僕と彼の怪異七物語 六の物語~妖狐の結婚式~

瞳は何も映さず、染み一つない指先にごうごうと燃える狐火。
蒼がそこに立っていた。

「驚いたかい?別の理由で用意していたんだけど。良い意味で用意しておいてよかったね」

壊れた壁の向こうからゆっくりとやってきた誘。
誘は手を伸ばして蒼の頬へ触れる。
触れていた手が頬から首、そして、着物の中に入り、彼女の体へ伸びていく。
しかし、触られている当人は顔色一つ変えない。

「お前、蒼に、彼女に何をしたぁ!」
「へぇ、そんな顔できるんだ。不愉快だなぁ。まさか、そんな感情をコイツへ向けるなんて……キミの目を抉った張本人なのにさ」
「俺の質問に応えろ。クソ狐」
「汚い言葉。まぁ、ここにきて淡々とした態度から感情的なものをみられたから教えてあげるよ。さっきも話したけど、九尾になると色々な力が使える。その中に自分より尾の少ない子を操ることができる……こうやってね」

微笑みながら誘は蒼に囁く。
蒼は無言で狐火を凍真へ放つ。
放たれた狐火をギリギリのところで躱す。

「九尾の能力……面倒な」
「今のキミは万全とはいえない。そんな状況で九尾、八尾の相手ができるかな……といいたいけれど、面白い遊びを思いついた」

トンと誘は蒼の背中を押す。
押された彼女はふわりと宙に浮き、凍真の眼前に降り立つ。

「ぐっ」

衝撃と共に凍真は木に体を打ち付けられた。

「あぁ、くそっ、このバカ力……」
「……」

無言で拳を振り下ろしてくる蒼から距離をとる。
拳を避けても尾が拳みたいに丸くなり迫ってきた。

「あぁ、くそっ」

ギリギリの所で蒼が繰り出してくる攻撃を躱していく。
祓い屋としてトップクラスの実力を持つ凍真だが、身体能力は普通の人間より少し秀でている程度。
相手は怪異としてトップクラスの妖狐。
辛うじて対応できているが、次第に凍真の体に生傷が増えていく。
走って逃げるも臭いであっさりと場所を特定されてしまう。

「くそっ、屋敷から遠ざかっていたつもりが、誘導されてしまったか」
森の中へ飛び込んだ凍真だが、闇の中から伸びてきた白い手。

「ぐっ、ぎぃっ!」

首を絞められ、尾が右手に絡みついた。
術を使う暇もなく地面の上へ叩きつけられる。

「ぐっ、ぐふっ」

呼吸がギリギリできる程度で抑え込まれているも抵抗を封じ込められていた。

「おやおや、ここは見覚えがあるなぁ」

誘が周りを見る。

「あぁ、そうだ。中途半端に操っていた小娘が暴走してキミの右目を抉った場所じゃないか」

動けない凍真をみながら誘は嗤う。

「懐かしいなぁ。四葉を封印した所をみられて駒として利用しようと思ったら、ボクと似たような気持ちを抱いていたから感情が爆発して制御を間違えてしまったんだ。あぁ、まさか、キミの目を抉るなんて所業……愛しているというのならやらないよね?妖狐はどうも歪んだ愛情を持ちやすいみたいで、本当に嫌になるよ。至高のキミを傷モノにするなんて、罰としてコイツは一生、ボクの駒にしてやる。使い潰して無様に捨てて」

「だ、まれ!」

尾で封じられている右手を振りほどこうと足掻く。

「む、だ」

音を立ててさらに二つの尾が腕に絡みついて拘束を強める。

「何を怒っているの?もしかして、同情しているとか?驚くほどの優しさだね。操られているとはいえ、キミの目を抉ったコイツの感情に嘘偽りはない。本心でキミの目を抉った。そんな彼女を恨むこそすれ、同情や優しさをかけるなんて……人間という奴は時々、理解できない行動をとるねぇ。そうだ」

呆れた様子の誘は思いついたように手を叩く。

「コイツの目の前でキミを犯してあげよう。ボクの中で一生取り込むつもりだったけど、人間の快楽を味わう事もやっていいよね?その時だけ、コイツの意識を戻そう。いやぁ、どんな反応をするのかな?泣きわめくかな?それとも絶望のあまり自我が崩壊するかな?とにかく、昔のやらかしはそれでチャラに」

誘の話が途切れる。
話に夢中だった誘は反応が遅れ、打撃音と共に茂みの向こうへ姿が消えた。
続けて、凍真を拘束していた蒼の動きが止まる。
意識を失ったのか、ガクンと地面に崩れ落ちた。

「……えっと、ヤバそうな状況であっているのかな?」

聞こえてきた声に凍真は内心、歓喜の気持ちを抱きながらそれを表に出さずため息を零す。

「普通、確信をもって助けるところだろ。後、遅すぎ」
「ごめん……その、森が迷路みたいに複雑で」

差し出される手を凍真は握りしめる。

「それで……僕は何をすればいい?新城」

深く理由を聞かず、己のすべきことを聞いてくる。
そんな“相棒”へ凍真は不敵な笑みを浮かべて伝えた。

「因縁に決着をつける。遅れた分、馬車馬のごとく働いてもらうからな」
「わかった」

迷わずに頷いた雲川丈二。
遅れてやってきた相棒の姿をみながら凍真は告げる。

「さっさと終わらせるぞ」


「どういうつもりだ。その人間は一体」

僕の姿を見て、金色の髪を持つ妖狐は戸惑いの声を漏らしていた。

「えっと、彼……いや、彼女は?」
「敵だよ。それ以外でも以下でもない」

いつもと変わらない様子の新城に安心したいところだけれど、体の至る所に傷があるところから苦戦していたんだろう。
そんな新城の言葉に妖狐が笑う。

「愛しい相手に対して酷いなぁ。ボクの愛は本物だというのに……それにしても彼が現れた事に驚いたなぁ。キミが驚いていないからして来る事は計画のうちだったのかな?」
「そうだ、といったら?」
「恐ろしい子だね。でもいいや、そこの邪魔な奴を始末すれば、すべて解決するわけだし。それに、絶望したキミの姿を見れるかもしれないって考えると少し、ワクワクするね」
「随分と歪んだ相手に好かれているんだね。新城」

愉悦に歪んだ表情を浮かべる妖狐。
顔が整った美女故か自身の欲望に染まった表情は、己の為に怪異を利用する人間と同じに思えた。
僕の嫌いなタイプだな。

「アホ抜かせ、一方的で歪んだ片思いだ。俺は微塵も好意を持っちゃいない。それよりも」

新城は隣で佇んでいる妖狐へ視線を向ける。
僕達の前に初めて姿を現した片割れ。
確か、蒼だっけ?

「アイツは誘に操られている。俺がなんとかするから」
「わかった。僕が抑え込むよ」
「少しは戸惑うなり、驚くことを、まぁいい。信じているからな」
「任せて」

十手を取り出して身構えた僕を見て誘という妖狐は笑う。

「面白いね。キミがどこまでやれるのか楽しみだよ。ほら、行けよ」

パチンと誘が指を鳴らす。
僕の眼前に白い髪を揺らして蒼が拳を振るう。

「っ!」

新城に手を引かれて後ろへ下がる。
少し遅れて彼女の放った拳が地面を砕いた。

「思考がないから筋力とか、何もかも全力だな」
「あれは流石の僕も受けたらまずいね」
「そもそも俺達からしたら一発すらアウトだ」
「どうしょうか?」
「アイツを無力化しろ。致命傷になるような攻撃は俺が防いでやる」
「わかった。致命傷以外は僕の方でなんとかするから」

新城がため息を零す。
変な事を言っただろうか?
尋ねようとした所で蒼が突撃してくる。
振るわれる拳をギリギリのところで躱して彼女の腕へ十手を叩きつけた。

「グッ」

まるで岩を殴ったみたいに手がビリビリと痺れる。
十手で殴ったのに平然としていることから相手は痛みを感じていないかもしれない。

「操られて痛覚がわかっていない?」

近付こうとした所でブンと伸びてきた爪が僕の服を切り裂いた。
爪を伸ばして刃として攻撃できるのか。

「その程度で苦戦していて、彼の守りてとして役立つのかな?」

挑発する誘の言葉を無視して再び蒼に接近。
十手で彼女の腹を突く。
後ろにのけ反っていく瞬間、彼女の腕を掴んで一本背負い。
地面に思いっきり叩きつけた所で手が僕の首を掴む。
首絞めなんて生易しいものじゃない。
骨をへし折る力。
まずいと思った瞬間、小さな光が周囲に灯って蒼の動きを封じ込める。
新城の助けだと判断して彼女の首を上から抑え込む。
意識を奪う。

「あぁ、全く、人間相手になにやってんだか?洗脳して理性がないからか?全く人形はもう少し動けな」

もう少しで彼女を無力化できるという所で蒼に異変が起きる。
黒い靄のようなものが周囲に現れたと思うと蒼の口内へ吸い込まれていく。

「これって」
「離れろ!!」

脈打つような音と共に蒼の体が変化する。
膨れ上がる彼女の体、服が破け、白い体毛が全身を包み込んでいく。
八尾の獣。
蒼い瞳は敵意で滾らせながら鋭い牙を口の端から覗かせる。

「なんてことを」
巨大な獣の姿をみて新城が呟く。

「所詮、手駒なんだから何をしようとボクの自由だ」
「畜生に堕とすという事が何を意味するのかわかっていっているのか?」
「勿論、そもそも、ボクのものに手を出す不届き者だ。何をしようと自由だ」

誘の言葉に新城は無言になる。
いや、違う。
怒りの感情をコントロールしようと冷静さを保とうとしている。
それだけ誘のやったことが許せないんだ。

「新城」

僕は彼に呼びかける。

「僕はどうすればいい?」

問いかけに新城は睨んでいた誘から視線を外し、数回の深呼吸。

「雲川」

怒りに満ちた表情からいつもの……祓い屋としての新城の顔になる。

「俺が蒼を助ける間、全力で誘を叩き潰せ」
「わかった」
「お前ならできる。奴の炎をかいくぐって近距離で戦えば」
「うん、任せて」

僕が頷くと新城は暴れている獣に駆け出す。
彼に迫る狐火を十手で弾く。
特殊な力が施されている十手は狐火によって溶けることはない。

「その道具、中々、強力みたいだ。でも、キミの体は普通の人間。どこまで耐えられるのかな?」

けれど、指先までは守ってくれない。
弾いた際に指先が火傷してしまう。
十手を持ち替える。

「別にもう片方の指は使えるから問題ない」
「可愛げないなぁ。やはり、彼の方がいいや」
「わるいけど、新城の邪魔はさせないから」

彼へ視線を向けようとする誘を遮るように立つ。

「お前、邪魔だわ」

ぶわりと誘の尾が逆立つ。
異常なほど、新城に執着している。

「奇遇だね。僕も同じ気持ちだよ」

地面を蹴る。

「アンタは邪魔だ」

ちらりと横目で駆け出す新城を見る。
彼は巨大な獣の口の中に自ら飛び込むところだった。



凍真は巨大な獣となった蒼の体内に飛び込む。
普通の獣なら大量の唾液や粘液まみれになっていただろう。
だが、相手は怪異。
その姿は変異したものにすぎない。
口内に飛び込んだ瞬間、膨大な呪が凍真の体に襲い掛かる。
万全な状態の凍真ならすべてを簡単に払いのけられただろう。

「チッ」

舌打ちを零しながら少しずつ、前へ、前へと歩んでいく。
濁流のように迫る呪を一つ、一つと祓う。

「見つけた」

しばらくして、自らの体を抱きしめ丸まっている蒼をみつける。

「おい、目を」
「来るな!」

叫びと共に今まで強力な呪が放たれる。
呪は刃となって凍真の体を傷つけた。

「あぁ、来るな、来るな!私はお前を傷つける。傷つけてしまうんだ。だから、来るな!」
「それは誘にかけられた呪が原因だ」
「違う、違うんだ。あぁ、違う!」

いつもの無表情で毅然としたいつもの態度と異なる姿。
両手で頭を抱えながら彼女は違うと叫び続けていた。
凍真が前に踏み出す。

「来るな!」

強い拒絶の言葉が呪となって凍真に迫る。

「邪魔」

その呪を片手で祓う。

「来るな、嫌だ、近づくな!」

距離が近づくにつれて呪が強力になり体が切り刻まれて生傷が増えていく。
しかし、凍真は歩みを止めない。

「お願い……来ないで」

俯き表情が見えない蒼の体を呪が包み、巨大な手が凍真を圧し潰そうとする。

「いい加減」
上から迫る手に凍真は拳を握りしめた。

「鬱陶しい!」

放った拳が周囲の呪のすべてを消し去る。

「いつまで下向いているんだ?」
「来ないで……嫌だ」
「めそめそと全く面倒だな。おい」

凍真は俯いている彼女の前で膝をついて顎を掴んで顔を持ち上げる。

「ぐす、うぅ」

綺麗な顔を涙でぐしゃぐしゃにしている蒼。

「帰るぞ」

凍真は見下ろしながら彼女へ声をかける。

「ダメだ……私は許されない事をした。お前を……お前を傷つけた」
「この傷の事か?」

凍真は片目の傷を指す。
眼帯がなく、今は光を失った瞳。
その瞳に泣いている蒼の顔が映される。

「そうだ。お前が逃げると、この里から逃げると……いや、違う。私から逃げると聞いて」
「なんで俺がお前から逃げると思ったんだ?別にお前と大した接点なんか」
「お前からしたらそうかもしれんな。有象無象と変わらん、だが、違う。あぁ、違うんだ」

嗚咽を零しながら蒼は言う。

「ぐだぐだとうるさいな。とっととここから帰るぞ」

蒼の手を掴む凍真。

「なんで、お前は私を恨んでいないのか?お前の目を、ここに引きずり込んだ張本人を」
「――約束」

戸惑う蒼に凍真は一言。

「昔交わした大事な約束。それを守るためにここへ来た……あとはまぁ」

何かを思い出すようにしていた凍真がぷぃっと視線を逸らす。

「“友達”を助けたい。ただ、それだけだよ。俺がここへきたのは」
「友達……私が?」
「お前がどう思っていようと、あの頃の俺にとって緋と蒼は友達だった。だから助けたい。理由の一つだよ……これ以上、言わせんな。恥ずかしい」

羞恥に頬を染めながら蒼の手を掴んで立たせる。

「相棒を外で待たせているし、この因縁に決着をつける」

蒼の周りが明るくなっていく。
周囲に漂っていた呪が消える。

「なぁ、トウマ」
「あ?」
「……目の事、悪かった。いや――」

彼女の告げた言葉に凍真は目を丸くしながらも「しゃーないな」と伝える。
視界が白に染まる。


「そんな、バカな!?ありえないありえないありえない!!」

誘に十手を突き付けて無力化したタイミングで白狐に変化が起こる。
体が光となって消えていき、中心に新城とぐったりした蒼がいた。

「なんで、どうやって!?まさか、許したというのか!?目を奪った相手を、醜い執着をぶつけていた相手を!?」
「醜い執着は貴方も一緒だ」

僕の言葉に誘はギロリと睨む。
ぶわりと九つの尾が逆立つも手足を折られている彼女は動けなかった。
ただ睨むだけしかない相手なんか脅威に感じない。

「この、お前、どうして」
「ほう、そっちも終わったのか」

声の方へ視線を向けると新城がこちらへやってくる。

「新城も終わったみたいだね」
「四肢へし折るとか、えげつないな。お前」
「まぁ、気に入らなかったから」
「そこは同意だな」

僕の言葉に新城は肯定する。

「なんで、なんで、そんな奴らを選ぶ!?ボクは、本気で」
「本気で自身の体内に取り込んで永遠の愛を歌うなど、自己満足でしかありませんよ」

第三者の声。
僕達が視線を向けると茂みの中からゆっくりと妙齢の女性が現れる。
いや、朱色の着物の後ろから伸びる八つの尾。
妖狐だ。

「嘘だ。どうやって、あの場所が、厳重な封印を施してあったのに」

誘が信じられないものをみるような目を向ける。

「四葉!!」

朱色の着物を纏い、月夜で茶色に輝く長い髪を揺らしながら紫色の瞳は真っすぐに誘や僕達をみていた。

「すべてはトウマのおかげです」

四葉の言葉に誘は新城をみる。