私と彼の関係を表す言葉は、世間一般的に表現すると幼馴染・・・だと思う。幼稚園から中学校まで一緒だったから。
 ただ本当にそう称していいのか微妙な所だ。確かに一緒の学び舎で生活してきたが、文字通りそれだけで何の接点もなかったから。会話した回数なんてかろうじて2桁は超えるだろうが、絶対に30回いくかいかないかぐらいだと思う。これだけ念を押したくなるほど私と彼の関係は希薄なものだった。
 でもそのたった数回のなかで印象的な出来事がある。


 一回目は小学六年生の体育の授業でのこと。
 真冬なのに防寒具の着用は手袋しか許されず、ただの長袖Tシャツに半ズボンのまま校庭に出てサッカーなんて今考えると正気に沙汰じゃない。みんな一様に縮こまり震えていて、暖かそうなジャージを着ている担任の先生を恨ましそうに見ていた。
 ここまではいつもの光景だ。問題はこの後。
 ぬくぬくと着込んで熊みたいな体型になった担任が、男女ペアを組んでパスをしあうように指示したのだ。担任がペアを決めるのならまだよかった。だが自由に組めという。
 このとき私は「終わった・・・」と静かに絶望した。なんせ私は生まれてこの方男子というものが苦手だから。全く話せないわけではないが、気軽に「ペア組も~」と誘えるような間柄の人はいない。

 顔には出さず内心動揺していると、何故か私の苗字が呼ばれた。

 振り返ればサッカーボールを持った彼がいた。「行くぞ」と私に呼びかけ笑っている。
 正直幻聴か疑った。でも彼の視線は間違いなく私に向いていたので恐る恐るついて行って一緒にウォーミングアップをした。
 私は運動が大の苦手なのでサッカーボールをいろいろな方向に飛ばしてしまいずっと申し訳なかったが、彼はしっちゃかめっちゃかな方向に転がっていくボールを笑いながら追いかけていた。
 変な所に蹴って「ごめん」は言えたのに、ペアに誘ってくれて「ありがとう」は照れくさくて言えなかった。


 二回目は中学一年生の数学の授業でのこと。これは正確には会話と呼べるのかわからないが──いや確実に違うが──とても感謝しているのでここに綴っておく。
 唐突だが私には嫌いな人がいる。小学校時代から何かとちょっかいをかけてきた男子で、小学一年生の時に私は何もしていないのにいきなりお腹を殴られた時から心底軽蔑している。
 何で話が反れたかというとその男子と隣の席になってしまったからだ。ただ隣になるだけなら視界に入れなければいいので、確実にストレスはたまるがまだましだった。小学校と違って席をくっつける必要はないし。
 だが数学の時間は別。先生がペア学習だとか言って机を近づけなければならない。中学生という思春期真っただ中の時期なのできっちりかっちりくっつける人はほとんどいないが、奴(嫌いな男子のこと。もっと丁寧な表現はあるがあまり使いたくないほど受け付けていない)は先生が机をくっつけるように指示した途端、何を思ったのか勢いよく机をくっつけてきた。そのせいでカコーンて音がした。幸い教室中には響き渡っていなかったけど。それでもぞわっと鳥肌が立ち、すぐさま先生に注意されない程度に距離を取った。私の必死の抵抗も空しく、ニチャニチャ笑いながらガコンと引っ付けてくる。もう一回距離をとっても結果は同じだった。この時の私の心情は道端で変態にじわじわと追い詰められる女子と遜色なかっただろう。奴のことが生理的に受け付けなさ過ぎて嫌悪感があふれ気持ち悪くなってきた。
 その時、後ろから救世主の声が聞こえた。

「やめろよ。嫌がってんだろ」

 彼だ。
 中学校に入学してから、よりいっそ関わる機会がなくなっていたのに助けてくれた。
 奴は彼に注意されてばつが悪そうに机を離した。彼の方が発言力があるからだ。女子間では大した権力差はなかったが男子にはあったらしく、彼は上層部のグループに属していた。
 彼のおかげで気持ち悪さが和らぎ、息がしやすくなった。
 振り返って助けてくれて「ありがとう」と言おうとしたが、先生が授業を始めてしまい伝えるタイミングを逃してしまった。


 三回目は中学一年生の合唱コンクールシーズンでのこと。
 私は小さいころからピアノを習っていたため伴奏者に抜擢された。
 だが歌に合わせてピアノを弾くことなんて初めてで苦戦し、本番までに仕上げることが出来るのかというストレスから体調を崩した。このとき友達にハブられ気味だったから人間関係にも悩んでいたし、とにかくまぁいろいろなことが重なり、朝ご飯を食べると吐き気を覚え、食べ物が消化される前に戻す毎日を送っていた。それに伴い咳も出て声がかすれていく。
 しかも運の悪いことに女の子の日と被り、貧血で倒れてしまった。それ以来数分間立ったままでいるとふらふらしてくるようになり、とても合唱できるような状態ではなくなった。だから教室練習のときは先生に椅子を用意してもらい、クラスメイトの合唱をぼんやりと聞いていた。このときには上手く声が出せなくなっていた。
 教室練習が終わり、後ろに下げた机を元の場所に戻すためにみんなが動き始めたところで私は急いで立ち上がった。私の席は前から二番目なので、私がもたつくと後ろの人に迷惑をかけてしまう。

 でも、私が机を移動させようとした時にはすでに、後ろの席の彼が自分のものと一緒に運んでくれていた。

 彼はまるで自分が運ぶのが当たり前かのようにそうしてくれた。彼の優しさに心が温まった。すぐにお礼を言おうとしたけれど、声がかすれて出なかった。だから会釈することしかできなかった。悔しかった。
 私はまた、彼に「ありがとう」を言いそびれた。


 最後も三回目と同じく合唱コンクールシーズンでのこと。
 帰りの会が終わり、英語係として宿題のワークを職員室に持っていこうと立ち上がった。
 そのとき隣に彼がやってきた。

「それ、一人で大丈夫?」

 それとは積み上げられたクラスメイト全員分のワークのこと。おそらく体調が悪いのに一人で運べるのか心配してくれたんだと思う。このとき「大丈夫じゃない」と答えていたら一緒に運んでくれたのだろうか。その答えは迷宮入りした。だって私は「(友達と半分に分けて運ぶから)大丈夫」と答えたから。何でこんなに返事が短いのかというと、さっきから言っている通りうまく声がでないくらい体調を崩していたから。友達が来たことで彼は納得したらしく帰っていった。
 いきなり声をかけられたので動揺したが、あとから思い返してみると、心配してくれて「ありがとう」と言えばよかったと悔いた。


 こんな感じで私はことごとく彼に「ありがとう」を言いそびれている。
 だからその後悔をここに残す。

「ありがとう」って言えなくてごめん。

 ・・・って今更言っても彼は覚えていないだろう。それほど彼にとっては些細なことだろうから。
 だから私もわざわざ掘り返して言うつもりはない。

 でも、私はちゃんと覚えておくし、成人式であんたの姿を探すと思うよ。きっと。
 そしてこれからも後悔し続けるだろうね。


 私と彼の関係は幼馴染と称するには風邪に吹き飛ばされてしまいそうなほど薄っぺらいもので、ましてや恋や愛なんて微塵もなかったけど、私にとって、彼は優しい人でした。