僕と彼の怪異七物語 六の物語~妖狐の結婚式~




「兄貴、服を用意しました」
「兄貴、草履をどうぞ!」
「兄貴、今日の献立に厚揚げがありますぜ!」
「あ、そう」

目の前で尻尾をぶんぶん振って好意を現す一尾の妖狐達。
少し前に凍真が倒した妖狐達。
彼らはどういうわけか新城凍真を「兄貴」と呼んで毎日、訪れていた。

「お前ら、暇なの?」
「……俺ら、一尾なんで名前もないし、二尾にならないと必要最低限の修業しかつけてもらえないんす」
「あぁ、そうだったな」

凍真はすっかり忘れていたが妖狐は尾が増える度に妖力等力が増していく。
生まれたての妖狐はほとんどが一尾で、成長、鍛錬を積んでいく事で尻尾が増える。
例外も存在する。

「俺達もさぁ、いつかは尾を増やしていくんだ!」
「そうかい」
「でも、兄貴は人間なのに俺達を圧倒した。あんなあっさりと多くの手をみせずに圧倒した兄貴の姿に惚れたんです。後、できるなら俺達を鍛えて強くしてください!」
「本音はそこか」

片目を閉じた状態で呆れる凍真。

「鍛えてやっても良いが俺はスパルタで容赦しない。泣き言や逃げ出しても無視して徹底的にやる。それでもよいな?」
「「「はい!」」」

一尾連中の鍛錬が始まった。
開始三十分で奴らは泣きべそをかいていたがやめることなく徹底的に鍛えていった。
そんなことがあり一週間が経過して。

「兄貴!みてください!狐火の炎がこんなに強く!」
「足が速くなって誰よりも獲物を手に入れられます!」
「見てください、小さいですけど、尾が一本でてきそうです!」
「あぁ、はいはい、わかったわかった。一、火を消せ。二、マッサージを忘れるなよ。三、汚い尻をみせるな」
「「「はーい!」」」

手を挙げて整列する三匹の妖狐。
余談だが、一尾の三匹は名前がない。
名無しと呼ぼうとも考えたがそれだと三人とも反応することから仕方なく、仕方なく彼らに名前をつけた。

「楽しそうだね」

仕事へ戻っていく三匹を眺めていると後ろから声。

「誘か」
「久しぶりだね。大きくなっていて驚いたよ」

今の里の中でナンバー3の位置にいる古参の妖狐。
ゆらゆら揺れる尾は何を考えているのか読めない。

「嫌味か?あの頃から二十センチくらいしか伸びていない」
「そうかな?いやぁ、男の子の成長は早いものだよ?」

ポンポンと凍真の頭を撫でてくる誘の手を払いのける。

「何の用だ?あいつらに頼まれて監視か?」
「まさか」

首を振りながら近づいてくる誘。

「私はキミを逃がしてあげたいんだよ」
「あ?」

周りに誰もいないことを確認して誘は言う。

「婚姻の儀が近づいている。もし儀式が終わってしまえば、キミはこの里から逃げられなくなる。正直言って、他所のものを巻き込んでまで儀式を行うという点に納得していない。四葉も望んでいない……」

顔を近づけて話しかける誘。
同性とは思えないくらい整った顔立ちと耳にかかる吐息。
そんな彼の様子を見ながら凍真は尋ねる。

「そんなことしたらお前の立場が危うくなるだろ」
「バレなければ問題ないさ。キミの身が心配だ。だから信じてくれないか?私の事を」

当主の立場にいるあの姉妹妖狐に反逆すれば古参の誘でも危うくなる。
しかし、その危険を冒してまで誘は助けようとしてくれていた。

「もし、実行するなら?」
「婚姻の儀当日だ」
「……少し考えさせてくれ」

凍真の言葉に誘は残念そうな顔をすると離れる。
「返事は早めにもらえると助かるよ」

誘は凍真から離れるとそのまま母屋の方へ去っていく。

「婚姻の儀までもう少し、か……ったく」

足元にある石を蹴り飛ばして凍真は悪態をついた。

「早く来い。あのバカめ」


婚姻の儀の日がきた。
妖狐の里の結界が解除され、招待される怪異達がぞろぞろと里の中へ入っていく。
里の中で妖狐達が作った料理や特別に作られた衣類等が販売されている。
それらを通り抜け先に広がるのが婚姻の会場。
妖狐達によって作られた地酒や料理がさらにふるまわされる。
飲めや歌えや大会場だが、周囲の警備はしっかりとされていた。
会場の奥。
緋や蒼が信頼する一部の妖狐が入口を固め、その奥に婚姻の儀を迎える二人がいた。
互いに白無垢(しろむく)を纏っている。片や笑顔だが、もう片方は無表情。
白無垢は室町時代の頃から着られるようになった。打掛や掛下、合わせる帯や小物まですべてを白で統一している。
婚礼衣装の中で格式が高い一つ。
その衣装は緋が纏う事でより彼女の美しさを引き立てていた。
黒い髪、妖艶なスタイルを白無垢によってより艶やかな姿に変えている。

「いよいよ、この時がきましたわ」
「そうか」
「何年夢見た事でしょうか、あぁ、とても嬉しいです」
「はいはい、ところで蒼の姿が」

凍真が最後まで言い切る前に伸びてきた白い指が彼の口を物理的に塞いだ。

「花嫁がいるというのに別の娘の話を出すなんて、早速、浮気ですか?最愛の妹といえど許しませんよ?」
「心配しただけだろうが、てか、物理的に炎を出すな。側近が怯えているぞ」

凍真の指摘に深呼吸をして落ち着きを取り戻す緋。
怯えていた側近達は深呼吸を繰り返していた。

「さぁ、お披露目ですわ」
「お披露目?すぐに婚姻の儀をやるんじゃないのか?」
「昔と違いますもの」

ニコニコと緋は微笑む。

「妖狐は少し前から落ちぶれた、力が弱まったと侮っている者達がおります。そんな愚か者達に理解してもらうのですよ。我らは今も健在であるという事、母上のような……誰もが尊敬する当主に」
「……自らの威を示すために婚姻の儀を利用すると?俺は飾りか」

凍真の言葉に緋は笑みを消すと近づいてくる。
白無垢故に衣が床をこする音が響く中、彼女は凍真の体を抱き寄せる。

「そんな訳ありません。あぁ、悲しい、勘違いをしないでください」

衣装が崩れることを気にせずに緋は凍真を抱きしめる。
強く強く、抱きしめられた事で凍真は彼女の豊満な胸の中に埋もれる形になり、余計に彼女の臭いを感じさせられた。

「私は本当にあなたを愛しております。最初は嫌悪もありました。貴方は人間で弱く脆い存在だと、ですが、あの日、里に迷い込んだ穢れ神を祓いのけた事で貴方の力を知った。それからです。貴方の事を気になりだしたのは……貴方の力が必要なのは事実です。ですが、ですが、あぁ、本当に私の口から言わせるなんて罪なお方、私は、緋は貴方の事をお慕いしております。本気で愛しております。こういう形で貴方と婚姻できなかったのですよ」

長々と告げられた言葉、どす黒く濁った瞳、口の端を三日月状に広げ、普通の人なら恐怖のあまり発狂していただろう。
側近達は緋が放つ狂気に青ざめていた。

「あ、そう」
「連れない態度ですこと、まぁ、そこが素敵なのですが」
「……時間は良いのか?」
「あら、そろそろですわね。さぁ、行きますわよ」

緋に返事をして扉を開く側近達。
一定の距離を保ちながら緋と凍真の二人は廊下を歩いていく。
二人の姿を参列者へみせる。
そうすることで緋の計画は第二段階へ進む、
筈だった。

「大変だ。当主代理!」
「何事ですか?」

慌てた様子でやってくる誘に緋が当主の顔として尋ねる。

「赤鬼と青鬼の連中が会場で暴れだした」
「……結界内に鬼を招き入れたというのですか?監視の目は!?」
「わからない。だが、あの暴れようだとここも危険になる。花婿は私が安全なところに」

誘の言葉に緋は渋々という形で頷く。

「わかりました。騒ぎの鎮静は私が行いましょう。花婿の事は頼みましたよ」
「えぇ、任せてください」

緋は顔を顰めながら足場に配下の狐達を連れていく。
残された凍真を誘は「こちらへ」と案内する。
誘導に大人しく従う凍真。
しばらくしてある和室へ通された。

「ここなら安全でしょう」
ぴしゃりと引き戸を閉めて彼は振り返る。

「まさか婚姻の儀に赤鬼と青鬼が迷い込むなんてね。我々を脅威と判断しての事でしょうか?」
「さぁな」
「それにしても」

振り返る誘はうっとりした様子で凍真を見る。
撫でまわすような目に凍真は嫌悪感で体を抱きしめた。

「美しい」

ふよふよと八つの尾が揺れ動いている。

「今日は別段と美しいよ」
「こんな格好を褒められても嬉しくないな。それと近づくな」
「連れない事を言わないでおくれよ。この日をずっと待っていたんだからさ」

畳の上をゆっくりと近づいていく誘。
その姿はどこか不気味さを感じる。

「ずっと待っていた?」

ブンと手が振るわれる。
咄嗟の事に凍真は反応できず壁に体を叩きつけられた。

「ぐっ」
「あの弱い姉妹(ヤツラ)にキミを渡さない。ずっと、キミが生まれた時から狙っていたんだ。キミはボクのものだって」
「男に告白されても、ねぇ」
「あぁ、そうか、男、キミはまだボクを男だと思っていたのか、ハハハッ、それは良い」

ニタァと誘は嗤いながら胸元をはだける。
妖狐の里いた頃から凍真は誘の事を知っていた。
里のナンバー2の地位にあり、四葉の次の実力者。
男でありながらその力に溺れる事無く冷静に男女隔てなく親しくする妖狐。
だが、はだけた着物の胸元。
そこに本来なら鍛え抜かれた胸筋はなく、男ならありえない二つの揺れる胸。

「……今のボクは、お、ん、な、だよ」
「お前……まさか」
「あははは、流石は彼女に鍛えられた事だけあるかな?そこのところの知識もあるわけだ。
その通り。ボクは禁術を行ったんだよ。その証拠に、ほら」

しゅるりと彼女の臀部から伸びる一本の尾。
八つだった筈のものが九に代わる。
九尾の妖狐。

「ボクはこの里で最強の力を持つようになったんだ……だが、四葉はそれを認めなかった。それどころか危険だと封印しようとしてきた。だから」
抑え込まれている手を払いのけようと力を籠める。
だが、人間と九尾。
その力の差は歴然でありながらも凍真は誘を睨む。

「瞳に激しい憎悪を感じる……もしや、怒っているのかい?ボクが四葉を倒した事、必要だったんだ。ボクとキミが一緒にいる為に」
「何を?」
「あぁ、いけない。もうボクの頭の中で二人の生活まで計画が組まれていたからついつい忘れてしまっていた」

ぐぃっと顔を近づけてくる誘。
彼女はぺろりと凍真の頬を舐めた。

「キミが欲しい、キミが好き、キミをボクの体内に取り込んで一つになりたい。そう、すべてはキミなんだよ」

――神浄統魔(シンジョウトウマ)くん。

「お前……そこまで」
「九尾になると思った以上に色々な力を手に入れられるようなんだ。相手の頭の中を覗き込んで操ったり……こうやって」

凍真の手を掴むとそのまま自らの体へ触れさせる。
ずぶりと凍真の手が誘の中に吸い込まれていく。

「ボクの妖力をキミに注ぎ込むことだってできる……この意味、わかるかな?」

誘が怪しい笑みを浮かべた瞬間。
凍真は咄嗟に力を込めた。

「凄い凄い、流石だね。ボクの妖力を防いだみたいだけど……いつまで持つかな?」
「お前、何がしたいんだ!」

流れてくる妖力に抗いつつ、相手の目的を探る。
妖力を人間に流し込むという行為はある意味を持つ。

「妖力を流し込む事は相手を怪異、いや、その種族の眷属へ変える……その意味を」
「あぁ、わかっているさ」

口の端を歪めながら誘は頷く。

「キミをボクの眷属へ堕とす。そうすれば、永遠にボクのものになってくれるだろう?それを四葉は禁術だ、禁止されていると、この思いを間違いだと断じた。許せるものか」

ドロドロした感情を吐き出す誘。
その歪んだ言葉に凍真は俯き。

「やはり、尾が九つになると思想が歪むんだな。本当に危険だな」
「なんだって?」

凍真の言葉に誘は目を見開いた後、口から吐血する。

「ぐっ、い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い!?」
頭を押さえながら後退する誘。
ずぶりと音を立てて凍真の手が彼女の体から解放される。

「ようやく効いてきたか」

手についていた粘液を祓いながら凍真は誘をみる。

「何を、ボクに何をしたぁ!?」
「呪だ」

粘液のついた手を拭うようにしながら皮膚へ手を伸ばしてベリベリと引きはがす。
偽装していた皮膚の下から現れるのは大量の文字が描かれた札。

「バカな、緋の監視は完璧……術式を用意することはできない筈」
「確かに、アイツの監視は完璧だった。俺が用意することはできない。だから、頼んだ」
「……まさか!?」
「気付いたか、そうだよ。名前を与えたアイツらだ」

凍真に倒されて従うようになった一尾の妖狐達。
一、二、三と名前を与えられた妖狐。
彼らに頼んで式の直前に用意してもらった術を描いた札。
一尾の力では八尾や九尾と立ち向かう事は出来ないが祓い屋である凍真の力をサポートする点において強力な道具となる。

「驚いたな。名前を与えるだけでなく使役するなんて、只の人間にできる芸当じゃない。流石は、あの名前を持つだけある」
「そんなこと関係ない。俺は、十年以上前に交わした約束を果たす為、その為にこの地へ戻ってきた」

淡々と告げながら術式を覆った右手を握りしめる。

「あぁ、とてもカッコイイ……」

凍真をみて誘は笑みを広げる。

「ボクだけで事足りると思っていたんだけど……用意はしておく必要はあった訳だ」

体を呪で蝕まれているというのに余裕のある態度に凍真が身構えようとした瞬間。
背後の壁が音を立てて砕かれ、そこから伸びる白い手。
降り注ぐ殺意に気付いてその場から離れようとするも両手に肩を掴まれた。

「なっ、ぐっ!?」

視界の暗転。
ぐるぐると回転しながら外へ放り出された。

「……どういうつもりだ」

痛みに顔を顰めながら周りを見る。
そして、居た。
壊れた壁のすぐ傍、ゆらゆらと揺れる白い七つの尾。
白色の着物に、月下で輝きを放つ白い髪。
瞳は何も映さず、染み一つない指先にごうごうと燃える狐火。
蒼がそこに立っていた。

「驚いたかい?別の理由で用意していたんだけど。良い意味で用意しておいてよかったね」

壊れた壁の向こうからゆっくりとやってきた誘。
誘は手を伸ばして蒼の頬へ触れる。
触れていた手が頬から首、そして、着物の中に入り、彼女の体へ伸びていく。
しかし、触られている当人は顔色一つ変えない。

「お前、蒼に、彼女に何をしたぁ!」
「へぇ、そんな顔できるんだ。不愉快だなぁ。まさか、そんな感情をコイツへ向けるなんて……キミの目を抉った張本人なのにさ」
「俺の質問に応えろ。クソ狐」
「汚い言葉。まぁ、ここにきて淡々とした態度から感情的なものをみられたから教えてあげるよ。さっきも話したけど、九尾になると色々な力が使える。その中に自分より尾の少ない子を操ることができる……こうやってね」

微笑みながら誘は蒼に囁く。
蒼は無言で狐火を凍真へ放つ。
放たれた狐火をギリギリのところで躱す。

「九尾の能力……面倒な」
「今のキミは万全とはいえない。そんな状況で九尾、八尾の相手ができるかな……といいたいけれど、面白い遊びを思いついた」

トンと誘は蒼の背中を押す。
押された彼女はふわりと宙に浮き、凍真の眼前に降り立つ。

「ぐっ」

衝撃と共に凍真は木に体を打ち付けられた。

「あぁ、くそっ、このバカ力……」
「……」

無言で拳を振り下ろしてくる蒼から距離をとる。
拳を避けても尾が拳みたいに丸くなり迫ってきた。

「あぁ、くそっ」

ギリギリの所で蒼が繰り出してくる攻撃を躱していく。
祓い屋としてトップクラスの実力を持つ凍真だが、身体能力は普通の人間より少し秀でている程度。
相手は怪異としてトップクラスの妖狐。
辛うじて対応できているが、次第に凍真の体に生傷が増えていく。
走って逃げるも臭いであっさりと場所を特定されてしまう。

「くそっ、屋敷から遠ざかっていたつもりが、誘導されてしまったか」