心臓の動悸が止まらない。そんな中、うっすらと目を開けた彼は私の姿に気づいた。

「エリ……ちゃん……?」

 夢現状態の彼に返事をする。

「うん、エリです」

 途端に、彼は目を見開いて驚いている。

「え、何でここにエリちゃんが……」

 どこから話せばいいのだろう。死んだシロが人間になって会いに来たなんて突拍子もない話を心の底から信じていた私が言うのもおかしいが、幽霊のシロにここまで案内されたと言って信じてもらえるだろうか?

「えっと、教えてもらったの」

 誰に、の部分は伏せて答える。彼の顔がこわばる。

「私たち、昔ここで会ったことあるよね。私が事故に遭った時。えっと、お久しぶり」

 私がそう続けると、彼は観念したように謝罪する。

「ごめんね。僕、エリちゃんのこと騙してた。シロ君にも、本当にごめんなさい」
彼は一筋の涙を流した。
「許してなんて言わないけど、泣かないでほしいって気持ちだけは本当でした。僕のこと恨んでもいいから、昔の明るいエリちゃんに戻ってほしい、なんて僕に言われたくないよね。ごめんなさい」
 息も絶え絶えに起き上がった彼に、頭を下げられる。
「怒ってないよ! シロも私も、怒ってないよ。だって、私をここに連れて来てくれたのはシロなんだよ!」
 シロが幽霊になってでも彼がここにいることを教えてくれた。忘れていた大切なことを思い出させてくれた。私の代わりに彼を見つけてくれた。シロが怒っているわけがない。
「私が落ち込んでたから助けてくれたんだよね」
 ずっとふさぎこんでいた私を街に連れ出してくれたのは彼だった。久しぶりに何かを見て綺麗だと思えた。楽しいという感情を思い出した。チョコレートの味が分かるようになった。ちゃんと笑えるようになった。
 シロが成仏できないほど心配をかけていた私を立ち直らせてくれた。
「看護師さんたちが、エリちゃんのこと話してるのを聞いたんだ。それで、いてもたってもいられなくなって病室抜け出しちゃった」
「それで、具合悪くなっちゃったの?」
「大丈夫。あの日はちゃんと通りすがりの親切な人が救急車呼んでくれたから……」
 救急車を呼んだと言うことは倒れたと言うことだろう。
「何で、そんな無茶したの。命にかかわるかもしれないのに」
 声が震える。
「確かにちょっと寿命縮んだかもしれないけど、誤差だよ。元々、10歳までに死ぬって言われてたし。ただ、最近また具合悪くなって、どうせ何もしなくてももうすぐ死ぬんだろうなって。体感だとあと1ヶ月くらいだったし、最後にエリちゃんに会えるなら本望だったから」
「何で、私のためにそこまで……」
「100%エリちゃんのためだって言えたらカッコよかったんだけどね。残念ながら下心があった。初めて会った時からエリちゃんのことずっと好きだったから。ごめんね、気持ち悪いよね。人として最低だよね」
「気持ち悪くなんてないよ! それに、シロだってきっと言葉がしゃべれたら史郎君にありがとうって言うはずだよ!」
 シロのことは私が誰よりよく分かっている。
「信じられないと思うけど、さっきまでシロがここにいたの。かくれんぼで私のこと見つけた時みたいに、史郎君のことペロペロしてた。シロは友達とか家族にしかそういうことしないの。ねえ、覚えてる? いつか3人でかくれんぼしようって約束してたの」
 私の言葉を聞いて、彼は大粒の涙を流した。しかし、その顔は嬉しそうだった。
「覚えててくれたんだ……。そっか、僕は約束守れなかったけどシロ君が会いに来てくれたんだね。本当にシロ君には頭が上がらないや……」
「信じてくれるの?」
「うん、僕が信じたいから」
 彼の言い方には含みがあるような気がしたが、シロの魂の存在を信じてくれたことが嬉しかった。

 突然、彼が咳き込む。
「大丈夫? 起き上がってるの辛くない? ナースコールしなくて平気?」
「うん。心配させてごめんね。昨日まで指動かすのもきつかったんだけど、エリちゃんの顔見たら、ちょっと元気になった。って言っても、もう病室出るのは無理だけど。生きてたらいつかエリちゃんに会えるかなって信じてたら、予定より長生きできたし、エリちゃんが僕に命をくれたんだ。変なこと言ってごめんね。でも、本当に好きだったから、ずっと忘れられなかった」
「私も史郎君のことが好き」
 私は反射的にそう答えた。これは100%の本心だ。彼はシロの幽霊の話をした時よりも遥かに驚いた表情を見せる。
「それは僕がシロ君に成りすましたから……」
「それでも、あの日私と一緒にいたのは史郎君でしょ?だから、私が恋をしたのは史郎君だよ!」
彼が驚いて目を見開いた。驚くのも無理はない。今の今までずっと忘れておいて、再会して1日遊んだだけで「好きです」なんて言って信じてもらおうなんて都合のいい話だと思う。
「ほんとに……?」
「うん。あの日史郎君と一緒に過ごして、楽しくてあったかい気持ちになれたの。キスした時、すっごくドキドキした。気づいたら、史郎君のこと好きになってた。だから、ごっこじゃなくて、ちゃんと恋人になろうよ」
 彼が涙を拭ってはにかんだ。
「シロちゃんでいいよ、エリちゃんにそう呼ばれるの、大好きだったから」
他の誰かと同じ名前で呼ぶのも失礼だと思って、本名を呼んでいたが、不自然さは見抜かれていたようだ。その時、空の上から、誰かの声が聞こえた気がした。

(エリちゃん、幸せになってね)
おじいちゃんみたいにしゃがれたその声はとても懐かしく優しかった。私たちは2人で天を仰いだ後、顔を見合わせる。きっと彼にも同じ声が聞こえたのだろう。そうだ、あの子が応援してくれている。だから、後悔しちゃいけない。

「シロちゃん、好きだよ」
「僕もエリちゃんが大好きだよ」

 私たちは愛を伝えあう。ごっこ遊びじゃない、嘘も勘違いもない、本当の恋人同士として。そして、私は改めて提案する。

「ねえ、やっぱりしようよ。2人だけの結婚式」
「えっ、でも、もう教会までなんて行けないよ」
「うん。だからここでするの」

 私はベッドから白い掛布団を借りて被る。花嫁のヴェールの代わりだ。端から見ればおままごとやごっこ遊びにしか見えないけれど、私はいたって本気だ。
「私、小早川エリは、シロちゃんのことを一生愛して、幸せにすると誓います」

 指輪もないし、口上もお作法も何も知らない。それでも、せめて形だけでも、この恋を「永遠」にしたい。

「僕はエリちゃんのことをこの命がある限り愛し抜くことを誓います」

 シロちゃんもそう返事をしてくれた。私たちは見つめ合い、どちらからともなく唇を重ねた。誓いのキスは、やっぱり少しだけチョコレートの味がした。

 この恋がハッピーエンドになる可能性は限りなく低いのかもしれない。それでも、私たちの不器用で苦い恋に残された時間が少しでも甘いものになることを神様に祈った。