鈴香と出会って2週間が過ぎた。


 俺は、人気が全くと言っていいほど無い校舎を進み、保健室に入る。


「おはよう」


「ん、おっはよー、こうくん!」


 今日の鈴香は、珍しく保健室の奥、俺の隣に用意されていた机に腰を下ろしていた。彼女の目の前には教科書とワーク。勉強中らしい。


「珍しいな、朝から勉強なんて」


「だって、今日から補習じゃん」


「まぁ、そうだな」


 夏休み真っ只中。にも関わらず俺らが学校を訪れているのは、単位を取るためだ。大多数の生徒が休暇を満喫している中、俺らはこうして勉強しなければならない。保健室登校をしているのだから、当たり前と言われれば当たり前なのだが。


「ほんとは朝から勉強なんてごめんなんだけどね。このままじゃ単位取れなくて留年だって先生に言われちゃったし」


「3年生だもんな」


「もー、そんなこと言わなくていいよ!」


 鈴香は少し嫌そうに言った。彼女を平気でからかう俺だが、2年だからと言って油断はできない。ここで挽回していなくては。


 俺は鈴香の隣に荷物を置いて、同じように教科書とワークを広げる。そこからは、2人して黙々と問題を解いていった。


 シャーペン、時々ボールペン。ただ二つのペンが織りなすリズムが小さな部屋に響き渡る。一言で表せば、静かだった。


「あの、鈴香」


「ん、何?」


 彼女はペンを止めずに耳を傾ける。


「鈴香は、なんで保健室登校になったんだ?」


 唐突すぎる質問だとは自分でも思う。ずっと、聞くかどうか迷っていた。だが、やはり気になってしまった。


 カリカリカリ……。シャーペンが紙を走る音だけが鼓膜に届く。鈴香のペンに止まる気配は無い。


 やっぱり答えにくいよな、と諦めて問題演習に集中しようとした、その時だった。
 

「私ね、人より体が弱いみたいんだ」


「えっ」


 唐突な告白に、思わず手を止める。いや、ちゃんと答えてくれたことにすら、俺は驚いていた。



「体が、弱い……?」


「そっ。だから、病気とかにかかりやすくてさ。お陰でみんなみたいに普通の学校生活、あんま送れてないんだ」


「そうだったんだ。……なんか、悔しいな」


 素直な感想だった。ただ、心に思い浮かんだ言葉を口にした、それだけ。


 だが、鈴香は過剰に反応する。


「え、悔しい?」


 どうして、と言いたげな瞳。真っ直ぐと俺を見つめる視線に、俺はペンを置いて重心を後ろにかける。なんの変哲もない壁を見つめ、なんとかこの感想を導くための言葉を探した。


「うん。だって、健康な体だったら普通に教室に行って、普通に授業を受けて、普通に友達と遊べてたんだろ。鈴香だったらきっと友達も多いだろうし、楽しい日々になったんじゃないかって。そう考えたら、悔しいかなって」


「悔しい、か……」


 鈴香もペンを置いて天井を仰いだ。


「うん、悔しい。こんな体のせいで、人並みの楽しみを味わえないからね」


 切なそうな笑みを浮かべる鈴香を見ていると、言って良かったことなのかどうか少し戸惑った。だが、次の彼女の言葉に、俺は安心させられる。


「なんか、そんな風に言われたの、初めてだな」


「あの、なんかごめん」


「なんで謝るの?むしろ感謝してるんだけど」


「えっ」


「だって、今までのほとんどは憐れまれたことだったからさ。可哀想とか、大変だねとか、自分がなっているわけでもないのにそんな言葉言われてもなぁって思ってたから」


「……」


「だからさ。そう言う、正直な気持ちを言ってもらえた方がずっといいし。それに、お陰で、今、自分の気持ちにも気づけたから」


「自分の、気持ち……?」


「そう」


 鈴香は目線を足下に落とす。それに反して、彼女の表情はどことなく柔らかくなった。


「私、悔しかったんだ。ずっと、同級生の姿を見て、胸がモヤモヤして、だけどそれがなんなのか分からなかった。多分それは、悔しさだったんだね」


 きっと鈴香は、俺に気を遣うとか、そんなことは一切考えていない。本当に、今の今まで分からなかったんだと思う。


 彼女はようやく俺の方を向いて、それから、今までで一番と言っても過言では無いほど嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう、こうくん」