・【火曜日の気持ち】


 登校したはしたんだけども、もう憂鬱というか。
 今から放課後の、真凛の兄に会うことが重苦しく感じていると、俺の傍にやって来た瑠璃がこう言った。
「いや疲れ過ぎサラリーマンじゃん、どした、どした?」
 ……ここでハッキリ真凛の兄が苦手とは言えないし、そもそも言っても分かんないだろうし、いや、友達なら真凛の兄の厳しさくらい分かるもんなのか?
 でもこれを言ったら真凛の家庭への陰口になってしまうので、絶対言えないなと思って、
「何でもないよ」
 と答えたんだけども、そんなんで止まる瑠璃でもなくて。
「いやいや、絶対何かあるじゃん。悩みなら聞くけど?」
「無いって、大丈夫、何かちょっと腹痛あるだけ」
 本当は腹痛も無いんだけども、否、もはや若干あるかもしれない、それぐらい憂鬱かもしれない。
 瑠璃は懐疑的な表情で、
「本当か? 何か精神的な顔だったんじゃん」
「そんなことないって」
「いやいや、こういうのは吐き出したほうがいいこともあるからさっ、何? もしかするとあたしのこと信用していないの?」
 そう言って不満そうな顔をしてきた時にまたトラウマが想起されて『うっ』となってしまった。やっぱりこう、こういう面持ちをされるとマジでキツイ……もう言うしかないかもしれない、まあちょっとくらい愚痴をこぼしても、バチは当たらない……か? だってここまで聞かれているんだから、逆に言わないと失礼というか、そうそう、そんな感じだ。
「じゃあ言うけどさ、俺今日、真凛の家へ行ってまた真凛の兄と会わないといけないんだ。知ってる? 真凛の兄ってちょっと性格がキツイんだよね」
 するとずっと立って俺のことを見下ろしていた瑠璃は俺の隣の席に座ってきて、手を握ってきたので、急にどうしたんだと思っていると、
「めっちゃ知ってる! 真凛の兄ってヤバイよね! 人が喋ってるのに何かずっとゲームしてるし!」
「えっ、あ、知ってる? 知ってるの?」
「知ってるよぉ! アイツ、マジこっちを乗らせるとか考えないよね!」
「アイツって言い方……俺を越えてくるなよ」
「いやでも実際すごいんだって! えっ! アイツと会わないといけないのっ? 何でっ?」
「多分進捗を聞いてくるんだと思う」
「真凛から聞いてるからいいだろうにねぇ!」
「まあそうなんだけども」
 ……何だこの瑠璃の熱量。ゆうに俺を越えてきている。
 もしかすると、
「瑠璃って、真凛のゲーム作りを手伝ったことある?」
「あるよ! 昇介もあるはずだよ! でもみんな真凛の兄の壁に叩きつけられてさ!」
「壁に叩きつけられるんだ」
「もうもはやそうだよ! 壁なのにズダンと叩きつけてくるんだよ! せっかく良かれと思って言ってるのにさ! それであたしは心が折れちゃったってわけ!」
「そうだったんだ……」
 と先細りの声が出てしまった俺。
 瑠璃は俺の声が弱くなったことに敏感に気付き、
「えっ?」
 と言いながら後ろを振り返ると、そこには俺と既に目が合っていた真凛が立っている。
 瑠璃は席から飛び上がるくらいの勢いで、
「真凛! これは! でも! 事実!」
 と叫んで、押し通すほうでいくことにしたんだと思った。
 すると真凛は溜息をついてから、
「まあ確かにねぇ……お兄ちゃんはちょっとキツイもんねぇ……」
 と言いながら、俺の前の席に座ってから、
「だよねぇ……夢限が嫌なら会うの止めようか……進捗伝えるだけならアタシも毎日やっているしぃ……」
 いやでも、と思って俺は、
「ちゃんと改めて詰めないといけない部分もあると思うから、俺はちゃんと真凛の兄と会うよ」
 と答えると、目がパァッと明るくなった……瑠璃が、
「すごっ! 夢限は大人過ぎ! めっちゃ大人じゃん! やっぱあたしとは全然違うわぁ!」
 その瑠璃がテンション上がったところに、いつもテンションの高い真凛が少しヒいていた。
 そんな感じで朝の時間、授業、昼休み、授業も終わり、放課後になった。
 瑠璃は俺に、
「ファイト!」
 と言い、昇介も俺とがっつり握手しながら、
「やってやれ! 夢限ならできる!」
 と激励してくれた。
 マジでみんな真凛の兄のこと、アレだと思っていたんだ。
 じゃあ俺がコミュ障過ぎたわけじゃないんだと思って、何か心強かった。
 真凛の家へ行く道中、真凛が少し不満そうな顔をしている。
 ちょっとだけ『うっ』となりかけていると、真凛がこう言った。
「別にお兄ちゃんはそんな干渉してくるわけでもないから、全然アタシの家へ遊びに来ていいんだよ!」
「いやまあそうかもしれないけども、うるさくしていると悪い感じするじゃん」
「いやもっと遊びたいって言ってくれないとアタシ泣いちゃうよ!」
「泣かれるのはマジで困るな」
 と答えておくと、真凛は泣きべそかいているようなポーズをとってから、
「ほらもう泣いちゃったっ」
 と舌を出して笑った。
「全然泣いていなかったから」
 とちょっと冷たく返しておくと、
「心はすごいから!」
「表に出してよ」
「そんな虎屏風の一休さんみたいに言われても!」
「それは出せないという意味じゃん」
「マジか! ミス!」
 と声を荒らげた真凛に笑ってしまった。
 あっという間に真凛の家の前まで来て、一気に憂鬱感が出てきた。
 ヤバイ、いざとなったらまた緊張してきた。
 でもまあこの真凛がずっといてくれるはずだから大丈夫なはず。なはず。
「おじゃまします」
 と言いながら入ると、真凛が、
「全然邪魔しちゃっていいよ」
 と言って俺の前で通せんぼしたので、
「いや真凛が邪魔するなよ」
 とツッコんでから踵を返して、真凛の家からマジで出ようとすると、真凛が慌てて、
「嘘うそぉっ! マジ帰宅は止めて!」
「分かってるよ、三人で進捗話すんだろ?」
 と俺が言うと、真凛が急に『うっ』というような顔をして、何だ、オマエは俺かと思っていると、真凛が言いづらそうにこう言った。
「いや、アタシからの進捗は毎日聞いているから、お兄ちゃんは夢限とサシで聞きたいって、言うヤツね、って言うユーモアねっ」
 聞いてない。全然聞いていないし、これ、意図的に言ってなかっただろ。
 まさか真凛にそんなマリーシアがあったなんて。ちょっとショック。
 やっぱり女子ってこういうところあるよな、と少しげんなりしながら、俺は真凛に促されるまま、真凛の兄の部屋をノックした。
「夢限です。入ります」
「はい」
 真凛の兄・一閃さんの声が聞こえた。
 俺は一人で一閃さんの部屋へ入ると、この前と同じように、一切こっちを振り向かず、ゲーミングチェアに座って机のほうを向いている一閃さんがいた。
 しかもここも一緒でコトバシレのBGMが流れている。この人、マジで人が来てもコトバシレやってるな。
「あの、早速進捗の話ですが」
 と俺ができるだけ丁寧な言葉の置き方で喋ると、一閃さんはこう言った。
「いいよ、進捗は真凛から聞いてるから、君から聞くようなことはないよ」
「えっ、じゃあ何で」
 とつい、タメ口っぽい感じの声が反射的に出てしまうと、
「何で君はそんな一生懸命ゲーム作りを手伝ってるの?」
 一切こっちを見ない一閃さんのしているだろうコトバシレのBGMがずっと流れている。
 まさかこんなことを聞かれるなんて、と思ったけども、これは答えられるので、普通に答えることにした。
「俺自身もゲームが好きで、ゲーム作りに興味があって、やってみたら楽しくて、ずっと続いているという感じです」
「じゃあさ、真凛のことどう思う?」
「えっと、大切な友達です。俺は友達が少ないので、本当に大切な友達です」
「異性として好きとかじゃないのに続けてるんだ?」
 急にそんな核心というか、シュガースポットを突かれてしまって、いやシュガースポットは違う、あれはバナナの黒点だ。脳が混線してしまった。まさか本当にこんなこと言われるとは思っていなかったから。マジで急に何を言ってるんだ、この人は。
 相変わらずコトバシレのBGMが流れていて、それは勿論コミカルなミュージックで、でも今の場には完全に合っていなくて。マジで今、どういうRPG?
 一閃さんはまた言葉を発した。
「真凛目当てて手伝うとか言い出した男連中もいたけども、みんな辞めていった。でも君はゲーム作りが好きで続けているんだな」
「はい、ゲーム作りはマジで好きなんで」
「真凛のことはどう?」
「だから友達として、その、友達として好きです」
 と答えたけども本当はどうなんだろうか。やっぱり異性としても好きなのか、って”やっぱり”なんて言葉が浮かんでしまうのならば、そうなんだろうなと自分で分かった。
 それはもう本当、騙し騙し自分の中でしているけども、やっぱり真凛のことは好きなんだと思う。異性としても。
 だからって、それを今、兄に言うか? って話もあって、と思っていると、一閃さんがこう言った。
「まあ好きなら応援するけどね、そんな真面目にやるヤツ初めてだから」
「えっ?」
 と生返事をしてしまうと、一閃さんのハハッという笑い声が聞こえてから、
「やっぱり好きなんでしょ、真凛は僕と違って良いヤツだからね。いいよ、いいよ、僕はいくらでも応援してやるよ、進捗聞いても君はすごく良いみたいだから」
 その応援してやるよ、という言葉に何だか気持ち的に軟化してしまい、つい、俺は、
「というかコトバシレ、好きなんですね。ずっとやってますね」
 と言ってしまうと、一閃さんはさっきよりも豪快に笑ってから、
「別にこれは好きじゃないけどもね!」
 と言ったので、何か言ってることと感情が違うっぽいと思った。
 また、何かここをほじくってもしょうがないような気がしたけども、俺が言い出した会話のテーマなので、もう少し繋げるかと思って、
「えっ、でもやってるじゃないですか、俺はめちゃくちゃ好きですよ」
 と言ってみると、一閃さんは「あー」と言ってから、
「あぁ、これね、態度悪いと思ってたでしょ? 遊んでんじゃないの、僕、コトバシレのメインプログラマーなんだよ」
「えぇぇえええ!」
 めっちゃデカい声が出てしまった。
 でも自分の好きなスマホゲームに関わってる人が目の前にいるなんて、と思ったらテンションが上がってしまい、何かもうめちゃくちゃ饒舌にコトバシレ愛がほとばしってしまうと、一閃さんは笑いながらゲーミングチェアを回してこっちを向いて、
「そんな熱量あるんだ、何か目の当たりにしたの初めてだから可笑しいなっ」
 と優しそうに笑ってくれて、あっ、別にこの人、怖くないかもと思ったその時だった。
「終わったぁ?」
 と言ってノックもせずに真凛が入ってきて、真凛のことが目に入った瞬間、さっきまで話していた異性として好きかどうかの話を思い出してしまい、心臓が高鳴ってきた。
 一閃さんは笑顔で、
「まあ僕はいい感じかな、やっぱり夢限くんで良かったよ」
 すると真凛さんは快活に笑ってから、
「そうだよねぇ! 夢限は最高だよねぇ!」
 と言ってから、
「じゃあ夢限! 今日は一緒にアタシの部屋でゲームでもするぅ?」
 でも俺は反射的に、
「今日はあの、大丈夫です……また今度ということで……」
 すると真凛はすごく残念そうに、
「そっかぁ! でもまあ気分とかあるもんねぇ! じゃあまた絶対アタシの家に遊びに来てね!」
 と言ってそのまま別れた。
 帰ったあとにやっぱり一緒に遊んだほうがいいかなと思ったけども、この心臓の飛び跳ね具合はヤバイので、こうなったことはもうしょうがない。
 やっぱり俺って、真凛のことが好きなんだろうなぁ……でも高校になって初めてできた友達なわけだから、友達としての関係も大切にしたいし……。
 一体どうすればいいのだろうか。