私には、母の方のおばあちゃんがいた。父の方のおばあちゃんは、私が産まれる前に亡くなっているので、かけがえのない家族だった。

「まなみちゃん、明けましておめでとう」

「まなみちゃん、久しぶり」

 家は少し離れているので高頻度では会っていないが、すごく優しくて温かいおばあちゃんが大好きだった。

【2023年、4月】

 私が中学校を入学し、やっと中学校生活に慣れていたころ。おばあちゃんが精神的な病気になってしまった。

「お母さん、大丈夫?」

「大丈夫です、ごめんなさい、ありがとうございます」

 私のお母さんに対しても、身内に対しても敬語を使うようになった。認知症じゃないので私のことは覚えているし、普通に体は元気なのが唯一の救いだった。

「まなみちゃん、いつもごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 けれど、私に対しても敬語だし、おばあちゃんは何も悪くないのに、謝ってばかり。その状況は本当に辛くて、悲しくて、切なかった。

【2023年、8月】

 夏休みが終わると学校が忙しくて会う機会が少なくなってしまうので、おばあちゃんに会いに行った。

「まなみちゃん、本当にいつもごめんなさい、これ受け取ってください」

 そう言っておばあちゃんは私に二千円を渡してきた。私は、涙が溢れそうになった。……私が欲しいのは、お金じゃなくて、いつでも寄り添ってくれた前のおばあちゃんなのに。

「……ありがとう」

 けれど私はそう言って笑みを浮かべ、手を振って家へ帰った。この日が、最後になるとは思わずに。

【2023年、9月】

おばあちゃんは、ドクターヘリで運ばれた。

 私は一言で言うと、絶望だった。確かに心の方では病気を抱えていたけれど、数週間前までは元気だったあのおばあちゃんが。ドクターヘリで運ばれただなんて。

「お母さん、おばあちゃんは生きているんだよね? 元気なんだよね?」

「……今日が山場みたい」

 物語でよく聞く、山場。この状況の山場というのは、今日が亡くなる可能性が高いということだ。……本当に、信じられなかった。

「おばあちゃん、生きたみたいだよ」

 次の日、お母さんにそう告げられた。私は、心の底から嬉しいという感情が溢れ出てきた。

「じゃあ、お見舞いとか行かなくていいの?」

「……おばあちゃんは、もう目を覚まさないって言われたの」

 またもや私は絶望した。もう目を覚まさない……もうめをさまさない……モウメヲサマサナイ。
 私は本当に、信じられなかった。ただただぼーっと立ち尽くし、一人で涙を流していた。

【2023年、10月】

 10月に、初めておばあちゃんの病院へお見舞いに行った。

「お母さん、分かる? まなみだよ、まなみが来てくれたよ」

 そう、お母さんがおばあちゃんへ話しかけていた。寝たきりのおばあちゃんに。その光景を見て、私は本当に悲しかった。

 心の病があるおばあちゃんとは、正直話したくなかった。寄り添ってくれた、私の味方のおばあちゃんに……前のおばあちゃんに、会いたかっただけなの。
 もっと話していれば良かった。手遅れになる前に、もっとおばあちゃんと話していれば……。その後悔が、今もずっと残っている。