教室の扉を開けると視線が一気に集中する。

 クラスメートたちは私が近づくにつれ「おはよう」と言う。
 挨拶をする時の表情は、気まずさと憐れみが混じった酷いものだった。

 そんな顔をするなら話しかけないでほしい。無理をしたってどうせ、私はもうーー

 席に着くと学級委員長の山川さんがやってくる。

「木下さん、若葉先生がもうすぐ産休に入るでしょ。その時のメッセージカード今日までなんだけど書いてある?」

 彼女の目は憐れみそのものだった。
 私がどうなるかを知っているのに、新しい命を宿している先生に対するメッセージを要求するなんて酷いとでも思っているに違いない。

 私はそんな彼女を助けるようにわざとらしく「やっば、忘れた」とおどけて見せた。
 彼女は少しほっとしたのか少しだけ笑顔になる。

「じゃあ、今日の放課後までね。一文だけでもいいから」

 そういって足早に去る。できるだけ関わりたくないのだろう。
 もうすぐいなくなる人に気を使うのは大変に違いない。

 自分はもうすぐ半年で死ぬ、私が入院するべきと誰しも考えている。
 それなのにまだ登校している私が不思議でたまらないのだろう。
 さっさと目の前から消えてくれ、気を使うのは大変、そう思うはずだ人間ならば。

 申し訳ないけど、私は最後まで確認したいことがあるから、それまでは登校するのをやめないよ。
 ほんの少しクラスメートに意地悪をしている気分になる。
 まぁでもどうでもいい。私はもうすぐ死ぬんだから。

 急にクラスがざわついた。

 最初に視界に映ったクラスメートを見ると後ろの方を見て何か騒いでいる。
 女子はコソコソと何か発している。中には頬を赤く染めている子もいる。

 何となく後ろを振り向くと、一気に気持ちが下降する。

 そこには見慣れないクラスメートがいる。
 そいつは私と目が合うなり嬉しそうに微笑んで近づいてくる。

 私は気配を頑張って消そうとすぐに前を向き、逃げようと席を立つ。
 しかしそいつの近づくスピードは凄まじかった。

「桜空、久しぶり」

 クラスメートの視線がそいつに集まる。そして私にも向けられる視線、さまざまな感情の混じった視線に思わず萎縮する。

「えっと、木下さんこの人は転入生だよね」

 山川さんが先陣きって質問してくる。
 私はぎこちなく笑い、何と言うか迷う。
 
 先に口を開いたのはそいつだった。

「俺は和泉日向。桜空とは昔幼馴染だったんだよね、中学の時に俺が引っ越したんだけど、またこっちに戻ってきてさ久しぶりな再会なわけ。桜空驚かせたくて親には黙っててもらったんだよね、桜空びっくりした?」

「そりゃ、驚くよ。だって戻ってこないと思ってたし」

 日向は満面の笑みで嬉しそうだった。

 正直、日向にもう会いたくなかった。
 昔の自分を1番知っているのは彼に違いない。今の私の現状を彼は知らない。
 余計なことが起きないように先手を打たなければ。

「あっ日向〜、久しぶり」

 その声に体がどきっと反応する。
 振り向かなくても誰だかわかる。それくらい、この声には思い入れがある。

「おっ武尊、久しぶりー戻ってきちゃった」

 そこには私と日向と同じ小学校、中学校を過ごした柊武尊がいた。
 確か2人は仲が良かった。会って喜ぶのは不自然なことではない。

 しかし嫌な予感が頭をよぎる。
 
 その途端、日向が茶化すように私を見てニヤッと笑う。

「良かったやん桜空、同じクラスになれてんじゃん」

 私は予感が当たったことにショックを受け、すぐには何も言えずにいる。
 そんな私を見て、以前との変化に気がついた日向は何か言いかけている。
 その様子を全く気にしていないのか、武尊は表情を変えずに日向に話しかけている。

 私は静かに気配を消すように席に着く。
 その時、周りの女子の視線が私に向けられていることに気がつく。
 私と目が合うと気まずそうに誰もが逸らす。
 全員の視線から放たれた状態になってようやく机におでこをくっつける。

 日向は、まだ知らない。

 クラスメートが今考えることが何となくわかる。

 私の余命の話を知っているのか、それとも知らないのか。


 ***


 お昼になるといつも1人で中庭のベンチに行く。
 桜の木下のベンチは虫が出ると忌避されていて人がいない。

 余命のことが告げられてからは、まともな友好関係はないのでこうして1人で食べている。
 4月にもなってようやく暖かくなり、カーディガンだけで過ごせるちょうどいい気温。

 やっぱり私は1番春が好き。花は綺麗だし、新しいと毎回感じられるのが春だから。

 ここ最近、ずっと桜の花びらが宙に舞っているのを見ている。
 これを見ていると気持ちが穏やかになり、ずっと見ていたいと思う。

 でも、私はこれが最後だ。

「桜空、隣いい?」

 横には何も持たない日向がいた。
 お弁当を食べる目的ではなく、単純に私と話をしようと言うことだろうか。

「別にいいよ、お昼は?」

「武尊と食ってきた」

 また武尊っていう。あまりもう聞きたくない。
 私は「そう」と興味なさそうに返事をすると、目の前に日向の顔が飛び出してきた。
 力で日向の体を押してから、キツく睨んだ。

「何よ?」

「いや、あんた桜空?」

 日向は眉間にシワを寄せて私をまじまじと見据える。

 そりゃ、当時の私を知っている人からしたら別人とでも思われても仕方ない。
 武尊の場合は、私に何があったのかを知っているから別だけど。

「木下桜空だよ」

「嘘だ、俺の知ってる桜空はこんなんじゃない。証拠を見せろ」

 ずいぶん必死な日向に少し笑ってしまう。
 こんなに動揺するなんて、やっぱり余命というものは人を変えるんだな。

 それにしても、証拠と言われても。
 その時、お弁当箱の中にピーマン単体が入っていることに気がつく。
 私は箸でヒョイっとつまみ、そのまま口に入れる。

「好きな野菜はピーマンです」

「桜空だ、嘘だろ」

 証拠がピーマン好きでいいだなんて、こいつはやっぱりおかしいな。
 こういうのは全部素だから憎めないんだよな。

「でも、でも、だって、何があった?」

「まぁちょっとね」

 適当に笑って見せたが、私の目に映ったのはひどく険しい表情の日向だった。
 日向のこの表情はあまり見たことがない。本当に怒った時だけに見せるこの表情。
 私に対して怒るなんて、最後以来かな、頭の隅っこでそう考えながら残りのピーマンを口に入れる。

「俺の知ってる桜空はそんなふうに笑わないし「そう」って武尊の話題で反応したことは一度もない。クラスでも友達に囲まれてもっと楽しそうだった」

 私は金平牛蒡を口にした。母の金平牛蒡は砂糖が多めで、苦いのが好きなが好きな私は母の金平牛蒡が好きではない。
 食べるのをやめて日向を見ると、相変わらず険しい表情のままだ。

「もしかして、武尊に告白したのか? そんで振られて落ち込んで、みたいな感じか」

「違うよー、私は前にも言ったけど告白するつもりはないよ。……まぁ、間接的には振られたかもね」

「は? どういうこと?」

 日向は混乱している。そんな日向を見てまた笑いが溢れる。
 日向には自然と笑うことができる。

 最後だし、まぁちょうどいいか、少しくらい笑ったって。

 私は日向を焦らすようにゆっくりお弁当箱の蓋を閉め、お弁当袋に入れる。
 それをベンチに置いてから、その場で立ち上がり桜の木を見上げる。

 ちょうど風が吹いて花弁が空を舞う。その様子に思わず見惚れてしばらく黙ってしまう。
 鮮やかなピンクに包まれていて、今この場で死ぬのも悪くない、心の中で苦笑する。

 日向の方に体を向けて、私は優しく微笑んだ。

「桜の木って綺麗だよね」
「え、うん」

 急な話題に余計に日向の表情はどんどん曇っていくばかり。

「私はこれが最後の桜なんだよね」

「は?」

 少しだけ苛立ちも見えた。訳がわからない、そう今にも言ってきそうだ。
 私は話すペースを上げていく。

「日向は来年も桜がここに咲くと思う?」

「そりゃ、折れない限り咲くだろ普通」

「そうだね、じゃあ桜空は?」

「いるだろ」

 いるだろ、返答に迷いがなさすぎて何だか申し訳なくなってきた。
 ごめん、そう心の中で呟いてから本音の海に閉じ込める。

「不正解、私は来年ここにいません。なぜなら私はあと余命が半年だから」

 その瞬間、日向の表情は一変する。
 ポカンと口は開いているのに、眉間にシワが寄っている。多分混乱しているからいろんな感情が同時に顔に出てきている。
 その様子がおかしくて思わず声に出して笑ってしまう。

「何笑ってんだよ? 冗談だろ」

「冗談じゃないよ、本当だよ。もうみんな知ってる。そんなに信じられないならみんなに聞いてみたらいい」

「みんなって誰だよ」

「クラスメート」

 淡々という私は正直怖いなと感じてしまう。
 もう死ぬからどうでもいい、その時の感情に左右されて後から後悔することも簡単にやってしまう。

「余命が告げられた次の日に、クラスメートに伝えたの。私の余命は半年で尽きますって。その中にはもちろん武尊もいたよ」

 日向の表情がぐしゃっと歪む。そんなにショックを受けてくれるだなんて嬉しいな。
 内心嬉しく思いつつ、現実を伝える。

「もうすぐ死ぬ人なんだから、告白したって振られるに決まってる」

 そこで一息ついてから言葉を綴る。

「余命が分かった時点で私は私の人生に振られた」

 そう言って、無理やり微笑んだ。

 その時の日向の表情は今までで1番酷い顔だった。
 
「もう私の恋愛話には口出さないで、あと話しかけないでほしい。もうすぐ死ぬ私といたって何もいいことないでしょ」

「ふざけてんのか」

 低く、怒りに満ちた声。日向の表情はぐちゃぐちゃだった。
 今にも泣き出しそうで、苦しそうで、そして怒り。

 こんな日向は見たことがない。
 彼の様子に動揺してしまう。

「性格が変わったのも、もうすぐ死ぬから、何にも残らないから、自分にそう言ってそうなったのか」

「性格が変わったのは、そうかもね。もうすぐ死ぬんだし、今更いい子のふりをしても疲れるだけ。昔の私は全部作り物。本当の私がこっち。クラスメートと有効な関係を築くのだって心底どうでも良かった。幻滅したならもう関わらないでね」

 そう言って私はその場から去ろうとした。

 しかし、すれ違う際に腕を掴まれる。
 反射的に腕を強く引っ張り彼から離れたが、日向のまっすぐな視線からは逃れられない。

「でも、楽しくないだろ。そんなんで終わりたいって思うのかよ」

「別に楽しくなくてもいい。どうせ死ぬんだし、楽に過ごしてるだけ」

「どうせ死ぬって何だよ、怖くないのかよ」

 本音の海が少し荒れる。
 咄嗟に胸を抑え、日向を静かに見据えた。

「怖くないのかよ」

 今度はもっと強く言われた。
 咄嗟に「怖くないっ」と声を張り上げた。

「怖くないって、怖いだろうが」

「うるさい、もう話しかけないで!」

「桜空の方が声でかいだろ」

 日向は久々に笑い、ほんの少し気持ちが落ち着いた。

「俺は、そんなんで終わるのは勿体無いと思う。どうせなら楽しいことして、あぁいい人生だったって終わる方が良くないか」

「どうでもいいって言ってるでしょ」

「じゃあ、俺はやりたいようにやるからな」

 何を言っているのかよくわからず、日向を見据えるが、彼は笑ったままだった。

「自分でなんかやるのは面倒なんだろ。じゃあ俺が桜空を楽しませるよ、今いいこと思いついたから」

 ニヤリと自信満々に笑う日向は昔と何一つ変わっていない。
 彼の笑みに汚れたものは一切ない。
 名前の通り太陽みたいに明るくて、どこか暖かい。
 次第に海も落ち着いてきた。そして海水がほんの少しだけ減ってゆく。

「勝手にすれば」

 そうぶっきらぼうに行って、今度は走ってその場から去った。
 日向は追いかけてこなかった。

 人目のないところまで来てようやく足を止める。
 息を整えながら、さっきの日向の言葉を何度も思い返す。

 楽しませるよ、そう聞こえた時に海の底が少し上昇したような気がした。
 本音が、出てこようとしている。

 初めてのことで嬉しくも感じつつ、やっぱり怖い。