それからの日々は夢の中のように、毎日に実感がなかった。
 ある日私は、一人で旅行に出かけていた。どこへとも、何のためとも、決めてはいなかった。
 ガタガタとバスに揺られている間、私はうたたねをしていた。
 夢の中で繰り返し、デニスにたずねた。
――デニス、どこへ行ったの?
 デニスをみつけたいんだ。言い訳のように自分に告げる。
 デニスだって、日本の滞在中少しでも時間があると旅行に出かけた。私も行ったことがないような日本の奥地へ一人で行ってきたこともあった。
 デニスは私がそうたずねるたびに答えてくれた。どこへ、何をしに行くか、一つずつ。でも私はどの答えもしっくりこなかった。
 いつかのデニスの声が耳に蘇る。
――よく自転車で旅をしたよ。
 デニスは英国にいた頃も、たびたび旅行に出かけたらしい。
 普段と違って、弾んだ声音がまた私の耳を打つ。
――田舎の村を回るのが好きだった。家族と毎日電話で連絡を取るっていう約束がついてきたけど、英国中を回った。
 たぶん彼は心から旅行が好きだったのだろう。旅の話をする時、デニスは子どもみたいに表情を和らげていた。
 どこか遠いところを見ながら、デニスはいつも話していた。
――ある時、ランズ・エンド岬まで行こうとした時があったんだけど。体調を崩してしまって、結局辿りつけなかった。
 あの日、デニスは目を伏せて、夢見るように言葉を切った。
――迎えに来てくれたリチャードは、もう行くなって叱ったけど……できるなら、また行ってみたい。
 旅先で、私はふと立ち止まって空を仰いだ。
 どこに行っても、デニスの匂いも体温もない。彼の静かな眼差しに出会える日が来ない。
「……デニス」
 私はふいに道から離れて歩き出した。
 始めは早足くらい、でもだんだんと心は急いていく。
 どこにいるの、デニス。
 私には信じられないんだ。君はまだどこかで生きているような気がしてならないんだ。
 君が亡くなったと聞いて一月、あっという間に過ぎてしまった。
 でも私の中では、君は少しも変わりがない。君はどこかで静かに微笑んで、たたずんでいる気がする。
 いつか、私は君にたずねた。
――デニス、いつか英国の遠い遠いところに、一緒に旅行に行こうよ。
 その時、君は私に振り向いて笑った。
――いいよ、一緒にね。どこにする?
 それがどこだったか、何度考えても思い出せない。
 うれしかったんだよ、一緒にと言ってくれて。君と遠い遠いところに行く日を、夢見ていたんだよ。
 でもそんな夢は実行まで至らなかった。今となってはそれを後悔している。
「待って……」
 今の私はただ息を切らして君を探している。
 行きたかったんだ、デニス。
 私たちにもっと時間さえあったなら、きっと行ったに違いないんだ。
 ……たとえ世界の果てでも、君と一緒なら行ってみたかった。
 私はその日もデニスをみつけられず、帰路につくことになった。
 リチャードとはデニスの訃報を聞いた後も、たびたび電話をした。
「智子さん、風邪ひいたって? 大丈夫?」
 調子はどうとか、学校に行ってるかとか、そういうことを、彼は繰り返し私に訊いた。
 私ははじめ、どうやって答えればいいかわからなかった。でもリチャードは構わず私に話して、あるとき私は拙い言葉を返した。
「……元気になんてなりたくない」
 私が吐き出すようにつぶやくと、リチャードは電話口でうなずいたようだった。
「どんな気持ちだって、持っていいものだよ」
 リチャードは年上のお兄さんらしく、諭すように私に言った。
「話して、智子さん。聞くから」
 そんなことを繰り返すうちに、私は少しずつリチャードに自分のことを話すようになった。
 リチャードこそ家族だからつらかっただろうに、彼は私の言葉を聞いてくれた。  
 私はきっと、リチャードに甘えていた。それで、リチャードは優しかった。
 私たちが互いのことやデニスのことを話すうち、時は確実に流れていった。