――はじめは奴の事が嫌いだった。
母上が連れてきた子ども。
私達のような妖狐でなく人間。
それも、只の人間ではない。
怪異を祓う力を持っている人間。
しかし、その力を奴は使いこなせていないという。
いわゆる弱者。
そんな奴と一緒に生活するなど好きではないし、はっきりいって苛立つばかりだ。
一緒に生活という事で顔を顰めていたが、異物が入り込んで一週間。
驚くことに奴は我々に絡むことがなかった。
居てもいなくてもどうでもいいなら気にしなければいい。
そう思っていた気持ちが一変したのはあの時の事だろう。
妖狐の里に迷い込んだ穢れ神(けがれがみ)
元は神様だったが呪いなどをはじめとした穢れを取り込んだ結果、歪み、存在が変異したモノ。
大人達は逃げ惑い、子どもである私達は縮こまるしかなかった。
不幸なことに里を守れる妖狐が誰もいなかった。
その中で里の子どもの一人が穢れ神の前に飛び出してしまう。
逃げ惑う最中に迷ってしまい、気付けば穢れ神の前に飛び出してしまった。
私は助けに向かえなかった。
穢れ神の放つ瘴気に足がすくんで動けなかった。
誰も動けない中、一人だけ前に出る者がいる。
母上が連れてきたあの人間の子ども。
彼はあの濃い瘴気を前にして平然として。
平然と手にしている本を広げて、
穢れ神を祓った。
穢れを祓い、歪んでいた神の存在を助けた。
その事実に私達は愚か、人間とさげすんでいた彼に驚きを隠せない。

「だいじょうぶ?」

腰を抜かしている子どもの妖狐へ彼は手を伸ばす。
バシンとその手は払いのけられた。

「うるさい!気安く触るな!人間!」
「いけませんよ」

手を払いのけた妖狐の前に母上がいた。
母上は里の長。
皆が突然に現れた母上に驚き、膝をつく。
現れた母上はニコニコと笑顔を浮かべながら拳を作り。

「えい」

妖狐の子どもの頭へ拳を振り下ろした。
私達が驚く前で笑顔を浮かべながら母上はその妖狐と目線を合わせる。

「助けてもらったのならありがとうと伝えないといけませんよ。感謝の言葉に人間も妖狐も関係ありません」
「……はい」
「わかったのならやることは一つですよ」

母上の言葉に妖狐の子どもは彼に向けて「あ、ありがとう」と感謝の言葉を伝える。

「どういたしまして」
「ほら、家族の下へ」

母上に促されて妖狐の子どもは親の方へ向かう。

「速かったね」
「遅い方です。穢れ神が里に入り込むなんて、本来なら入る前になんとかすべきでした」
「だれもしんでいないけれど?」
「それは結果です。運が良かっただけ……ありがとうございます。本当にあなたのお陰です」

そういうと母上は彼を抱きしめる。

「別にかんしゃされることなんてしていない」
「誰かから感謝されたらその言葉を素直に受け取りなさい」

そっぽを向いた彼の頬を母上は優しく包み込んでいた。
彼に向けられる母上の愛情。
この時に感じたのは嫉妬だと思う。
母上に愛情を向けられるのは私達だけ。
私達だけに向けられるものがアイツに向けられている。
それにどれほど苛立ちを覚えた事だろう。
この時はこの気持ちが嫉妬だと私はわかっていなかった。













嫉妬が愛情に変わったのはおそらくあの時だろう。














「離せ、この下郎め!」
「カーカッカッカ、うるさい女狐だ。大人しくしろ!」

穢れ神が里に現れて二週間、里の近くにある森へ薬草を取りに来ていた私達、姉妹は突如、カラス天狗に襲われた。
このカラス天狗は流れ者だ。
そして、こいつらは他の種族を人間の世界へ売り払って金儲けしていた。
彼らが目を付けたのが妖狐族。
妖界で上位に君臨する妖狐族の雌は美しく人間が高価で取引をするという。
彼らは私達を捕まえて楽しそうに語る。
小さい私達は子ども達の中で強い妖力を持っていた。
でも、それは、子どもという枠の中において。
成長した妖怪達になると話は変わる。
カラス天狗は空を飛べることと対象を捕縛する事を得意とする種族。
私達はその罠にかかってしまい、妖力を封じ込める足枷を付けられて力を振るえない。
どれだけ叫ぼうと里の連中は気づいてくれない。
このまま里の外に連れられて……。
最悪の未来を想像して涙を零した時だ。

「探したぞ」

音もたてずに彼が現れた。

「な!?」
「いつの間に!?」

カラス天狗達は現れた彼に驚きを隠せない。
更に彼らの手の中にいた私達は地面に降ろされていた。
現れた彼にカラス天狗達は武器を構える。
カラス天狗の目は現れた彼に強い警戒を向けた。

「コイツ、どうやって俺達の結界を!?」
「おい、見ろよ。コイツ、人間だぞ」

カラス天狗達は現れた彼が人間であることに気付いた。
私達と同じ衣服を纏っているものの、頭頂に狐耳や尾等がない事に気付いたらしい。
人間は弱い種族であるというのが妖怪の中の共通認識。
いきなり現れた事に驚きを隠せないものの、相手が人間だと分かって多少の警戒が弱まり嗜虐の表情を浮かべた。

「ンだよ、驚かせやがって」
「人間かぁ、迷い込んだのか?まぁいい、人間の肉はマズイって聞くが……食って終わらせるか」

嘴を動かして獰猛な笑みを浮かべて飛び掛かるカラス天狗。
私達は怯えて動けない中。

「はぁ」

彼は瞬く間にカラス天狗達を無力化した。
縄がカラス天狗達を拘束する。

「ぬ、ぬぐあぁ、あぐ!?」
「どうなっているんだって顔をしているな?まぁ、言いたいことはわかるさ。アンタ達が設置した罠を弄ってより強力なものを足元に仕掛けさせてもらった」
「ぬぐぐぁ!?ぬぐぁぬの!?」
「気付かなかった?そんなものはなかった?それだけ隠形していたって事だ。さて、試しにやってみたら意外とうまくいったな。これなら」

ぶつぶつと強靭な布で雁字搦めに拘束されたカラス天狗達。
私達が怯えているだけだったというのに、彼は平然としていた。
揺れる木々の下で彼はカラス天狗達を下敷きにしてぶつぶつと独り言を呟いている。

「ねぇ」

気付けば、私は彼に声をかけていた。

「……なに?」
「どうして、私達を助けた?」
「別に」

読んでいた本を閉じて彼がこちらをみる。

「助けてほしかったんだろ?」
「……それは」
「助けを求めていたら助けろ……俺はそう教わった」
「だから、助けたと?お前を敵視していたのに?」

私からの問いかけに彼は少し間を置いて。

「敵視している視線は感じていた。けど、何もしてこないから正直、どうでもよかった……あとは」
「あとは?」
「シバさんに頼まれた。お前達と仲良くしてくれと」
「……仲良く?私達はお前を排除しようとしていたのに?」
「けれど、やらなかった。やらなかったなら関係ない」

まだ、来ないのかね。里の大人達といいながら彼は懐から取り出した煎餅を食べ始める。
私と目が合うと彼は煎餅をみてから一枚を差し出す。

「食べるか?」
「なに?」
「大人連中がいつくるかわからない。それに何も食べていないだろ?」

煎餅を差し出してきた彼に私はゆっくりと握りしめる。

「おいしいのか?」
「食べてみれば」

勧められて煎餅を食べる。

「お茶が欲しいな」

いつも食べている煎餅と何ら変わらない味。
けれど、不思議と美味しいと思う。
美味しいとそう思ってしまうのは。

「確かにな」

私の言葉に彼が小さく笑う。

「なぁ」
「なに?」
「貴様の……お前の名前はなんという?」
「なんで?」
「知りたいだけだ。他意はない。早く教えろ。このたわけ」
「誰がたわけだ。ったく、急にお喋りになって」

彼は煎餅を齧る。

「シンジョウトウマ、それが俺の名前だ」

「ったく、やったらいけないこととそうでないことの区別がつかないのか」

悪態をつく新城(しんじょう)の言葉に僕も同意する。

「今回ばかりは新城に同意するよ」
「動画配信者って奴は全く」

新城が苛立っている理由。
それは少し前に発生した怪異が原因だ。
廃業したラブホテルの一部屋。
動画配信者がそこに足を踏み込んだ。
怪談で噂の部屋で生配信放送するというもの。
だが、踏み込んだ場所がよくなかった。
ラブホテルで命を落とした女性の怪異がいる部屋。
そこに存在する怪異はウィルスのように見た者へ伝染していく。
実力のない祓い屋が手を出すことは禁止された場所。
どこで噂を聞きつけたのか、そこに踏み込んだ動画配信者。
異変に気付いた僕達が駆け付けるのが一歩でも遅かったら生配信でその怪異が多くの人の前に姿を現す事になってしまう……寸前だった。

「お前と一緒になってからここまで慌てたのは、悪魔の村騒動以来か?」
「そうかも、あの時は大変だったね。一人、また一人、死んでいくんだから」
「内容は異なるが、まぁ、大変だったな」

昔を思い出すように夜空をみあげる。

「今日は帰ったらゆっくり休めよ。明日は後処理も――」

近くの茂みから何かが飛び出す。

「あ?」

スローモーションのように飛び出した影が新城の片目、眼帯の部分に飛び掛かる。

「え?」

バチンと音を立ててはじけ飛ぶ新城の眼帯。
地面に落ちる眼帯を拾おうと手を伸ばす。
だが、現れた影が眼帯を加えて距離をとる。

「あれは、狐?」

新城の眼帯を奪ったもの、それは狐だった。
黒い毛並みの狐は眼帯を加えながらランランと赤い瞳を新城へ向けている。

「ぐぁああああああああああああああ!?」
片目を抑えながら新城は地面に膝をつく。

「新城!?」
「あぁ、くそっ、おい、マジか!」
「待っていて、眼帯をすぐに」
「やめろぉ!」

駆けだそうとした僕の腕を新城が掴む。

「逃げるぞ、とにかく、コイツから少しでも――」
「ようやく、ようやく会えたね?トウマ様」

現れた怪異。
目の前にいた狐、その姿はどこにもなくいつの間にか現れた一人の女性。
赤を基調とした着物に背後からゆらゆらと揺れる八つの尾。
頭頂に伸びる二つの狐耳。
人外的な美しさを持ちながらも緋の瞳はランランと怪しい輝きを放っている。

「新城、彼女は」
「あらあら」

振り返る。
いつの間にか彼女が彼の前に立っていた。

「久しぶりに再会しましたが、やはり素敵な殿方になっておいでで、でも、その目、その力の色を見間違えることはありませんわ」

白い手が新城の頬へ伸びていく。
僕は咄嗟に彼の襟元を掴んで後ろへ下がらせる。

「あらぁ?」

背中に氷を入れられたような感覚が走る。
今までに感じた事のない殺意。
ただ視られただけなのに体中に穴をあけられたような感覚。
その視線の主は現れた妖狐。
ただ、僕を見たというのにすさまじい殺意が向けられた。

「私とトウマ様の逢瀬を阻むものは誰であろうと容赦しませんよ?」

白い指先に緋色の火が現れる。

「燃え尽きなさい」

振るわれる火。
直撃するとよくないと考えた僕は駆け出す。
火をギリギリのところで躱して、懐にしまっている十手を握りしめて目の前の怪異を狙う。

「あらあら」
「ぐぅ!」

後ろから手が伸びて無理やり下がらされる。
新城が苦痛に顔を歪めながら僕を引っ張ってくれた。
それが僕の命を救ってくれる。
立っていた場所に噴き出す火柱。
もし、あのまま前に踏み出していたら火柱で僕の体は焼き尽くされていた。
引っ張られた拍子に手の中にあった十手が零れる。
地面に落ちる寸前、伸びた手が十手を掴む。

「この匂い、貴方からトウマ様の……そう、貴方」

くんくんと十手のにおいを嗅ぐ緋い怪異。
薄く笑っていた顔から感情が消える。
十手を持っていない方の掌に赤い火の玉が現れた。

「さようなら。貴方はいらないわ。守りてなんて」

火が僕を包み込む瞬間、大量の札が周りに現れる。

「あらあら?燃やし損ねましたね」

不思議そうに首を傾げる怪異。

「新城……!」
「不用意に突っ込むんじゃない……妖狐(ようこ)の火は本気を出せば人間なんてあっという間に消し炭だ」
「その火を人間が作った札で防ぐなど、流石、トウマ様ですわぁ。あぁ、本当に、本当に」

妖艶な表情を浮かべながら怪異は新城を見る。

「ぐだぐだ、うっせぇ、今更、何しにきやがった」

荒い息を吐きながら新城はゆっくりと立ち上がる。
眼帯で隠していた目元を片手で隠しながら立つ。
いつもの余裕ある態度と違って、焦っている?

「今更?それは間違いですよ。だって」
「私達はお前をずっと探していたのだ」

後ろから聞こえる声。
夜道の上に現れた新たな怪異。
短い銀髪を揺らし、白い着物に蒼い瞳。
頭頂に伸びる二つの獣耳、そして揺れる七つの尾。

「あら、早かったわね。(あお)
「姉様。先走りすぎです」

楽しそうに話す緋い怪異に呆れた態度の蒼い怪異。
今迄に遭遇した中で上位の力を持つ怪異。
おそらく、黒笠よりも強い。

「ぐっ」
「新城!?」
僕は両手を地面につく新城に駆け寄る。
呼吸が荒く、額から滝のように汗が零れていた。
一体、何が起こって?

「呪いだよ。あぁ、くそっ」

片目を隠していた眼帯を新城は退かす。
目の部分。
びくびくと血管の部分が浮き出ていて、瞳の奥。
蒼い炎のようなものが浮き出ている。

「これは……」
「小さい頃にアイツにやられた呪いだ」
「フン、貴様が逃げるのが悪い。逃げようとした結果だ」

蒼い怪異が鼻音を鳴らして鋭い目で新城を見る。

「どれだけ足掻こうと、逃げようとしても私達は逃がしませんわよ?さぁ、里に戻りましょう?トウマ様。そして」

白い手を新城へ伸ばす緋い怪異。

「――結婚式(ぎしき)をあげましょう」


「結婚式?」

怪異の告げた言葉の意味を理解するのに数秒を有してしまった。
この怪異は結婚式といった?

「お前、いや、お前ら、まだ諦めていなかったのか」
「当然だ」
「この想いは十年、いえ、百年、千年過ぎたとしても決して消えはしません」

胸元に手を当てながら妖艶な笑みを浮かべる緋い怪異。
見る者を見惚れさせる姿がありながらも熱に浮かされたような視線を新城へ向けている。

「まさか、言葉通りの意味……そんなこと」
「あらあらぁ?」

僕の態度を見て緋い怪異が怪しく笑う。
その笑みは人を小ばかにするようなもの。

「もしかして、貴方、守りてでありながら何も聞かされていないのかしら?私達とトウマ様の関係も、何もかも」
「黙れ!」

戸惑う僕の横で新城が叫ぶ。
ふらふらとおぼつかない足取りながらもその目は真っすぐに怪異を睨んでいる。
「まぁいいわ。本来の目的を果たさせてもらいましょう」

緋い怪異が一歩、また一歩とこちらに近付いてくる。

「待て」

僕が十手を構えようとすると新城が止める。

「新城?」

新城と僕の目が合う。

「おい、(あか)

ピタリ、と緋い怪異の歩みが止まる。
あの怪異は緋という名前なのか。
ふらふらしながらも新城は緋の前に立つ。

「俺がお前達の所へ戻れば、アイツは見逃してくれるか?」
「あらあら」

新城の言葉に僕は動きそうになるのを堪える。
動くなと新城は小さな声で僕に伝えている。その指示を破るわけにいかない。

「降参ということかしら?」
「あぁ、お手上げだ。呪いのせいで俺は疲弊している。その中で緋と蒼の二人とやりあえる自信はない」

両手をあげて降参というポーズをとる新城。

「姉様!」
「落ち着きなさい。蒼。貴方は祓い屋、嘘八百でその場を凌ごうとする手段があることもわかっているわ」

にこりと微笑みながら緋が新城をみる。
その目はどんな嘘すら見抜くという表情だ。

「でも、その様子を見る限り、本当に今できる手はないようね」

にこりと微笑みながら緋の手が新城の頬に触れる。

「大人しく私達と一緒に妖狐の里へ戻るというのならそこの人間は見逃してあげましょう」
「その言葉に二言はないだろうな?」
「あぁ、四葉(しば)に誓おう」

“四葉”という言葉にぴくりと緋の頬が動いた。
だが、それも一瞬で不敵な笑みを浮かべる。

「うふふふふふ、あははははははは。この時をどれだけ待ったことでしょう。ようやく、ようやく貴方が戻ってくるのね。さぁ、蒼」
「はい」

頷いた蒼と呼ばれる怪異が僕の横を通って新城の前に立つ。
緋と蒼に挟まれる新城。
ちらりと、新城がこちらをみる。