「部下は雷郷(らいごう)と妻子が追手に見つかったって慌ててた。治親(はるちか)は特に気にしなかった。雷郷だったら追手くらい返り討ちにするはずだから。けれど、どうも様子がおかしい。とにかくこの場は妻子を追って欲しいと言う。仕方なくリンと二人で雷郷の後を追った。──彼らは驚くほど近くの森の入口にいた」
 
「何があったんだ?」
 
 蕾生が続きを促すが、永は辛い過去を語るために少し躊躇した。そして言葉を探すようにゆっくりと思い出しながら語る。
 
「まず目に飛び込んできたのは妻と子どもが血を流して倒れた姿。それから妻子よりも無惨な姿で横たわる敵方の追手達。そしてその傍で雷郷は身を屈めて小刻みに震えていた。彼からはおよそ想像もできないほど低い声で唸ってもいた」
 
「──!」
 
「全身に刀傷を負って、血まみれになりながら、雷郷は涙を流し苦しみながら唸り続ける。治親とリンがその姿に圧倒されていると、どこからか黒雲が降りてきて、雷郷の身体を包んだ」
 
 そこまで話すと、永は深く息を吸って肩で大きく吐いた後、目を閉じてその日の光景を語る。
 
「その時間は長く感じられたけれど、一瞬だったのかもしれない。黒雲が引いた先には雷郷の姿はなく、代わりに化け物がいた。頭が猿、胴体は猪、尾は蛇、手足は虎──かつて治親が討伐した、あの時の(ぬえ)がそこにいたんだ」
 
 蕾生が思わず唾を飲むと、鈴心(すずね)が続けた。
 
「最初はとても信じられませんでした。雷郷は突然現れた鵺に喰われたんだと思ったんです。でも、目の前の鵺の前足に、雷郷がいつも身につけていた数珠が……」
 
「それで治親は悟ったんだ。雷郷は鵺の返り血を沢山浴びていた。そのせいで鵺に乗っ取られたんだろう、って」
 
「それで、どうしたんだ?」
 
 永の言葉を受けた蕾生の問いに、鈴心が自分を責めるような口調で答えた。
 
「治親様は武家の棟梁ですが、文官に近い仕事をなさっていたので、純粋な武力では雷郷の足元にも及びません。何より私達はとても動揺していました。何が起こっているのか理解が追いつかなかったんです」
 
 また、永も悔やむように続ける。
 
「事態は一瞬の出来事だった。治親もリンも暴れ狂う鵺に致命傷を与えられた。でも雷郷をこのまま放っておく訳にはいかない。彼を鵺にしてしまったのは治親の罪だ。だからせめてこの手で止めてやらないと、一緒に連れて行かないと──必死でくらいついて、鵺に止めを刺した」
 
 鵺の断末魔の叫びが聞こえた気がした。同時に二人の慟哭も。
 壮絶な出来事を語った後、永も鈴心も少し黙っていた。