10年一昔と言うが、私にとってはいくつもの時代を超えたように感じる。そのくらい、大学最寄りの駅前は様変わりしていた。


 数年ぶりにゼミの同期ラインが動いたのは数日前の3月下旬に差しかかるころのことだった。

 「飯森先生が大学を辞めるらしい。」

 教えてくれたのは、唯一神奈川に残っているペーさんだった。定年まではあと数年あるはずだが、もう今年度末で退官することになったらしい。
 そこから間も無くしてOB会の長になっているキョースケさんからOBラインに退官記念パーティーの連絡が入った。期日はこの週末、3月23日の土曜日。場所は大学近くのホテルの宴会場とのことだった。
 ゼミのイベントは卒業してからコロナの影響で数年中止となり、その間に知っている現役生も皆無となってしまった。先生の誕生日会も疎遠になり、思い返せば卒業以来、本当にゼミに顔出しなどしてこなかった。
 でも、先生の退官は別。
 たとえ知り合いが居なくても、たとえもう時間がなくても、そこに行かなければならないと、気がつけば直感的に準備を始めていた。


 朝のルーティンは大学生の頃から変わっていない。パンを焼いて、コーヒーのためにお湯を沸かしている。変わったことといえば社会人10年目になり、パンは安売りのパンではなくパン屋さんの6枚400円の食パンになり、コーヒー豆は一袋で800円くらいするちょっといいものに変わったくらい。パンに塗るバターも北海道産の600円くらいするものになって、コーヒーに入れる牛乳も300円近いおいしい牛乳になった。多少物価も上がっているのもたしかだが、それだけではない。こういうところにお金がかけられる余裕がある、といえば聞こえはいいが、そのくらいしかお金を使うところがないのが正直なところだった。
 社会人になってからというもの、人との触れ合いが疎遠となっていた。会社の飲み会は、入った頃からないし、飲み屋さんに出かけるなんてこともなかった。就職した頃はお金がなかったし、そもそも外出するのがはばかられたし。そんなふうに過ごすうち、ただ仕事ができる32歳の独身女性ができあがっていた。年々給料が上がる今となっては、お金が溜まる一方で、普段の生活をちょっとリッチにするくらいしか、遣い道がなかった。
 いつもと同じく、バターのいい香りがするパンをほおばり、いつもと同じように甘くまろやかなコーヒーを飲み、空港に向けて身支度を始める。朝の飛行機でとりあえず東京に行き、そのまま退官パーティーに向かう。ちなみに帰りの飛行機はとっていない。そんな時間的余裕がないのが半分と、そのままどこかに旅行でも行って、少しでも年度末の喧騒から逃れようというのが半分。一応、月火の2日間休みをとってある。その気になれば飛行機はいくらでも取れることがわかったし、新幹線を乗り継いでも、帰って来られないことはない。

 空港までは地下鉄と電車を乗り継いで向かう。この10年、多少の部署異動はあったが、私はいまだに札幌勤務。車持ちの同僚も多いが、なくても大して困らないので、いまだに免許すらとっていない。土曜の朝の地下鉄は空席が目立っているが、空港行きの電車は身の置き場に困るくらいの満員電車。新幹線の工事が遅れているのもあり、利用者の割に本数が増やせない状況がもう数年続いている。
 3月の札幌はまだ雪深く、ダウンを着ている人もいる。ただ、この電車は空港行きとあって、春物の明るい薄手のコートを着ている人もまばらにいた。多くの人は色とりどりのマスクをつけ、スマホやスマートウォッチ、指にはめるリング端末から映されるエア画面を見つめている。きっとそこで居眠りをしているおじさんも、メガネの下に仕込んである端末で仕事か趣味のデータを脳に直接インプットしているに違いない。
 これが2030年の日本だ。
 最後に大学の友達と会ったのは、ゼミ室に荷物を取りに行ったときに龍仁と会ったとき。それ以外は卒業発表や卒論前夜にみんなで集まったときくらいだった。いつかキョーコさんが言っていた「会えなくなる」は本当だった。会うどころか連絡も疎遠になっていた。8人もいれば全員に知らせるような用事でもない限り同期ラインは動かないし、いつも居た4人のラインも、ペーさんの電撃結婚以来、丸2年は動いていない。誰が来るのか楽しみで聞いてみたいのもあるが、いまさらなんで聞けばいいのかわからず、誰にも連絡しないまま東京に降り立った。


 実はこんなふうに東京にやって来るのは初めてではない。コロナが落ち着いて旅行に自由に気兼ねなく行けるようになった5〜6年前から、数年に一度、社会人になって3回くらいは東京に遊びに来ていた。どんどん変わる都会の空気を吸って、新陳代謝を上げるというか、少しでも若さを保とうとしていた。
 ただ、大学の最寄駅に行くのは、なんとなく怖かった。
 だからもう、龍仁とさよならをしたあの日以来行っていない。もう学生になれないのが怖くて、もういつも一緒に居た同期になれないのが辛くて、近づけないでいた。


 大学の最寄駅に降り立つと、10年一昔どころではなく様変わりしていた。ツギハギだらけの駅舎はキレイに建て替えられ、何もなかったはずなのに駅直結の駅ビルまで建っている。大学時代にできていたら毎日通うに違いないくらいオシャレな駅ビルだ。
 泊まるホテルはいつかキョーコさんが泊まっていた大学の最寄駅近くのホテルにした。同じホテルのはずなのに、あの頃グレーだった外観は真っ白に洗練され、目立たなかった看板は金縁のオシャレなものに様変わりしていた。チェックインはすべて自動で、機械の前でマスクを外すと必要なアメニティ出しから精算まであっという間に終わってしまった。
 部屋に入る時には、スマホしか使わない。ホテルの鍵というものはこのホテルからは無くなっている。かざすだけで鍵が開くと、落ち着いたベージュの部屋が広がっていた。
 キャリーケースを置き、ベットの上に寝転がる。天井は白く、何も置いていない。空調の音はしないが、適温に保たれている。右を振り向くと、どこか懐かしさを感じる青い空が広がっている。ドラマにありそうな透明感のある水色で、雲はわたあめみたいにふわふわと端の方が糸のように浮かんでいる。この空の下で、私は青春を過ごしていたのだ。進学のために引っ越してきたのもこのくらいの時期。どこか消化不良のまま仙台の宿舎まで引っ越したのもこのくらいの時期。私の節目にはこの青い空がいつもあった。そんな時代が10年前にあった。
 そんなことをベッドで考えても、パーティーの時間まで、まだ3時間以上あった。「せっかく来たのだから」と、重い腰を上げて、大学生の頃に通っていた街へ繰り出した。