか、言葉通りの意味……そんなこと」
「あらあらぁ?」
僕の態度を見て緋い怪異が怪しく笑う。
その笑みは人を小ばかにするようなもの。
「もしかして、貴方、守りてでありながら何も聞かされていないのかしら?私達とトウマ様の関係も、何もかも」
「黙れ!」
戸惑う僕の横で新城が叫ぶ。
ふらふらとおぼつかない足取りながらもその目は真っすぐに怪異を睨んでいる。
「まぁいいわ。本来の目的を果たさせてもらいましょう」
緋い怪異が一歩、また一歩とこちらに近付いてくる。
「待て」
僕が十手を構えようとすると新城が止める。
「新城?」
新城と僕の目が合う。
「おい、緋」
ピタリ、と緋い怪異の歩みが止まる。
あの怪異は緋という名前なのか。
ふらふらしながらも新城は緋の前に立つ。
「俺がお前達の所へ戻れば、アイツは見逃してくれるか?」
「あらあら」
新城の言葉に僕は動きそうになるのを堪える。
動くなと新城は小さな声で僕に伝えている。その指示を破るわけにいかない。
「降参ということかしら?」
「あぁ、お手上げだ。呪いのせいで俺は疲弊している。その中で緋と蒼の二人とやりあえる自信はない」
両手をあげて降参というポーズをとる新城。
「姉様!」
「落ち着きなさい。蒼。貴方は祓い屋、嘘八百でその場を凌ごうとする手段があることもわかっているわ」
にこりと微笑みながら緋が新城をみる。
その目はどんな嘘すら見抜くという表情だ。
「でも、その様子を見る限り、本当に今できる手はないようね」
にこりと微笑みながら緋の手が新城の頬に触れる。
「大人しく私達と一緒に妖狐の里へ戻るというのならそこの人間は見逃してあげましょう」
「その言葉に二言はないだろうな?」
「あぁ、四葉に誓おう」
“四葉”という言葉にぴくりと緋の頬が動いた。
だが、それも一瞬で不敵な笑みを浮かべる。
「うふふふふふ、あははははははは。この時をどれだけ待ったことでしょう。ようやく、ようやく貴方が戻ってくるのね。さぁ、蒼」
「はい」
頷いた蒼と呼ばれる怪異が僕の横を通って新城の前に立つ。
緋と蒼に挟まれる新城。
ちらりと、新城がこちらをみる。
「後は頼むぞ」
「うん」
僕が頷いたことを確認すると新城は緋と向き合う。
「約束だ。雲川に手を出すなよ」
「えぇ、貴方が戻ってきてくれるのですから、そこの人間は見逃しましょう」
「そうか」
「さぁ、帰りますよ。私達と一緒に」
緋と蒼の怪異に挟まれたと思うと三人の姿が消える。
まるでその場に元からいなかったように。
「覚悟はしていたけれど、これは辛い……」
何もできなかった無力感もそうだけど、いきなりの事態に何もできなかったことがとても悔しい。
「待っていて、新城。僕もすぐ行くから」
妖狐の襲撃から翌日。
僕は瀬戸さんと一緒にある場所へ来ていた。
「久しぶりの妖界だけど……アタシも来て良かったの?」
「うん」
不思議そうに尋ねてくる彼女に僕は頷く。
今回の件、はっきりいって僕一人で解決することはできない。
「本当は瀬戸さんを巻き込むべきじゃないんだけど……ごめん、今回は力を貸して」
「いいよ!」
笑顔で瀬戸さんは頷く。
「アタシに何ができるかわからないけれど、できることは協力するから」
色んな妖怪が行きかう道を歩きながら瀬戸さんはきょろきょろと周りを見る。
「凍真が誘拐されたと聞いて一緒についてきたけど、アタシ達、どこに向かっているの?」
「頼りになる人、かなぁ」
そういいながら角を曲がろうとした時。
瀬戸さんの腕を引っ張ってその場を離れる。
「あ、わ」
バランスを崩しそうになった瀬戸さんを守るようにしながら近くに引き寄せる。
轟音が僕達のいた場所に響く。
「え、なに?」
「ごめん。あれ」
戸惑う瀬戸さんにある方向を指す。
「あ?」
「やったか?」
「いや、手応えがねぇ」
金棒を地面に突き立てて、首を傾げている妖怪。
「あれって、鬼?」
「赤鬼だよ」
このタイミングで赤鬼と遭遇って呪われているか、何かだろうか?
はじめて新城と共に妖界へ訪れた際に遭遇した怪異。
彼らは強靭な肉体と筋力を持つが知能が低く、暴力を振るうのが大好きな種族。
ゲーム感覚で僕達を潰そうとしたのだろうか?
ため息を零しそうになりながら僕は彼らに声をかける。
「何か用事?先を急いでいるんだけど」
「あぁ?」
「ほれみろ、やっていねぇじゃねぇか」
「おい、そもそも、ヤレっていわれていたか?」
金棒を持っている三人の赤鬼はのんびりと何かを話し合っている。
どうも、目的があってここにいたみたいだけど。
「どーするの?あれ」
「…………このまま無視していこうか」
赤鬼と絡むと色々と面倒だ。
そう考えて歩き出した時。
殺意を感じて懐から十手を取り出して誰もいな空間に突き出す。
鉄同士がぶつかる大きな音が響く。
「ほう、これに気付くか」
――強い。
誰もいないと思っていた空間に現れた男。
いや、よくみると額に二本の角がある。
戦国武将の鎧のようなものを纏っているが、肌が赤い。
「貴方も、赤鬼」
「そうだ。お前、雲川丈二だな」
「……だったら?」
「一緒に来てもらおう。我らの頭領が会いたいといっておられる」
「……先を急いでいるんですけど?」
「そうはいかん」
更に前へ踏み込んでくる赤鬼。
襲い掛かってきた三人の赤鬼よりも人に近い姿をしているけれど、この人はあの三人よりも強い。
あの緋と蒼の怪異程ではないけれど、強いことがわかり十手を強く握りしめる。
「俺とやり合うつもりか?」
目を細める赤鬼の武者。
仕切りなおす為、互いに距離をとる。
刀を構えなおす赤鬼の鎧武者。
十手を握りなおして構える。
「え、え?」
後ろにいる瀬戸さんが戸惑う声を漏らす。
ごめん、瀬戸さん。
この人相手に余裕をもっていることはできない。
「はい、そこまでぇ!」
踏み出そうとした所で僕達の間に立つ人がいた。
いや、青鬼だ。
「青山さん?」
「よう!相変わらず面倒なところで会うな。こらこら、暴れるんじゃないアホ娘」
現れたのは青鬼の頭領、青山。
彼の後ろで一人娘の千佐那がいる。
身の丈のある大太刀を握りしめてうずうずとこちらをみていた。
「青鬼、我らの邪魔をするつもりか?」
「それはこちらのセリフなんだけどねぇ。この歓楽街で暴れることはご法度の筈だぜぇ?紅丸さんよ」
「……」
「これ以上、暴れるならこの世界の治安を任されている俺らを相手することになる。いくら赤鬼の中でトップの実力を持つアンタでも俺達総出はきついんじゃなぁい?」
ニコリと笑みを浮かべる。
笑顔は相手を威嚇する意味合いもあるという言葉が頭を過ぎった。
青山が本気を出したら僕達なんて一瞬で命を奪われる。
そんな予感が過ぎた。
「フン」
紅丸と呼ばれた赤鬼は持っている刀を鞘へ納める。
「命拾いしたな」
鋭い目で彼は僕達に背を向けた。
「いくぞ、お前達」
「あ」
「へい!」
「へ、へい!」
慌てて、彼の後を追いかけていく赤鬼。
「どっちが命拾いしたんだろうね」
去っていく紅丸の姿を見て青山が呟く。
今の言葉はどういう意味だろうか?
「さて、場所を変えようか」
青山に言われて僕は頷く。
◆
「だからって、なんでこの家に集まるんじゃぁ!」
「……てっきり青山さんの屋敷かと思ったら、まさかの蛇骨婆さんの」
蛇骨婆のお店もとい、自宅。
そこに僕達は来ていた。
「いやぁ、屋敷に連れていくべきかと思ったんだが、ちょーっとそうすると問題が勃発するからさ。中立のここを選んだ訳」
「中立なのかな?」
「さぁ?」
僕と瀬戸さんは首を傾げる。
「あの、蛇骨婆さん、あのノンちゃんは?」
「ヘンテコ女なら今、人間界だよ。入れ違いだね」
「え?人間界?」
「ちょーっと問題があって彼女に頼んだんだよ。まぁ、今いると色々とややこしいからね」
そうか、彼女が戦力になるかもしれないと期待していたんだけど。
ノンとは桜木ノン。
下は有名なアイドルだったんだけど、色々な出来事によって彼女は怪異となった。
都市伝説怪異と呼ばれる危険な存在は人間界にいると色々な厄介ごとを招く危険もあるという事から妖界で暮らしている。
青山の許可が降りているという事は多少、安定したということなのかもしれない。
会いたかったといえば、会いたかったけど。
「あの、千佐那、腕が痛い」
「お前様、奴の事を考えていたな?千佐那がいるというのに他の女、ましてや奴の事で現を抜かすなどど」
「話が進まないから大人しくしていなさい。バカ娘」
ゴチンと千佐那の頭に拳を振り下ろす青山。
殴られた彼女は僅かに表情を顰めながらおずおずと離れる。
「まったく、体だけは頑丈になりやがって……はぁ」
ひらひらと手を振りながら青山は僕を見る。
「まぁ、色々と脱線はしたが、そろそろ本題に入ろうか」
「妖狐の件ですよね?」
青山が頷く。
「そう、はっきりいって今回の相手はかなり分が悪い。理由としては相手が三大妖怪の一柱を担っているからというところもある」
「三大妖怪?」
「この妖界が出来た際に強大な力を持っていたとされる最初の妖怪の三体。その血を引く者達の事さ。妖狐の他に天狗、そして俺達、鬼だ」
「え、じゃあ、千佐那達がいるなら心強いんじゃないの?その三大妖怪の一つなんでしょ?」
「妖狐は相性が悪いのさ」
瀬戸さんの言葉に青山は顔を顰める。
「妖狐は幻術や妖術を得意としている。かくいう俺達は諜報や隠密を得意としている。真っ向から挑んだら向こうの方が強い……何より、今の当主代理の姉妹達は歴代の中で強い力を持っていると聞く」
「……あの妖狐達」
僕の脳裏に蘇るのはあの緋と蒼の怪異。
「でも、僕は新城を助けると約束した。青山、どうすれば妖狐の里へいけるんですか?」
「普通に行こうと思えば行ける。だが、今のお前じゃはっきりいって里の入口の番人に瞬殺されるのが落ちだろうよ」
「だとしても」
「焦るなよ」
前のめりになった僕を青山が押し戻す。
「手がないわけじゃない。青鬼だけじゃ妖狐に勝てないからな。力を借りる」
「宛があるの?あ、三つのうちの最後の一つ?」
「天狗なら宛にできんぞ」
青山が口を開く前に話を聞いていた蛇骨婆さんが首を振る。
「天狗は何事においても中立を保つ。この世界の争いごとで世界崩壊にまで至らなければ動くことはしない。今回の件だけで動かんじゃろう」
「そんな、じゃあ、どこに宛が」
「……赤鬼だ」
青山の言葉に蛇骨婆は青ざめる。
「赤鬼じゃと!?あの脳筋連中が従うわけなかろう!?力でしか従わんという危険な連中じゃ」
「確かに下っ端はそういう連中ばかりだ……ところが」
懐から一枚の手紙を取り出す。
時代劇で見るような細長い手紙。
「それは?」
「赤鬼からの招待状だ。それも雲川丈二、お前さんにな」
「僕に?」
赤鬼がどうして僕の名前を?
そもそも招待される覚えがない。
困惑している僕に千佐那が僕の両手を握りしめる。
「お前様、本音を言えばその誘いを断って欲しいものだ。だが、事態が事態である以上、行ってもらわなければならない。複雑だ。非常に複雑だ」
「え、どゆこと?」
「僕も聞きたいよ」
千佐那の突然の行動に僕達は戸惑うしかできない。
「赤鬼の姫君が是非ともお前に会いたいという招待状だ……それがなぁ」
「あぁあぁ、運がないね」
茶を飲みながら蛇骨婆が笑う。
「運がないって?どういうことですか?」
「今の当主の赤鬼の招待状は二つの意味がある。一つは婚姻の候補であるということ、もう一つは仲間を傷つけたお礼……つまりお礼参りってわけだい」
◆
陽の光が差し込んで新城凍真は目を覚ます。
「……人の寝顔を覗き見るなんて趣味が悪いって言われないのか?」
体を起こそうとした凍真は尋ねる。
彼が寝ている枕元、じぃっとこちらをみている妖狐が一人。
「うふふ」
口の端を広げながら白い指先が凍真の頬や額を撫でていく。
「ここに貴方がいるのが現なのか幻なのか、不安になりまして」
長い尾を揺らしながら妖艶な笑みを浮かべる妖狐。
「あぁ、まだ起きないでください」
凍真の体を伸びてきた尾がやんわりと押し戻す。
「おい」
「そんな冷たい態度をとらないでください。私……私達にとって久しぶりの再会なのですから」
伸びてきた手がさわさわと凍真の体を撫でていく。
大切なものを扱うような優しい動きにぞわぞわと凍真の体がわずかに震える。
誰にも触らせた事のない部分にまで手が伸びてきて咄嗟に阻もうと試みるも伸びてきた尾が両手に絡みついて動きを封じられていた。
「おい、この!」
「大人しくしてください。貴方はここで一番弱い存在……私達のような強い存在がいなければすぐに狙われてしまいますもの」
「だからお前に従えと?」
「共にあって欲しいのですよ。私達と一緒にいて欲しい。それだけのことです」
「その為に俺の自由は奪うと?」
「見解の相違ですわね」
やがて満足したのか彼女の尾から凍真は解放される。
体を起こしながら尾で拘束された部分を手ではらう。