「……はあ、はあ……はあ……」

 降りしきる雨が、ぐったりと座り込む、死にかけの男の体を濡らしていた。
 雨は、男の何度も切り裂かれた銀の鎧の隙間に流れ込み、体に深く刻まれた傷口から血を伴って真っ赤な川を作っている。
 事切れそうな意識の中で、男の唇が震えた。

「ああ、…うう、……ニン、フェア…。ニンフェア、そこに、いるのか…?」

 死にかけの男の声が呼んだ名。
 少女は返事をする代わりに、その白く細い手で、男の顔を覆い隠す兜を外した。

 銀の兜の中から、細かな皺と無精髭に覆われた、血の気の失せた顔が現れた。
 男はその濁った目に、少女ニンフェアの若々しく美しい顔を映す。するとほんのわずかだが、彼の顔に生気が蘇った。

「……ああ、ニンフェア。良かった…怪我は、ないか…?」

 相手よりも、自分のほうが今にも死んでしまいそうな酷い怪我をしているのに。闘士であるフレトは傷つくことに慣れきってしまっているのだ。『ニンフェアの代わりに傷つくこと』に。

 フレトと相打ちになった巨大な大蛇竜は、首を切断されて地に伏している。そばにはフレトの得物である、巨大な首狩り斧が横たわっている。
 永遠の命を持つと云われていた魔物も、首を落としてしまえば二度と起き上がることはなかった。『永遠の命』の噂は真っ赤な嘘だったのだ。

 そんな眉唾の真偽を確かめるために、フレトは瀕死の怪我を負ったというのに。

「ないわ」

 ニンフェアは淡々と、それだけを答えた。

「……ああ。良かった。君が無事なら、俺は幸せだ………」

「血が止まらない」

「……そうか…ニンフェアの、薬でも、治せないな……」

 これまでニンフェアはずっと、調薬師として闘士フレトと行動を共にしてきた。病気や疲労であれば、彼女の薬術で治すことは可能であった。

 だが今のフレトは、もう手遅れの状態だ。彼女が背負う薬箱に貯蔵されている無数の薬草。そのいずれの配合パターンを考えても、彼を救える可能性は見出せなかった。
 調薬師の自分がどれだけ手を尽くそうとも、彼の命が流れ落ちていくことを止められはしないのだと、ニンフェアは察する。

「俺はとうとう、あれを、見つけることが、できなかった……。不甲斐ない、男で…ごめんよ……」

「…………」

「…ニンフェア、最後に、言わせてくれ……。俺はずっと、永遠に…君を、愛してる……。たとえ君が、俺を、…愛していなくても……」

 美しい少女の腕に抱かれながら、闘士フレトの48年の生涯が、今静かに幕を閉じようとしていた。


***


 ーーー9年前・闘士フレト39歳ーーー


「はあ、はあ、はあ…!!」

 狩猟組合(ハンターズギルド)の施設内。長い長い廊下を、息急き切って走る男の姿があった。使い込まれた白銀の鎧に身を包む、精悍な顔つきの闘士フレトである。
 鎧の胸元には、ギルドのシンボルである、荒れ狂う蛇の紋章が刻まれている。

「早く、早く教えてやらないと。きっと喜ぶ。喜んでくれる!」

 気持ちが(はや)る。
 しかし体力の衰えには逆らえないようで、廊下の途中で立ち止まり、一旦息を整えなければならなかった。

 短い休憩を終えると、フレトは1階の待合ロビーに出て、そこで待っているであろう少女の姿を探した。

「ああ! ニンフェア!」

 ロビーの柱のそばに、少女の背負う、見慣れた大きな薬箱を見つける。
 しかし彼女は一人ではなく、どうやら見知らぬ青年に声をかけられているようだ。

 青年は身なりからして冒険者のようだが、新参者であることは間違いない。
 なぜなら、ここ狩猟組合の常識を知る者なら、間違ってもその『少女』に話しかけるはずがないのだから。

 その光景を見た瞬間フレトは、頭の芯にカッと熱が集まるのを感じた。
 大股で二人のそばへ駆け寄ると、ニンフェアに軟派な笑みを向けていた青年の首を、乱暴に掴み上げた。
 突然現れた鎧姿の大男。それに捕えられ、青年は一瞬で軟派な表情を引っ込める。

「テメェ、ニンフェアに何を吹き込んでいやがった?」

 フレトの魔物に負けず劣らずの唸り声は、青年の戦意を失わせるのに充分な威力を発揮した。

「い、イエ、ただ彼女に、ウチのパーティーに入ってもらおうと、思っただけで……」

「この新参者が。ここの常識を知らんらしいな。調薬師ニンフェアは、この闘士フレトのパーティーだ。テメェなんかに渡すかよ」

 フレトの名を聞いたとたん、青年の顔からさらに生気が失せていく。

「あ、あ、あんたが、闘士フレト!? 狩猟組合の、A級討伐者の…!?」

()だ。組合長(ギルドマスター)の推薦を受けてついさっき、最高ランクのS級に昇格したんだよ。……クソ、ニンフェアに一番に報告するはずがテメェのせいで台無しだ!」

 首を掴む手にじわじわと力を込める。
 青年は絶望と苦痛に顔を歪めていくが、周囲にいる誰も止めようとはしない。誰一人として、力でフレトに敵わないと分かっているからだ。勝ち目のない喧嘩を仕掛けて、フレトの癇癪を爆発させたくないのだろう。それもまた、狩猟組合の()()である。

 そんな絶望的な状況の中、フレトの暴走を止めることができたのは、たった一人。

「落ち着いて」

 すべての原因である、少女ニンフェアだ。
 フレトは額に青筋を浮かべたまま、彼女のほうを見る。

 ニンフェアは、ただただ美しかった。
 花の蕾のようにあどけない15歳の少女。傷ひとつない白い肌も、雪蚕の繭糸のような白い髪も、フレトを見つめる感情のない大きな瞳も、人間らしからぬ神聖さと静かな迫力を感じさせる。
 フレトの胸に渦巻いていた怒りと嫉妬はみるみる引き去り、あんなに敵視していた青年の身を呆気なく解放した。

 仲間に支えられながらその場から逃げる青年。その後ろ姿には目もくれず、フレトはニンフェアに縋りついた。
 その際、彼が纏っていた恐ろしい剣幕も一変することになる。

「………はあぁぁ! 見たことかニンフェア。やっぱり君は俺から離れないほうがいいだろ? ギルド内だからと油断した。どこに害獣がいるか分かったもんじゃねえ!」

「何ともない」

「何かされてたら、俺がこうして冷静に話していられると思うか!?」

 触られてやしないか、傷つけられてやしないかと、フレトは血相を変えてニンフェアの姿を360度くまなく確かめる。
 先ほどの恐ろしい剣幕はどこへやら。彼は鎧をガシャガシャいわせながら、オロオロと慌てている。例えるなら、愛娘を心配する過保護な親のような有り様だった。

 ニンフェアは、汗にまみれた彼の顔をまじまじと見る。

益気(えっき)薬を調合する?」

「……うっ。あ、後で頼む。悲しいが、老いには勝てんな」

 体つきも年齢も()の男の慌てる姿に対して、若いのに少しも感情の変化を見せないニンフェア。
 親子ほど年が離れた二人組はギルド内でも有名で、周りは見慣れた様子を遠巻きに眺めるだけだった。

「フレト」

「え、あっ? どうした!?」

「S級昇格おめでとう」

 ニンフェアは抑揚のない声でそう告げた。
 本当は一番にニンフェアに伝えたかった朗報。しかしそんなことどうでも良くなってしまうくらい、彼女の言葉にフレトは胸を高鳴らせた。

「……ああ、ありがとうニンフェア。君がそばにいてくれたおかげだ。これで今までより、高難易度の魔物討伐を請け負うことができる。俺達が探し求めているものが、きっと見つかるはずだ」

「…………」

 光の加減のせいか。常に無表情のニンフェアが今、ほんの僅かに微笑んだように見えた。

 ーーいや、そんなはずはないな。ニンフェアは滅多に感情を見せないんだ。

 フレトの心は期待で満ちていた。A級では受けられなかった、未知で危険な魔物の討伐。これまで見つけられなかったものが見つかるかもしれない。そんな期待だ。

 ーー今度こそ。今度こそだ。大丈夫。時間はまだあるんだ。


 ***


 ーーー19年前・フレト29歳ーーー


「はあ、はあ、はあ…! クソ! こいつもハズレじゃないか!」

 狩猟組合公認の『B級討伐者』に昇格して数年。
 フレトは受注可能な範囲で最高難易度の魔物討伐を、いくつも引き受けてきた。
 達成率は100%。魔物を討伐した証として、その魔物の体で最も力が宿る部位を採集する必要がある。ギルドに報告する義務はあるが、基本的に採集したアイテムは討伐者の所有物となる。

 フレトが討伐依頼を受ける理由は、そのアイテムを得るためだ。
 しかし今のところ、彼が本当に求めるアイテムに出会えた試しはない。

 この日フレトが討伐したのは、100年以上も生き続けているといわれる一角竜の魔物だった。
 生命力の象徴である角を折り、そこに宿る能力を鑑定したが、結果は期待していたものではなく。

「『不死』の力なんて宿ってないじゃないか! クソ、無駄骨だ!」

 フレトは苦労して手に入れた角を、地面に荒々しく投げつけてしまった。
 彼の身につける、刻印のない銀の鎧は闘いの爪痕だらけだ。どれほどの死闘を繰り広げたかは想像に難くない。その全てが無駄だったと知った時の、彼の絶望も相当のものだろう。

 投げつけられた角を無言で拾い上げたのは、彼の唯一のパーティーメンバーだった。

 調薬師の少女ニンフェアだ。
 15歳の若き彼女は闘う力を持たない。唯一持つ得意の薬術の知識で、闘士フレトのサポートに徹していた。
 薬術では彼女の右に出る者はいない。が、言葉少なく、感情の見えない彼女は何を考えているのか分からない。

「……これで30匹目だ。長い年月を生きる強力な魔物なら、きっと『不死』の力が宿ってるはずだと思ったのに、今回もハズレ。……何が駄目なんだ? 俺の推測が間違ってるのか?」

「焦らないで」

「………焦るさ。だって、俺は」

 フレトは苛立ちの篭った恐ろしい顔つきのまま、ニンフェアの肩を掴んだ。
 決して手に力は込めない。しかしぶるぶると震える手からは、彼の抱える焦りとやるせなさが、嫌と言うほど伝わってくる。

 なおも、ニンフェアは無表情でフレトを見上げる。彼女の浮世離れした美しい顔すら、今のフレトには癪に障る。
 自分ばかりが、こんなに苦悩しているのに……。

「俺はもう29()()だ。いつ武器を振れなくなるか分からない。……ニンフェア。永遠に歳を取らない君とは違うんだ」

「…………」

 それが、フレトが不死の力を探し求める理由だった。

 ニンフェアは、世にも美しく希少な『怪物』だ。何年も何十年も何百年も、彼女は15歳の姿を生きている。
 ただの人間である、老いるフレトを置き去りにして、ニンフェアは永遠に15歳のままだ。
 二人の時間の差が開いていくのに比例して、フレトの想いの強さも増していく。その先に待つ未来を想像してしまえば、愛情は固執と焦りを生んで膨らんでいく。

「近い将来、俺達は永遠に離れ離れになっちまう。その恐怖が、君に分かるか?」

 ニンフェアは何も答えない。
 冷たい表情はぴくりとも動くことなく、じっとフレトの言葉に耳を傾けるだけ。責めているのかも、哀れんでいるのかも分からない。

 その顔を見ていると、フレトはだんだんと、たった今自分がどんなに身勝手な発言をしたかを自覚していった。

「……あ、ご、ごめん! ごめんな。こんなのは八つ当たりだな。本当にすまない……」

「…………」

 最悪の未来を考えないために、フレトは僅かな希望に無理矢理意識を向けた。
 今自分ができることをやる。それが最善の方法だと考えて。

「これからも討伐依頼をこなして、まずはA級討伐者を目指すよ。そうすればもっと希少な魔物の討伐が許可される。『不死』の力を持った魔物を見つければ、その力で、俺も不死になれるかもしれない」

 全てが希望。全てが憶測に過ぎない。
 しかしフレトには、ひたすらにその不確かな方法を追い続ける他に手段がなかった。

「俺は、昔の約束を果たしたいんだ。ニンフェア。ずっと君のそばにいることを。ずっと君を、守り続けることを……」

「…………」


 ***


 ーーー33年前。闘士フレト15歳ーーー


 当時、狩猟組合(ハンターズギルド)という組織はまだ存在していなかった。
 腕に覚えのある冒険者達の有志を募り、あるひとつの目的のために討伐隊を結成した。これが後の狩猟組合の原型である。

 古く神話の時代から続く森の深部。そこには、永遠の命を持ち、定期的に人里に下りては無抵抗な人間を捕食して回る危険な魔物がいた。
 地を這い、血を流しても首を落としても死なない特性。そして、白銀の鱗に覆われた美しい古竜。人間達はこれを「蛇の王」と呼び、その脅威に怯えていた。

 若き闘士フレトは、蛇の王に両親を食い殺された孤児だった。
 復讐のため討伐隊に加わり、仲間達と手を尽くして、蛇の王を退治することに成功した。

 不死身の怪物は決して死なない。
 殺せないならば、生きたままその体を活用しようと考えたのも、フレトである。
 炎にも耐える重厚な皮を剥ぎ、白銀の鎧兜を作った。
 鉄をも裂く爪を抜き、巨大な首狩り斧を作った。
 討伐不可能とされた蛇の王を攻略したことで、討伐隊は正式な組織として確立する。荒れ狂う蛇の紋章を冠した「狩猟組合」として。

 しかしそれよりも、フレトは彼にとって何よりも価値のある戦利品を得たのである。
 蛇の王の巣の奥にひっそりと隠れていた、美しい少女の存在だ。

 傷も欠損も欠点もない、絵画から抜け出た妖精(ニンフ)のようだと、フレトは思った。
 彼女は怯える様子も、蛇の王の死に悲しむ様子もなく、ただ無表情でじっと、フレトの顔を見ていた。

「……お、俺は、フレトリール。君は…?」

 平静を努める。しかし若きフレトも薄々気づいていたのだ。こんな場所に、こんなに美しく()る少女が、人間であるはずがない。

 言葉は通じるらしく、少女は小さく首を横に振った。
 名を忘れてしまったのか。名など始めから無いのか。

「ニンフェア」

 フレトの口から無意識に溢れたその名。いつかの文献で読んだものかも分からない。知り合いの名かもしれない。何かの植物の古名だったかも。いずれにせよ、彼女を呼ぶのに相応しい響きだと直感していた。

 怪物かもしれない。蛇の王以上に。
 好奇心と興味に突き動かされ声をかけたフレトだが、その心はまだ迷っていた。
 少女はフレトに呼ばれた名を、小さな唇を動かしながら反芻する。

「………ニンフェア」

 そうして少女は微笑んだ。
 今にして思えば、フレトはこの時、すっかりニンフェアに魅了されてしまったのだろう。

 フレトは手を差し出す。
 外の世界の光を背に立つ人間の少年。その姿を見て、ニンフェアは何かを思う。
 フレトの手を握り返す白く小さな手は、とても柔らかく、とてもとても冷たかったのを覚えている。

 守るものを全て失ってしまったフレトにとって、ニンフェアの存在が大きく尊いものとなったのは必然だった。

「大丈夫。これからは俺が、ずっと君を守るからね」


 ***


 ーーー現在。闘士フレト48歳ーーー


 フレトの冷たくなっていく頬に触れながら、ニンフェアは当時の出来事を思い出していた。
 初めて自分を、あの暗い穴から救い出してくれた少年。ぼろぼろに傷つきながら、自分に寄り添うための方法を探して闘い続ける、老いた男。

「………フレト。あなたが探し求めるものは、ここにあるわ。ずっと、初めから、ここにあったの……」

 降り頻る雨はフレトの体を濡らしていくが、無防備なニンフェアの肌には、触れる瞬間に蒸発して消えていく。
 時間も、自然も、蛇の王さえも、15歳のニンフェアを変えることはできなかった。

 かつて村の因習として、荒れ狂う蛇の王を鎮めるため、何人もの若く美しい女が生贄として(ささ)げられた。
 ニンフェアの美しさを見そめた蛇の王は、食い殺す代わりに、永遠に自分のそばに仕えさせることを思いつく。

 少女の首を噛み、蛇の毒を与えた。

 不老不死の毒に侵された人間の少女は、その瞬間の姿のまま、歳を取ることも死ぬこともなく、永遠に保存されることになる。親兄弟達が老いて死んでも、自分は永遠に変わらないまま。憎くてたまらない怪物のそばで、自分もまた同類の怪物に成るなんて。
 そんな残酷なことを、誰が予想しただろう。

「…始めは死ぬことばかり考えたわ。森に生える様々な毒草を食べ続けて、その毒で何度も『死にそう』になった。…でも死ねなかった。体がどろどろに溶けても、毒が抜ければ何事も無かったように元通りになる。そのたびに、私の心まで抜け落ちていくのが分かったわ」

 千を越える毒草や薬草の効果を身を持って経験した。薬の知識を蓄える代わりに、ニンフェアはますます、この世に希望を見出せなくなっていった。
 何にも興味を示さず、感情を見せず、淡々と(せい)を演じ続ける終わりのない日々の中、すっかり心は死んだはずだ。はずだった。

 その時、ニンフェアの頬を、温かい涙が流れ落ちる。

「フレトリール。ごめんなさい。……不老不死、なんて、辛くて孤独で、逃げることのできない永遠の地獄。そんな世界にあなたを巻き込みたくなかったの」

 ニンフェアの体が震え、次第に変貌していく。滑らかな肌には、硬質の白銀の鱗が浮き出ていく。

「………だって、愛してるから」

 たちまちニンフェアは、一匹の大きな蛇に姿を変えた。白銀の鎧に身を包むその様は、かつてフレトが退治した蛇の王と酷似している。
 髪で隠れていた彼女の首元に、痛々しい蛇の噛み跡がある点を除いては。

「あのひとが、私にしたことと同じ。同じ呪いをあなたに授けることを、どうか許してね……」

 ニンフェアは一瞬の躊躇のあと、牙を剥き出し、フレトの首に噛み付いた。
 牙を通して熱い熱い猛毒が、フレトの体内へと雪崩れ込んでいく。自分が苦しみ抜いた不老不死の呪いを、愛するフレトへ注いでいった。

 フレトの血が毒で満たされたことを確認すると、ニンフェアはようやく牙を収める。

「………怖いのよ、フレトリール。……あなたが死んでしまうと思ったら、私怖いの。あなたのいない何百年を過ごしてきたのに、あなたと過ごした、たった33年を失うのが、怖くて仕方がないの」

 やつれた人間の姿に戻り、涙をぼたぼたと垂らしながら、懺悔の言葉を吐き出していく。

「……こんなやり方は、あの蛇の王と同じだ。なんて、身勝手なのかしら。“愛”なんて呼べたものじゃない。本当にフレトを愛しているなら、こんな残酷な手段を取るべきではないのに……」

 しかし罪悪感に押しつぶされながら、ニンフェアはたったひとつの願いを漏らした。

「フレト。でもお願い……私とずっと一緒にいて」


 彼女の腕の中で、命が吹き返る気配を感じた。

「……当たり前だ。俺を八つ裂きにしない限り、世界の果てまでだって、君のそばを離れないよ」

 フレトは薄らと目を開け、心底安心したように笑っている。
 彼の顔は、皺と無精髭に覆われた初老の瞬間のまま、切り取られた。

 不老不死。
 今以上に、彼はもう老いることがなくなったのだ。永遠に。

「…こんな枯れたおやじの姿で、本当に良かったのかい? 体は石のように重いし、すぐに息が続かなくなる。そんな頼りない俺でも…?」

 もう感情をひた隠す必要はなくなった。
 ニンフェアは今まで自分が、どんな思いで調薬師を演じてきたかを、今ようやく理解したのだった。

「頼りなくなんかない。大丈夫よ。疲れたら、私がいつでも益気薬を調合してあげる。それが私にできる、あなたへの恩返しなのだから」


〈了〉