数年間ログインしていなかったSNSをなんとなく開いてみたら、その文字が目に飛び込んできた。
“死にたい”
“消えてしまいたい”
“ずっといまのままなのかな”
“ひまわりさんに会いたいです”
“今朝夢にひまわりさんが出てきて”
“久しぶりにあえて”
“夢だとわかっていたけどさめてほしくなくて”
“交わした言葉をメモしている”
アカウント名:ハナミズキ(鍵)
記憶が、ゆっくりとよみがえってくる。
ハナミズキさんとひまわりさんは夫婦だ。
たぶん、オフ会で一度だけ見かけたことがある。
二人はSNS経由で、オタク趣味のオフ会で知り合ったと言っていたはず。
奥さんのハナミズキさんはびっくりするくらい可愛くて、ひまわりさんはすらりとした色白の美青年だった。
外見を知らないまま知り合ったはずなのに、あれほどの美男美女が巡り合って結ばれるなんて、確率的にすごいな、運命ってあるんだな、と思った。
そのオフ会は大規模で、私は二人と話したかどうかも覚えていない。遠目に見ただけのような気もする。
ただ、オフ会前後に参加者をまとめてフォローしたときに相互になっていた。
私は少し用心深いので、異性であるひまわりさんはフォローしなかった。ひまわりさんからもフォローはされていなかった。相互になったのはハナミズキさんだけ。
オタクあるあるなんだけど、ジャンル移動、趣味の移り変わり、生活スタイルの変化で、オフ会するほどのめり込んだ「何か」とはいつの間にか疎遠になるのは普通に起こり得る。
同時に、そのとき曖昧につながっていた人たちとも、なんとなく途絶えてしまう。
だけどSNSではフォローを外す機会を逃していて、相手も別にこちらのフォローを外さなくて、おそらくもう二度と会うこともなければリプを送り合うこともないのに、互いがフォロー・フォロワー1にカウントされる関係がある。
私とハナミズキさんは、言ってみればそういう間柄なのだ。
数年経っても覚えていたのは、本人がものすごく可愛かったこと、旦那さんが恐ろしくお似合いのイケメンだったのが視覚的に衝撃的だったこと。
さらに言えば、フォローしてから私がアカウントにログインしなくなるまで数年眺めていた彼らの生活が、非の打ち所なく甘々のイチャラブで、順調に結婚して周囲に祝福されていて、子どもを授かって二人らしく可愛がっていたのが印象に残っていたからだろう。
子どもが初めて喋ったとか、一緒にどこに行ったとか、どんな離乳食を作っているかとか。
ハナミズキさんは少しポンコツ気味で抜けているところがあって、年上のひまわりさんが万事フォローしているらしかった。
朝、仕事に出るまでに保育園の準備が終わらないで、いつも全部ひまわりさんに任せてしまうハナミズキさん。
保育園の書類が苦手で、やっぱり全部ひまわりさんに書いてもらうハナミズキさん。
料理が趣味だから、二人で飲むのが好きだからと、晩酌の準備をしてくれるのもひまわりさんで「子どもが寝てから二人でのんびり飲みました」とハナミズキさんが美味しそうな料理とお酒の写真をアップしている。
そこはいつも温かな光に包まれていて、SNS用の外向きの投稿だとしても、私は見るのが好きだった。
あの美男美女がですよ。
互いを知らないまま知り合って、結婚して、少子化の現代で無事に子どもを生み育てていて、さらには子持ちになってからも楽しく二人で飲んでいるだなんて。
まるで少女まんがみたいに綺麗で尊い世界だから。
とは言っても、私は二人の生活に興味津々の熱狂的ファンかというと、そういうわけでもない。
彼らは時折私の視界に流れてくる幸せな生活のひとつであり、友人でも知人でもなくリプを飛ばすこともない私はちらっと見て「今日も仲が良いな」と思う、そのくらいの位置づけなのだった。
だから、そのSNSにログインしなくなって数年見かけなくなっても、別段気にもとめなかった。
二人は二十代でまだ十分若く、子どもも小さくて、きっとその生活はこの先何十年も続いていくのだろうな、と当たり前に思っていたから。
“死にたい”
“消えてしまいたい”
“ずっといまのままなのかな”
“ひまわりさんに会いたいです”
数年ぶりに見たハナミズキさんのアカウントは。
アイコンもバナーもアカウント名もそのままなのに、フォロワー限定公開の鍵がかかっていて。
いつも死にたがっていた。
何日も何日もスクロールしても、ずっと「おはよう」と「死にたい」を繰り返していた。
“死にたい”
“消えてしまいたい”
“ずっといまのままなのかな”
“ひまわりさんに会いたいです”
ハナミズキさんの生活から、ひまわりさんが忽然と消えていた。
* * *
(離婚……?)
フォローしていなかったひまわりさんのアカウントは、どこから調べよう。
私はひとまずハナミズキさんのプロフィール画面に飛んだ。そこには、夫→@でひまわりさんのアカウント名リンクが記載されていた。
私が見ていた数年前から、二人は互いのアカウント名を自分のプロフィールに出していたのだ。
理由はなんとなくわかる。
リアルで美男美女でなおかつ、SNS上ではフォロワー4桁のアカウントだったからだ。
自分は既婚者であり、相手とはSNS上でもつながっていて、事情はなんでも通じていますよ、というアピールをしていたのだろう。面倒よけだ。
ひまわりさんをタップしてみる。
そちらも鍵アカウントになっていて、フォロー外からは現在の投稿は確認できない状態だった。プロフィール欄には妻→@でハナミズキさんのアカウントが記されたままだった。
互いのプロフィール画面に、相手のアカウント情報を残している以上、二人が離れた理由は離婚ではないだろうなと察せられる。
そこで、私はもうかなり相当動揺していた。
自分の生活にはほぼ関わりのない美男美女夫婦に、ここ数年の間に起きたことを思い、はっきりと落ち込んでしまっていた。
ハナミズキさんは、ひとりで子どもの「ガーベラちゃん」を育てていた。
“ほんとうにわたしはだめで”
“ひまわりさんがいないと”
“保育園の書類もうまく書けなくて”
“ぜんぶひまわりさんがやってくれていたから”
“本当にもう会えないのかな”
“こんなことになるなんて、思わなかった”
“ひまわりさんがいないと”
“生きていけないの”
いるべきひとが欠けてしまっている、やるせなさ。
大きすぎる空白。
今日も準備が終わらない、何か忘れている気がする。私はだめな母親。
WEBに向かってひとり呟いて、ハナミズキさんはガーベラちゃんと手を繋いで家を出る。
“いってきます”
“私は毎日、朝から疲れている”
“もう死んでしまいたい”
“ひまわりさんがいない”
* * *
私はハナミズキさんのアカウントの、検索マークをタップする。
ここに単語を入力すると、過去にハナミズキさんがその単語を投稿した内容がすべて一覧となって抽出され、表示されるのだ。
【ハナミズキ FOR ひまわり】
新しい投稿から、ずらりとひまわりさんの文字を含む投稿が表示される。
スクロールして、現在から過去へとたどる。
二人は運命で出会ったとしか思えない仲睦まじい美男美女で、まだ二十代で、小さな子どもがいる。
離婚した形跡はない。
ここまで揃えば、この先彼女の投稿に何が現れるか答えは出ているのに、私は確かめずにはいられなかった。
一年前、ハナミズキさんの誕生日
“わたしだけ時間が止まってる”
“止まってなかった”
“ひまわりさんの年齢になってしまった”
“このまま私はひまわりさんを追い越して行くんだ”
ひまわりさんはこのとき、もういない。
二年前、ひまわりさんの誕生日
“ひまわりさんと付き合い始めた頃”
“私は会社で悩んでいて”
“そんなとき、親切な女の先輩に優しくしてもらって”
“友達を紹介してもらって、みんなに話しを聞いてもらって”
“あーよかった、これで頑張れるって思ったって話をしたら”
“スマホで検索して画面を見せてきて”
“「これ読んで」って”
“宗教だった、それもすごく危ないやつ”
“結構有名なのに私全然知らなくて”
“年上のひまわりさんは、そうやっていつも”
“はじめから、私のこと見守ってくれて”
“さりげないのにすごく頼もしかった”
このときももう、全部過去形になっている。
三年前
“まだ49日が過ぎていません”
“ひまわりさん、まだいますか?”
“私の近くにいますか?”
この49日以内の投稿に、ひまわりさんの最後がある。
私はスクロールして、その日を探した。
* * *
“ぜんぶ書いちゃってから気づいた”
“年齢とか、事故の状況から、アカウントリアルばれする”
“気づいて鍵かけたけど”
“ひまわりさんのアカウントはまだ鍵かけていない”
“ひまわりさんのアカウントから投稿すべき?”
“「妻です。ひまわりは事故で永眠しました」って”
“書けるかな?”
“いま全然わからない”
“ガーベラちゃんが泣いてる”
“泣いてる。どうしよう”
“わかんない”
“ひまわりさんが死んじゃった”
“ひまわりさん、死にました”
その少し前の投稿に、事故から息を引き取るまでの経緯が、詳細に記されていた。
調べればすぐにでもわかりそうだった。
たとえば、死んだ彼の本名。だいたいの住所。
さらに遡る。
その一週間前。
ひまわりさんの手料理、二人の晩酌、ガーベラちゃんが寝ているうちに、という日常の投稿が写真付きであった。
そのときはまだ、誰も数日後のことを知らない。
この先何十年も続いていく幸せな光景がそこにあった。
二人に、余命一週間だと知らせてあげられたら……
(違う、そうじゃない。もし過去の投稿に、その時間軸で投稿できるのなら、私は事故を全部調べて伝えるのに。「そこには行かないで」って。「もっとずっと、二人で長生きをして」って)
時間は絶え間なく前に進み、過去に干渉なんかできるわけがない。それでも、運命を知らぬ二人の生活があまりにもあたたかく、優しい愛情に満ち溢れていて、胸が壊れそうに痛い。
さっきからずっと泣きっぱなしだ。
自分だったら、無理だ、と思った。
この愛を失ったあとに、三年間も生き続けるなんて無理だ。
ハナミズキさんはどうやって生きてきたんだろう。
“死にたい。消えてしまいたい”
“ひまわりさんがいない”
“夢でもいいから会いたい”
ひまわりさんと出会い、ふたりで紡いでいたSNSの中でひとり残されてずっと叫びながら。
(ハナミズキさんは、三年も頑張っているんだ)
それはやっぱり、強いな、と思った。
死にたいと言いながら、死なないで生きてきたのだ。
いつ死ぬかわからない、本人だっておそらくわかっていない。
ある日、そちら側へ気持ちが全部行ってしまうかもしれない。
それでもいまハナミズキさんは、生きている。
鍵をかけた中にたまたま残してもらっただけの、相互フォロワー1。
彼女の人生に何一つ関係していない私にできることは、何もない。
もし下手にアクションを起こしたら「何このひと、誰?」ってブロックされて、鍵の外に放り出されるかもしれない。
たぶんそうなるだろうなと恐れながらも、私は震える指先で彼女の最新の投稿の♥をタップした。
久しぶりにログインして、たまたま目に入った。
まさにその状況の、素直な気持ちで。
夢でも会えて良かったねの意味で。
その一回でブロックされることがなかった私は、それから少しずつ、不審ではない程度に、アカウント復帰がてらハナミズキさんの投稿にイイネを押すようになった。
今日も生きているだけで、もう百点満点だよって。
ガーベラちゃん小学生になったんだね、すごいねって。
なんでもない私の、拒否されないように怯えながら触れるイイネの♥、ささやかすぎる気持ち。
少しでも、あなたに届きますように。
あなたたちが見せてくれた優しい生活に、憧れや幸せな気持ちをもらったことがあるから。
ハナミズキさんに、生きていてほしいから。
* * *
“今日はなんだかすこし、気持ちが軽いです”
“近くでひまわりさんが笑っている気がします”
“ガーベラちゃんも同じことを言っています”
“いまそこに、お父さんがいなかった?って”
“いってきます、ひまわりさん”
“私ね、なんにもできないでいつもひまわりさん頼りだったけど”
“いまでもなんにもできないけど”
“がんばって、ガーベラちゃんと生きてるんだよ”
“ひまわりさん、ゆっくり休みながらでいいから”
“そこで見ていてね”
“ずっと大好きだよ”
“死にたい”
“消えてしまいたい”
“ずっといまのままなのかな”
“ひまわりさんに会いたいです”
“今朝夢にひまわりさんが出てきて”
“久しぶりにあえて”
“夢だとわかっていたけどさめてほしくなくて”
“交わした言葉をメモしている”
アカウント名:ハナミズキ(鍵)
記憶が、ゆっくりとよみがえってくる。
ハナミズキさんとひまわりさんは夫婦だ。
たぶん、オフ会で一度だけ見かけたことがある。
二人はSNS経由で、オタク趣味のオフ会で知り合ったと言っていたはず。
奥さんのハナミズキさんはびっくりするくらい可愛くて、ひまわりさんはすらりとした色白の美青年だった。
外見を知らないまま知り合ったはずなのに、あれほどの美男美女が巡り合って結ばれるなんて、確率的にすごいな、運命ってあるんだな、と思った。
そのオフ会は大規模で、私は二人と話したかどうかも覚えていない。遠目に見ただけのような気もする。
ただ、オフ会前後に参加者をまとめてフォローしたときに相互になっていた。
私は少し用心深いので、異性であるひまわりさんはフォローしなかった。ひまわりさんからもフォローはされていなかった。相互になったのはハナミズキさんだけ。
オタクあるあるなんだけど、ジャンル移動、趣味の移り変わり、生活スタイルの変化で、オフ会するほどのめり込んだ「何か」とはいつの間にか疎遠になるのは普通に起こり得る。
同時に、そのとき曖昧につながっていた人たちとも、なんとなく途絶えてしまう。
だけどSNSではフォローを外す機会を逃していて、相手も別にこちらのフォローを外さなくて、おそらくもう二度と会うこともなければリプを送り合うこともないのに、互いがフォロー・フォロワー1にカウントされる関係がある。
私とハナミズキさんは、言ってみればそういう間柄なのだ。
数年経っても覚えていたのは、本人がものすごく可愛かったこと、旦那さんが恐ろしくお似合いのイケメンだったのが視覚的に衝撃的だったこと。
さらに言えば、フォローしてから私がアカウントにログインしなくなるまで数年眺めていた彼らの生活が、非の打ち所なく甘々のイチャラブで、順調に結婚して周囲に祝福されていて、子どもを授かって二人らしく可愛がっていたのが印象に残っていたからだろう。
子どもが初めて喋ったとか、一緒にどこに行ったとか、どんな離乳食を作っているかとか。
ハナミズキさんは少しポンコツ気味で抜けているところがあって、年上のひまわりさんが万事フォローしているらしかった。
朝、仕事に出るまでに保育園の準備が終わらないで、いつも全部ひまわりさんに任せてしまうハナミズキさん。
保育園の書類が苦手で、やっぱり全部ひまわりさんに書いてもらうハナミズキさん。
料理が趣味だから、二人で飲むのが好きだからと、晩酌の準備をしてくれるのもひまわりさんで「子どもが寝てから二人でのんびり飲みました」とハナミズキさんが美味しそうな料理とお酒の写真をアップしている。
そこはいつも温かな光に包まれていて、SNS用の外向きの投稿だとしても、私は見るのが好きだった。
あの美男美女がですよ。
互いを知らないまま知り合って、結婚して、少子化の現代で無事に子どもを生み育てていて、さらには子持ちになってからも楽しく二人で飲んでいるだなんて。
まるで少女まんがみたいに綺麗で尊い世界だから。
とは言っても、私は二人の生活に興味津々の熱狂的ファンかというと、そういうわけでもない。
彼らは時折私の視界に流れてくる幸せな生活のひとつであり、友人でも知人でもなくリプを飛ばすこともない私はちらっと見て「今日も仲が良いな」と思う、そのくらいの位置づけなのだった。
だから、そのSNSにログインしなくなって数年見かけなくなっても、別段気にもとめなかった。
二人は二十代でまだ十分若く、子どもも小さくて、きっとその生活はこの先何十年も続いていくのだろうな、と当たり前に思っていたから。
“死にたい”
“消えてしまいたい”
“ずっといまのままなのかな”
“ひまわりさんに会いたいです”
数年ぶりに見たハナミズキさんのアカウントは。
アイコンもバナーもアカウント名もそのままなのに、フォロワー限定公開の鍵がかかっていて。
いつも死にたがっていた。
何日も何日もスクロールしても、ずっと「おはよう」と「死にたい」を繰り返していた。
“死にたい”
“消えてしまいたい”
“ずっといまのままなのかな”
“ひまわりさんに会いたいです”
ハナミズキさんの生活から、ひまわりさんが忽然と消えていた。
* * *
(離婚……?)
フォローしていなかったひまわりさんのアカウントは、どこから調べよう。
私はひとまずハナミズキさんのプロフィール画面に飛んだ。そこには、夫→@でひまわりさんのアカウント名リンクが記載されていた。
私が見ていた数年前から、二人は互いのアカウント名を自分のプロフィールに出していたのだ。
理由はなんとなくわかる。
リアルで美男美女でなおかつ、SNS上ではフォロワー4桁のアカウントだったからだ。
自分は既婚者であり、相手とはSNS上でもつながっていて、事情はなんでも通じていますよ、というアピールをしていたのだろう。面倒よけだ。
ひまわりさんをタップしてみる。
そちらも鍵アカウントになっていて、フォロー外からは現在の投稿は確認できない状態だった。プロフィール欄には妻→@でハナミズキさんのアカウントが記されたままだった。
互いのプロフィール画面に、相手のアカウント情報を残している以上、二人が離れた理由は離婚ではないだろうなと察せられる。
そこで、私はもうかなり相当動揺していた。
自分の生活にはほぼ関わりのない美男美女夫婦に、ここ数年の間に起きたことを思い、はっきりと落ち込んでしまっていた。
ハナミズキさんは、ひとりで子どもの「ガーベラちゃん」を育てていた。
“ほんとうにわたしはだめで”
“ひまわりさんがいないと”
“保育園の書類もうまく書けなくて”
“ぜんぶひまわりさんがやってくれていたから”
“本当にもう会えないのかな”
“こんなことになるなんて、思わなかった”
“ひまわりさんがいないと”
“生きていけないの”
いるべきひとが欠けてしまっている、やるせなさ。
大きすぎる空白。
今日も準備が終わらない、何か忘れている気がする。私はだめな母親。
WEBに向かってひとり呟いて、ハナミズキさんはガーベラちゃんと手を繋いで家を出る。
“いってきます”
“私は毎日、朝から疲れている”
“もう死んでしまいたい”
“ひまわりさんがいない”
* * *
私はハナミズキさんのアカウントの、検索マークをタップする。
ここに単語を入力すると、過去にハナミズキさんがその単語を投稿した内容がすべて一覧となって抽出され、表示されるのだ。
【ハナミズキ FOR ひまわり】
新しい投稿から、ずらりとひまわりさんの文字を含む投稿が表示される。
スクロールして、現在から過去へとたどる。
二人は運命で出会ったとしか思えない仲睦まじい美男美女で、まだ二十代で、小さな子どもがいる。
離婚した形跡はない。
ここまで揃えば、この先彼女の投稿に何が現れるか答えは出ているのに、私は確かめずにはいられなかった。
一年前、ハナミズキさんの誕生日
“わたしだけ時間が止まってる”
“止まってなかった”
“ひまわりさんの年齢になってしまった”
“このまま私はひまわりさんを追い越して行くんだ”
ひまわりさんはこのとき、もういない。
二年前、ひまわりさんの誕生日
“ひまわりさんと付き合い始めた頃”
“私は会社で悩んでいて”
“そんなとき、親切な女の先輩に優しくしてもらって”
“友達を紹介してもらって、みんなに話しを聞いてもらって”
“あーよかった、これで頑張れるって思ったって話をしたら”
“スマホで検索して画面を見せてきて”
“「これ読んで」って”
“宗教だった、それもすごく危ないやつ”
“結構有名なのに私全然知らなくて”
“年上のひまわりさんは、そうやっていつも”
“はじめから、私のこと見守ってくれて”
“さりげないのにすごく頼もしかった”
このときももう、全部過去形になっている。
三年前
“まだ49日が過ぎていません”
“ひまわりさん、まだいますか?”
“私の近くにいますか?”
この49日以内の投稿に、ひまわりさんの最後がある。
私はスクロールして、その日を探した。
* * *
“ぜんぶ書いちゃってから気づいた”
“年齢とか、事故の状況から、アカウントリアルばれする”
“気づいて鍵かけたけど”
“ひまわりさんのアカウントはまだ鍵かけていない”
“ひまわりさんのアカウントから投稿すべき?”
“「妻です。ひまわりは事故で永眠しました」って”
“書けるかな?”
“いま全然わからない”
“ガーベラちゃんが泣いてる”
“泣いてる。どうしよう”
“わかんない”
“ひまわりさんが死んじゃった”
“ひまわりさん、死にました”
その少し前の投稿に、事故から息を引き取るまでの経緯が、詳細に記されていた。
調べればすぐにでもわかりそうだった。
たとえば、死んだ彼の本名。だいたいの住所。
さらに遡る。
その一週間前。
ひまわりさんの手料理、二人の晩酌、ガーベラちゃんが寝ているうちに、という日常の投稿が写真付きであった。
そのときはまだ、誰も数日後のことを知らない。
この先何十年も続いていく幸せな光景がそこにあった。
二人に、余命一週間だと知らせてあげられたら……
(違う、そうじゃない。もし過去の投稿に、その時間軸で投稿できるのなら、私は事故を全部調べて伝えるのに。「そこには行かないで」って。「もっとずっと、二人で長生きをして」って)
時間は絶え間なく前に進み、過去に干渉なんかできるわけがない。それでも、運命を知らぬ二人の生活があまりにもあたたかく、優しい愛情に満ち溢れていて、胸が壊れそうに痛い。
さっきからずっと泣きっぱなしだ。
自分だったら、無理だ、と思った。
この愛を失ったあとに、三年間も生き続けるなんて無理だ。
ハナミズキさんはどうやって生きてきたんだろう。
“死にたい。消えてしまいたい”
“ひまわりさんがいない”
“夢でもいいから会いたい”
ひまわりさんと出会い、ふたりで紡いでいたSNSの中でひとり残されてずっと叫びながら。
(ハナミズキさんは、三年も頑張っているんだ)
それはやっぱり、強いな、と思った。
死にたいと言いながら、死なないで生きてきたのだ。
いつ死ぬかわからない、本人だっておそらくわかっていない。
ある日、そちら側へ気持ちが全部行ってしまうかもしれない。
それでもいまハナミズキさんは、生きている。
鍵をかけた中にたまたま残してもらっただけの、相互フォロワー1。
彼女の人生に何一つ関係していない私にできることは、何もない。
もし下手にアクションを起こしたら「何このひと、誰?」ってブロックされて、鍵の外に放り出されるかもしれない。
たぶんそうなるだろうなと恐れながらも、私は震える指先で彼女の最新の投稿の♥をタップした。
久しぶりにログインして、たまたま目に入った。
まさにその状況の、素直な気持ちで。
夢でも会えて良かったねの意味で。
その一回でブロックされることがなかった私は、それから少しずつ、不審ではない程度に、アカウント復帰がてらハナミズキさんの投稿にイイネを押すようになった。
今日も生きているだけで、もう百点満点だよって。
ガーベラちゃん小学生になったんだね、すごいねって。
なんでもない私の、拒否されないように怯えながら触れるイイネの♥、ささやかすぎる気持ち。
少しでも、あなたに届きますように。
あなたたちが見せてくれた優しい生活に、憧れや幸せな気持ちをもらったことがあるから。
ハナミズキさんに、生きていてほしいから。
* * *
“今日はなんだかすこし、気持ちが軽いです”
“近くでひまわりさんが笑っている気がします”
“ガーベラちゃんも同じことを言っています”
“いまそこに、お父さんがいなかった?って”
“いってきます、ひまわりさん”
“私ね、なんにもできないでいつもひまわりさん頼りだったけど”
“いまでもなんにもできないけど”
“がんばって、ガーベラちゃんと生きてるんだよ”
“ひまわりさん、ゆっくり休みながらでいいから”
“そこで見ていてね”
“ずっと大好きだよ”