私の暮らす街から快速列車で五つ分、そこの駅ビルに私のお気に入りのデパートがある。
 私はデニスを連れて電車から降りながら言う。
「マニアックな文房具から韓国コスメまで、いいものを探そうと思うならここだよ。もっと近いところにあったらいいのになと思うけど」
「僕も地方在住だから、その感覚はわかる」
 デニスも苦笑を返して、私とはぐれないように早足で歩いた。
 日曜日の昼前、駅前は群れるような人出だった。それはデパートに入ってからも同じで、雑貨フロアに到着するなりデニスは足を止める。
「どうしたの、デニス?」
 私は辺りを見回している彼を振り向いて問う。
 デニスは周りに注意を払いながら言った。
「人が多いから、スリに注意しないと」
「スリなんていないよ」
 私はきょとんとして、不思議なことを言われたように返した。
「見たことないし、私も家族も被害に遭ったことないし。大丈夫だよ」
「……そうか」
 デニスは複雑な表情でうなずいて、私に反論することはなかった。
 私はその様子を見て後悔した。彼は冷たそうに見えるけど警戒心が強いだけで、とても気を遣う人なんだと気づいた。
 彼にとって、ここは見知らぬ異国なのだ。私だって全然知らない国に一人やって来たら、警戒で体も心も硬くなる。
 私はひとつ深呼吸すると、手を腰に当ててデニスに謝る。
「ごめん、デニスの言う通りだ。これだけの人なんだから気を付けて当然だよね」
 気持ちをちゃんと伝えてから、私は言葉を続ける。
「でもせっかく来たから、楽しんで。探したいものがあったら何でも言っていいよ。私、ここは詳しいからね」
 デニスは私の言葉にうなずいて、少しだけ笑った。
「ありがとう。……それなら、せっかくだからマニアックな文房具を見たいな」
「だよね、いいよね! マニアックな文房具!」
 私はコスメ類より断然大好きな文房具の話を振られて、嬉々として歩き出す。
「こっちこっち。文房具は沼だよねー!」
「沼?」
「スラングで、大好きなものに夢中になることだよ!」
 それから私はデニスを連れて、雑貨店のフロア内を歩きに歩いた。
 色石のはまった綺麗なボールペンにシール型のカレンダー、ネタになるふせんに高機能シャープペン、大好きなものを見て回ると時間なんてすぐに過ぎる。
 ほとんど初対面の男の子の趣味はわからなかったけど、彼も私のグッズ紹介を聞いて時々くすっと笑ってくれた。
「ちょっとお会計行って来る。この辺で待ってて」
 だから私は気づけば楽しんでいて、彼が病に苦しんでいるということすら忘れてしまっていた。
「デニス?」
 少しデニスの側を離れて戻ったとき、彼はベンチに座って、胸を押さえて苦しそうにしていた。汗をかいているのに、顔色は青白い。
 私は慌てて、彼をのぞきこみながら問いかける。
「苦しい? 救急車呼ぶ?」
「薬がある。そこまででは……ないよ。少し休んでいればよくなる」
 デニスは口の中で薬を砕いて飲みこむ。私はその間、隣に座ることもできずにそわそわと立ちすくんでいた。
 薬のおかげなのか、顔色は目に見えて戻っていった。でもそんな強い薬が体にいいとも思えない。彼は三十分ほどそうして座って休んでいて、やがて私に声をかけた。
「落ち着いて来た。でも今日はもう帰ってもいいかな」
「うん、もちろんだよ。歩けそう?」
「ああ。……迷惑をかけてすまない」
 デニスは私に謝ってくれたけど、私は首を横に振って苦い気持ちを飲みこんだ。
 病気を抱えている人だと聞いていたのに、私はつい自分の楽しみに夢中になってしまった。気を付けなきゃと自分を叱る。
 帰り道の電車で、デニスは自分の病気のことを少し話してくれた。
「聞いているかもしれないけど、僕は心臓に疾患があるんだ。長時間立っていると苦しくなるときがある」
「そっか、よく気に留めて見てるよ。薬はどこに入っているの?」
「ポーチの中の内ポケットだよ」
 デニスはポーチを開いて私に薬を見せてくれた。私はうなずいて、しばらく二人で電車に揺られていた。
 私はふと意を決したようにデニスに言う。
「今日は少し失敗しちゃったけど、また一緒に出かけようね」
 デニスは隣で私を振り向いて、緑の瞳が少し驚いたように見開かれた。
「……また行ってくれるのか?」
「うん。ここは田舎で、あんまり観光地もないけど、どうせなら楽しんで帰ってほしいんだ」
 私は笑顔でデニスに同意を求める。
「ね、そうしよ」
 そんな私に、デニスはぎこちなくうなずいた。
 私はもうこのとき、この真面目で繊細な男の子と過ごすのが楽しみになっていた。